筋肉の種類
さて、最後は筋肉のお話です。
筋肉は強さや男らしさの象徴として、ボディビルなどで美を競ったりされます。
ふくらはぎの筋肉は「ひらめ筋」といいますが、これは魚のヒラメに似ているところから名づけられました。以前、唐沢寿明氏が出ていたサロンパスのCMで、女性がふくらはぎに魚のヒラメを貼っていましたが、これはそのシャレでしょう。ひらめ筋は、ラテン語でもmusculus soleus(sole =シタビラメ)といいます。
筋肉と骨をつないでいるのが「腱」で、よく知られる「アキレス腱」は踵にあります。これは、ギリシャ神話に出てくるアキレスの唯一の弱点として知られます。アキレスは無敵の戦士ですが、それは母親が、生後すぐに彼の全身を黄泉の国の川に浸けて、不死身の身体にしたためです。ところが、踵を持って川に浸けたので、その部分にまじないがかからず、トロイの王子パリスにそこを射貫かれて死んでしまいます。ウォルフガング・ペーターゼン監督の『トロイ』(2004年)では、アキレスをブラッド・ピット、パリスをオーランド・ブルームが演じていました。
アキレス腱は、強い力がかかると切断されることがあります。経験者によると、切れるときにバチッと音が聞こえるそうです。アキレス腱が切れると、つま先は上がるのか、下がるのか。腱が切れると、つま先がぶらぶらになって下がるように思うかもしれませんが、逆で、アキレス腱が切れるとつま先は上がったままになります。アキレス腱はつま先を下げるときに使う腱だからです。
腱とよく似たものに「靱帯」があります。ともに結合組織ですが、骨と筋肉をつなぐのが腱、骨と骨をつなぐのが靱帯です。
筋肉には、横紋筋と平滑筋があることは先に書きましたが、横紋筋にはさらに二つのタイプがあります。ミオグロビンという赤い色素蛋白を多く含む「赤筋」と、ミオグロビンの少ない「白筋」です。赤筋は持続力があり、白筋は瞬発力があります。マラソンランナーと短距離ランナーのちがいですが、魚でも同じで、遠距離を泳ぐマグロは赤身、ふだんじっとしていて、逃げるときに瞬発力を発揮するヒラメは白身です。
人肉食について
人間はウシやブタ、ニワトリ、ウマのほか、ウサギやシカ、イノシシなど、さまざまな動物の肉を食べます。
人間の肉はふつうは食用になりませんが、人肉食の記録も少なくありません。猟奇的に語られることが多いのですが、たいていは厳しい環境の中で行われるので、その状況を踏まえずに語るのは適当ではありません。
たとえば、1972年に、アンデス山中に墜落したウルグアイの飛行機事故の場合は、雪に閉ざされた標高4200mの過酷な条件下で、生存者は事故から救出まで72日間、生き延びなければなりませんでした。食料も尽き、雪を溶かして作るわずかな水しかない極限状態で、生きるために死者の肉を食べたことは、何ら非難されるべきではないでしょう。
生存者は必須アミノ酸の欠乏や、血液の酸塩基平衡のアンバランスなどで、通常では考えられない壮絶な生理的異常の状況下にあったのです。満たされた状況にある人間が、道徳や宗教を持ち込んで非難するのは見当ちがいです。
私が外務省の医務官として勤務したパプアニューギニアでも、かつて奥地の村で「儀式的カニバリズム」が行われていました。これは死んだ身内を弔うために、その肉をみんなで食べるというものですが、その地域の住民は、十分な食料が確保しにくく、慢性的な「蛋白飢餓」の状態にありました。もし我々が、極限的な飢餓状態や、慢性的な蛋白飢餓に陥ったとき、それでも人肉食に眉をひそめるという確証は、どこにもありません。
にもかかわらず、日本からパプアニューギニアに出張してくるお客の中には、「ニューギニアといえば、人食い人種ですよね」などと、浅はかな発言をする人もいました。そんなとき、私はいつも先輩外交官に教えてもらった話をしました。
「逆ですよ。パプアニューギニアの人は、日本人こそ人間の肉を食べるのかと言います。自分たちは見たのだと。戦争中、日本兵が人間の肉を食べているのを」
たいていの来訪者は苦笑いしながら、いやな顔をします。自分たちも極限状態に置かれたら、何をするかわからないという事実を、認めたくないからでしょう。
極限状態にならなくても、人肉食が行われる場合があります。異常犯罪者や、精神異常者のケースです。これらについては、個別の状況や背景を、客観的に分析すべきですが、残念ながら表面的事実のみが煽情的に語られることがほとんどです。
日本人が関わった人肉食としては、1981年に、パリでオランダ人女性を殺害して、屍姦したあと、遺体の一部を食べた佐川一政氏の事件が有名です。唐十郎氏は、佐川との手紙のやり取りを題材として、小説『佐川君からの手紙』を書き、芥川賞を受賞しました。
フェルディナント・フォン・シーラッハの短編「愛情」にも、性欲からカニバリズムに走る若者に、私(語り手)が「サガワ・イッセイという日本人の名前を聞いたことがないですか?」と聞く場面があります。
フィクションの世界では、何度も書いたハンニバル・レクター博士が有名です。レクター博士が人肉食に走るきっかけは、第二次世界大戦中、飢えたならず者の対独協力者に最愛の妹ミーシャを殺され、その肉を知らずに食べたことだとされています。
デヴィッド・マドセンの小説『カニバリストの告白』は、美食の世界を舞台に、天才シェフの殺人と、人肉料理の数々を描いた小説で、人間の内面のおぞましさを暴いた寓話的作品です。物語とは関係なく、「苦痛の快楽のなかで息絶えた雄牛の新鮮な特上肉」を使う料理だの、仔鴨の胸肉を「(女性の)膣に挿入して、3から4時間、マリネにする」料理法だの、悪趣味なレシピがはさまれています。
今をときめくジョニー・デップの初期の名作『デッドマン』(ジム・ジャームッシュ監督。1995年)では、荒野で彼を追うガンマンが、仲間割れで撃ち殺した男の腕を食べるシーンがありますが、関節の動きがまさに人間の腕で、作り物と思えないリアルさです。
人肉食の歴史から背景、実例について詳しく知りたい人は、マルタン・モネスティエ著の『図説 食人全書』(原書房)がお勧めです。イラストや写真も満載の400ページを超える大著で、気分が悪くなること請け合いです。
もし悪くならなければ、あなたは……。
* * * *おしまい* * * *
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