借金は返さなければならないというフィクションーーデヴィッド・グレーバー『負債論』

 かつてカール・マルクスは哲学の立場から経済学が「ロビンソン物語」的なフィクションの上に成立していることを指摘しました。デヴィッド・グレーバーは、人類学の立場から経済学が「物々交換」という神話を前提に成立していることを指摘しています。

 グレーバーは経済学が前提としているフィクションを指摘することによって「借りたお金はなぜ返さなければならないのか」という、私たちが当たり前のこととして受け入れている常識を崩していこうと試みます。

 常識として身につけている考え方がロジカルに否定されていくのはスリリングな読書体験であり、本書はそうした体験を与えてくれる貴重な一冊です。


 あるところに狩猟を専門にして生きる猟師がいて、また別のところに靴作りを専門にして生きる職人がいる。靴を欲しいと思った猟師は自分の獲った鹿肉を靴職人のところへ持っていく。しかし靴屋のところに行くまでに肉は腐るかもしれないし、靴屋がすぐに肉を必要としているかどうかもわからない。そこで貨幣という持ち運びに適して万人が価値を認める商品が誕生した……。

 おそらく誰もが一度は聞いたことがあるであろう、貨幣の起源についての神話です。これを土台に据えるために、アダム・スミスは『国富論』の冒頭を分業制から始めたのです。この空想を補完するために、ホメロスやアビシニア、インド沿岸、スコットランドの事例をスミスは挙げています。


 もしこの仮説が正しいとしたら、どこかに物々交換を行っていた社会についての記録や痕跡があるはずです。何人かの経済学者はこれに興味を持ちましたが、ついにそれを発見することはできませんでした。ケインズはメソポタミアの楔形文字の研究に数年間を費やし、最終的に貨幣の起源は重要ではないという結論に達しました。

 それではスミスが挙げた事例はなんだったのか。人類学者たちはこれら全てを調査し、これらはみな貨幣制度が誕生した後の事例であること、釘をもって酒場に行きビール代を支払ったスコットランド人は存在しなかったことを突き止めました。


 それでは貨幣があらわれる前には何があったのか。人類学者は貨幣の起源は借用証書であることを発見しました。生産物が商品になる前から、負債があったのです。グレーバーが本書で試みたのは5000年の世界史を負債の観点から読みなおすということでした。

 第5章から第7章までは理論的な考察に充てられていますが、そのうちのいくつかの考え方、とりわけ「人間経済」についてはグレーバーの最初の著作『Toward an Anthropological Theory of Value (2001)』を読まないとわかりにくい部分があるでしょう。これはまだ翻訳されておらず、高祖岩三郎によるグレーバーへのインタビュー『資本主義後の世界のために: 新しいアナーキズムの視座』で簡単に解説されています。


 ここで興味を惹かれるのは、私たちの社会が驚くほどたくさんのフィクションを信仰することで成立している、ということです。架空の物語でしかない観念が、なぜ、どうして暴力を正当化してきたのか、著者は精密に議論を積み重ねています。


 レギュラシオン学派の主張するような「生まれてきたことが負債なのだ」という原始負債論に対し、最終的にグレーバーは「おそらく世界こそが、あなたから生を借りている」という対抗的なフィクションを対置します。このくだりは感動的ですらあります。


 ヨーロッパでは神に近づく行為として小説を書く文化が発達しました。それに反して、イスラム教世界では小説が発達しませんでした。エドワード・サイードは、それは神が作った世界とは別に人間が世界を創造してしまうのは、涜神にあたるからではないかと論じました。彼らはフィクションの恐ろしさを知っていたのかもしれません。


Graeber,David (2011), Debt: The First 5000 Years, New York: Melville House.(酒井隆史,高祖岩三郎,佐々木夏子訳『負債論』以文社,2016.)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます