“通産体質”に終始した鈴木寛副大臣
野田佳彦内閣の発足に伴い、政権交代以来2年間にわたって文部科学副大臣を務めた「スズカン」こと鈴木寛氏が文科省を去った。川端達夫、高木義明の両氏という必ずしも教育分野に明るくない文科相の下で、常に文教行政のキーパーソンとして君臨してきた。
スズカン文教行政をどう評価すべきか。マニフェスト(政権公約)通りに高校無償化を実現した。30年ぶりに学級編制標準の引き下げに着手した。大学予算を拡充した――。近年の自民党政権ではなし得なかった大きな前進があったことは確かだ。鈴木氏の発案だという「コンクリートから人へ」の政権キャッチフレーズを、まさに体現した。それだけをもっても、高く評価すべきなのかもしれない。
しかし、教員免許更新制の即時廃止ができなかったことは去年の社説で批判した通りだ。その理由を退任会見で説明したように、ねじれ国会のせいにして済むのだろうか。本社も一昨年、教員養成の6年制化(修士レベル化)との一体論議を歓迎する社説を掲げたが、それが結果的には改革を遅らせた側面は否定できない。
難癖だろうか。いや、スズカン文教行政は万事そうだった。
鈴木氏は、極めて壮大な構想の下に文教行政を進めてきた。氏によればポストモダンの時代においては産業構造はもとより、市民社会も変わらざるを得ない。教育、医療、雇用など多様な分野で従来の「ガバメント・ソリューション」(政府による問題解決)や「マーケット・ソリューション」(市場による問題解決)に代わって「コミュニティ・ソリューション」(コミュニティーによる解決)が求められる。そうした「新しい公共」づくりの起爆剤としてコミュニティ・スクールを推進してきたのだし、具体的な手法として「熟議」を開発し実践を広げてきた。産業社会と市民社会の変容に対応すべく、コミュニケーション教育も予算化し推進した。教員の資質能力向上や情報教育も、すべてそうした構想の一環に位置付けられている。
「新しい公共」は鳩山由紀夫内閣以来、政権全体の課題として推進されてきたのも確かだ。しかし2009年夏の衆院選マニフェストに、その文言はなかった。マニフェストの背景にある考え方だという説明はできても、果たして選挙民がそこまで納得して民主党に投票したのだろうか。
鈴木氏はすべて自明のこととして、ひたすら自身の構想に基づいて文教行政を進めてきた。それが政権全体の方針に合致するという確信によるものであったとしても、結局は個人的な好みによって行政を差配してきただけだった、と言っては中傷に過ぎようか。少なくとも鈴木氏に直接かかわったり意識的にウォッチしたりしてきた者以外には、その壮大な構想を理解することはできなかったろう。ましてや全国の教職員にまで認識の共有を求めることなど、とんでもない。
学級編制標準引き下げにしても「着手」であって、小学校1年生の35人学級実現と引き換えに加配定数が削減されたため、小規模校では逆に教職員数が減るというデメリットさえ生じている。コミュニケーション教育などもあくまで構想の中の一部分に過ぎないし、コミュニティ・スクールさえ協力者会議提言が尻つぼみに終わったことは以前の社説で指摘した。鈴木氏の構想力には舌を巻くが、更新制も含め実行力には疑問符を付けざるを得ない。
構想だけ示して実現可能なものだけに手を付け、行き詰まったら撤退する――。スズカン文教行政の2年間は、やはり去年の社説で懸念した通りの通産官僚体質に終始したというのが本社の評価である。もっとも、それでも近年の自民党よりはずっとましだった。党に戻った鈴木氏には、政策調査会で引き続き責任ある対応を求めたい。別に本社に言われるまでもないことであろうが。
〔2013.7.4編注〕こちらもご覧ください。
http://ejwatanabe.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-f2eb.html
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