幸運にも学生時代に、周囲の人が発達障害に気がつくことができれば、それら「社会性」を身につける機会(本書では運動部の部活と、少人数のアルバイトを推奨している)を得ることもできよう。だが、勉強ができるがゆえに、ほとんどは就職してから露見する。そうすると本人も、そして周囲の人々も苦労することとなる。

 この本の第2章には、そういった人たちがどのように仕事を上手くこなすかのコツが具体的に書かれているが、むしろ読んで参考となるのは周囲の人かもしれない。事例が豊富であるから、本人との共通理解のもとで、どのような環境であれば能力を発揮させることができるかをともに考える手助けとなるだろう。

 こんなデータがある。2012年に、文部科学省が全国の公立小中学生5万人に行った調査では、普通学級に通う生徒のなかで「発達障害の可能性がある」とされた児童の割合は6.5%であった。この数値をもとに考えると、就労者15人の職場に1人の割合で、発達障害の人が含まれている計算となる。人事異動などが少ない職場で働く人はとくに、知識を頭に入れておくべきだろう。繰り返すが、双方の理解がすべての礎となる。

『サイコパス解剖学』(春日武彦・平山夢明著、洋泉社)

1.発達障害ではない
2.一見、普通に見えるのだけれど、どこか裏がありそうな気がする
3.笑顔の時、目が笑っていない
4.理屈はとおっているのだけれど、常識に照らすと理解しがたい
5.その人の周りで、謎のトラブルが頻発する

 もし上記の複数項に当てはまる人が身近にいたら、それは世間でいうところの「サイコパス」かもしれない。

 1991年に公開された映画『羊たちの沈黙』によって、劇的に世の中に浸透した存在。それがサイコパスだ。この映画のなかでアンソニー・ホプキンスが演じた「ハンニバル・レクター博士」が、サイコパスという常人には理解しがたい思考回路を持つ人種がいることを人々に認識させた。

 何件もの殺人を犯し、獄中に繋がれた彼は、頭脳明晰で観察眼にすぐれ、資料にある僅かな手掛かりから犯人がどのような人物かを言い当ててみせる。まばたきが異様に少なく、底なし沼を思わせる双眸に見つめられると、フィクションであるにもかかわらずスクリーンの存在を忘れ、自分が被捕食者になったかのような恐れを抱く。表情も乏しく、言葉を発する時に使う口まわりのわずかな筋肉以外は動くことがない。

 もちろん役作りなのだろうが、恐怖とともに「サイコパス」という名称を観る者に強烈に印象づけた。そしていま、ふたたびサイコパスが注目され始めている。一体なぜだろう。

 推測するにSNSなどのコミュニケーションツールの普及によって、サイコパスにとって生きやすい環境が整ってきたのだと、本書は分析する。記憶に新しい「座間9遺体事件」などは、その最たる例だという。