山口達也が叩かれているらしいですね。らしい、というのはヤンメイはテレビを見ないし、ネットでもわざわざ記事を探さないので、観測範囲をすごく賑わしている、というまでの印象ではないのですが。ヤンメイ妻のように日中テレビを見ていたりすると、また情報が違ってくるみたい。
妻:なんで山口達也はこんなに騒がれてるの?相手の女の子への批判がないのはおかしくない?
ヤンメイ:最近、悪い人は徹底的に叩くからね。
どうやら妻の価値観では男性に批判が集中することに違和感があるようです。妻の意見にはヤンメイも同意できます。今回はヤンメイ達の価値観がどれだけ世間と距離があるかを推し量るお話。
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山口達也騒動は日本的発想
中国人は用心深いし警戒心が強いです。自分の身は自分で守るのだ、という意識が常に頭の中にあります。これは、ヤンメイ妻が外国で暮らしているから余計にそうなのかもしれないけれど。
こうした妻の考え方からすると、こんなに騒ぐのなら、夜中にのこのこ男性の家に遊びに行く女子の警戒心のなさをもっと批判して、教育をするべきだ、と思うようです。
日本は普段、比較的女子の外出に無頓着です。都心では中高生が、塾やバイトで帰宅が遅いことも普通だし、日常の家の外での行動を親が把握している風でもない。じゃあ、「それでいいと考えている」のかと思っていたら、この騒ぎ方はどうやらそうでもなさそう。
別に監視を強めろとか自由を与えるな、ということじゃなくて。自分のやっていることの裏にある危険性を認識させ、対策を考えさせるような教育をしていない。これって、親も子供も問題あるんじゃない?という問題提起です。
痛いとこ突かれました。多分、ヤンメイ、同じ立場でちゃんと娘とコミュニケーションが取れていても。娘が「ちょっと山口達也さんとこ行って来る!」とか言ってきたら、「えっ!今からか?遅いから気をつけるんだぞ」とか「山口さんのご迷惑にならないようにな」とか通り一遍の警戒心のない言葉をかけて送り出していたかも知れません。
だってさ、相手はTOKIOの山口達也でしょ?社会的立場もあるし、よもや未成年に手を出すとか思わないですよ。それくらいの常識はあるだろうと。
でも、それってこちらが勝手にかけた信頼であって。相手がこちらの期待通りの行動をする保証はないワケです。
山口達也だろうが誰だろうが、単に「夜中に年頃の女子が独居男性宅に遊びに行くこと」の危険性や身に起こることの可能性を、親子がどう考えるか、ということを妻は指摘するんです。普段そういうことを教えず、考えず、問題が起きたら相手が悪い!とワイワイ責める構図に不毛さを感じるみたい。これでは教訓にならないよ、と。
多分、妻ならどうしても娘が遊びに行きたがったら、送っていくくらいするでしょうね。そこで、第三者がいるかとか、飲酒の有無とか色々確認出来ることはあるし。スタンガンくらい持たせるかも知れません。
謝罪社会
ヤンメイが事件を最初に知ったのは、TOKIOのメンバーが事件を知り驚き、怒りと謝罪のコメントをしている記事を読んだからです。TOKIOのメンバーは相手女性を「被害者」と呼び、なんか猛烈に反省している様子で「申し訳ない」と繰り返していた印象でした。この記事を読んだ最初の感想は「あぁ、こういう反応が現代の模範解答で、世間の求める姿なんだな」と。
正直に言えば、まず感じたのは、被害少女への同情、山口達也への怒り、TOKIOのメンバーの真摯な反省とかじゃなくて。今の世の中はこんな事件があった時、大げさに、それこそ頭を地面にこすり付けるような土下座で、全身全霊で謝意をアピールしなければいけないんだ、と思いました。実際の土下座云々ではなくイメージとしてね。
過去の幾多の謝罪会見を通して、効果的落とし所というのが見つかっていて、テクニックとしての謝罪が成立してきてるんだろうな、とも。
多分、そのテクニックのキモは「ひたすら猛反省。いい訳は一切せず、しかし同情の余地を感じさせるエピソードを挟む。あとはひたすら蟄居謹慎」この辺りなんでしょうか。さらに関係者が「このバカチンがぁ!」と怒りを示して、逆に周囲から「まぁまぁ」ととりなす声を引き出すという技もあるのかな?
その辺り、山口達也は復帰への希望を匂わせてしまったので、ちょっとテクニック通りではない分、そこへの批判も出てますよね。
あなたは正義ですか?
で、なぜこんなに騒がれて山口達也の非のみが注目されるのか?という妻の疑問に答えるならば。
日本社会にいよいよミスを許さない風潮が強まっているからで、その根本は貧しさなのかな?と。多分、人生の時間を自分のために使えない貧しい人が増えて、不満が溜まっているのです。自分の人生が楽しい人はそこまで過剰に他人に関心を向けないと思うんですよね。
みんながちょっと貧しかったり、イライラしてたりして。その不満のぶつけどころとして、ハッキリとした社会悪に対して「お前は悪いんだからこちらの気が済むまで謝っておけ」という不満のはけ口なっている気がします。自分は罪を犯してない(ばれてない)から正義の側に立ち、悪いことをした人には鬼の首を取ったかのように一方的な反省を求める。
先の過剰な謝罪風景も、こうした謝罪圧力に対する予防線として発達してきたのかな?
折り目正しいのは日本人の良いところではありますが。正しいことを言う時には控えめなくらいの節度を持つのもまた日本的かと。
まぁ、変な人はいつでもどこでもいるものなので。あまり振り回されずに、まずはヤンメイ娘の教育をしっかりしよう!そうできるよう身を正さねば、と緊張感を持ったというお話でした。
《あとがき》
ちなみに、山口達也の罪自体は、いったい何をやったのか(やらなかったのか)もまだ分からないので言及していませんが。アルコール依存症説もありますね。ただ、強制わいせつ罪で書類送検されている時点で、彼が大人としてダメなのは前提として。
ここで言いたいのは彼の問題とは別に、自衛の意識をしっかり持つ、教える、という視点が日本人はあまりないよなぁ、という反省です。