観ました。公開初日と、それと昨日にもう一度。色々な意味でおそろしい映画で、山田尚子監督作品を今後もずっと追っていこうと改めて思わせられたすごい映画でした。
まあ鑑賞しての第一印象は「傘木希美の理解者が誰一人としていないのがいたたまれない。吐きそう」だったんですけど……。
※以下いちおう映画未鑑賞者閲覧非推奨で
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【感想】
【演出全般について】
持つ者と持たざる者とのすれ違いやそこに生じる心の痛み〜〜といった王道ゆえに手垢つきまくりで食傷気味になりやすく難しい題材を、みぞれと希美の二人だけの小さな世界を描くという選択と集中と、それを全方面において記号的表現を徹底的に排除し真摯に描き切るという一点突破によって唯一無二の作品に仕上げてきたところが圧巻で、また山田尚子監督作品に「すごいものを観てしまった……」という思いにさせられてしまった。
どのカットにも演出に意図や仕掛けがあり、無駄なカットが一つもないという洗練度の高さはこのシリーズに対してはいまさら言及するまでもないですけど、加えて本作は、日本人のクラシカルな価値観や美意識を大切にしつつも、日本産アニメの連綿たる歴史において積み上げられてきたであろうシナリオやキャラクターデザインや音声等々各種表現のデザインパターンから脱却して新しい表現を追い求めようという(それはダイナミックなシナリオ展開や仰々しい台詞やお節介なナレーション等に頼らず、微細なまなざしのブレやひとつひとつのしぐさや揺れる髪の毛や足音や環境音やらで”行間”を極めて写実的に表現しようと全霊をかけているさまから感じられる)、京都アニメーションのクリエイターとしての矜持をひしひしと感じます。
んでやはり特筆したいのは、もはや完璧と言っていいのではと思うほどの映像と音楽の調和で、これはもう本当に本当に素晴らしくて筆舌の尽くしようがないです。ひりつくような青春を生きる少女たちの心の機微がまばたきや息遣いの一つすら逃さないと言わんばかりの真に迫る描写で表現され、その問いかけに寄り添いささやきかけるような劇伴とSEがまた素晴らしいという。(称賛したい点は枚挙にいとまがないですけど、特に足音がいいですよね……「足音がいい」って感想を映画観て抱いたの初めてではないだろうか)
んでんでんで劇伴もそうですが言及を忘れるわけにはいかないのが今作にて描き下ろされたメインディッシュの吹奏楽曲リズと青い鳥で、昨日サントラが届いたので今日ずっと聴きながらこの文章を書いているんですけど、ドラマチックなメロディと展開が最高に心地よいです。自分も吹奏楽やクラシックの経験と教養を有していればもっと具体的なあれやこれやの感想を書き連ねられただろうに歯痒い。楽曲部分については音楽経験者の知人友人らから感想を色々と聞いてみたいなあという思いはこのシリーズを追いかけ始めてからずっと持っています。
なんかケチをつけるところがひとつもない。自分が山田尚子監督作品に心酔しきっている所為もあるかもしれないけど。この映画は完璧なのか……?
【人物とその心象描写について】
※ここから以下は個人的嗜好とかのもとで文章が割とめちゃくちゃです
(自分は原作読了したあの日から傘木希美に感情移入しまくってしまっていて気が気じゃないって感じだったという前置きのもとで書きますけど、)まず傘木希美についてなんですが、初回鑑賞後の感想は「(理解者(主に黄前久美子)が不在でも)自分一人で自分の気持ちに折り合いをつけることができるほどに強い子だったのか!」だったんですが、そりゃ全然間違った解釈で、二度目の鑑賞にて「理解者が一人もいてくれないせいで自分一人だけで自分の気持ちに折り合いをつけるしかなかったんだ……」ということに気付いて頭ぐらぐらしました。黄前久美子は……黄前久美子はどこ……
みぞれとの(一応の)和解を経て二年生のうちは幸福な日々を過ごしていたであろうに、三年生になり進路という現実が眼前に立ちはだかり、煩悶としているさなかにみぞれが新山先生に音大進学を奨められたという事実を受けて、気付いてないふりをしていた嫉妬心と自身への失望が一気に噴出してきてガタガタに崩れ始める(けれど高い自制心でそれを表には決して出さない)という一連の描写は、持たざる者の心をザクザクと抉ってきて戦慄します。原作には黄前久美子という懺悔を受け止めてくれる上に自分が本当に欲しい言葉を的確に返してくれる存在がいたけれど、この映画には代替となる存在がいない(久美子に比べて優子も夏紀も距離が近すぎるが故に公正で適切な審判を希美に下せない)ためにいたたまれなさが本当にひどい。特に、この映画での希美は、つらかったり悔しかったりして泣きたいときに無理して笑ってしまう子になってしまっていて、自身への失望と諦観を滲ませたその作り笑顔を見せられるたびに「ああきみは笑うことも泣くこともこんなに下手くそになってしまって……」みたいなどしんどい気持ちになる。結局、合奏練習にてみぞれの演奏にうちのめされたのちに誰を介することもできないままみぞれと一対一で対峙する羽目になってしまっているのはちょっと酷だなあと……。
ただ、希美の拒絶に屈せず無償の愛情(一方的だが)を投げつけて来たみぞれに対して、なんとか自分の心に折り合いをつけて持たざる者なりの矜持を保つことを希美が宣言してのけたのは本当にかっこよくて称賛したい。(そこが一番いたたまれないところなんだけど。)一旦は部活から逃げて、今度は進路から逃げて、みぞれから逃げて、自分自身からも逃げ続けていた希美が、最後に全てから逃げないことを選んだのはとても尊いなあと。
まあ見方によっては「好きだよ、みぞれのオーボエ」は鎧塚みぞれの心を一生傘木希美へと縛り付けるための呪いの言葉ともとれるのでそこも恐ろしいんですけど。オーボエ奏者であり続けなければ、鎧塚みぞれは傘木希美に「好きだよ」と言ってもらえない!恐ろしいすぎる。
で鎧塚みぞれなんですが、こちらはこの散文を書いている現時点でなんかあまり語ることが見つからない。アニメ2期作中では思春期まっただなかの内気な子が抱える悩みがそのまま擬人化されたような存在だったためにいとおしさもひとしおといった感じでしたが、そのアニメ2期から描かれ方にほとんど変わりがない(希美に対する執心が行動の動機であるという点に変わりがない)ので、みぞれ視点からのシナリオ展開は心象描写という面では基本すでにアニメ2期で描いたことのリフレインかなあと。いやこれは傘木希美への感情移入が強すぎる発言だな……。
優子や夏紀、梨々花、久美子、新山先生といった、自分をとりまく存在の大きさと尊さに気付くことができればこの子はもっとしあわせになれるはずだろうになあと思ってやみません。でもそうした精神的成熟を迎えたとき、鎧塚みぞれの心中で傘木希美はどういった存在に昇華されるのかなあというのが気になります。この子たちの「それから」を思い始めるとこの作品から帰ってこれません。
以下他の人物についてだらだらと
・剣崎梨々花
鎧塚みぞれと傘木希美の二人だけの視点によってシナリオが展開されていく本作中において新入生という新鮮さと愛くるしいキャラクタが重苦しい雰囲気になりすぎるのを避ける清涼剤として機能していて、鑑賞する側にとって非常にありがたい存在だった。
無下に扱われてもへこたれずにコミュニケーションを挑み続けて、みぞれにリードを作ってもらえたりプールに誘ってもらえたりデュエット練習してもらえたりするまで辿り着いたのはほっこりする。みぞれの精神的な成長の一助を果たした点においても素晴らしい存在でした。ただシナリオ中における役割を全うして以降一秒も登場しなかったのは作劇上の都合を伺わせるものとなっていて落涙を禁じ得ない。かわいいのに……。あと初夏でもカーディガン着てるの暑くない?
・高坂麗奈
あくまで鎧塚みぞれの演奏(演奏力の高さ)に対してのみ関心を持っており、みぞれと希美の関係性には興味がなく、また演奏力という観点において傘木希美は眼中になく一切言及もないという点が、傘木希美は持たざる者であるという印象を強調しており、その生々しさに頭痛が止まない。
あと、「おい鎧塚、うちらがソロパートの吹き方教えたるわ」的なアレを突然見せつけてきたのが笑える。
仕事をしていない女。おまえだけが傘木希美を救済してやれるのになにをしているんだ。はたらけ!
・吉川優子と中川夏紀
今作でもやっぱりふたりとも優しい子だった。でもその優しさが希美とみぞれのためになっていないという点で絶妙にもどかしい。ほんとうにこの4人の関係性は劇的な作用をしており、キャラクタメイキングの妙だなあと。
・新山聡美
鎧塚みぞれに羽ばたき方を教え、傘木希美の自尊心をへし折るためだけに現れた女。配慮なき良心はときに人の心を傷付ける……。
・秀一
一秒も出番が与えられなかったのに部費滞納の事実だけが晒されていて笑える。
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【結び】
映画聲の形を観た時も山田尚子監督の才能に戦慄しましたが、今作もまたあの鑑賞時の気持ちがリフレインしてきました。素晴らしい映画を観せていただけて万感の思いです。早く円盤が欲しい。