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「藤沢カントリー倶楽部」がありました
「藤沢カントリー倶楽部」(1932~1943年)

クラブハウスは、アントニン・レーモンド設計で、屋根瓦が緑色だったことから「グリーンハウス」と呼ばれ、神奈川県立体育センター合宿所として現存している。女性専用コース「メリーゴルフ倶楽部」が、一時期併設された。
藤沢ゴルフ株式会社が、当時の藤沢町御殿山(現在の藤沢市善行)に191,709坪の土地を497,590円で買収し、石井光次郎、堀米庸之介、田中善三郎、赤星四郎(赤星六郎の兄)をコース建設委員とし、セント・アンドリュースを設計したゴルフコース設計者チャールズ・ヒュー・アリソンにも意見を求めコースを建設した。 1932年(昭和7年)5月開場した。
東久邇宮稔彦王、岩崎小彌太、近衛文麿、大仏次郎、鈴木三郎助などがプレーし、日本有数のチャンピオンコースでもあった。
1933年(昭和8年)日本プロゴルフ選手権大会が行われ当時はマッチプレー方式で優勝はラリーモンテス(フィリピン) 現在も日本プロゴルフの頂点を極める大会。

1938年(昭和13年)日本オープンゴルフ選手権競技が開催された。日本のトップアマチとトッププロが出場、優勝は林万福(台湾)

日本プロゴルフ選手権、日本オープンゴルフ選手権はいずれもメジャー大会であり、藤沢ゴルフ倶楽部は、廣野、我孫子、川奈、鳴尾、茨木などと並ぶ名門コースだった。

*アントニン・レーモンド・・・・フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日。その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残す。日本人建築家に大きな影響を与えた。第二次大戦時アメリカの対日戦争協力者でもあった。
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