書評
『万物の尺度を求めて―メートル法を定めた子午線大計測』(早川書房)
メートル原器は改竄データで作られた
ここのところ姉歯元建築士や韓国人学者などデータの改竄(かいざん)問題が話題を集めている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2006年)。いずれも数値に人間心理という不純な要素が混じりこんだことで偽装が施されてしまったケースだが、いったい改竄はいかなる心理のメカニズムで起こるのか?万物の尺度たるメートル法制定にさいして起こったデータ改竄事件という史上最大の偽装工作を調べた本書は、この人間心理の複雑さを余すところなく教えてくれる。
フランス革命勃発直後の一七九〇年、度量衡委員会は、子午線の断片を実測して北極から赤道までの距離を割り出し、その一千万分の一を永久不変の単位「メートル」とすることを決めた。
かくして、一七九二年六月、ドゥランブルとメシェンという二人の天文学者がボルダ考案の測角器を携え、パリから北と南に出発した。ダンケルクからパリを通ってバルセロナに至る子午線断片の長さを三角測量法に基づいて測地しようというのだ。二人は一年後に測量を終えて中間点のロデーズで出会うことになっていた。
だが、刻々と変化する革命状況によってミッションは想像を絶する困難に直面する。測量基準点となる教会尖塔などが革命の蛮行で破壊されていたばかりではない。ドゥランブルはギロチンにかけられそうになり、メシェンはフランスのスパイと疑われて長期間拘留された。しかし、それから七年後、南仏のカルカソンヌで再会を果たした二人は世界初の国際科学会議に測定データを提出するに至る。「二人の労苦の成果は、無垢(むく)の白金からなるメートル原器という結晶となり、大切に保管されることになった」。ナポレオンは「征服者はいつかは去る。だが、この偉業は永遠である」と宣言した。
二人は称賛され、位人臣を極めたが、やがてメシェンが不可解な行動に出る。子午線測量をバレアレス諸島まで延長すべく現地に赴いたあげく、マラリアに冒されて客死したのだ。
メシェンのデータは遺族から、『メートル法の起源』を執筆中のドゥランブルに手渡されたが、ドゥランブルはそこで驚くべき事実を知る。「彼はメシェンのバルセロナの緯度データとモンジュイの緯度データが矛盾することを発見した。さらに、なお悪いことに――はるかに悪いことに――、その矛盾をごまかすための意図的な糊塗(こと)、結果の隠蔽(いんぺい)、測定結果の改竄が行なわれていたことを発見したのだった」
だが、すべてはもう終わっていた。白金製のメートル原器は神聖なものとして奉られ、メートル法は法律となっていたのだ! ドゥランブルは残されたデータを元にメシェンの旅を再構築し、改竄と隠蔽の過程を突き止めようとした。間違いの原因は、メシェンがモンジュイ山で緯度計算に使った恒星ミザールの測定値が、バルセロナでの再測定と大きく違っていたことにある。観測のミスか計算のミスか? 普通ならモンジュイ山で測定をやり直せば済むが、「敵国」スペインで再測定は不可能だった。メシェンは悩みに悩んだ末、データを改竄し、ドゥランブルの結果と辻褄(つじつま)を合わせることにした。「両者のデータが驚異的な一致を見せていたのは、でっちあげだったのだ」
ドゥランブルは再構築したメシェンの日誌の余白にすべて告白した後、メシェンの手紙とともに封印し、パリ天文台の書庫に保管した。二〇〇年後に封印を解いた著者は、科学における誤りの発生と、苦汁の心理のドラマを見いだしたのである。
データを扱うのが人間であるかぎり、誤りは起こりうるという教訓に満ちた書。(吉田三知世・訳)
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