冬期オリンピックを境に、朝鮮半島での南北間の交流が増えていて、38度線での開戦は非現実的なものになってきていますが、日本だけは相変わらずに、北朝鮮を徹底して敵視する政策を改めることができず、十年一日の如くに拉致が拉致がと埒のあかないことを言い続けているという、国際的に見れば惨めな状態になってしまっています。

 韓国の対北朝鮮政策は柔軟であり、北が強硬姿勢をとればそれに対しては対決姿勢をとる、友好的に出れば今回のような突然ともいえるオリンピック参加でも受け入れるといった対応もとります。国際関係の中では、このような柔軟な対応ができなければ置いて行かれます。

 ところが日本は、拉致被害者家族会を絶対的な存在に祭り上げてしまっているために、どのように情勢が変わろうが、拉致問題が被害者家族会が納得するかたちで解決しない限り、対話すら出来ないとする硬直しきった姿勢のままです。

 これでアメリカが北朝鮮との対話を始めたら、日本は蚊帳の外になって孤立するしかなく、拉致被害者家族の個人的な復讐感情と国家の外交が心中することになってしまいます。

 拉致事件が発覚した後、猫も杓子もブルーリボンバッチなるものを付けなければ日本人ではないような状況になって、日本人であるかぎり拉致被害者家族の北朝鮮への復讐感情を共有しなければならない、それを持てない者は北朝鮮の手先だといった社会的な空気を作ってしまいました。

 北朝鮮との対話の必要性を話したときに、それを横田滋さんの前で言って来い、横田滋さんが良いと言ったら言えと、言われたことがありますが、いつの間にか日本では拉致被害者家族が、一般人の言論まで制限できるようになっていたのです。

 テレビで某氏が、拉致被害者はもう死んでいると言ったら、吊し上げの袋叩き状態になったこともありました。事実は口にしてはいけない、日本に住む限り拉致被害者家族の願望に同調する虚構のなかでの言論しか許されないという状態になっていました。

 こんな過疎ブログで、エープリルフールの冗談ネタにしただけで、もしも拉致被害者家族が読んだらどうする、ネタにして良いことと悪いことがある、などといった非難が浴びせられます、どんな場合でも日本に住む限りは拉致被害者家族の意向に反することは許されないといった社会になっています。

 その結果として、北朝鮮の態度が変わっても、韓国のような柔軟な対応が出来ず、拉致、拉致と言い続けるしかないという、外交的に見れば至愚ともいうべき状態に立ち至っています。

 社会全体が、外交関係の持つ複雑な変化に対応しうる柔軟性を捨てて、ごく限定された人数の人たちの復讐感情に同調しなければいけない、と決めてしまってやってきたことが、今になって国益を大きく損なっている事実に、拉致被害者家族を持ち上げてきた人たちは気が付くべきです。


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