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時代の正体〈592〉憲法の現場(2)首相に共鳴しヘイト

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/05/04 08:49 更新:2018/05/04 11:24
【時代の正体取材班=石橋 学】鋭い怒声が飛んできた。

 「おい石橋、何しに来たんだ!」

 取材だと告げるが、何も聞いていなかった。

 「日本が嫌いなんだろ。消えろよ。神奈川新聞なんて朝鮮総連の新聞じゃねえか!」

 見覚えのない初老の男性だった。だが、驚かない。私は在日コリアンに向けられるヘイトスピーチの取材を続けてきた。ヘイトデモの現場での動画がユーチューブにいくつもアップされ、レイシスト(人種差別主義者)、ネット右翼と呼ばれる人たちには顔も名前も知られている。日本が嫌いという決めつけも、すべてに「朝鮮」の二文字を付け、差別の意図を持った悪罵に変換する姿も見慣れたものだった。

 いつもと違うのは、ここはデモが繰り返されてきた川崎市や東京・新宿の街中ではなく、首相官邸前であるということだった。

 4月14日、森友学園への国有地払い下げを巡る公文書改ざん問題で政権批判の声を上げる市民に対抗し、安倍晋三政権を応援しようと約100人が集まっていた。

 幅5メートルはあろう巨大な日の丸と「安倍政権頑張れ」の横断幕が掲げられ、ゼッケンには「中国北朝鮮の手先に負けるな」「反日マスコミに負けるな」「売国勢力に負けるな」の文字。あふれる敵意と排斥の空気は、ヘイトデモの現場で感じるまがまがしさそのものだった。

 立ち止まっていると方々から声が上がり始める。

 「偏った記事を書くな」「北朝鮮のスパイ」「お前は死刑だ」

 頑迷にも安倍政権を支持しようと4時間近く立ち続けているこの人たちの目には、差別をなくそう、人権を守ろう、共生社会を築こう、という記事が偏向して映っている。見過ごせないのは、憎悪は単に私個人に向けられているわけではないということだった。へイトスピーチに反対する私の向こう側に、私が守ろうとしている在日コリアンを重ね見て、攻撃している。「死刑だ」などと面罵してみせる底の抜けようは、人を人と思わぬ差別のなせるわざだった。

 安倍政権はこのような人たちによっても支持されている、ということにも私は驚かない。朝鮮半島の二つの国を見下し、敵視してきたのが、ほかでもない安倍政権だからだ。

 脈絡なく持ち出された締めくくりのシュプレヒコールもまた、聞き慣れたものだった。

 「拉致被害者を取り戻すぞー」「おーっ」

 政権と市井の人々が共鳴しながら、政治の中枢で行われるに至った「ヘイトデモ」。この国は平和主義の憲法を持ったが、平和国家ではなかったという戦後日本の実像がいよいよ鮮明になるのは、2週間後のことだった。

平和とほど遠い戦後 朝鮮学校差別


 私たちの目は平和の到来を心から喜べないほど濁ってしまっているようだった。日本で生まれ育ち、3、4世になってなお差別にさらされている在日朝鮮人の子どもたちの真っすぐな願いと拭えぬ憂いが、この国のゆがんだ「平和」を教えてくれていた。

 4月27日午前9時半、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が手を取り合い、軍事境界線をひとまたぎに越えていく。横浜市神奈川区にある神奈川朝鮮中高級学校の体育館。大型スクリーンでの韓国放送局発のライブ映像に中高生約160人から一斉に歓声が上がった。

 「朝鮮半島だけでなく世界が平和になってほしい」。将来の夢は海外でパン屋を営むことという高校3年生の女子生徒(17)は声を弾ませた。「朝鮮人でいて感じることがマイナスなことばかり。一緒にバイトしている日本人の友達に朝鮮人と知られたとき、どう反応されるか怖かったりもする。この日を迎えられて、初めていい時代に生まれたと思えた」

 物心ついたころから北朝鮮のニュースといえば拉致や核・ミサイル開発の問題ばかりだった。休戦状態に過ぎない朝鮮戦争が強いる緊張、歴史をさかのぼれば日本の植民地支配に責任が行き着く南北分断が招いた悲劇には目が向けられず、ひたすら「何をしでかすか分からない野蛮な国」という蔑視だけが振りまかれた。

 ほどなく、子どもたちは体育館の隅に持ち込まれた液晶テレビの周りに集まった。日本のワイドショー番組で、難しい顔をしたコメンテーターや堅い表情の政治家のコメントが紹介されていた。

 「今後の動向に注視しなければならない」「非核化の道筋が具体的に示されていない」「政治ショーに過ぎない」

 食い入るように画面を見詰める表情に戸惑いと落胆の色が差す。女子生徒もやはり日本メディアの反応が気になっていた。

 「歓迎してとまでは言わない。せめて悪くないな、くらいには思ってほしい」

 話すうち、疑念が言葉となって漏れ出てくる。

 「日本は南北が統一してほしくないのでは。とくに政治家の人たちは。メディアも権力に流されているようにしか見えないし」

 「矛盾してると思う。日本は戦争しないとか、平和な国だとか言っているけれど、差別は減らないし、むしろひどくなっている」

 インターネット上にはヘイトスピーチがあふれ、街中でヘイトデモは続き、政府は朝鮮学校だけを無償化制度から排除し、自治体の補助金も打ち切りが相次ぐ。

 差別は人を殺す。植民地支配を正当化し、略取、抑圧、虐殺へのためらいを消し、やがては侵略戦争につながる。朝鮮学校で学んだ民族の苦難はそう教える。ついに不安が口を突いた。

 「反動で朝鮮学校への差別がより厳しくならないかが心配。だからきょうのニュースはうれしいけれど、怖い」

 歴史的一歩を喜び尽くせないばかりか、恐怖まで覚えさせる社会は平和とはほど遠い。それとも「日本国民」にとっての平和を追い求めればいいのか。

見下す視線


 「北朝鮮にだまされるな」の大合唱は一方で「韓国は北朝鮮にだまされている」に容易に転化される。

 南北融和の起点となった平昌五輪のさなか、「ほほえみ外交に目を奪われるな」と水を差してみせたのは菅義偉官房長官だった。ワイドショー番組で「一般市民を装った北朝鮮のテロリストが大阪に潜んでいる」と発言、在日コリアンへの差別をあおっていると批判を浴びた国際政治学者の三浦瑠麗氏は呼応するように、こうも言っていた。

 「北朝鮮と韓国は同じ民族。美女応援団が来て、金(キム)与正(ヨジョン)氏との会談が成功したら『もう統一できるじゃん』というムードになっちゃう」

 「ソウルの人たちは自分たちが火の海にされたくないから、少しでも希望の光が見えたらすぐ飛びついちゃう」

 だます北朝鮮とだまされる韓国。一体、どこまで見下せば済むのか。その2週間後、街中でヘイトスピーチを繰り返してきた極右活動家らが在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部ビルに拳銃で銃弾を5発撃ち込むテロ事件が起きている。人を人と思わぬヘイトスピーチはおろか、差別感情を動機とするヘイトクライムが政治とメディアによってあおられ、実行に移されている。

 韓国にとっても平和が切なる願いであると私が実感したのは、板門店、あの南北会談までは「分断の象徴」であった場所でだった。

 昨年12月にソウルから乗ったツアーバスの車中、ガイドのチャン・ヨンソクさんは日本の植民地支配の歴史から語り起こした。日本の敗戦で朝鮮半島は解放をみるも、日本軍の武装解除を名目に北はソ連、南は米国によって分割統治された。そして50年6月、米ソ対立を背景に戦火が切って落とされた。

 「同じ民族が別れたのは、冷戦時代、イデオロギーの違う列強国の対立の結果なのです」

 米国を中心とした国連軍が韓国側に立って参戦、中国も北朝鮮に援軍を送り泥沼化。南北両国の犠牲者は200万人以上を数え、53年7月、板門店で休戦協定が結ばれた。

 「南北を行き来できなくなった離散家族は1千万人以上。家族に手紙も送れない。生きているかどうかも分からない。社会主義と資本主義という異なるイデオロギーの問題以前、一日も早く統一されないといけないと思います」

 悲嘆がにじむチャンさんの静かな語りは深い印象を残した。

 「皆さんはきょう特別に意味のある場所へ行きました。アジアでは、韓国と日本が中心になって平和のためにさまざまな努力をしていますよね。皆さんも板門店へ行きましたから、個人的にも前進しました。世界の平和のために何かを考えたと思います」

 そう。日本は朝鮮半島の旧宗主国という南北分断の当事者である。では、「アジアの中心」となって「世界平和」のために努力をしてきただろうか。むしろ、朝鮮戦争で特需にあずかり、再軍備のきっかけを得て、負の歴史を顧みなかった結果、気付けば世界の平和の蚊帳の外という孤立を招いている。

歴史顧みず


 植民地支配で奪われた言葉や文化、歴史を取り戻すために始まった朝鮮学校に対する国を挙げての差別は歴史を顧みない戦後の歩みの象徴に映る。2012年12月の発足直後、最初の仕事として高校無償化制度からの朝鮮学校の排除を決めた第2次安倍政権がもっともその性質を持っていることは疑いない。

 だが、朝鮮学校弾圧は戦後一貫して続いてきたし、すべての外国人学校を対象にした無償化制度を作りながら、当初から適用を留保したのは民主党政権であった。

 では、朝鮮学校に通っているというだけで子どもたちへの補助金を打ち切った県はどうか。理由にならない拉致問題を持ち出す政府や自治体の人権侵害に痛痒(つうよう)も覚えない私たちはどうか。

 さかのぼれば、憲法施行前日の1947年5月2日、旧植民地出身者を外国人とみなした外国人登録令によって、朝鮮人は憲法の埒外(らちがい)に置かれ、人権がないがしろにされてきた。日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約が発効された52年4月28日には日本国籍が剥奪され、「国民」の二文字がさまざまな権利の制限に用いられる。

 植民地支配の責任を問うことなく構造的な差別が放置され続け、ヘイトスピーチの芽となり、最大の人権侵害たる戦争の否定を世界に誓ったはずの憲法9条はこうして危機を迎えているのである。

【連載 憲法の現場】
(1)高揚感の背後に矛盾

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