箏の基本情報として生田(いくた)流と山田流という二大流派があり、八木さんは、生田流だ。分かりやすい流派の見分け方として、「爪の形」(生田流は四角く、山田流は丸い)と、「楽器に対して座る位置」(生田流はやや斜め、山田流はまっすぐ)がある。また、生田流は地歌三味線と共に器楽曲、いわゆるインストゥルメンタルの演奏楽器として、山田流は歌の手付(伴奏)として発展してきたという違いもある。現在、奏者の多くは生田流だという。
八木さんは現在、計20面ほどを所有。「箏には寿命があり、木が枯れすぎる(乾燥しすぎる)と音が悪くなる。自分には気持ちよくいい音に聴こえるけど、客席には芯のないスカスカな音で聴こえてしまいます」
―楽器の入手方法は、やはり専門店ですか?
そうです。厳密に言えば、楽器屋さんが持ってきてくれたいろいろな木の中から自分で木を選ぶことから始め、楽器屋さんを介して職人さんに作ってもらうんです。完成品を買う場合は、初心者用だと10万円ぐらいですね。それ以下のものもありますが、経験上、完全に木が乾燥された状態で製作されていないものが多く、早いと一年で木全体が曲がってくることも…。基本的に1本の木で一つの箏(数え方は一面)を作り、板(表は槽=甲羅、裏は龍背<りゅうはい>と呼ぶ)の硬さや木目の密度によって音色も違ってきます。高いと、素材の木だけで百万円以上します。
裏面の音穴<いんけつ>の中の処理は、音、また価格に大きく影響。左は約20万円だが、音がより響くよう複雑な彫りを施してある右は約120万円。
箏は古来より十三絃の楽器だったが、そこに低音絃を加えた十七絃箏が大正時代末期から使われるようになった。考案したのは、やはり宮城道雄だ。だが八木さんは、十七絃にもう一本低音絃を追加した十八絃(十七絃ベース箏)、さらに二十一絃の箏をメインに使っている。

左から十三絃、十七絃、十八絃、二十一絃。二十一絃箏は、普通の十三絃箏とほぼ同じ演奏テクニックでコード対応ができるようにしたもの。「通常、レの隣の絃はソだったりと、ペンタトニック・モードで調絃されています」
―絃の張替えを専門職に任せず、ご自分でやっているそうですね。
特別な場合以外は、いつも自分でやっています。ギタリスト同様、自分の楽器の絃の張替えや調整ができないのはおかしいと思っているので。ちなみに箏は、通常、曲ごとに柱(じ)を移動して各絃の音程を変えます。基本的に1面1曲なので、リサイタルなどでは、調弦換えの手間を省くためや曲の個性に合わせた音色の楽器にするため、曲ごとに楽器を変えたりもします。
―1面1曲だと転調に対応するのが難しいですよね。箏の古典曲には転調がないのですか?
あります。ただ、西洋音楽のようにがらがら変わっていくことはありません。転調は音楽を広げ発展させていくためのものだと思いますが、箏は構造上むずかしいというだけでなく、そもそも日本の伝統的音楽はそこに美学を求めなかったように思います。「いかに壮大な宇宙を作り上げるか」といったテーマではなく、「限られた音域の中でいかに細かいニュアンスを表現するか」というように、もっと内省的な世界観に美学を見出していたのではないでしょうか。
―では、早速八木さんのエレクトリック箏の仕組みを教えてください。マイクを付けているのですか?
龍角の下にピエゾ・ピックアップを内蔵しているんです。私は、フリー・ジャズ、特にサックスやドラムスなどとの大音量でのインタープレイが多く、転調はもちろんのこと、音色やトーンをいろいろ変化させるためにポグやディストーション、リバーブなどエフェクター類もたくさん使っているので、必然的にエレクトリック箏を使うようになりました。
普通の箏だと、どうしても音色がキンキンしてしまうのですが、ピエゾを内蔵したエレクトリック箏だと音色がふくよかで長時間聴いていられるし、倍音も少しですが和らぐ。構造的にはオベーションのアコースティック・ギターに近いかな。ヴァイオリンとエレクトリック・ヴァイオリンの音色が違うように、生の箏とは音色も違うし、もう別楽器と言っていいほどですね。ピエゾを仕込んだり、様々なエフェクターをかませたりと、少しずつ自分の音と演奏方を作り上げてきましたが、その過程には、共演する演奏家やエンジニアなど、周りの人たちからのたくさんのアドバイスがありました。
筆者が八木美知依の名前を最初に認識したのは、90年代初頭、ジョン・ゾーンやエリオット・シャープらの共演者として。その後、音源として初めて聴いたのは、彼女を含む4人の女性箏奏者から成るコト・ヴォルテックス(Koto Vortex)というグループのデビュー作『Koto Vortex I:Works by Hiroshi Yoshimura』(93年)だった。 その後も彼女は、邦楽器でロックを演奏するグループ、コクー(Kokoo)に参加する傍ら、エレクトロニクス系実験音楽家 Haco や Sachiko Mとの女性トリオ、ホアヒオ(Hoahio)でも活動するなど、表現の幅を広げていった。