2008年4月 、東京の街に出てきました。
受験が終わった開放感、憧れのキャンパスライフ、大都会東京、はじめての一人暮らし。さまざまな期待に胸を踊らせながら、新幹線つばさに乗って上京した。
あれから10年、今も東京で一人暮らしをしている。あい変わらず わけの解らない事言ってます。
この10年で引越しを6回した。引越しのプロである。
後輩の女の子が今度引越しをするというので、引越しのプロに何でも聞いてくれと言ったら、引越しを何度もしている時点で引越しのセンスがないと後輩の男の子に言われてしまった。自称"合コンのプロ"が合コンに何度も行く時点で成果を全く残せていないのと同じ原理だ。
となると私は引越しのプロではない。
経営コンサルタントの大前研一氏は「人生を変える三つの方法」を次のように提唱している。
「人間が変わる方法は三つしかない。
一つめは時間配分を変える。
二つめは住む場所を変える。
三つめはつきあう人を変える。
最も無意味なのが〝決意を新たにすること〟だ。
中でも一番手っ取り早いのは、住む場所を変えることであると私は思う。住む場所が変われば通勤経路が変わり、時間配分が変わる。また、住む場所が変われば人付き合いも変わる。
つまり、 引越しをすれば人生が変わる。
引越しには、手詰まりになってしまった状況を打破する効果がある。
胡散臭くなってきたので自己啓発的な話はこの辺でやめにする。
要は私が飽き性で、単に引越しは趣味なのだ。それだけの話。
というわけで、この10年で住んできた部屋や街、当時の暮らしについて振り返る。
はじめての東京一人暮らしはギリ東京
期間 :2008年4月~2010年3月
家賃 :60,000円(管理費3,000円)
面積 :16.25㎡
構造 :マンション/RC
築年月:1988年11月
不動産屋さんに提示した条件は、
・大学への交通アクセスが良いこと
・オートロック
以上の2点だ。
糀谷の部屋は風呂・トイレは一緒、洗濯機置き場はベランダ、コンロは電気(IHではない)、床はクッションフロア、採光は北。今考えるとあまり良い条件ではないが、部屋を探しに東京に来たのが3月末で、その日のうちに契約して一旦地元に帰らなければならなかったため、いくつか内見した中でとりあえず一番まともそうな物件に入居を決めた。
糀谷はとても住みやすい街だった。駅の改札を抜けると南北に伸びる糀谷商店街。入り口には大きなアーチ、昔ながらの八百屋や肉屋、魚屋などの店舗が軒を連ね、賑やかで活気のある商店街だ。最初に住んだ部屋は商店街を抜けた先にあったので、途中の肉屋でコロッケを買って、食べ歩きしながら帰ったりした。
マンションの背には多摩川が流れていて、すぐ対岸は神奈川県だった。休日は自転車に乗って橋を渡り、よく川崎へ遊びに行った。せっかく東京に出てきたのに、渋谷や原宿ではなく川崎で買い物することが多かった。川崎は便利だ。狭いエリアに商業施設が密集していて、映画館もたくさんある。
通学には京急空港線を利用した。発車の際に鳴るドレミファインバーター、BGMはくるりの『赤い電車』。地方の車社会で育った私にとっては、満員電車もはじめての経験だった。はじめて使った路線が京急だったというのもあるけれど、京急には愛着がある。他の路線が止まっても走り続けているといわれる京急は、行き会いの電車とすれ違うとき互いに全くスピードを緩めないところが好きだった。沿線の街も素朴で気取らない感じが良い。
生活費を稼ぐため、5月の連休明けにはアルバイトを始めた。最初の居酒屋は肌に合わず3ヶ月で辞め、その後約2年間は駅前のドーナツ屋で働いた。朝6時からキッチンに立ってドーナツをつくり、油臭い頭で大学の講義を受け、夜21時からは店頭に立ってドーナツを売った。廃棄のドーナツを全種類一口ずつ食べるというのをやっていたら、2年間で8キロ太った。
糀谷では隣人とマイミクになるという奇妙な経験をした。いつも隣の部屋の前を通るとドアが半開きになっていて、壁に赤いランドセルが掛けてあるのが見えたから、小学生の女の子とその親が暮らしているのだと思っていた。上京して1年目の夏、ゴミ出しをしようとドアを開けたら、たまたま隣人もドアを開けたタイミングで目が合って、ドアノブに手をかけたまま3秒くらいフリーズした。隣人は赤いフリフリの衣装を身に纏った中年男性だった。キャンディ・ミルキィさんと私のはじめての邂逅である。
その後の経緯は面倒なので説明を飛ばすが、その年の秋に私はキャンディ・ミルキィさんが主催するイベントに足を運び、その流れでマイミクになった。
実際に当時mixiにあげた写真
キャンディ・ミルキィさんが発行してくれた友人証明書
実際に会ってみると、キャンディ・ミルキィさんは先進的かつ文化的な考えの持ち主で、女装愛好家や原宿にいるロリータ族の先駆け的存在であることがわかった。
当時のmixi日記には、「いかにもあの頃」というテンションで感想が綴られている。
キャンディミルキィさんのコレクションルーム@アキバ
行ってきました!!!!!超おもしろくて、文化人で、素敵な方でした(^q^)/ヨカッター
終始いろんなお話をさせていただき、
1時間以上も長居してしまった(^^;)
その後直接的な交流はなかったが、すれ違えば挨拶をしたり、バレンタインにはキャンディ・ミルキィさんオリジナルのチロルチョコがポストに届いていたり、mixiでコメントし合ったりした。今振り返ると当時の私の行動力にはびっくりするのだが、あの頃は毎日が新鮮で、一度もホームシックになることなく「東京は面白いな~~~」と思いながら一人暮らしを満喫していた。
糀谷で得た教訓
- 電気コンロは使いにくい
- 洗濯機置き場は絶対に中の方が良い
- ソファベッドは結局ベッドとしてしか使わない
- OKストアは最強
- ユニットバスの掃除は風呂もトイレもシャワーで洗うと楽(キャンディ・ミルキィさんが教えてくれた)
- 東京では隣人とマイミクになれる
ミイラと暮らす家
期間 :2010年4月~2012年3月
家賃 :69,000円(管理費3,000円)
面積 :16㎡
構造 :アパート/木造
築年月:2008年4月
交通 :京急本線 鮫洲 徒歩1分
次に引っ越してきたのは築浅、駅近、ロフト付きの優良物件で、何の不満もないまま暮らしていたのだが、たまたま「大島てる」というサイトを見ていたら、「ここ、うちじゃん!」という感じで事故物件であることが判明した。サイトには「飛び降り自殺」「服毒自殺」といった形で死因が書かれているが、鮫洲の物件は「ミイラ」と書かれてあった。ただし今の物件ではなく、前身のアパートを解体するときに白骨化した遺体が見つかったということらしかった。とは言え、発見されたミイラの服装や所持金502円という詳細な情報まで知ってしまったのは、なんとなく気味が悪かった。
ここではロフトに布団を敷き、ソファベッドはソファとして使った。ロフトの梯子を上り下りするのはそれほど苦ではなかったし、ロフトに上がってしまえば、よし、寝るぞ。と気持ちを切り替えて就寝できたため、メリハリがあってよかった気がする。
引越しを機にドーナツ屋をやめ、サブウェイでバイトを始めたところ、6キロくらい簡単に痩せた。
鮫洲で得た教訓
- 興味本位で大島てるを見てはいけない
- 木造は壁が薄く隣の部屋の生活音が丸聞こえ
- ローソンストア100は一人暮らしの救世主
- ロフトは暑い
- サブウェイのオススメはチーズローストチキンにアボカドトッピング
監獄
期間 :2012年4月~2013年3月
就職して最初の一年間は、関西にある全寮制の研修施設に送還された。前期は先輩と同期との10人部屋、後期は同期と後輩との14人部屋に押し込まれ、個人のスペースや自由な時間などほとんどないような生活だった。
あまり詳しくは書けないが、朝06:25の放送と同時に2段ベッドから飛び降りて、1分で着替えて階段を駆け下り、靴をはいて広場にダッシュ、06:30には整列し、全員そろった状態で人員報告。というのが毎朝の日課だった。早く起きたからといってベッドから出て先に着替えておくことは許されず、すべては「そういう訓練だから」という理由で規則に従うしかなかった。
ベッドシーツはギフトのラッピングのように角を折りたたんでおく決まりがあり、少しでも角が崩れていると、朝食の片づけを終えて部屋に戻った頃には先輩の手によってシーツが引っぺがされている、という伝統*1(という名の嫌がらせ)があり、不器用だった私と同期のKは、しょっちゅうその被害にあっていた。特に落ち込んだりはしなかったが、毎回直すのは時間の無駄のため、最初の頃の休日は、Kと一緒に「ベッドメイクの練習」という謎のトレーニングを積むなどした。
椅子を所定の位置に戻さないで席を外すと、帰った頃には椅子が廊下に放り出されていたり、先輩が重いものを持っていれば無理矢理にでも「持ちます!」と言って代わらないとバチボコに怒られたり――、それが無理で泣き出す人もいたけれど、体育会系部活と女子校育ちで培ったスキルを活かし、女子特有の人間トラブルをうまいこと避けながら、1年間の寮生活を楽しく過ごすことができた。
自分より年下でも先輩は先輩だったし、高卒も大卒も同期は同期だったけど、大卒の同期より高卒の子たちと遊んでる方が多かったな。大雪の日は外に出て雪合戦をしたり、休日の夜は自分たちだけが大爆笑みたいな動画を撮ってはしゃいだりして、後にも先にもこんなに濃い1年間はもうないだろうな~と思う。厳しかった先輩も根はみんな良い人で、自分の修了式では泣かなかったのに先輩の修了式ではドチャクソ泣いた。
寮生活で得た教訓
- 先輩に重いものは持たせるな
テラスハウスならぬ底辺ハウス
期間 :2013年4月~2015年5月
交通 :京浜東北線 山手 徒歩40分
寮生活を終えて半ば強制的に送り込まれたのは、横浜の外れにある古い団地の共用部屋だった。風呂・トイレ・キッチンは共用、防音性の低いドアで区切られた6畳の和室が4つで4Kという奇妙な間取り。私が入居したときは先に住人が3人いて、1人は数週間で退去、もう1人は部屋を荷物置きとして使っていた(それほど家賃が安かった)ので、実質2人での生活だった。
同居人は、酔うとよく深夜にブラウニーを焼いた。翌朝ドアを開けると、おすそ分けがビニール袋に入って引っ掛けられていたりして、たまに手紙が添えられていることもあった。酔っ払って書いてるから「刺りない先輩だけど刺してほしい」とか書かれていたりして、刺していいのか。と思った。
悪い人ではなかったけどキッチンの換気扇の下でタバコを吸ったり、故郷の家族と電話する声がこっちまで丸聞こえだったりして、それが少しだけストレスだった。部屋によって暮らしやルールは様々で、別の部屋にぶち込まれた同期は、几帳面で神経質な同居人からは長文でクレームのメールが届き、光熱費は1円単位で割り勘すると言っていた。
週末は横浜やみなとみらいに遊びに行った。部屋はド底辺だったけど、横浜の街は本当に好きだな~。将来お金を貯めて好きな場所に住めるようになったら、私は迷わず横浜を選びたい。
底辺ハウスで得た教訓
- テラスハウスのようにお洒落なシェアハウスは現実に存在しない
- 共同の冷蔵庫に入れたものは全て寄付したものとみなされる
- 酔っ払って文章を書くのは本当によくない
とにかく広くて安い部屋
期間 :2015年6月~2016年5月
家賃 :40,000円(管理費5,000円)
面積 :26.07㎡
構造 :マンション/鉄筋コン
築年月:1991年3月
横浜から東京に異動となり、バスと電車を乗り継いで2時間近くかけて通勤するのに限界を感じたため、東京寄りの千葉に引越すことにした。船橋法典の部屋にした一番の決め手はとにかく家賃が安かったこと。いろんな人に聞いてもこの広さで4万円台の物件に住んでる人には会ったことがない。
建物は比較的きれいにリフォーム済みで、日当たりもよく住みやすかったが、駅からの距離と坂道の勾配がネックになった。特に家の前の急勾配はクロスバイクをもってしても降りずに登り切ることは困難で、逆に下るときは人が飛び出して来たら轢き殺してしまうほどのスピードが出た。
船橋法典には中山競馬場と船橋法典の湯(スーパー銭湯)以外何もない。そのかわりIKEAやららぽーとがある南船橋には乗り換えなし10分程度で行くことができたため、IKEAはショートカットコースを完全把握するほど行き倒した。幕張メッセへのアクセスも便利だった。西船橋界隈に住んでる友達が多かったので、当日急に「今日の夜暇?」「暇!」みたいな感じで飲みに行くのにも便利だった。
船橋法典で得た教訓
- 駅からの距離は徒歩15分以内が限度
- 一人暮らしは6畳で十分
- 武蔵野線はクソ
現状ベストな今の部屋
期間 :2016年6月~現在
家賃 :54,000円(管理費5,000円)
面積 :17㎡
構造 :マンション/鉄筋コン
築年月:1993年3月
今の部屋
良いところは池袋や渋谷・新宿へのアクセスが良く、職場にも乗り換えなしで通えるところ。都心に近い割には家賃が安い。
不便なところは収納スペースがないところ。狭い。 通気性が悪い。
もうすぐ2年の契約更新の時期がやってくる。今の駅は気に入っているので、駅は変えずに建物だけ別な物件に引っ越したいところなのだけど、来年あたり地方に転勤もあり得るな…ということで多分このまま契約を延長すると思う。
最後に
引越しを6回して得た教訓
- 見積もりは2~3社依頼して値引き交渉すべし
- 見積もり一括サイトは絶対に使ってはいけない(大量のメールや電話が押し寄せる)
- 段ボールには何が入っているかを必ず表記する
- 不要な物は躊躇せず売るか捨てる
- 部屋探しは求める条件が少ないより多い方が決まりやすい
ここまで書いたけど1回の引越しでなんだかんだ最低20万は飛んでいくし、転出・転入の手続きとかいろいろ面倒なので、引越ししないに越したことはない。引越しのプロではなく部屋探しのプロを目指した方が良い。引越しのたびにそう思うんだけど、2年経つと忘れちゃうんだよね〜。
そんな感じでそれではみなさん、良い新生活を!
*1:通称「ベッドブレイク」(思い出したので追記)