子供の頃、よく見た夢がある。
自分の視界の隅に見えていた誰かの顔が、何かの拍子にスイッチが入ると、むくむくと風船が膨らむように巨大化していく。
そして、ついにはわたしの視界一杯に広がり、わたしはその顔に押しつぶされそうになる、という夢だった。
押しつぶされそうになった瞬間わたしは夢から覚める。
いつも同じ誰かの顔だったが、その顔はパンパンに膨れ上がり、表情が読み取れない。
顔に心当たりもなかった。
ある夜のことだった。
またその夢を見て目を覚ましたわたしは路上を歩いていた。
寝巻き姿のままだった。
あたりの景色を見て、幼稚園に行こうとしているところだ、とすぐに分かった。
もちろん、わたしが幼稚園に通っていた頃の話だ。
どうせだから幼稚園まで行ってそこで一休みしよう、と思い、しばらくそのまま歩き続けた。
ところが、外はまだまだ暗いし寝巻き姿ではかっこ悪いし、やっぱり一度家に帰ってから出直さないと、とわたしは思い直した。
わたしは家に着いてから何事もなかったようにもう一度布団に入り、その次は朝までぐっすりと眠った。
あのね。
どれが夢でどれが現実か、それは誰にも分からない。
どこまでが夢で、どこからが現実かって、それはもっと分からない。
肝心なことは、どれを信じるかということ。
信じた方がきっと現実なんだと思う。
あのね。
夢から覚めた現実と、その現実からさらに目覚める、ということがあるみたい。
これを覚醒すると言う人もいる。
と言うことは、現実そのものが夢なのかもしれない。
覚醒すると、自分が自然の一部であるということに気づく。
ここで言う自然は、宇宙全体って言っていいのかもしれない。
大いなるものと言う人もいる。
本来、動物たちには個という意識はなくて、自然と一体という感覚しかない。
人間はそこから進んで個という概念を生み出した。
自分たち人間を自然から切り離し、さらに自分と他人とを切り離そうとした。
それが個という概念だ。
本当はそんなものどこにもないのに、人間が勝手に作り出した。
人間はそうやって生み出した個という存在の中に自分を感じようとしたのかもしれない。
けれど、それは逆に、個の中に自分を閉じ込める結果になってしまった。
閉じ込められたわたしたちは自然と繋がる術を失い、深い眠りに落ちていく。
そして、深い眠りの中で夢を見る。
お目醒め。 起きた?
夢を見ていたの?
寝言 言ってたけど。
そうよ。 朝よ。
10時間ぐらい寝てたんじゃないの?
呆れる程よく寝てたよ。
さ、起きて 起きて。
支度して。