登場人物一覧はこちら

3月25日(日)

 おさい先生は独学でスペイン語がペラペラになっていて、何度かメキシコにも行っている。去年も国際社会学会の家族社会学セッションがちょうどメキシコシティで開催されていたので、現地に行ってスペイン語で報告したのだが、外国人で報告するひとは全員英語だったらしい。まあそりゃそうだわな。
 ところで、そのおさい先生からしょっちゅう「岸はメキシコでもやっていけるわ」と言われるのだが、この「やっていける」という意味がわからない。
 そういえば昔私がちょっとだけポルトガル語を習ったブラジル人の先生からも、「岸さんはブラジルでもやっていける」と言われたことがある。
 「やっていける」ってどういう意味だろう。
 数日前だが、友人、というか卒業生の結婚式。卒業していくゼミ生のうち、必ず毎年何人かは普通の友だちみたいになって、しょっちゅう飲みにいく。彼もそういうひとり。そして結婚した相手も私の友人で、友人というより自分の子どもみたいなやつで、だから自分の子どもと自分の子どもが、おひなさまみたいに、おままごとみたいにきれいな衣装を着てふたりで並んで座ってるのがおかしくて、おめでたくて、ずっと泣いていた。よく笑った。
 あまりにも二人とも私と近い存在なので、ほんとうに何をしゃべってよいかわからず、結局まったくアドリブでスピーチをした。スピーチの最中で泣きそうになるのをこらえるのが大変だった。ふたりともほんとうにやさしい、傷つきやすい、いいやつらで、だから世界に、これからこの若いふたりをよろしく、とお願いしたい。どうかこのふたりにやさしくしてやってください。
 披露宴には14カ国出身のお客さんが来てたらしい。
 そのあとは3、4日、風邪で寝てたかな。よりみちパンセの原稿を書くためにほったらかしにしていたいくつかの仕事にとりかかるけど、どうもスイッチが入らない。
 いま目の前でおはぎがいつもの「寝る前ごはん」を、めちゃめちゃ旨そうにチャムチャムと音を立てて食べているので、こっちまで腹が減ってきた。食パンを1枚食べようかどうしようか、悩む。

3月26日(月)

 確率が支配するところでデマと迷信が生まれる。それは何も教えてくれないからだ。私たちは確率とともに生きられるほど強くない。
 昼間はいつもいくコワーキングスペースで3時間ほど集中して、やたらと山積みになってた仕事を片付けた。そのかわり夜はおはぎと一緒にぐだぐだしていた。
 おさい先生は風邪でまったく声が出ないまま3日間の出張に出かけた。
 こないだ友だち(大学4回生の女子)に、卒業したらどうすんのって聞いたら、花屋か船乗りになりますって言われて、爆笑しながら「アホの小学2年生に聞いた将来なりたい職業」みたいやな、って言ったんだけど、でもとても良いと思った。花屋か船乗りのどちらかで迷う人生。なんて贅沢なんだろう。
 映画『パターソン』観た。とても良かった。「繰り返し」がひとつのモチーフになっているんだろうか。とても良かった。とても良かった。パターソンという言葉とか、双子とか、秘密のノートとか。「繰り返し」がひとつのモチーフになっているんだろうか。とても良かった。とても良かった。アダム・ドライバーがドライバーの役やってるのも意味があるのかな。とても良かった。

3月27日(火)

 教授会のために大阪から京都まで出勤したら、教授会なかった。
 泣きながら帰る。
 先日、ある本の表紙に使うために、フィルムカメラで写真を撮りにいっていた。大阪市内某所の団地など。
 最近なぜか私の撮る写真を本や雑誌で原稿といっしょに使わせてほしいとのご依頼が多く、調子に乗ってたくさん、写ルンですや編集者の河村信さんから譲り受けた京セラのコンパクトフィルムカメラで撮っている。
 しかし、写真屋さんで現像するときに一緒にCD-ROMに焼いてくれるサービスがあるんだけど、昔の機械をずっと使ってるらしくて、解像度が低くて(よくわかんないけどたぶん150dpiとか300万画素とか)、本や雑誌に掲載するときにいつも使い物にならないと言われている。
 おもいきってフィルムスキャナーを注文した。俺はどこへ向かっているんだろう。
 いろんなところで写真を撮ってて、途中で大阪城公園にも立ち寄る。かなり桜が咲いてきていた。外国人観光客もたくさん。驚いたことに、旧日本陸軍の司令部跡の建物がレストランになっていて、大勢の外国人観光客がいた。どういう建物だったか、みんな知ってるんだろうか。
 大阪城をバックにして、きれいな民族衣装を着ている3人の若い男性が、見てるこっちが照れくさくなるほどのキメキメのポーズで写真を撮っていて、ほかの観光客にも写真を撮られていた。どこから来たのと話しかけたら、タイだそうで。ひとりは10年ぐらい東京にいて、いったんタイに帰って、また大阪に来てる。これまで30回ぐらい日本に来てるよ、って言ってた。タイ料理の店でも経営してるんかな。大阪楽しんでね、と言った。
 しかし大阪城公園って、お花見のメッカで、お花見というか「桜の花の下で肉を焼く大会」のメッカで、季節になれば数百人、数千人の大阪人が淡いピンク色の満開の花のしたで豪快に肉を焼く白い煙が楽しめる風物詩になっていたのだけれども、そのエリアが有料になっていた。大阪市だか大阪府が民間企業に売り渡してしまったらしい。
 花見をするのにどっかの企業にカネを払わないといけないのだ。お花見をしているひとの横をぶらぶらと散歩して、楽しそうに肉を焼いて酒を飲んでる大阪市民たちを眺めるのが好きだったんだけど、もうそれもできない。
 市や府の土地を自分たちの仲間の企業に売り渡す政治家たち。そして、自分たちが支持してきた政治家のおかげで、大阪城公園のいちばんきれいなお花見エリアに自由に入れなくなった大阪人たち。
 そして、届いたフィルムスキャナーはまったく使い物にならなかった。1万円の安物を買って、1万円をどぶに捨てた。

3月29日(木)

 にがにが日記第3回めの原稿の校正を送るときに、なんか今回もおもんないですねーほんとすみません、とか書いたら担当の方からお褒めの言葉がたくさん書いてあるメールをいただいて、もうほんとうに俺のばか、ばか、いい歳してあほか、と思っている。気を使わせてほんとにすみません……。
 某所での連載でも、さいきんワンパターンというかマンネリぎみなんですよねって言ったら、私が連載をやめたがっていると勘違いされてしまい、非常にややこしいことになった。
 ほんとすみません。
 今日はパンセの初校、星野智幸さんとの対談の原稿の校正、ほか弁買って公園で30分だけお花見(今回は醤油を落とさなかった)、夕方は一瞬だけ阪急百貨店に行ってちょっとした買い物してデンついて帰る。
 いまからまたパンセの初校。

4月2日(月)

 ミネルヴァ書房さんとナカニシヤ出版さん(丁稚どんaka酒井敏行さん)と打ち合わせ。
 こないだまでジャケット1枚だと寒かったのが、いまジャケット着ると暑くなっている。ジャケット着ててちょうどいい日って、1年のあいだに4日間ぐらいしかないな。
 おさい先生がピアスを買ってきて、ピアスの石の部分を指に持ったまま耳に当てて、これどう?って聞いてきたので、おまえが指で挟んでるから見えへん、って答えた。
 長毛族の猫のみなさんは、水飲んだあと、あごひげが水でべちゃべちゃのまま布団に入ってこないでください。

4月17日(火)

 めっちゃ間があいてしまった。この間、卒業生と十三の隆福で飲み、『はじめての沖縄』の原稿の校正をして、東京に行ってNHK文化センター青山教室で文月悠光さんと対談した。大きい会場に変更したんだけどそれでも満席になった。
 最初は手探りで始まった対談、後半で会場の方と質疑応答をしてから盛り上がった。書き手、作り手の方が多かったので、「書くということ」「作るということ」「世に出すということ」についての話になった。とても良い対談だったと思う。
 自分のエクストリームな体験や当事者性やアイディアで書けるのは最初の一冊だけ。あとは「型」と「練習」。音楽でも文章でも学問でも同じ。
 夜は文月さんと、それから雨宮まみさんの親友のKさんと3人で、南青山でめちゃめちゃテキーラを飲んだ。雨宮さんの話をいろいろ聞く。
 次の日は二日酔いで新大久保のクロサワ楽器でウッドベースを試奏して買いそうになり(買わない)、朝日新聞さん筑摩書房さん中央公論新社さんと打ち合わせ。
 夜は友人のAさんと社会学者の北田暁大さんと3人で上野で飲む。北田さん2時間遅れで来た。問答無用で割り勘。Aさん帰ったあと、北田さんと和民みたいなとこでサシ飲み。北田さん珍しく酔っぱらっておられた。朝までいきたかったけど私も壮絶な二日酔いだったので2時ぐらいにはホテルに帰る。
 次の日は昼から京都の職場で会議。朝イチの新幹線で帰る。あとは覚えてない、ただただ疲れて、夜になって大阪の自宅に帰って、めし食って風呂入って寝たんだと思う。
 あとはまあ、新学期の授業が始まり、教授会が始まり、『はじめての沖縄』校了して(ギリギリになった)、曽根崎でまた卒業生の飲み会があり(大勢集まって楽しかった)、釜ヶ崎で生活史の聞き取り調査をして、先端研の院生さんたちと飲んで、そういう毎日。
 忙しいとどうしても日記を書く気がなくなるね。
 『はじめての沖縄』私の作業は終わったので、さっそく次の『社会学はどこから来てどこへ行くのか』と『マンゴーと手榴弾』の作業に取りかかる。『那覇の人生』はもう少し後ですすみません……。

卒業生との飲み会でもらった、サプライズのプレゼント。モエ。和彫り風(笑)。みんなありがとう!
 

4月18日(水)

 珍しく、というか初めておさい先生とふたりで鳥貴族に。安い安いと言いながら飲んでたら、隣の若いにーちゃん2人が、枝豆298円って高いやんなって笑いながら飲んでた。
 自分たちの給料の話になって、4年めで16万やで、とか言ってた。
 枝豆298円は、高いよなあ。
 俺も20代のころは日雇いで20万ぐらいで生活してて、29歳で博士課程入ってからは奨学金とバイトで月10万ぐらいで暮らしてた。結婚したのは31歳、大学にやっと就職できたのは38歳になってから。
 だからいま、若いやつと飲むときは、必ず奢る。
 一杯だけ飲んで散歩。あの天国に近いとこどこやったっけ。あー、ニューカレドニア? そうそう。散歩してるときは、だいたいこれぐらいの精度の会話をしている。
 ニューカレドニア自体については特に何も話してない。

4月19日(木)

 数年前、裏の空き家に三毛猫が住みついて、たくさん子どもを産んだ。そのなかのひとり、目の上に麿っぽい眉毛模様がついてるやつがいたから「まろ」って呼んでるんだけど、しばらく見ないなーと思って心配してたら、こないだ久しぶりに会った。
 巨デブになっていた。
 何があったんやお前。
 ところで、大阪の下町のこのあたりでも、ちゃんと地域猫を世話するひとがいて、三毛猫一族は全員「さくら耳」になっている(避妊手術が済んだ印)。とても良いことだと思うが、もうこの子たちからは子猫は生まれない。
 つまり、さくら猫が増えると地域猫全体が激減するのだ。これからは、道で捨てられた子猫と目があってしまうという、どうしようもなくどうしようもない出会いも減っていくだろう。子猫を拾って育てるという経験自体が少なくなっていく。
 私自身、これまで飼った猫たちはすべて拾った子たちなので、そういうことができなくなっていくのは、少し寂しい。
 しかしペットショップは私の基準だと「虐待」にあたるものが多すぎるので、利用したくない。正直、店の前も通りたくない。
 目の前の子を助けると、猫全体が減る。どう考えたらいいのかわからないが、とにかく増えすぎないためにさくら猫は必要だし正しい。それしか言えない。