2018年05月04日
日本で政治学を研究するということ
今、杉田水脈議員と、山口二郎教授の間で、山口先生が代表となっていた科研費の使用について、それが妥当なものであったのか、そうでないのかについて、激しい議論がなされています。国民の税金による補助金の支出である以上、それが大きな額であればその適切さについて国会議員の方が問うこと自体は妥当なことだと思いますし、他方で山口先生は自らに対する激しい非難の多くが、これまで安倍政権を批判してきたことからきているとして、言論の自由への圧力が加わることを懸念しています。
まず重要な前提として、科研費の必要性と評価については、思想信条ではなくて、あくまでも研究上の意義や、経費の使用の適切さによって判断されるべきだと思います。それが「反日」と思われるテーマであったり、研究者であったとしても、審査によりそれが必要と判断され、また適切に経費が使用されていれば補助されるべきです。他方で、それがどれだけ「愛国」的なテーマであり、研究者であったとしても、研究水準が一定を超えておらず、また経費の使用に不正があれば、批判されるべきです。したがって、検証の結果として、科研費の使用に問題がなかったという結果になるかもしれませんし、科研費の支出の内容の一部に問題があったと指摘されるかもしれません。
基本的な事実として、科研費の管理は通常、本人ではなく大学が行います。ですのでボールペン一本の経費支出についてさえも、それが不適切だとみなされれば、通常は経費が下りません。ですので、科研費はとても使いにくいというのが私の印象です。4億を超える巨額な科研費プロジェクトの場合には、徹底的に調べれば何か、領収書や経費支出に、一つぐらいは不足なものや、不十分なものが出てくる可能性もあります。
政府に批判的な政治学者やメディアはときどき、政治家などの公金支出に対して、場合によっては些末な内容でも揚げ足取り的な批判をすることがありますので、同じように研究者による公金使用の際にその一部の使用に揚げ足取り的な批判をされることがあっても、反論しにくいと思います。
すでに、たびたび科研費で不正が起こるために、その度に経費の使用があまりに厳しく煩わしくなっているので、私はもう15年ぐらい、自らが研究代表者として科研には申請しておりません。研究分担者としての参加のみであり、民間の研究資金を中心に応募してきました。
日本の高等教育へのGDPあたりの政府支出は、OECD加盟国中で最下位です。すでに、研究遂行には多くの困難が伴い、優秀な研究者の一部は海外に流出しています。それに加えて、研究者の思想信条まで問われるようになると、よりいっそう日本の研究は停滞する可能性が高くなります。学問や研究で完全な自由が保障されていることが、中国共産主義体制と比較した際の、日本が有する魅力であり、比較優位であるはずです。
過去15年ほど、北海道大学法学部は競争資金を導入することで、多くの若手研究者を北の大地に招いて、その後に活躍する政治学者を生み出してきました。その意味で、北海道大学は巨大な学問的な貢献をしてきたのであり、価値がある活動であったと思います。その上で山口教授や遠藤教授は、大変な尽力をされてきました。そのような若手研究者は、政治的な立場や、方法論、研究テーマなど、色々なタイプの研究者がおりました。
私のように安倍政権に対して高い評価を与えて、現政権でいくつかの有識者会議にも加わるような、山口先生とは大きく異なるような政治的な立場や主張を行うような政治学者もそこに含まれ、二年間、寛容な姿勢で私の研究生活を支えていただきました。そのことには今でも深く感謝しています。大学院博士課程をでて、行き場所がなかった私を、二年間専任講師として置いていただき、自由に研究をさせていただいたことが、いまにつながっています。その意味で、とても寛容な研究環境でした。ただし、山口先生の巨大な科研は、私が北大を離れた2002年以降のもので、私はそのメンバーではありませんでした。
この巨大科研は、数十名の北大の内部と外部の研究者が加わる巨大プロジェクトで、また多くの客員教授や研究員を招聘しており、あくまでも山口先生は「代表」であって、山口先生お一人が「4億5千万円」あるいは、合計で「6億円」使ったわけではありません。いわば、大学の独法化にともなって、国立大学は研究経費を競争資金導入に依存せねばならなくなり、削減された大学への直接的な経費を、これらの競争資金で補うものでした。ですので、単純に山口先生個人が「6億円」を使用したのではなくて、北海道大学として、職員や、客員教授、研究員のようなスタッフを数十名で抱える経費として、さらには大きな国際会議で外国の著名な政治学者を招聘する際の経費として、利用していたはずです。
ちなみに、山口先生は、安保法制には厳しく反対の立場で、安保法制懇のメンバーであった私は、いわば批判の対象でしたし、実名でやや批判的な言及をされたこともあります。山口先生の、批判のあまりに勢いで発した「叩き斬ってやる」という言葉は、その発言の文脈を考慮しても、やや過激な言葉で不適切ではなかったかと感じておりました。しかしながら、山口先生とは大きく政治的な立場やイデオロギーが異なっていても、山口先生の研究への真摯な態度や、若手研究者への思いやりには今でも敬服しています。
いわば、2007年に刊行した『内閣制度』(東京大学出版会)などに見られるような、行政学を中心とするご本人の政治学者としての研究活動と、ご自身の政治信条に従って行う政治活動は異なるものであり、言論の自由がある以上は政治学者が後者のような活動をすること自体は妨げられるべきでありません。ただし同時に、後者の目的のためには、通常は、科研費は使用されるべきではないのでしょう。あくまでも政治学者の評価は、前者の活動によってなされるべきなのでしょうし、前者のような活動が中心であるべきです。これらが混合していたかどうかが、おそらは杉田議員が説いている争点だろうと考えます。
他方で今回の批判の中に、文系の学問が不要であるとか、政治学は役に立たないという指摘が数多く見られます。日本の政治学は、単に日本国内だけでとどまるものではなく、アジアにおける最初の、そしてももっとも歴史のある議会制民主主義の国家として、また成熟した立憲主義的な国家として、アジアからは多くの留学生がきて、また日本の政治学者の著書の多くが中国語や韓国語に翻訳されて幅広く読まれてきました。欧米以外で、これだけ安定的で、これだけ成熟した、そしてこれだけ日本の文化や伝統に適合した、民主主義的で立憲主義的な政治体制が発展してきたことは、世界史的にも興味深く、価値の大きなことであると思います。それを日本の政治学者が真摯に研究して、中国や韓国などからの留学生も日本の大学でそのような問題意識を育むことは、けっして無駄なことでも、無価値なことでもないように思います。
ぜひ議員の方々には、日本の国力、そして日本の大学の国際的な地位の向上のために、よりいっそうのご尽力をしていただき、自らと異なる立場の学者に対しても、その研究水準に応じた敬意や、寛容さを示していただければと願っております。他方で、大学教員は、もしも十分に適切ではない科研費の利用があるとすれば、国民の税金を使用していることの重みを考えて、よりいっそう価値がある目的のために使用する必要があると、襟を正す必要があると思っています。
まず重要な前提として、科研費の必要性と評価については、思想信条ではなくて、あくまでも研究上の意義や、経費の使用の適切さによって判断されるべきだと思います。それが「反日」と思われるテーマであったり、研究者であったとしても、審査によりそれが必要と判断され、また適切に経費が使用されていれば補助されるべきです。他方で、それがどれだけ「愛国」的なテーマであり、研究者であったとしても、研究水準が一定を超えておらず、また経費の使用に不正があれば、批判されるべきです。したがって、検証の結果として、科研費の使用に問題がなかったという結果になるかもしれませんし、科研費の支出の内容の一部に問題があったと指摘されるかもしれません。
基本的な事実として、科研費の管理は通常、本人ではなく大学が行います。ですのでボールペン一本の経費支出についてさえも、それが不適切だとみなされれば、通常は経費が下りません。ですので、科研費はとても使いにくいというのが私の印象です。4億を超える巨額な科研費プロジェクトの場合には、徹底的に調べれば何か、領収書や経費支出に、一つぐらいは不足なものや、不十分なものが出てくる可能性もあります。
政府に批判的な政治学者やメディアはときどき、政治家などの公金支出に対して、場合によっては些末な内容でも揚げ足取り的な批判をすることがありますので、同じように研究者による公金使用の際にその一部の使用に揚げ足取り的な批判をされることがあっても、反論しにくいと思います。
すでに、たびたび科研費で不正が起こるために、その度に経費の使用があまりに厳しく煩わしくなっているので、私はもう15年ぐらい、自らが研究代表者として科研には申請しておりません。研究分担者としての参加のみであり、民間の研究資金を中心に応募してきました。
日本の高等教育へのGDPあたりの政府支出は、OECD加盟国中で最下位です。すでに、研究遂行には多くの困難が伴い、優秀な研究者の一部は海外に流出しています。それに加えて、研究者の思想信条まで問われるようになると、よりいっそう日本の研究は停滞する可能性が高くなります。学問や研究で完全な自由が保障されていることが、中国共産主義体制と比較した際の、日本が有する魅力であり、比較優位であるはずです。
過去15年ほど、北海道大学法学部は競争資金を導入することで、多くの若手研究者を北の大地に招いて、その後に活躍する政治学者を生み出してきました。その意味で、北海道大学は巨大な学問的な貢献をしてきたのであり、価値がある活動であったと思います。その上で山口教授や遠藤教授は、大変な尽力をされてきました。そのような若手研究者は、政治的な立場や、方法論、研究テーマなど、色々なタイプの研究者がおりました。
私のように安倍政権に対して高い評価を与えて、現政権でいくつかの有識者会議にも加わるような、山口先生とは大きく異なるような政治的な立場や主張を行うような政治学者もそこに含まれ、二年間、寛容な姿勢で私の研究生活を支えていただきました。そのことには今でも深く感謝しています。大学院博士課程をでて、行き場所がなかった私を、二年間専任講師として置いていただき、自由に研究をさせていただいたことが、いまにつながっています。その意味で、とても寛容な研究環境でした。ただし、山口先生の巨大な科研は、私が北大を離れた2002年以降のもので、私はそのメンバーではありませんでした。
この巨大科研は、数十名の北大の内部と外部の研究者が加わる巨大プロジェクトで、また多くの客員教授や研究員を招聘しており、あくまでも山口先生は「代表」であって、山口先生お一人が「4億5千万円」あるいは、合計で「6億円」使ったわけではありません。いわば、大学の独法化にともなって、国立大学は研究経費を競争資金導入に依存せねばならなくなり、削減された大学への直接的な経費を、これらの競争資金で補うものでした。ですので、単純に山口先生個人が「6億円」を使用したのではなくて、北海道大学として、職員や、客員教授、研究員のようなスタッフを数十名で抱える経費として、さらには大きな国際会議で外国の著名な政治学者を招聘する際の経費として、利用していたはずです。
ちなみに、山口先生は、安保法制には厳しく反対の立場で、安保法制懇のメンバーであった私は、いわば批判の対象でしたし、実名でやや批判的な言及をされたこともあります。山口先生の、批判のあまりに勢いで発した「叩き斬ってやる」という言葉は、その発言の文脈を考慮しても、やや過激な言葉で不適切ではなかったかと感じておりました。しかしながら、山口先生とは大きく政治的な立場やイデオロギーが異なっていても、山口先生の研究への真摯な態度や、若手研究者への思いやりには今でも敬服しています。
いわば、2007年に刊行した『内閣制度』(東京大学出版会)などに見られるような、行政学を中心とするご本人の政治学者としての研究活動と、ご自身の政治信条に従って行う政治活動は異なるものであり、言論の自由がある以上は政治学者が後者のような活動をすること自体は妨げられるべきでありません。ただし同時に、後者の目的のためには、通常は、科研費は使用されるべきではないのでしょう。あくまでも政治学者の評価は、前者の活動によってなされるべきなのでしょうし、前者のような活動が中心であるべきです。これらが混合していたかどうかが、おそらは杉田議員が説いている争点だろうと考えます。
他方で今回の批判の中に、文系の学問が不要であるとか、政治学は役に立たないという指摘が数多く見られます。日本の政治学は、単に日本国内だけでとどまるものではなく、アジアにおける最初の、そしてももっとも歴史のある議会制民主主義の国家として、また成熟した立憲主義的な国家として、アジアからは多くの留学生がきて、また日本の政治学者の著書の多くが中国語や韓国語に翻訳されて幅広く読まれてきました。欧米以外で、これだけ安定的で、これだけ成熟した、そしてこれだけ日本の文化や伝統に適合した、民主主義的で立憲主義的な政治体制が発展してきたことは、世界史的にも興味深く、価値の大きなことであると思います。それを日本の政治学者が真摯に研究して、中国や韓国などからの留学生も日本の大学でそのような問題意識を育むことは、けっして無駄なことでも、無価値なことでもないように思います。
ぜひ議員の方々には、日本の国力、そして日本の大学の国際的な地位の向上のために、よりいっそうのご尽力をしていただき、自らと異なる立場の学者に対しても、その研究水準に応じた敬意や、寛容さを示していただければと願っております。他方で、大学教員は、もしも十分に適切ではない科研費の利用があるとすれば、国民の税金を使用していることの重みを考えて、よりいっそう価値がある目的のために使用する必要があると、襟を正す必要があると思っています。
hosoyayuichi at 11:37│