2016年09月28日
潮出版社『池田大作の軌跡�』からの抜き書き(1)
「私の指導は、本質を突いている――」(中略)
「反逆するか、成長するか。厳しく言えば、そのどっちかだ」
(文士・原田種夫は)
創作の源を会長に聞いたことがある。
「格闘です。人の評価を気にしては書けません。将来のために残しておきたい。一千万人のなかで、一人でも分かってくれればいい。信仰の真髄が分かればいい。使命感以外の何ものでもありません」
会長は、傍観者を嫌う。具体的に、どうするのか? 誰が、いつ、何をするのか? その責任の所在は?(中略)
いかなる課題も、自分の問題になって初めて必死になる。
(会長のソ連訪問を知り、駆けつけた学会員一婦人が「折伏します!」と熱意を語ったとき)
「ソ連で絶対に折伏しちゃだめだ。学会員と口にしてもいけない。今日から私の弟子ではないと言いなさい」
(通訳だったストリジャクが言った)
「先生、そこまで言わなくても、いいじゃありませんか、ソ連だって、信教の自由はあるんです」
「いや、いいんだ。この人の人生のために、言っておかなければいけない」
布教より一人の幸福。殉教者や犠牲者は一人たりとも出さない。衝撃だった。
財界人は「この世界で一番尊く偉いのは誰ですか」と聞いてきた。釈尊などの名前を挙げると思っていたようだが、返答は予期せぬものだった。
「一番尊くて、一番偉いのは、庶民のお母さんです。(中略)雨の日も風の日も、雪が降っても、嵐になっても、太陽のように変わることなく、天空で輝いている。お母さんが一番偉い」
(中部ガス会長、神野信夫の回想)
(池田会長は)「ゲーテのように力強い。イデオロギーではなく、世界の人が共鳴できる言葉。厳しい現実と戦いながら、優しい詩人の心があるなあ」
ともあれ、ときには非常に厳しい指導をされているのだが、その根底にはその人を思うからこそ、あえて厳しいことを言われてきたという部分を様々なところで感じました。その理由を端的にいえば、
「僕が言わなければ誰もいわないから」ということだった。
2冊一気に読んだので、付箋をしている暇がなく、あとから湧きあがってくる言葉もあった。
「僕は生命力の弱い人は嫌いだよ」
とか。
病気であることに拘っている会員には、
「病気が治るなおらないが問題ではない、この信心をしていていれば、人に見下されなくなるんだよ(趣旨)」
といったことを気づかせんとしてかけた言葉などにも感動した。
とにかく、先生は「人を見下す傲慢さは微塵も許さない」ということだけは、寝ても忘れないようにしたいと思った。もちろんそれは、観念だけでなく、出来ることがあるのに見てみぬふりをする「行動」の部分にも及んでいるということも。
きっとまた折に触れて思い出すのだろう。
例えば、内部悪に関しては、福島源次郎(心酔したあと反逆するという、自分の身勝手をすべて他人のせいにする境涯)とどこか似ていないか? とか、メディア人であれば藤原弘達(直接取材して会う努力もしないでデマ評論を書きまくり、学会側からの資料の提出や見学の誘いを拒否してさらにデマ評論を書きまくった自己中妄想家)のようなことをしていないか? など、悪を見抜くための材料もしかと学べたことも収穫だった。
「反逆するか、成長するか。厳しく言えば、そのどっちかだ」
(文士・原田種夫は)
創作の源を会長に聞いたことがある。
「格闘です。人の評価を気にしては書けません。将来のために残しておきたい。一千万人のなかで、一人でも分かってくれればいい。信仰の真髄が分かればいい。使命感以外の何ものでもありません」
会長は、傍観者を嫌う。具体的に、どうするのか? 誰が、いつ、何をするのか? その責任の所在は?(中略)
いかなる課題も、自分の問題になって初めて必死になる。
(会長のソ連訪問を知り、駆けつけた学会員一婦人が「折伏します!」と熱意を語ったとき)
「ソ連で絶対に折伏しちゃだめだ。学会員と口にしてもいけない。今日から私の弟子ではないと言いなさい」
(通訳だったストリジャクが言った)
「先生、そこまで言わなくても、いいじゃありませんか、ソ連だって、信教の自由はあるんです」
「いや、いいんだ。この人の人生のために、言っておかなければいけない」
布教より一人の幸福。殉教者や犠牲者は一人たりとも出さない。衝撃だった。
財界人は「この世界で一番尊く偉いのは誰ですか」と聞いてきた。釈尊などの名前を挙げると思っていたようだが、返答は予期せぬものだった。
「一番尊くて、一番偉いのは、庶民のお母さんです。(中略)雨の日も風の日も、雪が降っても、嵐になっても、太陽のように変わることなく、天空で輝いている。お母さんが一番偉い」
(中部ガス会長、神野信夫の回想)
(池田会長は)「ゲーテのように力強い。イデオロギーではなく、世界の人が共鳴できる言葉。厳しい現実と戦いながら、優しい詩人の心があるなあ」
ともあれ、ときには非常に厳しい指導をされているのだが、その根底にはその人を思うからこそ、あえて厳しいことを言われてきたという部分を様々なところで感じました。その理由を端的にいえば、
「僕が言わなければ誰もいわないから」ということだった。
2冊一気に読んだので、付箋をしている暇がなく、あとから湧きあがってくる言葉もあった。
「僕は生命力の弱い人は嫌いだよ」
とか。
病気であることに拘っている会員には、
「病気が治るなおらないが問題ではない、この信心をしていていれば、人に見下されなくなるんだよ(趣旨)」
といったことを気づかせんとしてかけた言葉などにも感動した。
とにかく、先生は「人を見下す傲慢さは微塵も許さない」ということだけは、寝ても忘れないようにしたいと思った。もちろんそれは、観念だけでなく、出来ることがあるのに見てみぬふりをする「行動」の部分にも及んでいるということも。
きっとまた折に触れて思い出すのだろう。
例えば、内部悪に関しては、福島源次郎(心酔したあと反逆するという、自分の身勝手をすべて他人のせいにする境涯)とどこか似ていないか? とか、メディア人であれば藤原弘達(直接取材して会う努力もしないでデマ評論を書きまくり、学会側からの資料の提出や見学の誘いを拒否してさらにデマ評論を書きまくった自己中妄想家)のようなことをしていないか? など、悪を見抜くための材料もしかと学べたことも収穫だった。