「3は水色」「ラは紫」「Fは肌色」……。
いきなり誰かにそう言われたら、あなたはどう思うだろうか。昔の流行歌や、子ども向け絵本のタイトルかと思うかもしれない。
だが、これらの文言は決して「メタファー」や「創作」の類ではない。
「共感覚」と呼ばれる、いくぶん風変りだが素敵な感覚を備えた人々が、日常的に知覚している「現実」をそのまま表した言葉である。
この共感覚とは、「ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意的に起こる」現象と定義される。
音を聴くと色が見えるという「色聴」や、文字を見ると、そこにないはずの色が見える「色字」が代表的で、「痛みを感じると色が見える」とか、「何かを味わうと手に形を感じる」といった珍しいケースも確認されている。
これまでの海外での研究事例を見ると、何らかの共感覚を持つ人の割合は「2000人にひとり」、「300~700人にひとり」、「200人にひとり」など様々な推計があり、近年は「23人にひとり」という報告もある。
筆者自身は共感覚を持っておらず、これまで共感覚者に出会ったこともなかった。
それだけに、「23人にひとり」という推計は俄かには信じ難いが、最も控えめな「2000人にひとり」を当てはめてみても、日本国内にはざっと6万人もの共感覚者がいる計算になる。
彼ら共感覚者は、「現実」をどのように捉えているのだろうか。
「私には『色字』と『色聴』があります。共感覚があると、ものを覚えるのに便利なんですよ」
そう語るのは、関西学院大学理工学部の長田典子教授だ。長田教授は人間の感性を科学的に研究し、プロダクトデザインやサービスに応用する〝感性工学〟を専門とする一方、自らの経験を踏まえ、これまで共感覚に関するいくつかの論文を発表してきた。
「ひらがなやアルファベット、数字、それから画数が少なければ漢字にも色を感じます。たとえば『あ』は赤で、『い』は白、『う』は白に近いグレーという具合に、それぞれの文字に色を感じるんです。数字だと、1は白、2はオレンジ、3は水色……と、やはり数によって違う色を感じます。
自分の名前にも色があります。『長』は赤、『田』は黄土色、『典』は暗めの赤、『子』は白ですね」
一方の『色聴』では、おもに楽曲の調(キー)に色を感じるという。
「ハ長調なら白ですし、ニ長調はオレンジ、ホ長調は緑です。これが短調になると、総じて色は暗くなる。ハ短調は濃いグレーで、ニ短調は枯れ葉みたいな茶色、ホ短調も緑ですが、ホ長調に比べるとずっと暗い色になります。
子どもの頃は音楽の専門教育を受けていたんですが、『青い色だからこの曲はト長調だ』とか、『ピンクと肌色だから、このコードはF6だ』とか、色を手掛かりに調を覚えていました」
そう説明している間も、長田教授は絶えず色を感じているという。その色はどこに、どんな具合に見えるのだろうか。
「色の見え方や感じ方は、共感覚者によって違います。『目の前にべったり色が見える』という人もいますが、私の場合は、このあたり(言いながら後頭部を両手で覆う)に色が浮かぶんです。目の前にはっきり『見える』というより、頭の中に『感じる』。
文字の場合、書かれた色はそのまま見えます。黒で書かれた字でも、赤で書かれた文字でも、そのとおり見えます。でもそれとは別に、頭の後ろに色が浮かんでくるんです」