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宮川さんのFacebookの代理投稿 画像残り一枚

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 5月 4日(金)18時52分27秒
  先程、アップしました宮川さんのフェイスブックの代理投稿の、画像全4枚のうち、残り1枚をアップします。  

宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 5月 4日(金)18時17分20秒
編集済
  宮川さんのフェイスブックの投稿の画像全4枚のうち、3枚を添付して、残りは後でアップします。

-----------------

「 私が死んでも、この子が社会に出て、生きていけるようにしなければ・・・・」

32週、1836g?で生まれた命、

ーー   ーー  ーー  ーー  ーー

「 名前は、水晶(みずき)にしよう 」

そう決めた瞬間から、私はもう覚悟が出来ていた気がします。

その小さくて愛しい我が子を、自分の命に代えても守っていこう、と。

1996年10月28日、
水晶は1836g?の未熟児で生まれてきました。

その日は、ちょうど8か月健診のために朝9時に婦人科の予約をしていました。

朝起きて、早めに出かける準備をしていると、突然、激しい腹痛に襲われたのです。

それまで、ひどい便秘に悩んでいた私は、「 これはお通じがあるかな 」と、トイレの便座で気張っていると、次の瞬間、サーッと破水したのがわかりました。

「 えっ、ウソでしょう?
まだ32週なのに、もう生まれちゃうの!?」

慌てて婦人科に電話すると、

「 すぐに来てください !」

そう言われて、入院の準備もせずに、ただ祈るような思いで産院へ急ぎました。

お腹にエコーをかけてもらいながら、

「 あぁ、これは前期破水だね 」

「 先生、赤ちゃんの心音が弱くなっています 」

「 すぐに帝王切開の準備をしよう 」

「 生まれたら、緊急で総合病院に移送するので、保育器の準備をお願いします 」

そんな慌ただしいやりとりが聞こえてきて、不安で胸が来るドキドキしてきました。

あと2か月先の予定だった、初めての出産がいきなり始まってしまった驚きの中で、

「 この子が無事に生まれてきますように 」

私はただ、それだけを祈っていました。

夕方5時18分。
生まれた時、赤ちゃんは産声をあげませんでした。

すぐに呼吸器をつけて総合病院に移された我が子とは対面できないまま、

私は帝王切開の術後の身体を横たえて、ダンナさんが産院に来るのをジッと待っていました。

あの泣かなかった赤ちゃんが、今はどんな様子なのか、心配でたまらなかった。

翌日の夕方、私の病室に来たダンナさんの顔色が良くないのを見て、私は状況を察しました。

「 赤ちゃんの状態がよくないの? 」

「 う・・・う~ん。
危ない状況だけど、頑張ってるから 」

ハッキリしたことを言わずに言葉を濁している彼に、私はとっさにこう言っていました。

「 名前をつけなきゃ!」

小さな危うい命を、絶対にこの世につなぎとめたい。

名前をつけて、確かに私の子供は、ここに生きているのだ、と、名前で呼びかけてやりたい。

するとダンナさんは、私と目線も合わせずに言うのです。

「 いや、それよりも、早く赤ちゃんに会いたいでしょ?

今は自分の身体が早く回復するように、それだけを考えて 」

諭すような、その言い方にも私は違和感を覚えました。

同じ病室の人たちは、みんな赤ちゃんに名前をつけて呼びかけてるのに、

なんで私は名前をつけちゃダメなの?

どこか意地になって窓の外を見つめていたとき、

ふと「 水晶と書いて、みずきと読むのはどうかな?」と思い浮かびました。

以前に誰かから聞いた
「 水晶は、持ち主を守ってくれて、願いを叶えてくれる石なんだよ 」と言う言葉を、閃くように思い出したのです。

その名前が、
どんな困難からも守ってくれる、
苦しいことも乗り越えられる力を、彼に授けてくれる気がしました。

今こそ、危ない状態の私の赤ちゃんを守ってください。

これ以上の名前はないと思い、ダンナさんにすぐに電話しました。

「 ねぇ、水晶っていう名前はどうかな?」

「 今、名前どころじゃないでしょ 」

言い捨てるようにボソッと言われて、私も強い言葉が出ました。

「 私は、水晶って決めたから!」

「 本当は、3日の命って言われていたんだよ 」

病室にやってきたダンナさんに、そう言われたのは、水晶が生まれてから1週間が過ぎたころでした。

「 6日目に強い黄疸が出て嘔吐して、体重も1596gに減っちゃって、

体調は決してよくないのけれど、命の危機は乗り越えたから。もう大丈夫だよ 」

やっと少しホッとしました。

「 ただ、8か月で生まれて状態も良くなかったから、脳か目に障がいが残るかもしれないって。

これから発達の過程でよく観察してくださいって言われたよ 」

障がいと言う言葉が、ズシンと重く胸に響きました。

けれど、私にとっては、
その事実よりも次に言った、彼の言葉のほうが許せなかった。

「 俺、これから障がいのある子を育てていく自信がないよ・・ 」

今こそ、
「 ふたりで一緒に頑張って育てていこう 」と言う言葉が聞きたかった。

それは私たちが夫婦であること、父と母になった証のような気さえしました。

その頃はまだ水晶にも会えていなくて、搾乳したおっぱいを届けてもらう事だけが母と子のつながりでした。

もっと水晶の様子を知りたい。早く水晶に会いたい。

わが子を自分の手で抱けない、自分の目で見られないからこそ、全身を耳にして、

ダンナさんの言葉だけが、当時の私の支えだったのです。

この人は、そんなふうに水晶のことを感じているんだ・・・。

冷水をかけられたように、彼への気持ちがスーッと冷めていきました。

今、このときに、「 自信がない 」などと弱い心を持っている人とは、一緒に水晶を育てていけない。

瞬時に、離婚が頭をよぎりました。

ーー  ーー  ーー  ーー  ーー

水晶が出生時に泣かなかったのは、新生児呼吸窮迫症候群と言うものでした。

もうひとつの病名は、未熟児動脈管開存症。

羊水の中にいた赤ちゃんが生まれた瞬間に肺呼吸する時に、完全に閉じるべき器官が、

彼は肺が未成熟なまま生まれたので、閉じる事が出来なかったのです。

何とは状態が安定して、やっと私が水晶に会えたのは、出産から10日後でした。

「 あ、なんて小っちゃいんだろう 」

同じ病室のお母さんに抱っこさせてもらっていた赤ちゃんとは、まるっきり違う。

けれど、保育器の中で管につながれながらも、必死に生きているわが子が、どうしようもなく愛おしかった。

その手に触れると、小さな小さな指が、私の指をきゅっと握りました。

こんなに小さいのに一生懸命に生きてる。生きようとしてる。

その次に、私は水晶の隣の
保育器の赤ちゃんに目を奪われました。

たった、500g?で生まれた赤ちゃん。

その子は、水晶よりも、もっともっと小さかった。

その赤ちゃんのお母さんが、
泣きながら水晶にふれて、

「 よかったですね。こんなに大きく生まれて 」と言ったのです。

ささやかな命の灯火に、
「 ただ生き抜いてほしい 」と願うばかりでした。

10か月間、お母さんのお腹で育まれ、正常に生まれてきた赤ちゃんが沢山いる中で、

どうして同じ命なのに、こんなにも差があるのだろう。

なんで、私は我が子をこんなふうに小さく産んでしまったのだろう。

涙がこみ上げてきて、胸がぎゅうっと潰れる思いがしました。

( 式部 啓子著
「 脳性まひのヴァイオリニストを育てて 」より )
ーー  ーー  ーー  ーー  ーー

式町  水晶 ( しきまち みずき )
作曲、演奏、

「 孤独の戦士 」

私が、曲の存在を知ったのは、馬渡君という澄んだ目と、美しい心を持つ友からの紹介であった。

6日前の事である。

その曲、演奏を聴いた瞬間、思わず泣き出してしまう程の感動を覚えた。

そして、その感動は、再生すればするほど大きくなっていった。

魂を揺さぶる彼の演奏、そして彼の表情、その全てが私には驚きと感動だった。

その日の内に
私のフェイスブックで彼の演奏を紹介した。

一個の人間が持つ無限の可能性、そして、そこには、必ず、支える人の祈りと献身があった。

可能性は、無限である。

例え、どのような絶望的な状況であろうと必ず、切り開いていける!

そして、自己の苦悩を、希望への輝きに変える唯一の道は、誰かへの献身であり、

献身に命を吹きこむのは利他の心である。

幸不幸のハードルの高さを決めるのは自分である。

1596gで産まれた水晶君の母に500gで産まれた子の母親は、心の底から祝福の言葉を贈った。

「 よかったですね。こんなに大きく生まれて 」と。

彼の演奏は、母子一体の愛の力、慈悲の心、負けじ魂さえあれば、どんな困難も喜びに変わると言う真実を教えてくれる。

https://youtu.be/f6bJS5-EkBI

脳性麻痺を抱えながらも、人々に笑顔と感動を届ける

奇跡のポップ・ヴァイオリニスト、式部 水晶( しきべ・みずき )君、
22歳、

彼が作曲した
「 孤独の戦士 」

お聴き下さい。
 

何様のつもり?

 投稿者:マンシン  投稿日:2018年 5月 4日(金)18時13分12秒
編集済
  大義のために真実をねじ曲げるのであれば、先生事でもありますし、それなりの覚悟を見せて頂きたい。  

波田地氏除名に関する文書公開

 投稿者:重機  投稿日:2018年 5月 4日(金)18時11分52秒
  現在、創価学会本部が、機関紙『創価新報』に波田地氏の実名を挙げて、同氏の除名の経緯等に
言及し、事実に反すること等を喧伝しています。これは看過できることではありませんので、波田地氏に許可をもらい、
東京都審査会及び監正審査会と波田地氏の間で交わされた文書をすべてノーカットで公開いたします。
波田地氏の除名に関することは、ここに書かれていることがすべてです。これを読み比べていただければ、学会本部の
理不尽さ創価新報のウソなどをお分かりいただけると思います。
ファイルの保存先『蓮虎・資料室』はこちらです。

http://senhum.com/index.html

なお、入室には登録が必要です。受信できるメールアドレスでご登録ください。仮パスワードが送信されます。


資料一覧
1 20131213東京都審査会からの除名申請「通知書」
2 20131219除名申請「通知書」への認否及び求釈明
3 20131221東京都審査会からの「通知書」
4 20131225 12月21日付「通知書」への回答(12月19日付「通知書への認否及び求釈明」再送)
5 20131229東京都審査会からの除名処分決定「通知書」
6 20140105「不服申立書」(監正審査会宛て)
7 20140105「不服申立書」(東京都審査会宛て)
8 20140130監正審査会からの「ご通知」
9 20140306監正審査会からの「ご通知」
10 20140324監正審査会への「『審査会規定』開示のお願い」
11 20140331監正審査会から送られてきた「審査会規程・抜粋」
12 20140403波田地克利氏の「陳述書」
13 上記「陳述書」関連資料(64頁)
14 20140403監正審査会への「御連絡」
15 20140406「審査会規程(確定版)」(波田地氏が11の抜粋にヒアリング当日、メモした内容を加えて作成)
16 20140426監正審査会からの不服申立棄却「通知書」


16あるファイルのうち、12番の「20140403波田地克利氏の「陳述書」」と
13番の「上記「陳述書」関連資料(64頁)」は、必見です。
お忙しい方は、この二つをダウンロードしてじっくりお読みください。
 

日本丸さん…。

 投稿者:ルパンⅣ世  投稿日:2018年 5月 4日(金)17時25分46秒
  日本丸さん、私をお呼びですか?

サリン事件については宮川さんの話が極めて信憑性に乏しいと証明しました。
宮川さんを全否定するものではありません。
間違った情報や勘違いで判断されている可能性もあります。

日本丸さんはそれぞれの意見を客観的に見て判断したほうがよろしいのではないでしょうか?

それでも宮川さんのこの件についての話を繰り返し投稿すると言うのは、よっぽどの理由があるのでしょう。
そうであった方が都合が良いという意図を文面から感じます。

そして、繰り返しこの件を投稿し続けるならば、何かしらアクションを起こしたらどうでしょうか?
その内通した本人を炙り出すような努力をされたらどうでしょう。
あるいは宮川さんに会って真相究明に努めたらどうでしょうか。

申し訳ありませんが日本丸さんは他の投稿者とは違う何か違和感を感じるのです。

大義のために真実をねじ曲げるのであれば、先生事でもありますし、それなりの覚悟を見せて頂きたい。

 

竜ノ口の法難なら下にリアル描写が

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月 4日(金)16時54分23秒
  中段くらいに出ていて臨場感と緊迫☆が・・・

そして最初の書き出しと?

最後の写真(表情)はタダゴトに非ず!?

http://6027.teacup.com/situation/bbs/74048


http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

桂冠詩人は謳う・・・大白蓮華4月号(任用試験範囲あり)より

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月 4日(金)16時27分37秒
  桂冠詩人は謳う・・・大白蓮華4月号(任用試験範囲あり)より

完勝の歴史は
一朝一夕にはつくれぬ。
一日一日の
たゆみない着実な精進こそ
一つ一つの
小さな勝利の績み重ねこそ
大勝利の源である。

宿坊座談会のために・・・入信の体験発表です。

私が、宮崎の高鍋から岸和田へ出てきたときに、所持金は2000円余でした。
現在の価値で言うと4・5万円位だと思います。

幼い頃に離婚で、分かれていた親父の所に行く予定でしたので余り心配はしていません。

到着したその日に、祖父のところで座談会が催されていました。

中心者は神戸の三宮に住んでいた、叔母さんが来られていました。
後から思うと、私の到着に合わせて座談会が開催されていたのでしょう。

新来者はもう一人、祖父の会社の従業員とおぼしき、私と同年代の若者です。
彼は何か話をしたか、記憶にはありません。

ほとんど、私と叔母さんと話をしたと記憶しています。

その時の質問で尊敬している人は・・・と聞かれ、私は電機職人でしたので、松下幸之助と答えた
ら、伯母は松下さんも「信心しているんやで」と言われて、信心しなければ仕方ないかなと、覚悟を
決めた瞬間でした。

たしかに、松下幸之助さんは信心はしていましたが、創価学会ではありませんでした。
嘘も方便ですよね・・・。まるっきり嘘でもありませんが・・・。

私が住み込みで務めていた、高鍋の電機会社の社長も創価学会に入信されて、2・3年目ぐらいだっ
たと思います。

社長からも信心を勧められていましたが、断っていました。

毎晩学会闘争に出て行かれるので、そんな忙しい宗教には入るまいと決めていました。

しかし、祖父ところは信心しているし、親父は聞くところによれば、S30年代に入信していたので
す。

入信してからは、電気関係の仕事で独立することを、願っていました。
正本堂のご供養がその年にあり、有金、全部ご供養してしまいました。

毎月、給料の半分以上は貯めていたのですが、親父に全部使われたりで、苦労しましたが、いまは、
お金の心配はしなくて良い生活を送っています。

仕事は息子に譲ったので、人は「楽隠居ですね」と言ってくれますが、残された私の使命は、先生の

教えを将来に残さなければならないと、思って精進しています。

桂冠詩人池田先生の「一日一日のたゆみない着実な精進こそ」を守って53年あまり、楽しいですよ。
御本尊様、創価学会、池田先生は素晴らしいです。

「本部職員のみなさん、患部と言われて居る人たち、そろそろ本気になって信心しはったらどうです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

④ 竜の口の法難

文永5年(1268年)、蒙古(「蒙古」は歴史的な呼称であり、当時のモンゴル帝国を指す)からの
国書が鎌倉に到着しました。
そこには、蒙古の求めに応じなければ、兵力を用いるとの意が示されていました。

「立正安国論」で予言した他国侵逼難が、現実のものとなって迫ってきたのです。
そこで大聖人は、時の執権・北条時宗をはじめとする幕府要人や鎌倉の諸大寺の僧ら、あわせ
て11カ所に書状(十一通御書)を送り、予言の的中を明示するとともに、諸宗の僧らに公の場
での法論を迫りました。

しかし、幕府も諸宗も、大聖人のはたらきかけを黙殺しました。
それどころか、幕府は大聖人の教団を危険視し、その弾圧に向かっていったのです。

このころ、蒙古の調伏(敵などを打ち破り服従させること)の祈薦を行う真言僧が影響力を増し
てきました。
また、真言律宗の極楽寺の良観(忍性)が、幕府と結び付いて大きな力を強めていました。
大聖人は、民衆と社会に悪影響を与えるこれら諸宗に対しても、一歩も退かず破折を開始しま
す。

文永8年(1271年)夏に大旱魃(長期間の日照り)が起こった時、良観が、祈雨(雨乞い)をすること
になりました。
そのことを聞かれた大聖人は、良観に申し入れをされました。

それは、もし良観が7日のうちに雨を降らせたなら、大聖人が良観の弟子となり、もし雨が降ら
なければ、良観が法華経に帰伏(帰順し従うこと)せよ、というものでした。



その結果は、良観の祈雨が行われた最初の7日間は雨は一滴も降らず、良観は祈濤の7日延長を
申し入れて祈りましたが、それでも雨は降らないばかりか、暴風が吹くというありさまで、良
観の大敗北となりました。

しかし、良観は自らの敗北を素直に認めず、大聖人に対する怨みをさらに募らせ、配下の念仏
僧の名で大聖人を訴えたり、幕府要人やその夫人たちにはたらきかけて、権力による弾圧を企
てました。

良観は、当時の人々から、徳のある高僧として崇められていました。
しかし、実際には権力と結託して、権勢におごっていたのです。

文永8年(1271年)9月10日、大聖人は幕府から呼び出されて、侍所の所司(侍所は軍事・警察を担
当する役所。所司は次官のこと。長官は執権が兼務)"である平左衛門尉頼綱(平頼綱)の尋問を
受けました。

この時、大聖人は平左衛門尉に対して仏法の法理のうえから、国を治めていく一国の指導者の
あるべき姿を説いて諌められました。

2日後の文永8年(1271年)9月12日、平左衞門尉が武装した兵士を率いて草庵を襲い、大聖人は謀
叛人(時の為政者に叛逆する人)のような扱いを受けて捕らえられました。
この時、大聖人は平左衛門尉に向かって「"日本の柱"である日蓮を迫害するなら、必ず自界叛
逆・他国侵逼の二難が起こる」と述べて、強く諌暁されました(第2回の国主諫暁)。

大聖人は、夜半に突然、護送され、鎌倉のはずれにある竜の口に連行されました。
平左衛門尉らが、内々で大聖人を斬首することを謀っていたのです。
しかし、まさに刑が執行されようとしたその時、突然、江ノ島の方から"まり"のような大きな
光りものが夜空を北西の方向へと走りました。
兵士たちはこれに恐れおののいて、刑の執行は不可能となりました(竜のロの法難)。

この法難は、大聖人御自身にとって極めて重要な意義をもつ出来事でした。
すなわち、大聖人は竜の口の法難を勝ち越えた時に、宿業や苦悩を抱えた凡夫という (仮の姿
)を開いて、凡夫の身に、生命にそなわる本源的な、慈悲と智慧にあふれる仏(久遠元初の自受
用報身如来)という本来の境地(本地)、を顕されたのです。

これを「発迹 顕本(迹を発いて本を顕す)」といいます。
この発迹顕本以後、大聖人は末法の御本仏としての御振る舞いを示されていきます。
そして、万人が根本として尊敬し、帰依していくべき御本尊を御図顕されていきました。
 

ジョーカー様

 投稿者:子路  投稿日:2018年 5月 4日(金)16時03分34秒
編集済
  様々な投稿ありがとうございます
大変に勉強になります

「問題意識を持ち、自らの頭で考え、向き合い
解決していく」
組織の問題だけでなく、
個人の問題に対しても同じだと思いました
ウチの世界は「今に、今に」と、とにかく真面目に活動さえしていれば、人生がバラ色に自然と開けていくという類の指導がされがちですが
本当は「問題から逃げないで、向き合う」ことが大事
そこから
「自分は本当にどうしたいのか?」

このGW
お題目を上げ、御指導を熟読し、思索したいと思います
地湧の菩薩とは
「本源的な深き願い」を自覚した人間

先生の最晩年の今、
今、目覚めないでどうする!との思いで
御本尊という明鏡に照らしていきます
いつも、誠実で明晰な投稿ありがとうございます

どなたかの投稿に
「個人崇拝のパッチワークのような巨大教団は、既に崩れ落ち始めている」との意見がありました

今の学会の衰退の原因は「個人崇拝」ではなく
むしろ、逆!
「先生を蔑ろ」にしてきた事が、原因だと思います

「先生の御指導」を大事にし、そこから出発していくならば、創価学会は、まだまだ、もっともっと発展すると思っています

もっと、ちゃんと、正しく「個人崇拝」して欲しい

創価学会、なかんずく職員、議員が「個人崇拝」しているのは「池田先生」ではなく
「時の会長」なのではないか?
だから、衰退しているのではないか?
と危惧の声を上げているのが、宿坊だと思います

その危惧の声に対して、「過剰」に反応する原田学会
「過剰反応」ではなく
正しく反応して欲しいものです





 

そうまでして9条を無力化したいか!

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月 4日(金)15時44分30秒
編集済
  日本シリーズ史上に残る誤審といわれる円城寺事件というのがあります。

以下引用

試合が終わっても騒動は収まらなかった。引きあげようとする円城寺を南海の選手たちが取り囲み、突いたり、蹴ったりもした。「その先登に立ったのが日頃温厚をもって知られたヘッドコーチ蔭山だった。日本選手権史上、こんなに殺気立った幕切れは例がなかった」(同上)。
https://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201502210000/
引用以上

その時の蔭山和夫ヘッドコーチが言った言葉は有名です。
「そうまでして巨人に勝たせたいのか!」

ひるがえり現在の政局における緊急事態条項提起等を知るにつけ
「そうまでして極右宰相たる安倍に与して憲法9条を無力化したいのか!」
と某自称「平和の党」に言いたいところです。

緊急事態条項および文春記事  投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月 4日(金)15時16分22秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/83693
 

緊急事態条項および文春記事

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月 4日(金)15時16分22秒
編集済
  >周回遅れの目くらまし作戦続行中  投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 5月 4日(金)12時59分45秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/83688

「緊急事態条項」を入れることでの憲法9条の無力化狙いとの御説に同意します。

超法規的措置つまり超実定法的措置は日本国第183回通常国会衆議院内閣答弁書によると
憲法に反する行政権の行使ではなく、違憲ではないとされているようです。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b183066.htm

合憲としての超実定法的措置が認められていながら、
わざわざ「緊急事態条項」を明記するというのは、例えていえば旧共産主義国憲法において
宗教の自由を認めながらも一方で「唯心論を批判する自由」を明記するようなものではないでしょうか。
後者の「自由」を権力が持つということで欺瞞は明白ですが、緊急事態条項でいえば
緊急事態と規定するのが時の権力であることが、上述例と同様の欺瞞が見え隠れするのでは
ないでしょうか。

>「高橋篤史」という人の文を長々と紹介している人もいるが、あまりにも長過ぎて
>最後まで読めなかった。(失笑)
>内容的にも、1952年の笠原慈行の事件を、「宗門の老僧を暴力的に吊るし上げ」たなどと
>書いているところを見ると、信じるに値しない記事だ。

特に戦時中の事案についての高橋なる人物の主観刷り込みは平和な後世の机上からの目線では何とでも
言えるといったこころでしょう。
ただし本部は「買うな、読むな、考えるな!」ではなく容易とも思われる反証を何らかの
形で指針しないと、おそらくは文春の思惑通り会員に動執生疑を起こさせることにもなりかねません。いったん大手メディアに出た以上は
巷間でも内外部を問わず受け売りでの論難は永らく続くでしょう。
まあ、会長以下最高幹部らの資質があらためて試される事案ではないでしょうか。不作為なら事なかれ主義にして上層部役職に
見合う資質とは言い難いと思わざるをえません。


以下は後編集です。

そうまでして9条を無力化したいか!  投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月 4日(金)15時44分30秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/83694
 

一般会員様

 投稿者:庵下路メール  投稿日:2018年 5月 4日(金)13時54分52秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/83670

こちらでも世界少年少女絵画展を開催するときに、現地の小学生たちに絵を画いてもらいました。
それらの絵に額をつけるため、業者に出したところ、その工場で火事があり、大切な絵が数枚、燃えてしまったのです。
絵を描いた子たちに本当のことを話して、もう一度同じものを画いてもらいました。
ひょっとしたら、一般会員様がご覧になられたものも、もう一度画いてもらったものかもしれませんね。

ちなみに同じ絵を2度も画いてもらった子供たちには、先生にお願いをして激励品を送っていただきました。
 

周回遅れの目くらまし作戦続行中

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 5月 4日(金)12時59分45秒
  昨日夜のNHK討論番組に、公明党の斎藤鉄夫氏が出ていたが、「緊急事態条項は急いで議論すべきだ」などと、たわ言をホザイていた。

近いうちに大地震が起きるかも知れないなどと恐怖心を煽り、そういう事態に備え、国民を守る為に必要なのだそうだが、いつもの目くらましだ。アベ氏のやり方と同じだ。

本当の狙いは、憲法を停止させて政府、首相に権力を集中させ、国民も誰も首相の命令に逆らえなくしておいて、その隙に自衛隊を、本格的に戦場に送り込んでしまいたいのだろう。その為の緊急事態条項だ。ナチスの独裁を完成させた、全権委任法と同じ様なものだ。

緊急事態条項が成立した暁には、アベ自公政権なら、地球の裏側で起きた戦争でも、日本の存亡に関わる戦争だとゴリ押しして、自衛隊を出すに決まっている。(失笑)

他の政権ならまだしも、「嘘と改竄の実績十分」なアベ政権など、絶対に信用してはいけない政権ではないか。

大災害に対応する為などとは、国民投票に備えた、国民を釣る為の只の餌に過ぎない。
憲法改悪の狙いは、あくまでも9条の無力化だ。

教育費無償化なども、国民に憲法を変えるのは良い事だと思わせる為の餌に過ぎない。
教育費無償化など、憲法を変えなくても出来るのだ。

斎藤氏は一方では自衛隊明記に慎重な姿勢を示して、学会員をダマクラカそうとしているが、最も汚いやり方だ。
たとえ自衛隊明記に反対しても、緊急事態条項を認めるなら、実質的には何の意味も無い。

国会議員の任期も無期限に延長され、国が潰れるまで国民には、打つ手が全く無くなるだろう。

昔の斎藤氏の表情には、善と悪のせめぎ合いを感じさせる、苦悩の様なものが見えたものだが、昨日の斎藤氏に苦悩の影は見えず、変に落ち着いていた。

多分もう完全にダークサイドに落ち切って、底まで到達した者の、奇妙な安堵感なのだろうと思った。(失笑)


最近、やたらと長いハンドルネームで、しかも投稿する度にネームを変えている人がいるが、そういう人の投稿は、内容の如何に関わらず私は信用しない。
内容そのものも、段々とヘンテコになって来た様に思う。

「高橋篤史」という人の文を長々と紹介している人もいるが、あまりにも長過ぎて最後まで読めなかった。(失笑)
内容的にも、1952年の笠原慈行の事件を、「宗門の老僧を暴力的に吊るし上げ」たなどと書いているところを見ると、信じるに値しない記事だ。

笠原慈行は戦時中、軍部に媚びて「神本仏迹論」を唱え、牧口先生を獄死させる原因を作った坊主だが、この辺りの経緯は池田先生が人間革命6巻に詳しく書かれていた。
どこの馬の骨とも知らない人が書いた文などどうでもいい。高橋篤史って誰だ?

玉石混淆は宿板の伝統の様なものだが、最近は石コロが特に増えている。
ダーハラ執行部も、よほど焦っているのだろう。(失笑)



 

忘れ去られる戦争の記憶

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 5月 4日(金)12時49分31秒
編集済
  引き揚げ・極限の生

作家・五木寛之さん、体験を語る (一部貼りつけ)

ソ連兵に自動小銃をつきつけられて、裸の父親は両手をあげたまま壁際(かべぎわ)に立たされた。

彼は逃げようとする私を両腕で抱きかかえて、抵抗するんじゃない!と、

かすれた声で叫んだ。悲鳴のような声だった。

ソ連兵の一人が、私をおしのけて裸の父親のペニスを銃口で突っついた。

そして軽蔑(けいべつ)したようになにかを言い、仲間と大笑いした。

それから一人が寝ている母親の布団をはぎ、

死んだように目を閉じている母親のゆかたの襟もとをブーツの先でこじあけた。

彼は笑いながら母の薄い乳房を靴でぎゅっとふみつけた。

そのとき母が不意(ふい)に激しく吐血(とけつ)しなかったなら、状況はさらに良くないことになっていただろう。

あのとき母の口からあふれでた血は、あれは一体(いったい)、なんだったのだろうか。

病気による吐血だったのか。それとも口のなかを自分の歯で噛(か)み切った血だったのか。まっ赤(か)な血だった。

-エッセー集「運命の足音」(2002年)

続きは:https://www.nishinippon.co.jp/special/postwar/2014/vol05/page01.shtml


極限の密林「日本兵も信じられん」

山中で出会った日本兵が、乾燥肉を差し出した。

ぼろ布のようになった軍服がジャングルでの長い日々を物語る。

「調味料を持っていたら交換してくれないか」。

牛も豚もいないフィリピン・ルソン島の深い森の中

あれは間違いないと思いました。人肉だったと。

塩すら持ってないでしょう。

調味料がないとね、“エサ”を食べても味がしないの。

これは本当に、本当にきついですよ。とにかく味がほしかった。

終戦まで過ごした約9カ月のジャングル生活。

敵兵に銃を撃ったことは一度もない。

戦う相手は飢餓だった。

主食は雑草。ヘビ、トカゲ、カエル、ネズミ、バッタ、沢ガニ…。

食べられる物は何でも口に入れた。食事はエサと呼んだ

エサを調達する体力と才覚がない者はもう死ぬしかない。それが、私の戦場でした。

出典:https://www.nishinippon.co.jp/special/postwar/2014/vol04/evidence/e01.shtml
 

あの(どの?)3人が去年の5・3に言及~

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月 4日(金)12時11分17秒
  華麗ならぬ凶暴★狂暴なる

《共謀罪》7月デビュ~☆か

待ち望み喜ぶのはあの(どの?)

アベ自民創価公明~仲良し共謀グループ

http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-106.html


お ま け (毒は自分にハネ返り?)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

繁栄と破壊

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 5月 4日(金)12時07分14秒
編集済
  スペイン統治時代に主に築かれた東洋の真珠とも言われた戦前のマニラの街並み風景

(素晴らしいので、ぜひご覧を・・)
https://www.youtube.com/watch?v=dvpbsyNcI3I

アメリカ軍の容赦のない艦砲射撃と上陸後の後のマニラ(アメリカ軍に破壊され尽くした市内)
https://www.youtube.com/watch?v=NtR4UTFQOGM


戦前の東京映像(綺麗で優雅な東京)
https://www.youtube.com/watch?v=Qndcio-NjYY

戦後間もない東京の映像
https://www.youtube.com/watch?v=4YQqcmdqgpI

(どうして、人間はここまで残酷になれるのか・・・)

(その人間の持つ悪魔の生命、これに打ち勝つのは仏・菩薩の生命しかないのだ)
 

39年前の5月5日。

 投稿者:冷遇センター  投稿日:2018年 5月 4日(金)11時59分32秒
  39年前の明日、神奈川文化でのご揮毫。

「正義」  我一人 正義の旗持つ也

会長を辞任に追い込まれた先生。
そのご心境は如何許りか…

味方はいない。私一人、正義の旗を掲げて反転攻勢を誓う。

明日の聖教、楽しみにしてください。



 

オール・トゥゲザー・ナウ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 5月 4日(金)11時14分45秒
  飛翔こそ蘇生さん、その通りと思います。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/83671
>池田先生が求めた本当の弟子とは組織に依処しない新しいタイプの人材群ではないだろうか?<

>我々は、学会組織の中で学会組織を裏切れない人材として育てられ囚われてきたけれども<
池田先生が主戦場とされていた20世紀という時代にあっては、令法久住のためには、組織構築が必要だったと思います。しかし、

>その裏切れない学会組織とは54年に池田先生を裏切った組織であり~<
インターネット・情報革命が起きた21世紀においては、やはりインターネット的なネットワークによる令法久住がなされるのだと思います。
今、21世紀においてと言いましたが、このようなネットワーク型を実は人間の脳内、また人体内でも持っていることからして、実はこれこそが普遍的な在り方かと思います。
「開かれ」「蘇生する」が、それは本来元々「円満具足」している令法久住の在り方なのではないかと思います。

何か巨大なメインフレーム、ホストが存在して、そこに皆がアクセスすれば良いというようなものではなく、一人ひとりが自立・自律した存在であり、かつネットワークして自助・共助するのです。その先にこそ「一人ひとりを大切にする」世界があり、だからこそ「一人ひとりを大切にする」世界が必要になるのだと思います。

「心を合わせて一丸となって闘う」は確かにそうですが、池田先生は「必ずしも同一行動は必要ない」と言われていました。
「異体同心」は「異体」であることが必要です。御書には「異」「体」「同」「心」の組み合わせ4種類のうち、「同体同心」の文字だけがありません。
ロジックとしてはあり得るのですが、実際には「同体」にすると「異心」になってしまうのです。池田先生もそう講義されていました。

【異体同心というのは、現代でいえば「組織」ということです。「異体」というのは、人それぞれ、姿も立場も、状況も使命も違う。しかし「心」は――信心は「同心」でいきなさいというのです。「異体異心」では、バラバラです。「同体同心」というのは無理やり、形も姿も心まで統一しようというのです。ファシズムであり、自由はない。だれもついてこられず、格好だけ合わせている。“結局、「同体異心」になってしまう”。「異体」とは個性を生かすということです。「同心」とは、信心を根本に、心を一つにしていくことです。本当の団結です。】大白2014年8月号

「一人ひとりを大切にする」自立・自律した信心の《基準》となるのはもちろん御書・三代会長指導です。ところが武闘派きどりの連中は二乗などと嘲り笑って教学を切り捨てた。結局これが敗因となって今の残念な創価学会があると思います。外から入って来た私に言わせれば残念です。あまりにも残念です。こんなのじゃなかったはずです。創価学会って。
(『教学研究 1』によると、戸田会長就任の頃は会合の半分は教学の学習会で、まさしく「学ぶ会」だったそうです。)

池田先生は「教学力がないと、信心は行き詰まる。また、何か事故があったり、自分自身の問題で行き詰まってしまった時に退転してしまう」と前置きされたうえでこう言われています。

「結局、教学こそが、信心を向上させる因なのです」(大白2011年8月号27ページ)

“黒、白、緑、赤、友達をベッドに誘っていい? ピンク、茶色、黄色、オレンジ色に青 大好きだよ”
“みんな一緒に みんな一緒に 船を出せ 木を伐れ なわとびだ 僕を見て”
“みんな一緒に みんな一緒に”
『オール・トゥゲザー・ナウ』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=bhrqwbbHqDU
桜梅桃李!!!
 

わが友に贈る 2018年5月4日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 5月 4日(金)11時13分13秒
  わが子や孫の話に
じっくり耳を傾けよう!
信心の息吹を伝えよう!
和楽の家庭の建設こそ
平和を築く直道だ!
 

5月3日 師敵者に告ぐ 臨終を思うべし

 投稿者:正義の子  投稿日:2018年 5月 4日(金)09時47分19秒
編集済
  嵐の「4・24」 断じて忘るな!  学会精神を

                    私は、厳然として言った。
                     「私は何も変わらない。恐れるな!
                      私は戸田先生の直弟子である!   正義は必ず勝つ!」と


                       あまりにも

                              悔しき   この日を

                                      忘れまじ

                              夕闇せまりて

                                      一人  歩むを


                           師匠は叫ばれた!
                         「恐れ無く、思う存分に、
                         地涌の菩薩の底力を発揮してくれたまえ!」
                            真の弟子の道を歩んで参りましょう!







                    
 

おそろしや!

 投稿者:ひかり  投稿日:2018年 5月 4日(金)09時40分9秒
  「「緊急事態条項は急いで議論すべきだ」公明・斉藤鉄夫氏

 公明党の斉藤鉄夫幹事長代行は3日夜のNHK番組で、自民党が憲法改正項目に掲げている緊急事態条項の創設に関し「ある程度急いで議論すべきものではないか」と明言した。

 緊急事態条項は、大災害時に国会議員の任期延長や政府への権限集中を一時的に認めるかどうかがテーマになる。

 斉藤氏は「衆院、参院の選挙前に大災害が起こり、全国で選挙が行われない場合にどうするのか。緊急時ほど民主的統制が必要になってくる。ある意味で国民生活に直結した憲法改正の議論なのではないか」とも語った。」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180504-00000500-san-pol


     ↑       ↑       ↑

憲法9条よりも先に議論?!  ちょっとちょっと! 何を言ってるのこの人。

そんなことぜーったいにダメじゃん!!  これはナチスの危険思想だよ。

恐ろしい。何も分かってないか、いい人そうな顔で暴言を正論のように言ってるだけ!!

これは国を滅ぼす天魔が、ついに詐欺発言をして国民をだまし始まったようですぞ!!

見抜いていかないとね。 紛然とした魔の姿にゴマカされてはなりません。

 

(無題)

 投稿者:一般会員  投稿日:2018年 5月 4日(金)09時25分46秒
  末席2017様、魂の炎様 ありがとうございます。

ほんと、こんなこったら俺もこんな役職いらっねーやって感じです。

それと名誉称号を発行する中心会館の事務長どう見ても働いてない。

どこから見ても働いてる様子がない。どう考えても働いてる様子がない。

ただ事務所で座ってるだけ。事務所のおねえちゃんとだべってるだけ。

仕事→名誉称号の発行 冠婚葬祭の備品の受付 電話番 ただそんだけで年収2000万以上(・・?

民間企業から見たらうらやましいかぎりです。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、「師弟の原点」歓喜と誓いの「5月3日」はドコにいったんデスかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 5月 4日(金)09時09分19秒
  おはようございます。原田怪鳥様、いやぁ~、本日の一面には小生ダケでなく、大勢の方がビックリされたんじゃないデスかぁ~(笑)

なぜって? 原田怪鳥様、「師弟の原点」であるハズの、歓喜と誓いの「5月3日」であるハズなのに、

2日にも3日にも、勤行会は開催されていない??????・・・

そりゃあ確かに、2日から3日にかけては、「諸天も寿がない」天候ではありマスたが、

「じ・き・で・し」の原田怪鳥様は、どうして大誓堂なりで勤行会をされなかったんデスかぁ~(笑)

また、「お元気」であるハズの池田先生も勤行されたとの記事が、どうして無かったんデスかぁ~(笑)

こんな重要な日に、勤行会を開催されない、池田先生の様子も報道されない、表面上ダケ「師弟の原点」だの「誓いの5月3日」だのとブチ上げる(笑)

だから、「政教珍聞」なのでぇ~す(大爆)


つまり、原田怪鳥様は、「4・24」は愛人同伴、もとい笠貫女史様とで、欧州蜜月旅行、もとい御訪問を堪能されたのち帰国され、

「師弟の原点」であるハズの「5・3」は、政教珍聞にも各地での報道がありませんので、全国的に勤行会も開催されず、参加もされず、

もちろん、会員さんの笑顔の写真もなく、まさにコトバだけの「師弟の原点」「5月3日」だったワケでぇ~す(大爆)


これらのコトから推察しても、原田怪鳥様は、「直弟子」でもナンでもなく、はたして「創価学会仏」たる資格すら疑わしいというモノでぇ~す(笑)

まさに「(虚しい)(表面上の)コトバと生きていく(盲従を強いる)政教珍聞」と言えるのではないでしょうかぁ~(笑)


まあ、原田怪鳥様、「記念インタビュー」なり、鼓笛隊・音楽隊の様子なりの報道ではなく、

原田怪鳥様はじめ最高患部の皆様方が、「5月3日」はナニしてらっしゃったのか?

「訪問激励」されてたのか? 家に籠ってたのか? 「査問・処分・除名」の段取りしてたのか?

さっさと政教珍聞全面使って報道して頂きマスように、大いに期待しないで待ってまぁ~す(大爆)





 

一般会員様

 投稿者:末席2017  投稿日:2018年 5月 4日(金)09時06分28秒
  ほんとこの決まり変ですよ。
故人の生前の信心を評価すべきでしょう。

そもそも生活保護の場合財務できないルールなんですから。(生活保護は税金が財源だから寄付行為は社会的にまずいってのは当然と思います)

ルールだからって冷たく線引きして切り捨てる組織、現場の幹部はかなしいですね。まあわたし的には今の学会の名誉称号とかいらないですが。
 

一般会員様

 投稿者:魂の炎  投稿日:2018年 5月 4日(金)08時53分16秒
  地獄の沙汰も金次第とは、よく言ったもので・・・
創価学会も遂に!そうなっちゃった!
びっくり!しゃっくりですねー(涙)

財務がなけりゃ名誉称号なし?
ハァ?ふざけんじゃねぇ~!って感じですね。
供養の多い少ないで、戒名や塔婆に差を付けるバカ宗門と一緒じゃん!

今度の本幹では、会長をはじめ理事長や婦人部長たちの財務の金額を教えてください!
マイ聖教も何部してるか教えてください!
大幹部の皆様、よろしくお願いします!
 

地獄の沙汰も金次第

 投稿者:一般会員  投稿日:2018年 5月 4日(金)08時33分10秒
  板で生活保護の方の葬儀の話題がありましたが、

最近、地区内で生活保護を受けらていた壮年の方が亡くなりました。

すぐ市役所と連絡をとり内々なら葬儀をやってもいいことになり

●●長(上の幹部)に連絡しました。※名誉称号の件もあるので

亡くなられた壮年の方は長年信心をされ奥さんを亡くし独居での

生活でした。ここ数年病気をされ生活保護を受けていましたが座談会

にも参加され支援活動にも前向きに取り組んでくださいました。

●●長に名誉称号の確認をしたところ、、「○○さん、名誉称号の件ですが

出せません、財務やってない方には出せないんですよ!」とのこと

ははぁ~(・・?地獄の沙汰も金次第ってことね。と思いました。

宗門には戒名の件で戒名も金次第とか戒名がなければ成仏できないのはウソと

散々批判していたのに、学会も金を出さなければ名誉称号も故人の最期なのに

支給されないんだとがっかりしました。

格差、差別、侮蔑です皆等しく先生の弟子なのに、、だいたい生活困窮者や

生活保護の方に財務は無理だと思うんです。無理にやらすんなら上層職員の

超高額の年収をどうにかしてもらいたいと思うんですが、、、

この故人はただの票なのですか、、この方は人間であり会員であり等しく

先生の子供です。冷たい組織になってしまいました。


 

今日のコンペー新聞一面。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 5月 4日(金)07時54分58秒
  今日のコンペー新聞一面。

目を疑いました。笑 「平和」の文字?
誤植かなぁ~

控え目に縦に踊る「平和」の文字と、思いきや ? 笑
姑息にも「平和主義」と。主義、くっつけたなぁ~

さすがに今のコンペーさんは、堂々と「平和」とは、言えませんね~ 「今の平和は、コンペーのおかげだ!しっかり、圧力かけてます!」って言えばいいのに。笑

平和主義って…「平和を、しっかり目指してますから~」と、しっかり、アピール。

やってる感、見え見え。
 

すでに真筆なし?フェイクでゴマカシ(ダマシ)・・・

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月 4日(金)07時53分39秒
  まさか!?(絶句☆)か

やっぱり・・・(不信感★)か

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80980


げんちゃく お ほんにん!は?

お経のコトバ(おしえ☆)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

随筆がない?

 投稿者:冷遇センター  投稿日:2018年 5月 4日(金)06時14分14秒
  昨日とは、打って変わっての大晴天。

ま こ と に ぃ~  おめでとうございます。
(拍手)


さわやかな朝ですが、聖教紙面はどんよりと曇っています。先生の随筆を楽しみにしている世界中のメンバーも多いと思いますが、残念ながら、随筆作成の指示がありません。

これでは、会員の方から、お叱りを受けます。

先生の頃の、希望溢れる紙面が懐かしいです。
 

そのために生まれてきたんだ

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 5月 4日(金)06時03分32秒
  池田先生が求めた本当の弟子とは
組織に依処しない新しいタイプの
人材群ではないだろうか?

我々は、学会組織の中で
学会組織を裏切れない人材として育てられ
囚われてきたけれども

その裏切れない学会組織とは
54年に池田先生を裏切った組織であり

その54年以降
組織内の諸伝達に対して
池田先生は実権を失っている。

学会組織を護ることが
池田先生を護ることになると教えられてきたし

信濃町の本部、最高幹部たちは池田先生に近くて
池田先生の心を学び伝えているものと錯覚してきたが

秋谷は2年間、池田先生をを先生と呼べなかったし
裏で週刊誌に流す写真を手配したりしたし

他の最高幹部たちも、公明党議員もグルになっていた。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/18884

件の創価新報の隣のページには皮肉にも
人生に勝つための読書で「ドリアン・グレイの肖像」を通して
本物の悪人は、人の善悪の判断を揺るがすんだ。と書いてある。

池田先生が学会員を護った創価学会と
組織が組織を護れば池田先生を護れると言っている創価学会とは
大きな乖離が生じ続けていた。

そこには仏法と邪法の戦いがあったのだ。

2008年10月の本部幹部会ノーカットでは

「悪い奴、悪い議員は学会から追い出せ!この1点を今日、決議したい!」

「みんなが偉くなって、私を護りなさい。それが師弟である!
学会員が一番偉い。議員や金持ちよりも偉い!国宝なんだ!」

と仰られ、「私が亡くなったら、選挙も無いよ」とも。

この前月の9月の本部幹部会では、
「学会が崩れていくならそれは幹部(職員)と議員からだ。議
員は学会を舐めてはいけない!公明党は竹入、矢野を攻めたのか!」
(参加の場内の公明党議員からは一人も反応無し。)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=7457

組織を裏切れない人間の集団の組織とはつまり
悪い奴、悪い議員に逆らえず

悪事を暴いて追い出すなんてとんでもない!
学会の幹部や公明の議員は偉いんです。
そして会長が一番偉いんです、という
無謬であり、池田先生の決議に反し、最も裏切り続ける行為になる。

悪い奴、悪い議員を学会から追い出す決意に立ち

組織に依処するのではなく
師匠の伝えた仏法に照らし、

誰の入れ知恵に頼ることなく
自らの智慧を輝かせて人々を照らしていく一人になること。

自身が池田先生と同じになっていく道、師弟不二の道こそが
一番池田先生を護る一番偉い学会員なのだ。

法華経の行者とか地涌の菩薩と言っても
難を起こし立ち向かうその行動が無ければ
いつ、どこに現れるだろうか?

30年、母あって持った学会も
平成最後の一年と共に時代の転換期である。

狂った者たちの中にあって、一人で
それが狂っているのだと気づくことは
とても勇気のいる衝撃を受けることである。

そこに生まれる悲痛な叫びは
今まで向き合ってこなかった
懺悔や怒りや憎しみや悲しみ、その同苦。

信じてきたものを変革し飛翔しようというのである。
意地や不安から
「それ本当に大丈夫なんですか?」って
色んなことが気になるかもしれない。

でも、勇気を出せば、もう一人じゃない。
胸の内にあった言葉を、そこでは出して良いんだ。

一人ひとりが、生命をかけて情熱を注ぐ青年に
優しく深い微笑みを湛えた女性に
経験や知識で安堵をもたらす壮年に
愉快に悲壮を吹き飛ばすありのままの庶民になって

民衆の凱歌を歌い上げていこう。

AED一つとっても心無い嘘の仏法に対して
声を上げていくのだ。

画一の鎖をほどいて多様性の豊かさを取り戻そう。

”見せかけの恋に 嘘かさねた過去”
”失ったものは みんなみんな埋めてあげる”
”この僕に愛を教えてくれたぬくもり”
らいおんハート - SMAP
https://www.youtube.com/watch?v=MdRCoN-4ZBE
 

寝たきりオジサン様

 投稿者:一般会員  投稿日:2018年 5月 4日(金)05時52分11秒
  寝たきりオジサン様、昔は展示の運営とかよくやりましたよね。仕事何日も休んで、、

今の青年部ではなかなかそうもいかないですよね。経験させてあげたいです。

そういえば、「世界の少年少女絵画展」を友人と見に行ったんですが

1枚破れている絵画がありました。また次の日近所の方を連れ出し見に行ったら

何とその破れた絵画が不思議なことに復元されていたのです。

どう見ても破けてない、、、新品で不思議でした。

本部の方はいつの間にか魔法を使えるようになっちゃった(・・?のかな

と今でも不思議です。
 

池田先生のスピーチより『組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰性が始まる』

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月 4日(金)05時24分39秒
編集済
  【普及版 池田大作全集スピーチ2005年(3)P.50~51】

■永遠に「会員根本」で進め

 広宣流布の戦いに臨んで、「力はありませんけれども」と言った幹部に対して、戸田先生は烈火のごとく叱られた。 なぜ、「真剣になってやります」「命をかけてやります」「最後までやりきります」と言い切らないのか、と。
 ずるい無責任な幹部がいれば、全体に影響を与える。
 先生は喝破された。
 「組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰性が始まる」
 じつに厳しく、鋭い師匠であられた。
 逝去(せいきょ)の一カ月ほど前、戸田先生は、こう言われた。
「阿諛諂侫の輩(あゆてんねいのやから:口先巧みにへつらう、邪〈よこしま〉な心の人間)は絶対に気をつけろ。組織を乱しゆく者、信心利用の者も、また同じだ」
 尊き会員の皆さま方の奮闘ありて、現在の学会の大発展が築かれた。
 ゆえに、学会のリーダーは、会員のために全力で戦い、尽くす。 会員を苦しめる動きは、鋭く責め、断じて打ち砕く。 これが、万人が納得する道理であろう。
 創価学会は、永遠に「会員根本」で進む ―― この精神を確かめ合って、「次の50年」の完壁な土台を、ともに築いていきたい。

~~~~~~~

幹部の惰性の兆候は『組織が秩序だってくる』時と、池田先生は指導されている。

口では「池田先生にお応えするために」と言いながら具体的な行動もせず、「組織の秩序」をやたらと重んじる幹部には要注意だ。
会員の見てない所で、惰性が始まっているからです。

続いて、池田先生は『万人が納得する道理』として、このように指導されています。

『学会のリーダーは、会員のために全力で戦い、尽くす。 会員を苦しめる動きは、鋭く責め、断じて打ち砕く。』

まさに池田先生の仰る通りですね。自分も、心から納得します。


故に、会合では「池田先生にお応えするために」と言いながら、池田先生を誹謗中傷する日顕宗・顕正会とは戦おうともせず、折伏や新聞啓蒙もしない学会幹部を、厳しく諫めても問題はないはずだ。
池田先生の平和思想に反し、堕落した公明党議員を厳しく責めても問題はない。

ならば、そのような幹部や議員を厳しく諫め意見する会員の声に耳も傾けず、逆に「学会批判・公明批判する会員は破和合僧」と処分や除名までする、原田会長と執行部の組織運営はいかがなものだろうか?

文証として添付した通知書を確認して頂きたい。
この通知書には「当会の指導に反し当会の秩序を乱すものであるとともに、会員としてふさわしくない行為であって、当会もしくは会員に迷惑を及ぼすものである。」と書いてある。
まさにこれは、秩序だっている内容そのものではないだろうか。

池田先生の指導にある『組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰性が始まる』という言葉に照らすと、組織内の正邪が見えてくる。

今後も、池田先生の指導を根本として弟子の道を歩みたい。



 

釈迦本仏で   原田稔天魔執行部は  必ず行くからね。

 投稿者:  原田稔邪教学会  池田先生の承認されたなら 書面だしな?  投稿日:2018年 5月 4日(金)03時49分12秒
  [日蓮本仏論は誤りです。それは認めます。

しかし我々は多くの会員を抱え、なおかつ大石寺教

学の伝統が現在も色濃く残っている中において、い

かに会員を動揺させず、矛盾しない教学を構築して

いくかが重要です。現在慎重に進めています。]



教義にしたって同じです。
私は学会員ですから、どうしても学会を守る立場から教義を考えます。
先ほどの日寛教学にしても、本音を言えば苦しいところですが、世界中の会員を動揺させないように、慎重に進めざるを得ないのです。あまり大胆にできないのです。
 

原田秋谷偽物執行部、天魔

 投稿者:  原田稔邪教学会  池田先生の承認されたなら 書面だしな?  投稿日:2018年 5月 4日(金)03時45分23秒
  これは根拠無き邪義ではありませんね。元々は二代、三代の御指導にも具体的に示されています。信濃町界隈にとっては都合が悪いから邪義だと言っているに過ぎない。破折の為の文証も示さないというか示せない(笑)法華経勧持品二十行の偈の通り。彼らは外道の論議を説いていると非難するのが天魔の所為  

空なる 輩

 投稿者:  原田稔邪教学会を永久凍結させましょう。  投稿日:2018年 5月 4日(金)03時18分0秒
  [日蓮本仏論は誤りです。それは認めます。

しかし我々は多くの会員を抱え、なおかつ大石寺教

学の伝統が現在も色濃く残っている中において、い

かに会員を動揺させず、矛盾しない教学を構築して

いくかが重要です。現在慎重に進めています。]



教義にしたって同じです。
私は学会員ですから、どうしても学会を守る立場から教義を考えます。
先ほどの日寛教学にしても、本音を言えば苦しいところですが、世界中の会員を動揺させないように、慎重に進めざるを得ないのです。あまり大胆にできないのです。
 

またしても失敗!悪の連鎖?悪いコトは続く・・・

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月 4日(金)02時57分53秒
  貼り付けミス!?

http://6027.teacup.com/situation/bbs/68812



http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

隠されている(いた)裏の実態とは?

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月 4日(金)02時55分2秒
  ウラの実態?!

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76502


http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

任用試験範囲 立宗宣言 立正安国論

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月 4日(金)02時27分59秒
  私が入信したときは立正安国論講義はすでに発刊されていて、隊長たちは勉強していました。
その勉強会を見て、早くあの仲間に入りたいと羨ましく思っていました。

そののち、浅井議員(父の方)の立正安国論の講義を聴く機会が有りました。
一般講義だったと思います。

立正安国論(P0017)
「倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り
聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れ
ずんばある可からず。」

この部分の解釈講義をされたのですが、”倩ら微管を傾け”というところで、その微管とは何だろう
と思っていました。
すると、ジェスチャーで・・・筆をもって思索されるところをされたのを見て、聞いて、分かりやす
い、こんな難しい内容を勉強できる、創価学会の男子部で良かったと誇りに思え、折伏に頑張る大き
な力となったことを思い出します。

立正安国論を講義できる副会長が何人いるのかな・・・と心配です。

広宣流布は立正安国論に始まり、立正安国論で決まるのです。

上記の文証が出て来ない任用試験はだめでしょう、これだから、諸天善神のご祈念が無くなるのだ。
入信3年目で講師昇格試験で、丸暗記した文証です。当時は記述試験だから・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

② 立宗宣言

このように妙法弘通の使命とその方途を確認された大聖人は、大難が起こることを覚悟のうえ
で、妙法弘通の実践に踏み出されました。

建長5年4月28日の「午の時(正午ごろ)」、清澄寺で、念仏などを破折するとともに、南無妙法
蓮華経の題目を高らかに唱えて末法の民衆を救済する唯一の正法を宣言されました。

これが「立宗宣言」です。
立宗とは宗旨(肝要の教義)を立てることです。
32歳の時でした。このころ、みずから「日蓮」と名乗られました。

この立宗宣言の際に念仏宗の教義を厳しく批判した大聖人に対し、地頭(警察権や税の徴収権な
どを行使した幕府の役人)の東条景信は、念仏の強信者であったために激しく憤りました。

そのため、大聖人に危害を加えようとしましたが、大聖人はかろうじて、その難を免れました

その後、大聖人は、当時の政治の中心であった鎌倉に出られました。

名越あたり(松葉ケ谷と伝承)に草庵を構えて、本格的に弘教を開始されました。
当時、鎌倉の人々に悪影響を与えていた念仏宗や禅宗の誤りを破折しながら、南無妙法蓮華経
の題目を唱え、広められました。

この弘教の初期に、富木常忍・四条金吾(頼基)・池上宗仲らが入信しました。


③ 「立正安国論」の提出と法難

大聖人が鎌倉での弘教を開始された当時、毎年のように、異常気象や大地震などの天変地異が
相次ぎ、大飢饅・火災・疫病(伝染病)などが続発していました。

特に、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉地方を襲った大地震は、鎌倉中の主な建物をことごとく倒壊
させる大被害をもたらしました。
大聖人は、この地震を機に、人々の不幸の根本原因を明らかにし、それを根絶する道を世に示
すため、「立正安国論」を著され、文応元年(1260年)7月16日時の実質的な最高権力者であった
北条時頼に提出されました。

これが大聖人による最初の国主諌暁です(第1回の国主諫暁)。
国主諌暁とは、国の主権者に対して、その誤りをただし、正義を明らかにして、諌めることで
す。
「立正安国論」では、天変地異が続いている原因は、国中の人々が正法に背いて邪法を信じる
という謗法(正法を謗ること)にあり、最大の元凶は法然が説き始めた念仏の教えにあると指摘
されています。

そして、人々が悪法への帰依をやめて正法を信受するなら、平和な楽土が現出するが、悪法へ
の帰依を続けるなら、経文に説かれている三災七難などの種々の災難のうち、まだ起こってい
ない自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)の二つの災難も起こるであろうと警告し
、速やかに正法に帰依するよう諌められました。

〈三災七難とは、穀貴(飢饉による穀物の高騰)・兵革(戦乱のこと)・疫病(伝染病がはやるこ
と)の3種の災いと、星宿変怪難(星の運行や輝きが乱れること)・非時風雨難(季節外れの風雨の
災害が起こること)などの7種の災難をいう〉

しかし、幕府要人は大聖人の至誠の諌暁を無視し、念仏者たちは幕府要人の内々の承認のもと
、大聖人への迫害を図ってきたのです。

「立正安国論」の提出後まもない、ある夜、念仏者たちが、大聖人を亡き者にしようと、草庵
を襲いました

(松葉ケ谷の法難)。
幸い、この時は大聖人は難を逃れ、一時、鎌倉を離れることになりました。
翌・弘長元年(1261年)5月12日、幕府は鎌倉に戻られた大聖人を捕らえ、伊豆の伊東への流罪に
処しました(伊豆流罪)。

弘長3年(1263年)2月、伊豆流罪を赦免(罪を許されること)されて鎌倉に帰られた大聖人は、翌
年、病気の母を見舞いに郷里の安房方面に赴かれます。

文永元年(1264年)11月11日、大聖人の一行は、天津の門下の工藤邸へ向かう途中、東条の松原
で地頭・東条景信の軍勢に襲撃されました。
この時、大聖人は額に傷を負い、左の手を骨折。
門下の中には死者も出ました
(小松原の法難)。

 

ダメなもんはだめダメだあ?

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月 4日(金)02時02分39秒
  あかんやろ?コレ~~!?

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76502



げんちゃく お 本人(相手を呪い★や

黒い策謀~毒物★で害しようとしても

法華経の功力によって叶わぬばかりか

かえって、狙った本人に悪果が生じる
? ? ?

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

市民社会とメディアのモラル

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月 4日(金)01時15分48秒
  東晋(あずましん)平(ぺい)(ジャーナリスト)
1963年、神戸市生まれ。青少年問題、メディア論、宗教論をテーマに執筆・講演。
共著に『彩花へ』「生きる力をありがとう」など。
日本マスコミ学会会員。

私達は報道とどう向かい合うべきか

 インターネットの普及。その煽(あお)りを食らったかっこうの新聞・雑誌の経営危機。
デジタル放送の開始。マスメディアは大きな転換期を迎えている。
一方で、市民が司法に参加する裁判員制度は、旧来(きゅうらい)の報道のあり方にも見直しを突きつけることになる。
 1994年に起きた松本サリン事件では、7人が死亡し226人が重軽症を負った。
第一通報者の河野義行氏は、自身や家族も猛毒のサリンを吸って病院に搬送(はんそう)された。
心肺停止(しんぱいていし)となった妻の澄子さんは意識混濁(こんだく)状態に。河野氏も後遺症に苦しんだ。
しかし、オウム真理教の犯行と判明するまで1年近く、ほぼすべてのマスメディアは河野氏を犯人視するに等しい報道を繰り広げたのだった。

予断に沿ってリーク情報が報道される

 さる10月5日、東京・八王子市内で市民グループ主催によるシンポジウム「平和と人権を語る集い」が開催された。市民がメディアとどう向かい合うのかを考えようとする企画で、第一部は、河野義行氏の講演。第二部は河野氏と私がパネリストとなり、来場者も交えディスカッションをおこなった。
 河野氏は、メディアが警察情報に引きずられながらミスリードを重ねていった状況について言及。本来、刑事訴訟法には「捜査情報を公表しない」とあり、警察は起訴前の事案について情報を漏らすことができない。それにもかかわらず、実際にはリーク情報として非公式な情報がしばしばメディアに登場する。「捜査当局は、ほぼ断定した」など、曖昧さを含ませながら受け手が一定の印象を持つような報道手法が多用されているのである。
 95年6月12日に長野県警は「河野氏は事件とは無関係」として遺憾(いかん)の意を表明した。
その間、脅迫や暴言、無言電話などの嫌がらせは、河野家はもちろん周辺にも及び、
離縁(りえん)を迫られた親族や、友人だというだけで町内会から転出を勧告されたケースもあった。
むろん河野氏の場合は冤罪(えんざい)だったが、多くのケースで加害者家族らもこうした理不尽な
人権侵害にさらされていることを知ってほしいと氏は語った。
 意識が戻らないままの澄子さんは、何度も重篤(じゅうとく)な生命の危機に瀕(ひん)しながらも夫の献身的な愛情に支えられて生き抜いてきた。
彼女の生きる姿は家族の希望であったばかりか、さまざまな絶望と闘う多くの人々に勇気を与えてきた。その澄子さんが、今年8月5日未明に逝去した。享年60歳の生涯だった。
 河野氏は、「妻は、サリンを吸ってむざむざ死んでいったのではない。大きな仕事をしてきたと思っている」と述べ、「ある意味で、これはお祝いだ。お母さん、ありがとう。
ごくろうさん。そういう思いで家族だけで静かに見送りました」と真情(しんじょう)を吐露(とろ)した。
 また、河野氏に代わって250通もの弔電(ちょうでん)を読んでいた長女が「これって凄く心に響くよ」と一通の電報を父に渡した秘話に言及。
<突然の悲劇にも負けず、尊き生命の炎を燃え上がらせ、最愛のご主人様とともに生き抜かれた崇高なご生涯は、偉大な勝利の人生であられました>というその文面の一部を紹介し、家族の心を代弁するようなその弔電が池田大作・創価学会名誉会長から届いたものであったことを明かした。

メスメディアを育てていくのは市民

 マスメディアといっても情報という商品を販売する営利企業なのであり、いわばメーカーに対する消費者意識を持って、その報道の質、企業のモラルを問うべきなのだ。
食品の消費期限の改ざんは糾弾(きゅうだん)しても、報道のモラルには関心がない。
第一に変わらなければならないのは、マスメディアに対する私たち自身の意識と姿勢なのである。
 一方、記者クラブ制度や、〝サツまわり”から始める新人教育の慣習、権力を批判すべき新聞社が権力から免許を得て成り立つテレビ局と系列関係にあるなど、ジャーナリズム側にも問題は多い。メディア側の人間自身が、変革期にあるメディアの現状を改革の好機に
していかなければ、日本は世界から取り残されてしまうだろう。
 個人ブログなど新たなメディアが台頭(たいとう)する時代とはいえ、マスメディアは市民社会が
権力と対峙するための有効な手段である。
無批判に受け入れることは論外としても、「メディアはけしからん」と過剰に拒絶することも生産的なことではない。
 ともすれば商業主義に走る彼らの傾向性に目を光らせつつ、意見や要望をどんどん伝えてメスメディア全体をより人間的なものへと育てていくことが重要だ。
政治と同じで、私たちは自分たちに似つかわしいメディアしか持てないのだから。

第三文明 2008年12月号より
 

池田先生の若き日の日記より

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月 4日(金)00時54分43秒
  昭和30年(1955年)


◎五月二日(月)  晴後曇.

身体の調子、刻々と悪し。
次第に寿命の尽きる感じあり、淋し。悲し。

先生、非常に、私の身体の事、心配して下さっている。申し訳なし。

堂々と修行、実践することだ。

虚偽や、虚飾の、信心、生活は、最後は、亡びるなり。

文化部員、全員当選決定。秋田のI氏を除きて。

先生、嬉しそうであられた。一同も、喜色満面。
未来の文化闘争の幸先よし。本末究竟等の原理から。――

但し、勝って終わったのではない。
これからの社会、日本、王仏冥合の活動の、出発であることを忘れるな――と提言したい。

天曖(くら)く、胸中、亦晦(くら)し。

あと一歩で、大海に落ちゆく運命を感ず。

病魔との戦い、死魔との戦闘に入る。

終幕即開幕。

烈火の如き一念を起こし、御本尊様に、すがりきることだ。

明日の本部総会の準備に、夕刻より、陣頭指揮をとる。十一時過ぎに、終了。

立派に準備完了したと思う。無理な身体に、無茶な振る舞いである。

為さねばならぬ、自分の責務。

T氏、自宅まで、送ってくれる。済まぬ。


◎五月三日(火)  曇後雨.

午後より小雨となる。

十二時三十分、小岩支部の主催にて、第十二回本部総会を開催。

参加人員、一万五千名突破との事。
偉大なる前進。限りなき前進の縮図であった。

入場出来ず、淋しそうに帰った多数の人のあることを耳にした。可哀想に。

何の事故もなく、思った通り完了し、安心する。
陰の青年部員達に、心から謝す。

大幹部の面々も、常に、運営にあたる陰の人々の力を、忘れないで貰いたい。
強く念う。――将来のためにも。

五時三十分より、二次会。N園、――大幹部全員出席。僧侶多数。
司会、自分達。

身体の具合悪し。
今生で一番苦しい一日であった。

十二時、死ぬが如く、床に入る。


◎五月四日(水)曇時々小雨.

身体の調子、全く良からず。

先生、本部に。
御挨拶に行く。
共に、猊下の御下へ、御挨拶に上る。

先生も、実にお疲れの御様子。昨夜は、お吐きになったとの事。

先生の、この数年の活動は、凡人の幾百年にも通ずる。

肉弾の如く、広布の陣頭指揮に。弟子の育成に。――

他の指導者達が、ゴルフに、麻雀に、温泉にと、休息している間に。―――

一般人は、前者を狂人といい、後者を賢明な人なりと云う。


◎五月五日(木)  晴.

一日中、晴天。
晴朗なる大気、天下に満つ候。

会社、休み。朝九時、起床。朝風呂に行く。

午後より、先生宅へ。

H夫妻、M夫妻、私達夫妻であった。
先生より、沢山、御馳走になる。
尚、指導を賜る。忝ない。

帰宅、十時少々前。
本棚を整理し、一人早目に、床につく。


◎五月六日(金)  晴天.

身体の具合、少々取り戻す。
皆の、逞しき、元気な姿が、うらやましい。
妻も、無理を通し、疲れているらしい。最近、元気なし。

健康であらねば。
皆に心配を懸け、自分も仕事が成就出来ぬ。

一、唱題.

二、睡眠.

三、養生.

重々、注意。実行。忍耐。

" 仏法ハ道理ナリ "


◎五月十五日(日)小雨後曇.

午前中、在宅。
久し振りの休日である。

午後、M女史来る。
続いて、H部隊長他三名の幹部来宅。

ベートーベンの「運命」「幻想曲」等を、共に鑑賞。
苦悩と戦いゆくこの調べ。自己の胸中にも似たり。

夜、矢口のS宅へ。
夕食を御馳走になる。

親戚の社会主義者と、二時間程、語る。折伏になる。
・・・・可哀想な人なり。確信なき、青白き、虚無的な人生の姿を、まざまざと観る。


◎五月十六日(月)  晴.

気持ち良き、朝であった。
元気、多少回復して来る。嬉し。妻も、少々元気を取り戻す。

二時、先生、旅行よりお帰りになる。
早速、お出迎えし、本部に着く。種々、御報告申し上げる。

先生より、二、三、聞き返されしも、良く説明出来ず、汗をかく。情けなくなる。

六時三十分。
堀米先生の御講義。
「御義口伝」。

帰り、月清し。「荒城の月」を歌いたい心境。

『ホイットマン詩集』を開く。

" 私は方向を転ずる、だが私自身を救ひはしない.

過去の解説は他を混乱させた、然もなほ闇黒である。

磯辺は刃のやうな氷の風で断たれ、難船を告ぐる砲が響く、

嵐は止み、月は難破物の中からよろめき昇る。

私は船が助けなく船首の端を露はしてゐるを見る、

私はその衝突する時の爆発を聞く.
私は驚愕の怒号を聞く、それらは次第に弱りゆく。"

(「秋の小川」" 眠れる人々 " 白鳥省吾訳、大泉書店)

阿部次郎の『三太郎の日記』をちょっと読む。面白からず。

早目に床につく。
 

防衛費

 投稿者:無名希望  投稿日:2018年 5月 4日(金)00時39分57秒
  防衛費の内訳はググればでてきます。

https://withnews.jp/article/f0171201005qq000000000000000G00110101qq000016350A
 

国民主権って何?

 投稿者:変身、V3(ヴィスリー)!  投稿日:2018年 5月 4日(金)00時17分20秒
  国民主権

1、あなたは(日本国民)は、
安倍晋三を日本の総理として選びましたか?

現在、日本の総理は安倍晋三です。

2、あなたは日本の国防費はいくらか知ってますか?

世界ランキング第7位です。
日本の人口 1億2千万人に対して約4兆6千億円。
世界ランキング第4位のインドは、
人口 12億人に対して約5兆6千億円。

重要なのが
日本の自衛隊は軍隊じゃないのに、
この国防費。
あなたは、この国防費に対して何の文句も
言わずに現在の政府に任せっぱなしです。

皆さん、納得されてたら大丈夫です。
国民主権ですから。

私は、納得出来ません。
だから日本は憲法上、国民主権と言いながら、
国民が黙っている国民主権。

他にも、おかしい事だらけ。

少年法の刑の軽さ、性犯罪の刑の軽さ。
殺人罪の刑の見直し、被害者の個人情報は
守られず、加害者の個人情報が守られると
言う法曹界。

いじめによる中高生の自殺を隠す
学校運営と日教組の歪な社会にメスを
入れない社会。
生徒にわいせつ行為をしても公表されない
教師の名前。

高齢者、障害者に暴力、性暴力を平気で
やる施設に携わる介護者または医師。

おかしい事をおかしいと言えるのが
国民主権ではない。
国民主権は、おかしい事を言うだけではなく
国民自身が変える事が出来るはず。


*学校、施設に関しては、
本当にいい教師、介護者、医師が
たくさんいます。

 

避活学会員さま

 投稿者: 原田天魔邪教一派 秋谷栄之助 八尋弁護士野郎が元ジメ  投稿日:2018年 5月 4日(金)00時12分15秒
編集済
  よろしくお願い致します。

原田天魔邪教乗っ取り輩は  は  邪教です

徹底的に打破します!  日蓮大聖人の  日蓮本尊を  断固

守って行きます
 

みんなで語ろう、学会活動ー

 投稿者:避活学会員  投稿日:2018年 5月 4日(金)00時00分29秒
  活動から避難する学会員です。
今を、これからを大いに語り合いたいと思っています。よろしくお願いします!
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 5月 3日(木)23時52分17秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
宿坊にお集まりの方々のご家族が諸天に守られます様に
おやすみなさい
 

庵下路さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月 3日(木)23時46分2秒
  レスありがとうございます^^

青年部が責任をもって運営するイベントが昔はいろいろありましたね。

私も昔、「世界の少年少女絵画展」が地元の会館であるとゆうことで

企画責任者になっていろいろ苦労した覚えがあります。けど楽しかったです。

今は青年部の絶対数が劇的に減ってしまってもう昔のような運営は無理ですね。
 

創価学会「極秘資料」が暴く負の歴史

 投稿者:匿名希望  投稿日:2018年 5月 3日(木)23時33分0秒
  以下、リンク先です。
http://news.livedoor.com/article/detail/14663745/

 創価学会における絶対権力の空白は早8年に及ぼうとしている。半世紀以上にわたり巨大教団を率いてきた池田大作名誉会長は1月に卒寿を迎えたが、年に数回、『聖教新聞』に近影が掲載されるだけで、公の前に姿を見せなくなって久しい。2010年5月の本部幹部会の後、脳梗塞で倒れたというのが定説だ。大小様々な本部施設が蝟集する東京・信濃町の真ん中にひっそりと佇む第二別館にほぼ籠もりきりとされる。

 この間、原田稔会長以下の集団指導体制により教団の運営は滞りなく行われてきたかに見える。が、カリスマ指導者の重石がなくなれば必然のこと、一皮剥けば、信濃町の内部では次期会長の座を巡る暗闘が繰り広げられ、一枚岩だったはずの組織に動揺を来しているのが実際だ。

「谷川佳樹主任副会長のラインが巻き返しに出たのかもしれない」

 1月下旬、ある本部人事が各方面を駆け巡り、憶測を呼んだ。副会長の岡部高弘氏が広報室長を突如外され、聖教新聞広告局の閑職に追いやられたのだ。遠因として囁かれているのは昨年9月の『週刊文春』記事である。報じられたのは復興副大臣も務める長沢広明・公明党参院議員の女性スキャンダルだった。組織政党にとって所属議員は単なる駒にすぎない。本人は雑誌発売前に早々と議員辞職した。

会長の権限はそれほど強くない
 創価学会・公明党にとって重大な意味を持っていたのは、長沢氏が佐藤浩副会長の一の子分で知られていたことである。佐藤氏は菅義偉官房長官と太いパイプを持つことで有名。信濃町の勢力図においては、事務総長として本部機構を取り仕切り次期会長候補の最右翼とされる谷川氏や、その後見人で隠然たる力を持つ弁護士グループのトップにある八尋頼雄副会長、前会長で最高指導会議議長を務める秋谷栄之助氏らとともに主流派と目されてきた。政治的には自公連立路線の旗振り役だ。

 現在の学会においては「会長の権限はそれほど強くない」(元本部職員)とされ、それがため主流派こそが組織を動かしてきたと言われる。記事は内部告発がなければ知り得ない内容だったが、その追及は長沢氏よりむしろ政治担当として絶大な影響力を握り続ける佐藤氏に向いていた観があった。

 そこで佐藤氏ら主流派が岡部氏の更迭に動いたというのが一つの見立てである。怒りの矛先が岡部氏に向かった理由は今ひとつ分からないが、もともと両者の折り合いは悪かったとも言われる。後任の広報室長となった長野祐樹氏は長く神奈川担当の副会長を務めこれまで広報とは無縁だが、佐藤氏と極めて近いことで知られる。そのことも更迭人事が主流派の強い意向によって行われたと見られる理由となっている。

 そして、さらにその背後にあるのが次期会長の座を巡る谷川氏と萩本直樹主任副会長との神経戦とも言える綱引きだ。創価学会には200人以上の副会長がいるとされるが、15年に新設された主任副会長ポストは8人に限られる。谷川、萩本両氏はその中でも一歩抜け出た。萩本氏の後見役は原田会長とされる。

 スキャンダル記事は主流派を牽制するものだっただけに、萩本氏を利するところがあった。おまけに年が明けた1月7日付の人事は両者の形勢逆転をも思わせるもの。谷川氏が壮年部長に回ったのに対し、萩本氏がそれより遥かに格上の総東京長となったからだ。そうしたこともあり、岡部氏の更迭人事は谷川氏ら主流派による主導権奪還の意味合いも見え隠れしていたのである。

学会の「影の会長」
 次期会長レースに対し中立派と見られていた原田氏がにわかに萩本氏を後押ししだしたのは15年秋、ある暗闘劇が幕引きとなった前後からと見られている。それまで学会内で繰り広げられたのは谷川氏ら主流派と「創価大学卒のプリンス」と謳われた理事長の正木正明氏を担ぐグループとの対立だった。それが頂点に達したのは信濃町に新たなシンボル施設「広宣流布大誓堂」が完成した13年のことだ。

「全部、見られているぞ! 恥知らず! バカ者!」

 谷川氏や佐藤氏らを中傷するそんな怪文書が撒かれたかと思えば、ある主流派の副会長に対するこんな告発文書がマスコミに持ち込まれた。

「学会の『影の会長』であり……権力を好き放題に使っている人間であることに気づいてください」

 文書が告発するのは蓄財疑惑だった。不正とまでは認められないものの、そこで指摘された不動産に関する情報はじつに正確で、よほどの関係者しか知り得ないものだった。

Xデー後の学会分裂などあり得ない
 しかし、もともと非力な正木グループは13年暮れから一人また一人と信濃町の要職から外されていく。その後も主流派の教学方針に反発する2通りの内部告発文書が流出したりしたが、結局、肝心要の正木氏は15年11月、体調不良を理由に理事長から参議会副議長という名ばかり職に更迭、完全に失脚することとなった。かわりに原田氏が権力への執着を見せ始め、萩本氏への禅譲に傾いていったという流れである。

 現在の会長任期は来年11月に切れる。池田氏のXデーを横目に見ながら次期会長の座を巡る組織内の不協和音や動揺はなお続くことだろう。ただ、誰が次期会長になろうとも間違いなく言えることがある。それは池田氏にかわり独力で巨大教団を統率できるような人物はもはや見当たらないということである。

 高等教育をろくに受けていない一方で32歳の若さにして会長となった池田氏の人間的迫力を谷川氏や萩本氏に求めることは到底無理な話だ。2人とも東京大学卒で、谷川氏は三菱商事を経て、萩本氏は新卒で本部職員となった。リクルーター役を務めていたのがやはり東大卒の原田氏だった。学歴エリートの宗教官僚にカリスマ性などあるはずもない。皮肉な逆説だが、巷間囁かれるXデー後の学会分裂などあり得ない。それほどの人物はいないのだ。

都合の悪いものは闇に
 では、今後の集団指導体制は何を拠り所に組織をまとめ上げていくことができるのか。創価学会はもともと日蓮正宗の在家信徒団体だったが、1990年代に宗門と決別したため、その信仰を学会員の求心力とすることはもはやない。それにかわるものを学会が何に求めようとしているのか知ることができる格好の内部資料がある。08年6月に外資系コンサルティング会社のアクセンチュアが学会の内部組織「ビジョン会議」に宛てた提案資料がそれだ。

 当時、学会は谷川氏の主導によりアクセンチュアのコンサルタントを大量に動員して外郭企業の統廃合や人員削減といった法人改革を進めていた。宗教団体がコンサル会社を起用するとは前代未聞だが、件(くだん)の提案資料はその中心活動である広宣(=布教)領域にも踏み込むものだった。「リソース」や「コンテンツ」など営利企業と見まがうようなカタカナ用語が多用される中、そこには仏教用語はかけらも見られない。提案資料が広宣事業の中核となる「会の価値」に据えたのは「3代会長の思想・行動」だった。

 初代会長の牧口常三郎(1871~1944年)から第2代会長の戸田城聖(1900~1958年)を経て池田氏へと至る「3代会長」を、学会は02年の会則改正で「永遠の指導者」と定めた。この日蓮正宗から離れ3代会長を「神格化」「偶像化」する動きは14年から毎年のように続くさらなる改正で強められている。今や学会員は3代会長を「先生」との敬称で呼び、毎日の勤行では「報恩感謝」を捧げることが求められている。そして3代会長がそうであったとされるように「師弟不二の精神」により弟子は師匠を未来永劫守っていくのである。組織にとりじつに都合のいい理屈だ。

「歴史を歪める資料」は却下される
 アクセンチュアの提案資料はそうした3代会長の事績を新聞・雑誌やインターネット、展示イベントなど様々な経路を通じて学会員や社会に送り届けることを現代の広宣流布と位置づけていた。そして、そのためのアーカイブ事業を確立することが取り組むべき大きな眼目とされた。ただ、そこには巧妙な仕掛けも用意される。「永遠の規範」や「歴史の証明」となるアーカイブ資料は「正当性を担保する仕組み」として認定委員会の承認を経なければならず、そこでは「歴史を歪める資料」は却下されるのである。要は都合の悪いものは闇に葬るわけだ。

 今日、創価学会は「反戦・平和の団体」を標榜し、世間からもそう見られることが多い。そこで象徴的に語られるのは前身の創価教育学会が治安維持法違反・不敬罪により特高警察の弾圧を受け、初代会長の牧口が巣鴨拘置所で獄死した事実である。創価学会はそれらを軍部政府と対決した末のこととしている。

 しかし、歴史的事実は大きく異なる。当時の創価教育学会の実像を赤裸々に記録した戦前・戦時中の機関紙誌がある。35年7月から約1年間発行された『新教』と41年7月から1年弱続いた『価値創造』だが、創価大学はじめどの図書館にも所蔵はない。学会は都合のいいごく一部分のみ公にしあとは封印してしまっている。「歴史を歪める資料」とみなしているからだ。

知られざる歴史をつぶさに調べ上げた
 筆者は現存が確認されている『新教』の大半と『価値創造』のすべてのそれぞれコピーを入手した上で30年代から50年代初頭にかけての知られざる歴史をつぶさに調べ上げ、先頃、『創価学会秘史』(講談社刊)という単行本にまとめた。詳しくはそれに譲るとして、当時の学会の実像は次のようなものだ。

 57歳を目前にして日蓮正宗と出会った小学校校長の牧口は30年11月に教育書『創価教育学体系』の第一巻を出す。資金面で支えたのが元部下で補習塾の経営者に転じていた29歳年下の戸田だった。この時が創価学会の創立とされているが、実際のところ、組織的な活動はその後しばらくは見られない。

 4年余り後、日蓮正宗と教育論の融合を唱える牧口の下に若者が集まり始め、創価教育学会は組織の相貌を現していく。活動の先頭に立っていたのはかつて左翼運動に身を投じ、「長野県小学校教員赤化事件」と呼ばれた一大弾圧で投獄後に転向していた元教員たちだった。その頃、国は転向政策に力を入れ始めていた。思想犯保護施設を整備し、知識水準が高い左翼活動家たちの思想善導を推し進め、戦時体制に組み込んでいくわけだ。そこで利害が一致したのが牧口ら創価教育学会だった。失意の底にある元赤化教員たちは新たな信者を獲得する折伏(しやくぶく)の対象としてうってつけだったのである。

 このため牧口らは特高警察やその元締めである内務省警保局、さらには共産党取り締まりに辣腕を揮い転向政策の仕掛け人でもあった大物思想検事の平田勲らと緊密に連絡を取り合っていた。折伏要員を長野県に派遣する際には東京の治安当局に地元での手配を依頼し、そのおかげで20代半ばの若者一人に対し特高課長や思想検事、教育当局者らが勢揃いで応対する歓待ぶりだった。

 牧口は天皇中心の国体観念を支持していたし、中国大陸への拡張政策にも反対はしていなかった。満州事変後に入植した初期の会員に対しては最大限のエールを送っていた。「わが国は大東亜戦争完遂、世界新秩序建設のために、1億国民血みどろになって、獅子奮迅の勇猛戦を行っている」などと、太平洋戦争が始まると幹部からは戦争翼賛的な発言が次々と飛び出した。『価値創造』はヒトラーの『我が闘争』の紹介に大きく紙面を割いてもいた。

兵器産業に乗り出そうとすら企てた
 その頃、現世利益を強調する折伏に舵を切っていた創価教育学会には出版業を中心に中小企業経営者が多く集まるようになっていた。彼らは戦争文学で儲け、それを信心の功徳と感じ、営業成績を競い合っていた。戸田はその最たるもので、40年に創刊した小学生向け雑誌『小国民日本』では海軍特集を組み、少年航空兵の募集に一役買っていた。さらに戸田は会員が個人経営するレンズ工場を買い取り、兵器産業に乗り出そうとすら企てた。

 それでも創価教育学会が弾圧を受けたのは他の宗教・宗派を「邪宗」として認めない日蓮正宗の原理主義が行き過ぎたからだ。牧口は「取払え」と称して伊勢神宮の大麻(おおぬさ)などを撤去して焼却することを会員に行わせていた。天皇も含め国を挙げて日蓮正宗に帰依すべきとの牧口の考えは国家神道とは相容れず、それがため投獄されたのが実相だ。決して反戦・平和を唱えたからではない。

 創価教育学会に集った元赤化教員の何人かはその後、出征して戦地で命を落としている。牧口や戸田はそうした事実にまったく関心を払わなかった。戸田は終戦直後に中国で戦病死した元赤化教員の一人に関し「信心が足りないからあえなく死んだ」との趣旨の発言を戦後間もない頃の座談会で言い放っていた。

表の正論と裏の謀略
 戦後、事業に失敗した戸田は軍隊式組織論を導入して折伏を大々的に行い、学会組織は急角度で拡大していった。宗門の反対を押し切り宗教法人化を目指す中、池田氏ら青年部メンバーは宗門の老僧を暴力的に吊し上げる事件を52年に起こした。創価学会の傍若無人な組織力を前に宗門はもはやなす術がなかった。

 じつのところ創価学会が大々的に「反戦・平和の団体」を標榜したのは池田氏の会長就任からちょうど10年が経った70年以降のことだ。折伏至上主義で「貧・病・争」に悩む社会の下層を取り込み組織を膨張させてきた学会はその年前半、批判を力ずくで押さえようと言論出版妨害事件を引き起こし、激しい社会的反発を招いていた。そこでとったのが学生やインテリ層も取り込もうとするソフト路線だった。すでに過去の人となっていた牧口の獄死を反戦・平和の象徴的出来事にすり替え、かわりに真実を封印したのである。

 学園紛争が吹き荒れていた前年、創価学会は日共系でも反日共系でもない第3の道として学生部を母体に新学生同盟を組織化していた。68年に入信し学会の東大総合委員長も務めた元公明党参院議員の福本潤一氏によると、「その頃は折伏戦ばかりで、全共闘から入ってくる人もいたけど定着しなかった」という。ただ、その後のプロパガンダは成功した。核兵器廃絶など平和運動が一定の実績を積んでいったのも確かだ。池田氏は72年に行われた歴史学者トインビーとの対話を皮切りに中国の周恩来など各国要人との会談を次々実現して海外進出を進めたが、その際、「反戦・平和の団体」との表看板は大いにものを言った。

 しかし、創価学会が真に過去から連綿と受け継いできたのは独善的で閉鎖的、そして不寛容な組織体質だ。そして、いつ何時も最優先されるのは組織の維持拡大である。

 前出の福本氏はそうした創価学会の二面性を「表の正論と裏の謀略」と表現する。平和運動を声高に叫び始めたかたわら、学生部の精鋭メンバーは70年代前半、敵対関係にあった共産党の委員長宅などの盗聴を繰り返し、偽装入信させたスパイをライバル教団に潜入させたりもした。90年に始まった日蓮正宗との宗門戦争でも盗聴や尾行は秘密部隊である創価班広宣部を中心に広く行われていたことが知られる。「情報収集のためのゴミ漁りや深夜の団地での匿名ビラのばらまきなど何でもやりましたよ」と、元広宣部員は当時を語る。ただ、大方の一般会員はそんな実態を知らされない。

本部執行部に対する不満が燻っている
 宗門戦争が一巡した00年代以降、創価学会における信仰の中心は急速に選挙活動が占めていくようになる。とはいえ、大黒柱である婦人部がとりわけそうだが、会員はおしなべて政策に無関心。「池田先生がつくった公明党が間違えることはない」(別の元本部職員)という思考停止による集票活動は国政選挙で全国700万票以上を獲得してきた。

 それでも半世紀近く「表の正論」を注入されてきた会員の中には反戦・平和こそが池田氏始め3代会長の真意と信じ込む急進者が少なくない。国会議事堂前で安保法案反対の大規模デモが毎週末行われた15年夏、公明党の法案容認方針をよそに少数の学会員の姿がそこにはあった。戦前の実像を教えられていない彼らは学会の三色旗とともに牧口の肖像を掲げ、法案反対を叫んでいた。じつにパラドキシカルな光景だ。

 池田氏が公に姿を現さないこともあり、ある意味で純粋な急進者の間では今日、自公連立路線を推し進める主流派牛耳るところの本部執行部に対する不満が燻っている。「足軽会」なる「組織内組織」を作ったとして12年に懲戒解雇された若手の元本部職員3人を中心とするグループのように、信濃町で無言の抗議デモを行うなど公然と批判活動に出る者も現れた。異論を許さない本部執行部はそうした不満分子をあぶり出そうと15年頃から査問に血道を上げている。その結果、除名や会館への出入り禁止といった懲戒処分が次々下っている殺伐たる情況だ。

 昨年12月、ノルウェーのオスロで行われたノーベル平和賞の授与式。受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の関係者とともに創価学会の寺崎広嗣副会長が現地で記者会見を行った。スイス・ジュネーブに事務局を置くICANが発足した07年以来、創価学会の海外部門であるSGI(創価学会インタナショナル)は国際パートナーの一角として活動を支援してきた。創価学会にとってまたとない国際的な宣伝の機会であり、「反戦・平和の団体」を信じ込む国内の学会員に向けては批判を宥める何物にも代えがたい好機と言えた。が、これまで述べてきた実態を知る者の目からすると白々しい思いしか催さない。

海外に活路を求める
 創価学会は昨年9月、それまで対等の立場としていたSGI組織を日本の本部の下に置くことを定めた「会憲」を制定した。これにより信濃町は各国組織に対するヒト・モノ・カネの統制を強力に進めると見られる。もはや国内で折伏の余地はなく、逆に高齢化が急速に進む組織は下り坂を転げ落ちようとしている。昨年10月の総選挙で公明党は全国で700万票を切る惨敗を喫したが、これは「F票」(会員外の得票)のリベラル層が立憲民主党に流れたというより、組織の弱体化を反映したものと見た方が正解だろう。

 斜陽の国内に見切りをつけ海外に活路を求めるのが、今の創価学会の戦略であり、会憲はそのための布石だ。日蓮正宗と決別した直後、創価学会は「日蓮世界宗」を商標登録し、世界宗教へ脱皮する構想を温めてきた。すでに会則の前文でその名を謳っており、いよいよ正式な旗揚げが近いと見られる。先述の大誓堂は「世界広宣流布の……中心道場」とされており、さながらイスラム教のメッカのような位置づけだ。将来そこに安置されるのは池田氏を始め3代会長の神格化された偶像なのかもしれない。とすれば、ソビエト共産党のレーニン廟がごときである。

 しかし、過去を封印して都合良く歴史を語り、異論を一切許さない不寛容な組織が設(しつら)えた無味乾燥な聖地をありがたがって巡礼に訪れる人々がこの先どれだけいるというのだろうか。誰が次期会長になろうが、組織の求心力は低下していくだろう。選挙活動に明け暮れる仏教と個人崇拝のパッチワークのような巨大教団は、すでに崩れ落ち始めている。

(高橋 篤史)
 

釈迦本尊は  必ず実行されました。独裁的、独善的 金儲け宗教企業

 投稿者:  原田稔邪教学会を永久凍結させましょう。  投稿日:2018年 5月 3日(木)23時17分11秒
編集済
  原田稔天魔執行部=教学から 本音が出ました。

[日蓮本仏論は誤りです。それは認めます。

しかし我々は多くの会員を抱え、なおかつ大石寺教

学の伝統が現在も色濃く残っている中において、い

かに会員を動揺させず、矛盾しない教学を構築して

いくかが重要です。現在慎重に進めています。]
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 5月 3日(木)22時48分31秒
  23時から開始です。池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈ります。よろしくお願いいたします。
皆さまにお題目を送ります。
 

憲法記念日

 投稿者:ツーフェイス  投稿日:2018年 5月 3日(木)22時29分50秒
  改憲?
改憲反対?

護憲派であっても靖国神社参拝には反対。
改憲派だが、靖国神社参拝には賛成。

日本国憲法と靖国神社参拝は、
問題が違うだろ?

ん?
これが繋がってる根本的な精神論。

A級B級戦犯または、世界大戦で亡くなった日本国軍隊の人達、亡くなった国民は、日本にとっては英雄。
英雄って言葉は違う。
日本のために戦争で闘ってまた、戦争被害で
亡くなった人達がいたから、今の私達は平和憲法のもとで平和に暮らしている。

しかし
アジア諸国からすれば靖国神社参拝は、
アジア侵略した戦犯を参拝する行為は、
感情を逆なでする。

平和憲法を護るなら、靖国神社参拝も
日本人として認めるべきじゃないか?

靖国神社参拝は反対、けど改憲は認めないのは、成り立たないと言う理由がわからないのに
憲法反対はあり得ない。

だから、
もっともっと時間をかけて
憲法についての議論を国民の前で、すべき。

今や、
反対も賛成も穴だらけの議論ばかり。

改憲賛成の議論の一部は、理解出来るが
改憲反対の議論の全体も理解出来るのが
日本国民の現状。
 

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