しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ネットが批判ばかりになってしまうのは高齢化が原因説

※この記事は高齢化によってネットの知的レベルが下がるのではないかと主張していますが、だからといって高齢者が悪いと言っているわけではありません。むしろ「誰も悪くないよ」というのが主旨です。

ネットの知的レベルは下がってる?

ってkawangoの人が言ってた!

僕もわりとそう思ってて、「その原因はなんだろう?」「そもそもネットの知的レベルは下がってるのか、自分がそう感じてるだけなんじゃないか?」などと色々考えてたんだけど、仮にネットの知的レベルが下がる一方だとして、「その原因は単純に高齢化なのでは?」という気がしてきた。

これからはネットを普通に使う世代が高齢者になる

今の高齢者は、社会保障費で現役世代に負担をかけたり、よくわからん理由で怒鳴ったり、たまに車で突っ込んでくることもあるが、インターネットには疎い。

しかし、今後高齢者が進んでいく今40代くらいの世代は、ネットで当たり前のように情報発信することができる。つまり、これからは「ネットを使える人たち」が高齢化していく

僕が認識している範囲ですら、すでに10年くらいbotみたいなことを言い続けているアカウントも存在するし、さらに10年、20年とそれを続けている姿が想像できてしまう。

プラスに注目するかマイナスに注目するか

ある物事に対して、そのプラス面を見て評価するか、マイナス面を見て評価するか、という分け方をしてみるとする。

プラス面しか見ない場合、コミュニティが他者性を失って暴走しがちになる。
マイナス面しか見ない場合、何もしない人たちが挑戦した人の失敗を責めるようになってパフォーマンスが落ちる。

どちらが良い悪いではなくバランスが大事。プラスとマイナスの両方を踏まえて評価できるのが理想ではある。

マイナス面に注目して、「コイツは悪者だ!」と定めた対象を批判すると手軽に快楽を得られるのだが、物事のマイナス面だけを見てしまうフィルターが自分の中に形成されることに対しては注意が必要。人に適用したものはいずれ自分にも適用される

誰かを批判する行為を当たり前のように繰り返すと、「じゃあお前はそんなに言えるほど価値のある人間なの?」という形で批判が自分に跳ね返ってきて、挑戦する気力を失ったり鬱病になるリスクが増える。

マイナスに過剰にフォーカスする視点を持つと、あらゆる卓越が難しい時代に政権を運営しているということを考慮せずひたすら与党を叩いたり、産んで育ててくれたという大きなプラス要素を無視して親のちょっとした言動を恨み続けてしまう。

政府批判や親批判を止めろというわけではない。ただ、その手のものはネットでは色んな義憤にブーストされて拡散されやすく、それゆえに危険だ。「批判する対象を見るときのフィルターが自分自身に適用されたらどうなるか」をよく考えたほうがいい場合もある。

マイナス面しか見ない人たちの価値観

マイナス面だけに注目するのが当たり前になった人たちは、最終的には「何もしないことが最良!」という価値観を支持するようになる

ほとんどあらゆる行動にはプラス面とマイナス面があるので、プラスを加味せずマイナスのみを見る場合、何もしない人が最高点を得られることになる。(「健康を極限まで追求するなら生きてることが身体に悪いので死んだほうがいい」のと同種の皮肉だ。)

何の意図も欲望も持たない人間をみんなが見習うべき(ただしそういう人間の生活や権利の保証は現場の人が何とかするべき)という考え方で、ネットで無限に批判し続けているような人たちはそういう価値観に順応するようになっていく。

これは、「誰かを責めたてる発言をネットに書くこと自体がハラスメントに類するものなのでは?」というところまで考えが行き着かない限りは、何もせずに何かを批判したい人にとって都合の良い考え方と言えるだろう。

最初のインターネット老人世代は圧倒的に数が多い

人は加齢によって行動力を失ったり行動に制約がかかるので、「何もしないことが最良!」という価値観と相性が良くなっていく。そのため、プラスを見みずにマイナスだけを見てネットが批判ばかりになっていく傾向は、高齢化によってますます進んでいくのではないかというのが今回の話

当然だが、誰もが加齢によって批判しがちになるわけではない。ただ、今の高齢者世代が現役世代に負担をかけていると平均的には言えるのと同様に、マイナス面がフォーカスされる傾向は強まっていくだろうということ。

そして、問題は人口の極端な偏りにある。日本の人口ピラミッドを見ると、今の40代から20代にかけて最も急なカーブがあり、最初のインターネット老人世代は若年層に比べれば人口が圧倒的に多い。なんだかんだ数は力なので、ネット言論の世界では、若い世代であってもインターネット老人の価値観に寄り添った発言が支持を得られるようになる可能性が高い。

これは、今の日本で余剰資金を持っているのは老人世代が多く、銀行や保険や証券、あるいは各種サービス業が、介護事業の性質を帯びてきている実情と似ている。

人口のボリュームゾーンである老人世代が好むように同世代をバカにするスタンスの若者がポジションを得てしまえる環境は、決して幸福なものとは言えないだろう。

ネットで何かを発言する氷河期世代は弱者なのか?

世代間の格差は考慮するファクターが多すぎて論じるのは難しいが、就職氷河期(ロスジェネ)にあたる世代が厳しい状況だったのは間違いないと思う。

ただ彼らは

  • 人口が多い
  • 貧乏くじを引いた世代
  • 若いときにインターネット黎明期を経験した
  • (仕事を退職した場合は)可処分時間が長い

という有利な要素が揃っているので、匿名(半匿名)でオープンな議論が展開されるネット言論では最強の世代だ。

基本的にネットでは弱者のポジションが有利だが、それゆえに、ネットで何かを主張する場合においては彼らは弱者とは言えない。

公開性それ自体が腐敗することはありうる

kawangoの人が、情報公開制度って真面目に働いてる人の時間を無駄に奪うからクソだわ(意訳)と言ってて、支持はできないけど、わからないわけでもない。

現代的な教育を受けた人は「国民に情報が公開されているから健全なのだ」という考え方になるだろうし、間違っていない。ただ、「公開性」自体が腐敗していくこともありうるのではないか。

「公開性」は重要だが、ある観念や制度が絶対的に正しいと考えるのは違う。

「自分は何もする気がないけどあらゆるものに難癖をつける」という人が大多数を閉めれば、公開性は腐敗していく

「公開性が破壊されたときに権力が暴走するんだ!」と主張する人たちは、「じゃあその公開性が破壊される原因は何?」となったとき、政治家の個人的な邪悪さなどを挙げたがる。しかし、内側から腐っていく(自分たちがその原因)という考え方には思い至らない。

「健全に機能していたものが邪悪な存在によって破壊されるから、それに対抗しなければいけないんだ」という考え方はフィクションではよく見られるし、多くの人がそういうフレームを採用するのだけど、実際にはそれ自体が腐臭を発し始めて、耐えかねた普通の人たちが壊したがる、というパターンが多いのではないか。

社会には再帰性があるので、何かを批判する人たちはその対象と似た性質を持つ。例えば「謝ったら死ぬ病の政治家」は、非を認めて謝罪することを正当に評価できない国民の反映でもある。何やっても批判しかしない有権者を相手にすれば、政治家も同じレベルのやり方をする。

情報が公開されていることも、誰でも自由に発言できることも重要だが、その権利を当たり前のように享受する人たちがそれを腐らせていく。

今の日本の民主主義という政治制度は少子高齢化によって歪んでいるが、「公開性」や「オープンな言論」も同じように歪んでいくのかもしれない。

kawangoの人が、ネットの匿名性が大事だからあえてidを使うとか、居場所としてのネットを主張するのも、彼がこれまでやってきたことを考えれば筋が通ってるし、思い余るものもあるけど、その価値観を発言する土壌がすでに腐ってきているように思えてなんかツラいなーという感じ。

誰も悪くない

「高齢化に結びつけるのってどうなの?結局は批判ばっかりするやつが悪いんじゃないの?」と思われるだろうし、もちろん年齢よりも個人に拠るところのほうが大きいだろう。ただ、メンタリティや構成員の特徴に帰結するより、「人口構成の推移が原因」とするのが最も穏当だと思った。世代で区切るのはバカバカしいが、世代論の一番のメリットは具体的な誰かに責任がないところだ。

誰も悪くないというのが大事。「マイナス面しか見ないやつらはクズだ!」「○○が悪い!」と言ってしまうと、当の批判した対象に回収されてしまうだけだ。あと僕のこの記事自体も、自分でコストを支払って環境を良くする気もないのにネットが駄目になっていく的な主張をしている点で、褒められるようなものでは決してない。公開性と閉鎖性のバランスがとれたネット言論の再設計は可能だろうか、ということを考えてはいるけどたぶん難しい。

ただ、仮にネットの知的レベルが低下したからといって、世の中がそれほど悪くなるわけでもなく、「批判ばかりの中で行動できた人が成長する」とか「誰かを褒めて支援する文化のある界隈は発展する」という身も蓋もない話になるだけなのではないか。

プラス面を認めることのできる集団は豊かになるし、マイナス面を見て批判ばかりする集団はそれで溜飲を下げることができるので、まあそれなりにバランスがとれてるんじゃないかとすら思う

人間の質が劣化したとか、何かが失われたとかじゃなくて、「高齢化だから仕方ないよなあ」と結論づけて気持ちを落ち着けよう。個人的に色々思うところもあるが、あまり不満を言っても意味はないから、この手の記事を書くのもここらへんでやめておきたい。

個人がどういうスタンスでやっていけばいいのかはもっとずっと簡単で、汚い言葉を飲みこんで誰かの良いところを積極的に褒めれば豊かになってくルートに入れる。ある意味ではとてもわかりやすくて希望のある環境だ。批判も必要なことだが、周りが批判してばっかりなら褒める側に回ったほうがいい。

僕もこういうことをブログでいちいち書いてしまう時点で底辺の陰キャなので、もっと女性から好かれるようなクリエイティブな方向にジョブチェンジしていきたい。VTuberになったりボカロ曲つくったりとか。