大人が観るに耐えうる作品

「昔は良かった」何なんて明治の頃から言い尽くされてきた言葉は吐きたくないが、現在のドラマは駄作が多い。デフレ不況でスポンサーからの資金が足りないから制作予算は限られている。それにテレビ局がピンハネして制作子会社に委託するから、予算は減ってしまう。場合によっては、その会社が孫会社に作らせるかもしれない。視聴率が悪いといって上司から怒られる制作現場のスタッフ。出世が命のプロデュサーは成功しなくても失敗しないドマ作りに固執してしまうだろう。さらに悪いのは、芸能事務所が押しつける売り出し中のアンチャンや小娘を主役に起用して役者の真似事をさせているのだ。人気の漫画や小説を原作にして、古参の脚本家が手直しして一丁上がりのドラマを誰が視るのか。無料だから大人は文句を言わずにに無視するだけ。見逃した昔の名作映画でも観たほうがましだ。そんな過去ドラマで優秀な部類に入るのが、『新・必殺仕掛人』である。(1977年放送)
  このドラマは下層の人間が殺し屋になって晴らせぬ恨みを代行するのだから、陰惨な所があるのは当然だろう。しかし、そこがまたいい。昼間は明るい庶民の暮らしをしても、夜は非情な裏家業に命を賭けるのだから、ドラマの展開にメリハリが利いている。それに上手い役者を揃えたところに拍手したい。
ここでキャラクター紹介。

  中村主水が別名になるくらい藤田まことの代表作になった。しがない八丁堀同心が、剣豪の仕掛人に変身するところが定番だが飽きないのだ。ちょんまげがあれほど似合う役者も珍しい。しかも、「べらんめい」口調が様になっているのだから、つい視聴者も「八丁堀の旦那」と呼んでしまうくらいだ。

  萬屋錦之介の弟中村嘉津雄が巳代松(みよまつ)を演じ、手作り鉄砲が武器。侍にいっさい敬意がない職人で、八丁堀をリンチに掛けたことがある。

  情報屋の正八(しょうはち)を演じるのは、もう火野正平しかいない。演技とはとても思えないだらしなさが板についている。流血を見たら怯んでしまうくらい臆病なのに、街の女から情報を聞き出すことに掛けては天下一品。私生活でも同じかと勘ぐりたくなる。
 

  必殺はこの人なして始まらぬ。骨はずしが殺しの技である「念仏の鉄」に山崎努。必殺シリーズで最高のキャラクターで最も人気が高い。ピアスを耳にしているのに江戸時代に馴染んでる。胡桃を右手で磨りつぶしながら暗闇に現れる姿に迫力がある。時折みせる冷酷な表情が不快ではなく、むしろ惚れ惚れしてしまうのだから、山崎努はやっぱり一流の俳優である。彼がドラマ中に主水を「八丁堀 !!」とぶっきらぼうに呼ぶ時の、あのふてぶてしさが自然なので、ほんとうに江戸時代へタイムスリップした気がする。肋骨をへし折って殺す前に、腕の血管が浮き出るよう、何とかして必死に腕に血液を貯めたという裏話もある。役者魂をわすれぬ名優である。

  仕掛人の元締役なら山村聡が有名であるが、「寅」役の藤田富美男は存在感があった。セリフは棒読みなのだが、顔にドスが効いていた。肚が据わっていて元締らしく見えた。

  河原崎建が演じた「死神」は寅の用心棒。仕掛人でさえ身震いするような殺しの腕前。鯨を射止める銛(もり)を投げて殺す。樺太のギリヤーク人で、寅に救われ育てられたという。  


壮絶な最期を遂げる仕掛人

  
このドラマで頂点に達するのが最終回『解散無用』である。仕掛人の元締「寅」は懐刀の「死神」を亡くし、引退を決意した。その「寅の会(殺害依頼の落札会合)」に参加していた辰蔵(たつぞう)はその会合を乗っ取ろうと画策する。そこで同席していた鉄を仲間に引き入れようとするが、鉄は辰蔵のやり口が気にくわないので断ってしまう。そこで辰蔵は買収している同心の師岡(もろおか/主水の同僚)に鉄の仲間である謎の仕掛人を炙り出そうとする。まづ巳代松が師岡に捕まって拷問に掛けられる。竹刀で殴られても口を割らない巳代松は頭を挟んで押しつぶす拷問器具か掛けられた。残酷な拷問がつづいたことで巳代松は廃人となる。彼の目が開いているのに、完全に死んでいる。後に正八らに救出される。
  一方、謎の仕掛人を捜す師岡は同僚の主水が仕掛人とは気づかず、彼を始末しようとやってくる主水の誘いに乗ってしまう。主水の誘いを疑問に思ったときの師岡(清水紘治)の表情がすばらしい。まるで蛇のような目つきで主水を見つめる師岡には背筋が寒くなる。主水が刀を抜き刺殺するシーンは年季が入っていて重厚さがあった。
 
 ドラマのクライマックスにして必殺シリーズで最も印象に残るのが、鉄が拷問されながらも最期の力を振り絞って辰蔵(佐藤慶)を殺す場面。辰蔵を殺そうとするが、逆に捕らえられて鍛冶場に連れられる。「まづその右手を使えなくせねばな」といって辰蔵は鉄の右手を炎の中に無理矢理いれさせ、鉄の手は黒こげになってしまう。悶絶した鉄は気を失ってしまった。やがて鉄は気を取りも戻す。黒く焼けただれた右手が画面に映され、鉄の顔が鬼神の如き形相になっている。辰蔵が突き出す小刀を左手で受け止める。刀が刺さった左手をぬき辰蔵の心臓めがけて黒い右手の指を突き刺す。鉄が残っていた最後の力で殺す。しかし、鉄は腹を刺されてしまった。その後、女好きであった鉄は郭へ向かって、女郎を抱き絶命してしまう。女の肌に触れながらの死である。いかにも鉄らしく、孤独な仕掛人の最期であった。

胸を締め付けられるハードなドラマ 

  今の時代では血腥いシーンはショックなので監督がカットしてしまうのだろう。視聴者はどうせ暇を持て余している女子供だから、甘ったるいコーヒーみたいな作品でもよかろう、という訳だ。だが、ドラマはうわべの世間だけではない、陰惨で冷酷な裏の世界を表に引きずり出すから脳裏に焼き付くのではないか。ボケ老人相手の水戸黄門より、悪人の腹をドスでねじって腸を引き出したり、頸動脈を針で突き刺したりするドラマを大人は見たいのだ。銭を貰って暗殺する仕掛人は、平穏な江戸の社会で暮らす町人ではなく、底辺で蠢(うごめ)く下人(げにん)である。人殺しを生業とするクズでだ。そんな人でなしが持つプライドとは何かと言えば、泣き寝入りするしかない下層民に最後の望みを叶えてやることである。見知らぬ男に体を売る夜鷹でも、流れる血は赤いのだ。流した涙に貴賤はない。我々はここに共感するのである。
  銭を貰うのは正義でやっているのではない、という自分への戒めである。自惚れないための足枷だ。奉行所に捕まれば生き地獄の拷問があり、自害することが許されない仕置きが続く。口にはしないが覚悟している。いつ不運が襲うかも分からず、毎回殺しを請け負うのである。視ている者に仕掛人のプロフェッショナリズムが伝わってくる。カミソリの上を裸足で歩くような緊張感を仕掛人は堪えていのだ。チンピラ小僧の素人演技を公で褒める撮影監督は恥を知れ。体たらくのドラマ制作者はよく考えろ。




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