前回に引き続き、錫の資料の掲載場所を紹介していきます。
- 多聞院日記
- 本草綱目(金陵本)
- 日葡辞書
- 人倫訓蒙図彙
- 和漢三才図会
- 西遊記(東西遊記)
- 清風瑣言
- 竹田荘茶説
- 守貞謾稿
- 貞丈雑記
多聞院日記
文明十年(1478年)~ 元和四年(1618年)国立国会図書館デジタルコレクション 多聞院日記
奈良興福寺塔頭多聞院で書き継がれた「多聞院日記」には、最高級酒「諸白」用の容器に「スズ」という語がたびたび登場する。
陶器の瓶子にならって錫でできた容器である。ものと人間の文化史 172 酒より
とありますが内容を読み解くほどの学と気力がなかったので、錫杖を除いた「錫」の出現個所を一覧にして記載しておきます。
ただ、機械的に認識したものをまとめておりますので、抜けている部分も多々あるとは思いますがその点はご容赦ください。
ちなみに錫に諸白の注釈がついているの個所は蓮成院記録(5巻 152/202ページ(282ページ))にあります。
- http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920634
- 228/252ページ(439ページ) 10巻 2/3
- 235/252ページ(452ページ) 10巻 5/5
- 238+239/252ページ(459+460ページ) 11巻 8/1
- 239/252ページ(460ページ) 11巻 8/5
- http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920644
- 11/249ページ(12ページ) 12巻 5/6
- 97/249ページ(185ページ) 16巻 5/16
- 98/249ページ(187ページ) 13巻? 5/24
- 106/249ページ(203ページ) 16巻 8/15
- 113/249ページ(216ページ) 17巻 1/28
- 122/249ページ(235ページ) 17巻 4/22
- 123/249ページ(237ページ) 17巻 5/8
- 125/249ページ(240ページ) 17巻 5/24
- 130/249ページ(250ページ) 17巻 8/1
- 144/249ページ(278ページ) 18巻 1/24
- 144/249ページ(279ページ) 18巻 1/26
- 148/249ページ(287ページ) 18巻 3/29
- 158/249ページ(306ページ) 18巻 11/21
- 158/249ページ(307ページ) 18巻 11/29
- 183/249ページ(357ページ) 20巻 2/26
- 195/249ページ(380ページ) 20巻 9/18
- 200/249ページ(390ページ) 20巻 12/14
- 201/249ページ(393ページ) 20巻 12/29
- 203/249ページ(397ページ) 20巻 1/22
- 208/249ページ(407ページ) 20巻 3/23
- 211/249ページ(412ページ) 21巻 5/19
- 218/249ページ(427ページ) 22巻 9/28
- 232/249ページ(454ページ) 23巻 4/6
- http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920656
- 18/245ページ(17ページ) 24巻 6/18
- 20/245ページ(21ページ) 24巻 7/16
- 21/245ページ(22ページ) 24巻 8/22
- 26/245ページ(33ページ) 24巻 11/1
- 60/245ページ(101ページ) 25巻 3/28
- 104/245ページ(189ページ) 27巻 12/8
- 105/245ページ(190ページ) 27巻 12/14
- 105/245ページ(191ページ) 27巻 12/20
- 120/245ページ(220ページ) 28巻 5/3
- 121/245ページ(223ページ) 28巻 5/27?
- 122/245ページ(224ページ) 28巻 5/28
- 143/245ページ(267ページ) 29巻 2/1
- 144/245ページ(268ページ) 29巻 2/8
- 146/245ページ(273ページ) 29巻 3/10
- 147/245ページ(275ページ) 29巻 3/25
- 158/245ページ(296ページ) 29巻 7/9
- 165/245ページ(310ページ) 29巻 10/13
- 175/245ページ(330ページ) 30巻 2/10
- 177/245ページ(334ページ) 30巻 3/3
- 182/245ページ(344ページ) 30巻 5/5
- 183/245ページ(347ページ) 30巻 5/15
- 202/245ページ(384ページ) 30巻 11/21
- 223/245ページ(426ページ) 31巻 6/17
- http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920664
- 12/249ページ(13ページ) 32巻 3/15
- 17/249ページ(22ページ) 32巻 5/10
- 65/249ページ(119ページ) 34巻 5/26
- 67/249ページ(122ページ) 34巻 5/15
- 98/249ページ(185ページ) 35巻 6/24
- 103/249ページ(194ページ) 35巻 9/2
- 121/249ページ(230ページ) 36巻 4/13
- 148/249ページ(284ページ) 37巻 1/28
- 168/249ページ(324ページ) 37巻 12/13
- 180/249ページ(348ページ) 38巻 5/11
- 185/249ページ(358ページ) 38巻 7/15
- 190/249ページ(369ページ) 38巻 9/20
- 202/249ページ(393ページ) 39巻 4/9
- 206/249ページ(401ページ) 39巻 6/6
- 219/249ページ(426ページ) 39巻 11/17
- 221/249ページ(430ページ) 39巻 12/8
- 229/249ページ(446ページ) 40巻 3/23
- 238/249ページ(465ページ) 40巻 10/7
- 239/249ページ(466ページ) 40巻 10/12
- 239/249ページ(467ページ) 40巻 10/23
- 240/249ページ(469ページ) 40巻 11/11
- 243/249ページ(475ページ) 40巻 12/10
- http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207496
- 12/202ページ(3ページ) 41巻 1/24
- 14/202ページ(6ページ) 41巻 2/18
- 19/202ページ(17ページ) 41巻 10/23
- 21/202ページ(21ページ) 41巻 11/26
- 44/202ページ(66+67ページ) 44巻 1/16
- 49/202ページ(76ページ) 45巻 2/11
- 69/202ページ(116ページ) 45巻 11/22
- 150/202ページ(278ページ) 5/24
- 150/202ページ(279ページ) 6/1
- 152/202ページ(282ページ) 6/?
- 163/202ページ(304ページ) 1/16
- 173/202ページ(325ページ) 1/16
本草綱目(金陵本)
明 万暦23年(1596年) 李時珍国立国会図書館デジタルコレクション 本草綱目. 第7冊(第8-9巻)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287088?tocOpened=1
第7冊 22/92ページ
中国、明の時代の医師であり本草学者でもある李時珍が、多くの書物や実物を収集、研究した成果として1578年に完成させた本草学の集大成とも言える書物でして、その革新的な内容は周辺諸国のみならずラテン語にも翻訳されヨーロッパの博物学にも多くの影響を与えたという大変な品となります。
ただしこの書物、革新的であるがゆえにそれまでの常識に喧嘩をうったらしく、出版するまでに18年の歳月がかかってしまっている、と約40年後のガリレオ・ガリレイの例と同じく後ろ盾をもたずに権威を否定すると面倒なことになる。という人の世の常を感じることの出来る品でもあります。
肝心の内容なのですが、「発明」の項に
「古代中国では井戸に錫を沈め水を浄化していた」
という錫業界のうたい文句の一つがここに記述されている、と思われるのですがわたくし、漢文を読むことが出来ませんので翻訳された「頭註国訳本草綱目(1929年 春陽堂)」を確認しましたところ
「時珍曰く、洪邁の夷堅志に(略)『金(陜西省安康縣の治)房(湖北省襄陽道房縣の地)地方の人家では錫で井桁を造り、皆錫錢を夾んでこれを鎭め、或は錫を井中に沈め、それでこの病を免れる』」
頭註国訳本草綱目 第3冊 203 ~ 205ページ
とありまして、目に見えないほどの細虫によって引き起こされる疫病を免れるために井戸に錫を使っているとしています。
ただ「集解」の項に土宿本草の記述として
「今世人は酒を新しい錫器の中に入れ、そのまま久しい間浸漬して置いたものを人を殺す毒とする。それは砒から錫に化成して間もないうちに採取したものはその中にまだ毒が含まれているからのことだ」とありますが、この文の前提として「砒(ヒ素)が200年たつと錫に変化し、さらに200年たつと銀になる」という常識(知識)に則っておりますし、また最近の科学知識に基づく知見としても金属錫を有毒であるとする記述は見当たりませんでしたので、おそらくは500年前の精錬技術の限界か合金成分としてヒ素を加えた結果として、このような知見が生まれたものと思われます。
この本、革新的な書物であり先進国である中華の大書として日本版も多数作られておりますが
本草綱目52卷圖1卷附結髮居別集4卷本草圖4卷
正徳4年 (1714) 〈新校正〉本 稲生若水校 41冊のうち題箋「八」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556533?tocOpened=1
日本版 7巻 31/68ページ
こちらも漢文ですので参考までに。
日葡辞書(Vocabulario da Lingoa de Iapam com Adeclaração em Portugues)
1603 ~ 1604年日仏辞書 (Dictionnaires Japonais Français,)
レオン・パジェス 1869年
国立国会図書館デジタルコレクション Dictionnaire Japonais-Français
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1871589
日本へ来たイエズス会の宣教師が布教のために編纂した、日本語をポルトガル語で解説した辞典になりまして、外国人がまとめているがゆえに当人達が「当たり前のこと」として省略してしまいがちなこともいろいろと載っている興味深い一冊となります。
そしてその本をフランス語に翻訳したものが上記の本なのですが、なにぶん全文フランス語で書かれておりますので私には読めたものではない。ということで原本である日葡辞書を翻訳した「邦訳 日葡辞書(1980年 岩波書店)」を確認しましたところ
Suzu
錫、また酒を入れるのに使う錫製の徳利、あるいは筒形の瓶。
※原文ではEstanho, ou calaim. calaimはインド産の錫で、欧州産のよりも純良なもの。邦訳 日葡辞書 1980年 岩波書店 593ページ
とありまして、この当時の錫製品は基本的に徳利のような酒を入れる容器であったことがうかがえます。
またSuzuの次にSuzubachi(錫鉢)の項目もあり、徳利ほどの歴史はないものの錫製の鉢も作られていたようです。
人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)
元禄3年(1690年)7月 刊 蒔絵師源三郎[他]国立国会図書館デジタルコレクション [人倫訓蒙図彙] 7巻. [6]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592444
7巻(6)15/30ページに錫師が描かれる
この本は大臣、五摂家から乞食まで幅広い職業を解説と挿絵で紹介しておりまして、そのなかの職人を集めた6冊目に「錫師」の項目があります。
しかし文字の崩しが強く読めませんでしたので、「人倫訓蒙図彙 東洋文庫519 1990年 平凡社」を確認しましたところ
「錫鉛を以て徳利、鉢、茶壷等を造る、新町通二条の北、五条通所々ニ住す。茶壷には悪し。茶にとたんの香ひうつりて悪し。」とのことです。
錫鉛とありますが、この時代の錫製品は錫-鉛合金を使っているはずですし現代とは違い合金はすべて自分で作ることが当然であったとも聞いておりますので、おそらくは鉛製の徳利や茶壷を作っていたのではなく鉛を多く混ぜた錫合金をつかい各商品を作っていることを指しているのではなかろうかと。
また徳利と鉢に加え「茶壷」も作っていることが書かれておりますが、錫製の茶壷を珍重する煎茶道の開祖といわれる隠元 隆琦(いんげん りゅうき)が日本に渡来したのが承応3年(1654年)ですので、その間に日本でも作られるようになったものと思われます。
そして茶壷にかんしてですが、「とたんの」とは書いておりますが時代的に鉄に亜鉛めっきをした「トタン」ではないと思うので、すぐに茶葉に錫(+鉛)の香りが移るということでしょう。
これに関しましては、味覚の差か品質の差か、それとも一杯にかける情熱の差かはわかりかねますが個人的には味の変化が気になったことはありませんので、体感された方がおられましたらどのようなものか連絡のほどお願いいたします。
和漢三才図会
1712年刊 寺島良安和漢三才図会. 上之巻
明治17-21 中近堂
国立国会図書館デジタルコレクション 和漢三才図会. 上之巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898160
636/718 ページ
大坂の医師、寺島良安が刊行した百科事典で挿絵と共にさまざまなものを紹介したものを明治時代に復刊した書物になります。
その中の罃(とくり)の項目に
「錫罃子(スズノトクリ)甚華美也、本網云、置酒於新錫器、浸漬日久、或有毒、蓋錫含砒霜石気也、舊年者不害」とありまして、錫の徳利の美しさと本綱(本草綱目)の文として新しい錫器に酒を入れておくと毒になること、三酸化二ヒ素の毒を防ぐことを書いているようですが、学がないもので現代文への翻訳は致しかねます。読み、句読点は「大阪の伝統工芸-茶湯釜と大阪浪華錫器-」より
また、567/718 ページに車鋋の項目もありまして
木椀・錫盤(すずの皿)・碁笥のようなものは、これを用いて造る。とロクロによって錫製の皿が作られていたことが記されているのですが、ほかの資料からより一般的であったと思われる徳利や瓶子ではなく皿のみが記されているのが気になる所でございます。木工諸職双書 木工挽物 理工学社
西遊記(東西遊記)
天明2~6年(1782-1786)刊 橘南谿早稲田大学図書館 西遊記. [正],続編 / 南谿子 著
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ru03/ru03_03984/index.html
6冊目「西遊記續編」 1之巻 10 ~ 11/19ページ
京都の儒医である橘南谿が日本各地を巡遊し、土地々々での奇事異聞を編纂したものを「西遊記」「西遊記続編」「東遊記」「東遊記続編」の4編にまとめ、その4編をまとめて「東西遊記」と呼ばれております。
その中の「西遊記続編」の「古朴」の項に薩摩(鹿児島)での錫の徳利について書かれているようなのですが私には崩しが強く読めませんので、活字で記された
標註東西遊記. 上
明治28,35刊
国立国会図書館デジタルコレクション 標註東西遊記. 上
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762316
82/151ページ
を参照しましたところ
「薩摩などは格別の遠国故にや、城下にも猶古風残れり。器物も酒の銚子といふものなし。皆錫の徳利なり。」
とありまして、かつてのほかの地方、そして当時の鹿児島では酒を飲むために錫製の徳利が使われたことがうかがえます。
ただ文章は文化の中心地から離れるほど昔の風習が残っているということを伝えておりますが、錫の徳利を使っている理由としては藩内には薩摩焼などはあるものの六古窯ほどに古く、規模の大きい焼き物の産地を持っていないこと、錫の産地である錫山鉱山を所有していたことも大きいものと思われます。
また文脈からは(刊行時は45歳の)著者が「古風」な事として錫製の徳利でお酒を飲むことを述べておりますので、そのあたりの時期に陶磁器製の徳利が普及しているようです。
清風瑣言(せいふうさげん)
寛政6年(1794年) 上田秋成早稲田大学図書館 清風瑣言. 上,下 / 無腸翁 著
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo09/wo09_04053/index.html
下 14 ~ 16/30ページ
江戸時代後期の読本作家にして国文学者の上田秋成が刊行した本で、中国の書物を引用しながらお茶の歴史や煎茶の入れ方、作り方、飲み方などについて書いております。
その中の「収貯」の項に
「茶を貯うる葉、錫の壺に勝る者なし。瓦壺は次也。いずれも古製にあらざれば、効用少なし。一度他の物を収れし器は用うべからず。香薬の器殊に忌むべし」と書いてあるそうですが、文字の崩しが強くて全体の把握ができませんでしたので近代に編纂された
大日本思想全集. 第9巻
昭和8年(1933年) 大日本思想全集刊行会
国立国会図書館デジタルコレクション 大日本思想全集. 第9巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1035337
236/242ページ
を確認しましたところそのように記されているようです。
あわせて「茶略」からの引用として「焼物の容器に入れた茶葉は年がたてば湿気るが、錫の容器に入れた茶葉は10年たっても大丈夫だ」という節のことも記されており、錫の茶壷の高い機能性を記しております。
また234ページの選器の項で茶瓶の選び方について述べている部分でも錫の茶瓶(急須)について記されておりますが、黄金、銀とならんで錫の急須は高貴な人がつかっていたふしのことを記しつつも「急須は焼物に限る」ということも述べられており、少なくとも文人趣味の煎茶道では金属製の急須は受けが悪いようです。
ただ、と申しますか
「銅、鉄、真鍮の茶瓶は金気が強く、茶の敵であるが錫は淡いため害はない」とも記されておりますのでそこはお好みで選んでいただければと。
竹田荘茶説
文政2年(1819年) 田能村 竹田田能村竹田全集
大正5年 国書刊行会
国立国会図書館デジタルコレクション 田能村竹田全集
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945828
174/280ページ
江戸時代後期の文人画家である田能村 竹田(たのむら ちくでん)が「泡茶新書三種」として「石山斎茶具図譜」「竹田荘茶説」「竹田荘泡茶訣」の三冊を刊行した中の一冊。
それを含む著書を近代に編纂した「田能村竹田全集」、そして収録されている「竹田荘茶説」の蔵茶の項に
「茶を蔵するには、高麗・三島・熊川(こもがい)、あるいは古備前・古薩摩抔とて、人の珍賞する壺は有れ度も、其実の功は、遂に錫の壺に及ぶことなし。錫の壺大小二つを購ひ求めて、大なるには、年中用ゆる所の茶を貯へ、小なるには、日用の茶を貯ふべし」
とあり、錫の茶壷が最も実用的であることが記されております。
冷蔵庫もなければ真空パックもなく、またダメになったからといってそうそう買いなおすこともできない時代ですので、お茶の酸化を防ぐ、湿気を防ぐということが非常に重要であったことをうかがうことができます。
また174 ~ 175ページの備器の項には
「明清人(唐人)は錫の器をよくつかう。これは瓦の器(焼物)が傷みやすく、名人の器を傷めるのは忍びないからである」
という節のことが記されておりますが、その時代には「急須は紫泥、朱泥のものが最も良い」とされていたはずですのでこのような表記がされているのではなかろうかと。
ただ、と申しますか
急須の材質による緑茶成分の変化
http://www.mac.or.jp/mail/100401/02.shtml
このように急須によってお茶の味が変わることは確かなようですので、自分好みの味を求めて、またその日の気分に合わせて錫の急須を選んでみてもよろしいのではないでしょうか。
守貞謾稿
天保8年(1837年)~ 喜田川守貞国立国会図書館デジタルコレクション 守貞謾稿. 後集巻1
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592417?tocOpened=1
後集巻1 16/50ページ
江戸時代後期の商人であるである喜田川守貞が約30年ほどかけて書きつづった書物で、京坂(大阪)と江戸との違いに重点を当てながら当時の諸風俗について記されております。
そのなかの酒の容器について書かれている一角に瓶子の図が描かれておりまして、その説明文として
「古ハ瓶子ニ酒ヲ入レ土器ニテ飲ミシ、瓶子錫製也」と記されており、この時分では大坂、江戸、どちらでも錫製の瓶子をつかってお酒を飲むことは一般的ではなくなっていたようです。
なお原本は崩し字、漢文ではないものの正式に発行されたものではないこともあり少々読みにくいので
類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿
昭和9年(1934年)刊 更生閣書店
国立国会図書館デジタルコレクション 類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444386
540/645ページ
読まれる場合はこちらも参考に。
また左手に書かれた文からは
「江戸においては正式な場での最初のお酒だけ銚子を使い、その後は燗徳利でお酒を飲む」
などのことが記され、お酒の飲み方が「東西遊記」の時代からさらに変化していることをうかがうことが出来ます。
貞丈雑記
1843年刊 伊勢貞丈貞丈雑記
弘化3年(1846年)刊 文渓堂
早稲田大学図書館 貞丈雑記. 巻之1-16 / 伊勢貞丈 著
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wa03/wa03_06592/index.html
14(7之下)巻 5/21ページ右端近くに「今徳利と云物を、古は錫といひけるなり、むかしはやき物の徳利なし。皆錫にて作りたる故にすゞと云ひしなり。」
江戸時代中期の旗本にして伊勢流有職故実研究家、伊勢貞丈が1763 ~ 84年の22年間をかけて書き綴った草稿を有職家の岡田光大がまとめて1843年に刊行した書物の1846年版になります。
1603 ~ 1604年に刊行された日葡辞書、1782 ~ 1786の東西遊記と合わせて「すず」という言葉の意味の移り変わりを見ることができる一文です。
しかし、「邦訳 日葡辞書」で徳利の項を確認しましたところ、陶土製の容器であることが書かれており、また室町時代や桃山時代にも鶴首徳利などは作られていたようですので、そのあたりは庶民と上流階級との差ではなかろうかと。
また、比較的ましとはいえ崩し字で書かれており少々読みにくいので
故実叢書. 貞丈雑記(伊勢貞丈)
明32-39 今泉定介 編
国立国会図書館デジタルコレクション 故実叢書. 貞丈雑記(伊勢貞丈)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771947
34/68ページ(全体277ページ)
の右端に現代かなで書かれておりますのでこちらも参考に。
-N
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