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八幡和郎氏の所説への疑問 意外と近い中国と日本・琉球 筆者は先(*1)に、言語学者・橋本萬太郎氏の発言を引用して、長江下流域の中国語方言と沖縄の言葉との発音組織の共通性について言及し、沖縄の言葉(琉球語)が大和語(日本語)と長江下流域の言語との混合言語である可能性について言及した(*2)。 しかし、それに対し、ことさら浙江省・江蘇省(長江下流域)から東シナ海を横切る航海の危険性を指摘する言説もある。それは、元通産官僚という徳島文理大教授・八幡和郎氏であるが、ここで少し氏の発言を引用してみる。 「東シナ海の風波は高い。しかも、風向きがかわる。だから、江南地方から沖縄、鹿児島、五島列島などに簡単に航海できるものではない。」(*3) 「中国人の地理観として琉球は福建省の先にあった。浙江省や江蘇省から東シナ海を横切る航海は常に危険が高いものだったからで、福建省からが安全だった。」(*4) 一方、考古学者・森浩一氏は戦争中の話として、中国のジャンク船で寧波(浙江省)沖を船出して、20時間ほどで唐津に到着した人の経験を紹介し、長句下流域と九州との「意外な近さ」について言及している。もとより、森浩一氏は「江南から二〇時間かけて来られるといっても、海流とか風とか、季節によるクセとか、長年の経験と技術で熟知している連中だから来られる」と断っている(*5)が、筆者は伝聞ながら実体験に基づいた話という点で森浩一氏の方に軍配を上げたい。 確かに、東シナ海横断経路を取った遣唐使の難船率などを見ると、八幡氏の所説に肯きたくなるが、これはやはり航海術の未熟さによるものであろう。先に挙げた長江下流域と沖縄の言葉との共通性などを考えれば、東シナ海を横切っての航海は決してまれではなかったのではないか。 どうも、八幡和郎氏は、その著作(*4)から見ても、政略的に沖縄と中国(特に長江下流域)との関係を縁遠いものに印象づけようとしている感がある。思うに、氏は橋本萬太郎氏の言説を知っていて、それを否定するために「危険」説を唱えているのではないだろうか。 それによって結局、「中国文明は韓国"素通り"で日本にやってきた」(*3)と主張しながら、稲作などが長江下流域から日本列島に直接伝播した可能性を否定してしまっているのだが、この問題については、また稿を改めることにする。 (*1) 拙文『沖縄は中国と最も縁遠い存在なのか』(2018年1月) (*2) なお引用した橋本氏の発言は、同氏編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』山川出版社 1983年終章『座談会「現代の漢民族」』に載せられたもの。なお、橋本氏は『現代博言学』(大修館書店 1981年)において、「沖縄の言葉(琉球語)が大和語(日本語)と長江下流域の言語との混合言語である可能性」について踏み込んで言及されているようである。 (*3) 八幡和郎『中国文明は韓国"素通り"で日本にやってきた』(『アゴラ』2018年1月19日) (*4) 同『ウーマン村本が知らない沖縄と中国の本当の関係』(『アゴラ』2018年1月17日) (*5) 森浩一編『倭人伝を読む』(中公新書 1982年) |
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反応が遅れましたが、遣唐使の危険性については、航海・造船技術の問題というよりは、朝貢使・朝賀使という外交的条件に制約され、出発・帰国の時期を自由に選ぶことが許されなかったことに大きな原因があった、との指摘がありますね(東野治之『遣唐使』)。 |
劉公嗣 2018/02/18 19:45 |
ご教示有り難うございます。 |
子欲居 2018/02/18 20:03 |
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