1
それは特別な夜ではあったが、家全体を覆う奇妙な沈黙以外は普段と変わったところはない、平凡な夜でもあった。
私は、プロバイダーから届いたVDSLモデルを電話線につないだりして、インターネットの設定を終えたところだった。
振り返ると母が所在無げにリビングテーブルに座って茶を飲んでいる。その視線の先には、父の位牌があった。
位牌は真新しく、仏壇がまだ届いていないので、和室の机の上に父の写真とともに置いてあった。
猫がその前を通る。
15年ばかりの世話になった恩を思えば、その前で切なげに鳴いてみたり、香箱をこしらえて意味ありげに位牌と写真を見上げてみたりしてもいいのではないか、と私は思うのだが、そこにある漆塗りの物体と、かつていた父という存在の結びつきを(ほとんどの猫がそうであるように)理解できないのではなく、しようとせずに、猫は無造作に通り過ぎいているように見える。
私は、母に設定が終わったことを告げて、Windowsのデスクトップ画面を見せた。
それほど興味を抱いた様子はなかったが、母はまるで誰かに命じられたように立ち上がって、パソコンの前に座った。
座った母に、マウスをつかませて、ブラウザやメールなど、一通りの操作を教えた。
定年間近だったとはいえ、職場でもPCを触っていた彼女は、それほどの躊躇もなく私が言う通りの操作をし、兄からのメールを受信すると、私の言う通りに、ウィンドウを閉じた。
Windowsのディフォルトの壁紙が、虚しく残った。
蛍光灯が照らす広めのリビングの片隅のPCデスクだけが、ぼう、という暗い影に沈むような奇妙な感覚があった。
テレビはついておらず、肩肘をついてそれを見る父もいない。猫は座る所を探して、ソファのたもとに落ち着いたようだ。
実家に自分の負担で、インターネット回線を引いたのは私の独断だった。
父が亡くなり、数週間がたち、一人暮らしをしていた私も、そう頻繁に実家を訪ねるのが難しくなっていたということもある。
しかし、そういう合理的な理由よりも、父と兄も私もいなくなった家に母と老猫だけが佇んでいるというイメージが、私を苛んでいた。
私は、ぽっかりと空いたこの穴に、何かを詰め込まなければという切迫した感情を持った。しかし、私が知っていることといえば、何もかもが、ネットの向こう側にあるのだった。
だから私は、プラバイダーに申し込みをし、カード番号を打ち込み、パソコンを発送して実家に一揃いのセットを持ち込んだのだった。
母が振り返り、もういいかい?とでも言いそうな、うつろで疲れた顔を向けた。
私は、無邪気を装って、「これ見てよ」と言って、マウスをとって、ブラウザを開いた。
GoogleMap。衛星写真モード。
ネット初心者を驚かすにはこれ以上ない取り合わせだった。私は、ブラウザ一杯に俯瞰された精密な大阪の街を母に見せた。
マウスをドラッグすれば、それは日本のどこにでも飛んでいける。中国にもインドにもヨーロッパにも。
私はグリグリと地図を動かした。
「愛媛を見せてくれんか」
唐突に母は言った。私は、マウスをドラッグして、四国を見つけ出すと、松山のあたりを拡大した。
「そこじゃのうて、東のな、ずっと山の方」
市街地は画面から消え、山ばかりが現れた。川なのか国道なのか、細い白い線がずっと四国山脈の中心に伸びている。
「ああ、ここじゃ、○○郷とあるやろう」
それは山肌にはりついた染みのような小さな集落だった。
「私はここで生まれんたじゃ。婆さんもお姉さんも妹も。」
と母は言った。
「今でも山ばっかりやの」と、呟いた。そして、ずっとその集落を上空から眺めていた。
父と母と猫が住んでいたマンションの下を車が通り過ぎて行く音がした。
猫だけが、頭を下げてカサカサになった瞼を閉じて不機嫌そうに寝ている。少し前はここに心地よい誰かの膝があったような気がするのだが、という顔に見える。
彼が言うように、眠りと死の違いについて、喪失と、虚無の違いについて、私たちは雄弁に語ることはできる。
だがその答え、となると、私もネットの世界も、彼のように自然に、所与のものとして、受け入れることができるだろうか?と私は思う。きっとできないだろう。この文章がそうであるように。
いつも、結局はそうなのだ。
2
同級生に会うのが苦手だ。とはいえ普通に暮らしていて、同級生と会うことなど滅多にないので、困ったことは、同級生ぐらいの年齢の背格好をした人を見るとつい、身構えてしまうということぐらいだ。
いじめられていた、とか、悪い思い出がある、というわけではない。ただ、連中の顔を見ると、なんだかこちらもやるせなくなってしまうのだ。
一度など、コンビニの前で煙草を吸っていると、白いプロボックスから、かつて中学時代全校生徒を震え上がらせていた不良の番長がスーツ姿で出てきたことがある。
番長はこちらに気づくと、大きく手を広げてハグを求めてきた。 しょうがないので、私も煙草を消してハグを返した。
「元気か?」から始まり、お互いの職業を紹介しあったあと、「また飲もうや!」で終わる。飲んだ試しなど一度もないのだが。
何故か昔から、友人は多かった。不良も例外ではなかった。私はまだ煙草も酒もやっていなかったし、教師からは典型的な優等生だと見られていたが、そういう類の生徒が築く「壁」が私には不思議となかったからだろうか。
校内で煙草を勧められれば一口は吸ったし、突然殴りかかられたら、すかさずヘッドロックした(不良のいない学校の人間には想像もつかないことだが、こういう類の中学生は理由もなく突然殴りかかってくるものなのだ。おかげで、ヘッドロックだけは上手くなった。)
ようするに私は、あまり人間に好き嫌いがなかったのだろうと思う。オタクともつきあったし、ギター少年たちとも交友があった。だから大体向こうは自分を知っている。
問題は、好き嫌いはなかったが、興味もなかったということだ。だから、大半の友人の名前は覚えていない。
大学生の時、近所に家庭教師のバイトがある、というので行ったら、同じクラスの女子の弟だったことまである。
彼女は訪問の度、私のためにクッキーを焼いてくれていたが、顔を見ても何も思い出せず、世間話すらできなかった。
そういう私でも強烈に名前を覚えている男がいる。名字は橋本で、元々は木下だった。途中で変わったのは親が離婚したかなんかだったと思う。
小学六年の彼が転校してきた日、こりゃ厄介だな。と私は思った。好感を持てる要素が一つもなかったからだ。
顔は整っている。ハンサムと言っていいほどだ。振る舞いは粗暴だったが、将来不良とかヤンキーになりそうな範囲を超えて粗暴というわけではなかった。小学校のリコーダーで、よく阪神の応援歌を吹いていた。
彼が廊下を走り回ったり、調子に乗りすぎて在来の不良っぽい生徒にぶん殴られたりしている光景を、私は苦々しく見ていた。今思うと、彼は新しい環境に早く馴染もうとしていただけだったように思う。
だが、どうにも私は彼を好きになれなかった。そしてそれが自分で実に不思議だった。
ある体育の時間、橋本が校庭の真ん中で私に言った
「お前俺のこと嫌いだろ?」
私は驚いたが、素直に答えた「好きではないね」
そう言うと橋本はニヤリと笑ってサッカーボールかドッチボールの後を追って走り出した。
それから随分たって、大学生になった私は、恋人の家に転がり込んでいた。バイトも止めて、金もなかった私は、同じ学生の彼女が買い貯めた食材を使って料理をし、昼はそれを一人で食べた。
彼女が帰ってきて、相変わらず大学にも行かずに漫然と書き物をしている私をみて溜息をついた。
「卒業しないつもりなの?」と彼女は言った。私は「少なくともできる気はしないね」とノートから目は外さずに言った。
彼女は今にも泣き出しそうな顔をして私の顔を見ていた。
私は女が泣くのが苦手だ。それはだいたいにおいて自分のせいだからだ。だからその時も、慰めようと彼女を抱きしめた。
その時、彼女の泣き顔が、それは美しく、20歳の瑞々しい光沢を放っていたのだが、なぜだが橋本の顔に見えた。
自分は橋本の顔を好きだったのか、とその時、気づいた。
いや、やはり嫌いなのかもしれない。
しかし、そこに大した差はない、ということが今ならわかる。
橋本と再び会ったのは地元のコンビニだった。髪を金髪に染め、色黒になっていた。しかし、かつて私を苛立たせた顔はもうなかった。その証に前歯もほとんどなくなっていた。
「マッサンのコンビニなくなってるな」と開口一番、彼は言った。同じ同級生の母親が経営していたコンビニだった。
「ああ、また10年契約は母ちゃんの年齢的に無理だってさ」と私は、マッサン本人に言われた言葉を返した。
「そっか。みんな苦労してるな」と橋本は立ち読みしていた雑誌を乱雑に戻した。
「元気でな」と彼は私の名を呼んだ。
コンビニの前に立ち並ぶ車を横目に、橋本は夜の暗がりに向かって歩いていった。
彼が向かった先も向かうべき先も私には思い浮かばない。私は同級生に会うのが苦手だった。
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