人間(あるいは会社)を自分の好きなように動かすという生殺与奪権を持っている自分に酔い、快感を見出す。サイコパスは、さながら台風のようだ。自然発生し、周囲を巻き込んで甚大な被害をもたらす。だが自分は台風の目として「無風状態」で、涼しい顔をしている。
被害を受けないようにするためには、近づいてきたら影響を受けない場所まで距離を取り、逃げるしかない。
『悪の教典(上)(下)』(貴志祐介著、文春文庫)
サイコパスの怖さを、いまいち具体的に想像できないという人には、本書を読んでいただきたい。サイコパスを描いた傑作であり、映画化もされている。サイコパスである蓮実聖司という高校の教師が主人公の小説である。
2冊目に紹介した『サイコパス解剖学』において、春日と平山が語っているが、教師という職業は人(生徒)を思いどおりに操りやすい立場にある。それが日常となって、快楽を感じはじめると、サイコパスが萌芽しやすいという。蓮実の前任校では生徒が死亡する事件が起きており、作中に出てくる刑事も彼を疑ってはいるのだが、証拠が不十分であったために本作の舞台となる高校に転任してきた。そしてさらなる事件を起こす。
蓮実は自分の能力に絶対の自信を持ち、ある問題に直面した時にその問題を解決するための選択肢にタブーが存在しない。たとえば、対象が邪魔だと思えば殺すことに躊躇しないのだ。常人の感覚をもってすれば、とても短絡的に思える。だが彼の内面においては至極まっとうで、それはとても合理的な「解」なのである。サイコパスの欠落とは、もしかしたら「迷う心を持たないこと」なのかもしれない。著者は、サイコパスについて相当な取材をし、資料を紐解いたのだろう。サイコパスの内面心理や理屈を知ることができる、価値ある物語となっている。
本書でカギを握るのが、3人の学生だ。知能が高く、本質的に冷徹である蓮実が、巧妙に演じる「さわやかでいい人」というキャラクターの異常性を嗅ぎ取って、裏の顔を探ろうとする。彼らのようにアンテナを立て、サイコパスに対しての感度を高めないと、今の世にはびこるサイコパス、サイコパス亜種とトラブルなく過ごすことは、難しいのではないだろうか。兎にも角にも逃げること。小説という形をとったフィクションではあるが、自己保身の一助として読みたい1冊だ。
人間関係でつまずくのが心配なあなた。もしかしたらあなたのとなりの同僚は、理解の範疇を超えた存在かもしれない。
余計な心配をかけてしまいましたか? それは、私がサイコパスの気質を持っているからかもしれませんよ。フッフッフ。