Photo from "Cold War Secret: “Project Horizon” Neatram
大国の安全保障と意地を賭けた勝者なき戦い
東西冷戦のピークの1960年〜1970年代、アメリカとソ連はそれぞれ月面に軍事基地を建設する計画をぶち上げていました。
互いに「敵国に月面に基地を作られ、頭上から核で狙われたら大変だ」という恐れと、あとは我が国の宇宙科学技術のほうが敵より優れているという大国の意地の張り合いから出された計画でした。
特にアメリカは本気で月面軍事基地を計画し、そのための予算も計上しますが、結局天文学的な予算と非現実的な技術により計画は頓挫しました。
今の科学技術ですら相当難しいと思われるのですが、当時はどのような計画が立案されたのでしょうか?
1. ソ連に遅れをとったアメリカの焦り
1957年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功。スプートニクは57日間地球を周遊し、地球に向けて電波を発信しました。
これに最もショックを受けたのがアメリカ。これまで自分たちが科学技術力では世界一と信じていたのに、あろうことか敵陣営のソ連に遅れをとっていたとは!と誇りを踏みにじられたのでした。さらにソ連は1967年のロシア革命50周年を「人類初の月面着陸」で祝おうとしているという計画があることも伝え漏れてきました。
このニュースはアメリカの軍事関係者を狼狽させました。
もしソ連が月をソ連領と宣言し、しかも月面に核ミサイル基地を作ってしまった暁には、アメリカはまったくソ連に手も足も出なくなるではないか!
このような懸念からアメリカの軍事関係者の間ではソ連に先行してアメリカによる月面の占領と軍事基地化の必要性が叫ばれるようになりました。
1959年3月、陸軍のアーサー・トルドー中将は
「この月の基地は、月面におけるアメリカの利益を守るために必要なものであり、ソ連によるいかなる領土的・商業的・技術的主張を退けることができる」
と述べ、「可能な限り迅速な月面軍事基地化の計画書」を作成するように指示。2ヶ月後に3巻になる「プロジェクト・ホライズン」の報告書がトルドーに提出されたのでした。
プロジェクト・ホライズンの1巻と2巻はネット上にあがっていて、今でも見ることができます。
2. 「プロジェクト・ホライズン」とは
プロジェクトは大きく3つのフェーズに分けられます。
第1フェーズ:荷物の運搬
1965年1月から順次無人ロケットを月に飛ばし、基地建設に必要な建築資材を輸送する。全ての建築資材が月に到着したら、2名の宇宙飛行士が月面に降り立ち、資材に損傷がないかや数が足りているかなどの点検作業を行う。
おそらく作業日数は30日から90日が見込まれていたと思われる。
第2フェーズ:居住スペースの構築
半年後に12名の宇宙飛行士が建築現場の構築のために月に送り込まれる。
まずは作業員が寝泊まりする居住スペース用のキャンプを建築する。居住スペースは直径10フィート、長さ20フィートの円筒形の金属タンクで、ブルドーザーで地中を掘りその中に埋める。居住スペースは放射線や極端な気温変化、または隕石や揺れといった物理的な脅威から身を守るために、月面の地下を掘って地中に建築する必要がある。
第3フェーズ:軍事基地の建設
居住スペースが完成したら、宇宙飛行士は恒久的な居住スペースを改造し研究所にする。電力は基地から安全な距離に埋設される2基の原子炉から供給される。
12人の宇宙飛行士によるアセンブリ作業は1年かかり、予定では1966年11月までに恒久的な基地が完成することが見込まれました。
月面軍事基地に備える兵器
プロジェクトホライズンでは、ソ連軍が攻めてきた時のことを想定した武装計画を立案していました。ただし、場所は月面なので、宇宙で使えることを想定した兵器のアイデアが記されています。
宇宙仕様の銃
ソ連兵が基地を急襲した際、宇宙飛行士たちは銃を持って戦わなくてはいけない。しかし彼らは分厚い宇宙服を着ているので、正確に敵に照準を合わせるのは難しいことが想定されました。
そこで考えられたのが、一発一発狙うのではなく、散弾銃のように広範囲に弾丸を発射する装置で、兵士が衛星テレビ電話のような子機のボタンを押すか特定のエリアにソ連軍兵士が侵入した際に、地面に設置された発射装置から一斉に弾丸が放たれる武器が考え出されました。
宇宙仕様のバズーカ
2.5キロから10キロ近くの範囲の標的に対しては、小さな核弾頭を発射するバズーカのような武器が想定されていました。
上記は1950年代後半にアメリカ軍が開発した「デイヴィ・クロケット」と呼ばれる簡易核爆弾発射装置で、これを改良し大気のない月面での敵地核攻撃が考えられました。
実際にこれを無重力の月面で打ったらどれくらいの威力があるのか、月面で核実験がなされたことがないので正確にはわかりませんが、一つの基地と隊員を壊滅させられるくらいの威力はあるんじゃないでしょうか。
宇宙仕様の熱光線
また、宇宙独自の武器として、かの有名な「アルキメデスの熱光線」のような 武器を作れないかとも考えていたようです。鏡やレンズを駆使して太陽光を反射させてソ連の宇宙飛行士に向けて当てて焼いてしまうというものです。
この他にも、電子加速器と呼ばれる装置から発射された中性子またはガンマ線のビームの開発も提案されました。
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3. なぜプロジェクト・ホライズンは実現しなかったか
プロジェクト・ホライズンは、計画では1967年の終わりまでに基盤を構築し、物資の輸送などを1年間供給し続けると仮定して、合計で229回以上のロケットの打ち上げが必要になると推定されました。その費用は60億ドル(現在の500億ドルに相当)と、基地を守るために使用される武器を開発するために2500万ドルを要すると見積もられました。
それは1959年にはかなりの金額でしたが、著者たちはその額が1年の防衛予算の2%に満たなず、仮にソ連が先に月面基地を建設してしまった後だともっと高くつくはずだと主張しました。
しかしこの見積もりは明らかに低く見積もられています。アポロ計画は1969年から1972年までの6回の月間着陸と、7回目の1回の失敗があり、その総額は約250億ドル(現在の約209億ドル)のコストがかかりました。もし仮に229回も月面着陸をするのなら、現在の価格で1兆9,000億ドル(約208兆円)ものコストがかかった計算になります。
当時の大統領アイゼンハワーは賢明にもこのクレイジーな提案を退け、1958年7月に「まずは月面に人を着陸させること」を目指す方針にサインをし、翌年に「アメリカ航空宇宙局」が設立され、1961年にアポロ計画がスタート。
プロジェクト・ホライゾンは無事に(?)お蔵入りとなりました。
4. ソ連の月面基地計画「ズヴェズダ」
ところが、ソ連はアメリカの軍事関係者が懸念した通り、アメリカに遅れること4年後の1962年から1967年まで月面軍事基地の建設計画を立案し検討していたのでした。
プロジェクト名は「ズヴェズダ(星という意味)」。
元々はソ連の総合的な月面戦略の一環で、月面着陸の延長線上に位置付けられていましたが、1969年7月にアメリカが初の月面着陸に成功してからは、アメリカの成果を上回ろうと月面軍事基地の建設に力が注がれるようになりました。
基本的な計画はプロジェクト・ホライズンと似ており、まずは居住スペースとなる資材を月面に送り込み、のちに宇宙飛行士を送り込んで建設作業に当たらせるというもの。
居住スペースは筒状のモジュールになっており、中は圧縮空気で満たされている。モジュールは車輪がついており、機関車のようにある場所から別の場所に移動することができる設計でした。
プロジェクト・ホライズンと同じく電力は原子炉から供給され、気温変化や隕石の衝突などを避けるために地下に掘った施設に移動することも検討されていました。
しかし、月面に人を送り込む目的で開発されたロケット「N-1」は技術的な問題ついで資金的な問題から4回の発射がすべて失敗に終わり、もっとも手前のところで計画が頓挫。
そうこうしているうちに、1967年に宇宙の平和的な利用を国際的に定めた「宇宙条約」が締結され、ズヴェズダ計画はお蔵入りとなりました。
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まとめ
自分が考えるようなことは相手も考えるだろうから、先んじて自分が手を打たないと遅れをとって不利になってしまう、という恐れは、核や大量破壊兵器の開発競争が加速度的に進んでいった根本原因です。
いまこうやって見ると馬鹿馬鹿しいように見えますが、当時の人たちは大真面目だったでしょうし、いつ相手にやられるかわからないという冷戦がピークの頃のピリピリした感じが伝わってきます。
今は月や宇宙空間を支配しよう声高に主張する国はいませんけど、宇宙条約があるからといって宇宙戦争が起きないとも限りません。地球が開発され尽くしたら次は宇宙だとなるに決まっているので、それまでに人類が賢くなっているといいのですが。
参考サイト
"Cold War Secret: “Project Horizon” Neatram
"The Soviet Union's Secret Moon Base That Never Was" Popular Mechanics