2016年09月27日
潮出版社『池田大作の軌跡�』からの抜き書き(1)
なんでしょうね、「大阪の戦い」のことが書かれているのを読むと、体温が3度くらい上がったような熱が自分の中で滾ってくるんです。
感動がある、感激がある、そして憤怒がある。付箋を貼りだしたら、止まらなくなり、貼った部分を語りだしたらブレーキの壊れたクルマになる。そんな感じになるんですね。
第3章まで読んで、一か所に絞るとしたらどこよ? と思案したら、すぐにその部分が浮かんできた。
けどその部分には付箋を貼り忘れていて(読むのに集中してると、付箋とかどうでもよくなるんです)、今日は何度もページをめくって探しました。
(大阪事件の不当逮捕に抗議する大阪大会で登壇する池田室長への)
戸田会長の助言には、絶妙のバランス感覚があった。
民衆の敵とは徹底的に戦うが、民衆から犠牲は出さない――これが将の中の将である戸田会長の采配だった。
池田会長は今も「これが師匠だよ。これが本当の指導者だ。権力との戦いを甘く考えては絶対にならない」と回想する。
わたしごときがあれこれいうべきところではないが、権力者には負けないんだ! と意気盛んになって傲慢になり、隙につけ入られたりしては意味がない。“民衆から犠牲は出さない”それが本当の勝利なのだという大慈大悲、これが日蓮仏法の真髄なのだと思うのだ。
今、われわれは沖縄の民衆を犠牲にしているのではないのか? 南スーダンに送られる自衛隊員は民衆の側にある人びとではないのか? スマホに使われているレアメタル。それを奪いあい殺しあうような紛争で、民衆を犠牲にしているのではないのか?
組織を維持するために、その権威を高めるために、会員を駒のように見て、はいこれやって、その次はこれで、その次はこれやってねとこき使う執行部も同じですよね。なんで会員を犠牲にすんのよ? おかしいだろ?
力あらば一文一句なりとも語らせ給うべし(諸法実相抄)
この「力あらば」というのは、“随力弘通”のことですよね。つまり自律能動。主体性ですよね。
そのあたりをよくよく考えてほしいものである。
さて、公明党は与党の側ですよね。
であるなら、この気持ち悪い行為にしぶしぶながらでも承認を与えてるってことでしょ?
どこが大衆の云々なんですかね?
よーく考えてみたらどうでしょうか。
社会のなかで汗みずくになって働き、社会の――例えば交通とか衣食住や家庭の――安全を守っているのは、なにも自衛官だけじゃありませんし、海保の人たちだけじゃありませんぜ。彼らを支えるために陰で奮闘している人たちだっている。
だが、自公与党は、ある一部の人たちだけが偉いみたいなことをいってるわけです。
民衆を見下すとは、こういうことでしょ? 違うんですか? 一般市民は馬鹿にされてるんですよ。お前らは大して役にたってねーんだって。怒らないの? あらまあ、お優しいこと。
わたしはそこまで優しくなれませんけどね。
別の見方をすれば、有事の際、まっさきに犠牲になってもらう民衆は彼らだからねェということ。だから見え透いたおべっか使ってるだけでしょ。結局、やってることいってることは民衆を犠牲にすることだもんね。
こんなの権力者の欺瞞ですわ。
感動がある、感激がある、そして憤怒がある。付箋を貼りだしたら、止まらなくなり、貼った部分を語りだしたらブレーキの壊れたクルマになる。そんな感じになるんですね。
第3章まで読んで、一か所に絞るとしたらどこよ? と思案したら、すぐにその部分が浮かんできた。
けどその部分には付箋を貼り忘れていて(読むのに集中してると、付箋とかどうでもよくなるんです)、今日は何度もページをめくって探しました。
(大阪事件の不当逮捕に抗議する大阪大会で登壇する池田室長への)
戸田会長の助言には、絶妙のバランス感覚があった。
民衆の敵とは徹底的に戦うが、民衆から犠牲は出さない――これが将の中の将である戸田会長の采配だった。
池田会長は今も「これが師匠だよ。これが本当の指導者だ。権力との戦いを甘く考えては絶対にならない」と回想する。
わたしごときがあれこれいうべきところではないが、権力者には負けないんだ! と意気盛んになって傲慢になり、隙につけ入られたりしては意味がない。“民衆から犠牲は出さない”それが本当の勝利なのだという大慈大悲、これが日蓮仏法の真髄なのだと思うのだ。
今、われわれは沖縄の民衆を犠牲にしているのではないのか? 南スーダンに送られる自衛隊員は民衆の側にある人びとではないのか? スマホに使われているレアメタル。それを奪いあい殺しあうような紛争で、民衆を犠牲にしているのではないのか?
組織を維持するために、その権威を高めるために、会員を駒のように見て、はいこれやって、その次はこれで、その次はこれやってねとこき使う執行部も同じですよね。なんで会員を犠牲にすんのよ? おかしいだろ?
力あらば一文一句なりとも語らせ給うべし(諸法実相抄)
この「力あらば」というのは、“随力弘通”のことですよね。つまり自律能動。主体性ですよね。
そのあたりをよくよく考えてほしいものである。
さて、公明党は与党の側ですよね。
であるなら、この気持ち悪い行為にしぶしぶながらでも承認を与えてるってことでしょ?
どこが大衆の云々なんですかね?
よーく考えてみたらどうでしょうか。
社会のなかで汗みずくになって働き、社会の――例えば交通とか衣食住や家庭の――安全を守っているのは、なにも自衛官だけじゃありませんし、海保の人たちだけじゃありませんぜ。彼らを支えるために陰で奮闘している人たちだっている。
だが、自公与党は、ある一部の人たちだけが偉いみたいなことをいってるわけです。
民衆を見下すとは、こういうことでしょ? 違うんですか? 一般市民は馬鹿にされてるんですよ。お前らは大して役にたってねーんだって。怒らないの? あらまあ、お優しいこと。
わたしはそこまで優しくなれませんけどね。
別の見方をすれば、有事の際、まっさきに犠牲になってもらう民衆は彼らだからねェということ。だから見え透いたおべっか使ってるだけでしょ。結局、やってることいってることは民衆を犠牲にすることだもんね。
こんなの権力者の欺瞞ですわ。
コメント一覧
1. Posted by 宮部生蔵 2016年10月01日 12:50
>民衆の敵とは徹底的に戦うが、民衆から犠牲は出さない――これが将の中の将である戸田会長の采配だった。
【一将功成りて万骨枯る】
( ※一人の将軍 の輝かしい功名の陰には、戦場に命を捨てた多くの兵士がある。成功者・指導者ばかり が功名を得るのを嘆く言葉。)
この言葉を思いました。
役職の大小にかかわらず、掛け声と「伝達」だけの幹部も少なくない事でしょう。
思えば、「皆が会長」(池田先生の指導)なのですから、
そういう幹部がいたとしても乗り越えて、
自分がしっかりと、自信を持って自分を語れる身でありたいものです。
それはそうと、
南スーダンの件は、僕は撤退すべき事案だと強く思います。あまりに酷い状況です。
「だから放置できない」という“前向きな意見”(愚)もありますが、それでもここは日本が手出しする案件ではありません。
それこそ、「将」としての判断が問われます。
「義がある」といい、負け戦につぎ込む愚かな武将と同じ。これはドラマや小説ではありません。
日本が手出しできる案件ではありません。
強くそう思います。
【一将功成りて万骨枯る】
( ※一人の将軍 の輝かしい功名の陰には、戦場に命を捨てた多くの兵士がある。成功者・指導者ばかり が功名を得るのを嘆く言葉。)
この言葉を思いました。
役職の大小にかかわらず、掛け声と「伝達」だけの幹部も少なくない事でしょう。
思えば、「皆が会長」(池田先生の指導)なのですから、
そういう幹部がいたとしても乗り越えて、
自分がしっかりと、自信を持って自分を語れる身でありたいものです。
それはそうと、
南スーダンの件は、僕は撤退すべき事案だと強く思います。あまりに酷い状況です。
「だから放置できない」という“前向きな意見”(愚)もありますが、それでもここは日本が手出しする案件ではありません。
それこそ、「将」としての判断が問われます。
「義がある」といい、負け戦につぎ込む愚かな武将と同じ。これはドラマや小説ではありません。
日本が手出しできる案件ではありません。
強くそう思います。
2. Posted by イプシロン 2016年10月01日 17:16
生蔵さん、こちらでも、こんばんは。
『池田大作の軌跡』を読んで、強く感じたのは、先生は表面的に大変な事態になっているときこそ、裏の見えないところでも人一倍努力され、ときには最低最悪の体調であっても一歩も引かれなかったのだ、と。
こんなこと何度も学んできたはずなのに、しばらく学びをサボるとすぐに忘れる。あかん、あかんよ、自分! とか思いながら読んでいました。
南スーダンの件。
すでにご承知かと思いますが、私はいかなる理油があっても武力による解決は無しだ! というスーパー左翼星人なので、無論、生蔵さんの意見に同意です。
ただ、こうした問題は、現実的には言うだけ言って何も出来ないことも多いので、何がしかの情報提供とかができないと語れないなァと思ってこれまで記事を書いてきました。
観念論では意味がないと思うゆえです。
議題が違うように見えるのでしょうが、アフガンに関して、相当頭にきたので、実は記事にしようかなと思ったことがあったのです。
こちら↓を見てみて頂けたらと思います。
http://seiwanishida.com/archives/2318
『池田大作の軌跡』を読んで、強く感じたのは、先生は表面的に大変な事態になっているときこそ、裏の見えないところでも人一倍努力され、ときには最低最悪の体調であっても一歩も引かれなかったのだ、と。
こんなこと何度も学んできたはずなのに、しばらく学びをサボるとすぐに忘れる。あかん、あかんよ、自分! とか思いながら読んでいました。
南スーダンの件。
すでにご承知かと思いますが、私はいかなる理油があっても武力による解決は無しだ! というスーパー左翼星人なので、無論、生蔵さんの意見に同意です。
ただ、こうした問題は、現実的には言うだけ言って何も出来ないことも多いので、何がしかの情報提供とかができないと語れないなァと思ってこれまで記事を書いてきました。
観念論では意味がないと思うゆえです。
議題が違うように見えるのでしょうが、アフガンに関して、相当頭にきたので、実は記事にしようかなと思ったことがあったのです。
こちら↓を見てみて頂けたらと思います。
http://seiwanishida.com/archives/2318
3. Posted by イプシロン 2016年10月01日 17:17
日本は米国のアフガンへの報復にまっさきに賛意の手をあげた国です。そして、アフガンの治安を最低最悪にしておきつつ、そうした治安の回復には手を貸さない。そして最後はこれです。とりあえず、日本人になにかあると、世論がうるさいからさァという自己中心的な措置といっていいでしょう。
しかしその反面、南スーダンからの撤退は意地でもしそうにない政府の方針。ここに透けて見えるのは、権力者が武力をもって威信を保とうとしている姿ではないのかと。だとしても、有事になって傷をおうのは、どの場合でも庶民であるという構図に変わりはないのではないか? と。
アフガンの場合、日本政府は移動の自由を奪っていますからね。
勿論、ここまで述べてきたことは、個人的見解や意見ですので、様々な意見があって当然なのですが、多くの人に、まずは現実を知って欲しいと思うのです。一考の助にでもなればと思い、書いてみました。
ありがとうございます。
しかしその反面、南スーダンからの撤退は意地でもしそうにない政府の方針。ここに透けて見えるのは、権力者が武力をもって威信を保とうとしている姿ではないのかと。だとしても、有事になって傷をおうのは、どの場合でも庶民であるという構図に変わりはないのではないか? と。
アフガンの場合、日本政府は移動の自由を奪っていますからね。
勿論、ここまで述べてきたことは、個人的見解や意見ですので、様々な意見があって当然なのですが、多くの人に、まずは現実を知って欲しいと思うのです。一考の助にでもなればと思い、書いてみました。
ありがとうございます。