すごい真面目なこと書きます。
面白いことは1つも言えません。
でも、もしよかったら、読んでもらえたらうれしいです。
今回のTOKIO山口達也氏の強制わいせつ容疑報道を見て、思い出したことがある。
16歳の時、1ヶ月アメリカでホームステイをした。まだ英語が物珍しくて、英語ってすごいものなんだって思っていて、学校で習うぐらいしかわからない頃。そもそも親元離れて1ヶ月、は、なかなかハードルが高く親の許可をもらうのに何ヶ月もかかった。
でもその1ヶ月は私の人生に間違いなく大きな影響を与えた。
ホストファミリーや出会った友人、引率の先生。優しい人に囲まれ、私は洗いたてのタオルが水を吸うようにものすごいスピードで自分が触れる「アメリカ」の全てを吸収していた。
本当に毎日バーガーやらステーキを食べる生活。煮物なんてないから野菜と言ったらサラダかスープのみ。ビールを飲みたいが太りたくないからといって夕ご飯を食べないホストマザー。気にせず食べるホストファザー。
東京と違ってどこも驚くぐらい広い道を走る大きな車。
日本では見たこともないような大きな洗剤の箱(ボトルですらない)、日本で普段家にある牛乳パックなら3倍以上のサイズのガロンボトル。それらが置いてあるスーパーのサイズもアミューズメントパークのような大きさ。
授業中に先生が話してても御構い無しに質問をするクラスメイト。
ホームアローンの頃のマコーレカルキンにそっくりでとても可愛かったホストブラザーは、ホストマザーがいないときに「とっておきのおやつをこっそり食べよう」といってスイカぐらいある大きな瓶からピクルス丸々一本にかぶりついて美味しそうに食べ、私にも勧めてきた(当時私はピクルスが大の苦手で、もしかして私が作り笑いを学んだのはあのときだったのかもしれない)。
何もかもが初めてだらけで本当に新鮮でキラキラしてた。
でも、そんな楽しいばかりの体験の中で、全く楽しくない、けどこれがアメリカなんだ、と私の脳みそに決して消えない焼印を押すようなことがあった。
ある日、同じグループで渡米していた友達に相談された。
ホストマザーとその「彼氏」の住む家にステイをしている彼女は、ホストマザーがいないときに限ってその彼氏に「アメリカ人は家の中ではブラジャーを外すものなんだ。だから君もブラジャーを外すべき」と言われる、と。そんなことを言う男性と家で二人きりになるのが怖くなってきたけどホストマザーには申し訳なくて言えないし、誰にも言えない、と。
あとからうっすらわかったのは、その「彼氏」はホストマザーの「ヒモ」だったし、ホストファミリーの中にはホストファミリーになることによってもらえる金銭を目的に受け入れをする人もいるということだったから、そのホストマザーは金銭が目的だったらしい、ということ。
そんなことは当時の私は知ることはなかったけれど、明らかに何かおかしいことが友達に起こっていることはわかった。どうにかしなくてはいけないと思った私は、拙い英語でホストマザーのレスリーに、アメリカ人は家の中でブラジャーを外すの?と聞いた。その時のレスリーの顔を私は忘れられない。この子は何を言ってるんだ?と、何かが起こってる、が一緒に現れた顔。
「そんなの個人の自由よ。でも、なにかあったの?」
とレスリーは私に聞いた。何もないのにそんなこといきなり聞くわけない、なんて今ならわかるが当時の私は「何もない」と言い張った。でもさすがはアメリカ人女性、強かった。そこで引き下がるわけはなく、何があった?何もないのにそんなこといきなり聞くわけないわよね?と何度も聞かれた。そして私は友人のことを白状した。
私の拙い英語を聞き逃さないよう私の目を見て話を聞くレスリー、そして事情を察して言葉を失っているレスリー。暖炉もある大きなリビングで、落ち着かせるために私をソファーに座らせ、レスリーは私の手を握っていた。その時のレスリーの顔も私は一生忘れないだろう。なぜならレスリーの顔を見て事の重大さに気づいた私は最後には泣きじゃくっていたから。
「よく教えてくれたわね、ありがとう。」
と言われた。安堵した私にレスリーは続けた。
「あのね、私はこれから警察に電話をしなくてはいけないの。絶対にしなくてはいけないの」
と言われた。私は友人に「絶対誰にも言わないで」と言われていたからそれはやめてほしい、レスリーだけでどうにかしてほしい、と訴えた。
レスリーは
「この国ではね、力の弱い人に悪いことをすることは許されないの。あなたたちはまだ子供よ。そんなあなたたちにその「彼氏」がするようなことは絶対にしてはいけないの。彼は『Child molester(子供に性的いたずらをする人)』かもしれない。そんな人をほっておくわけにはいかないの」
と言った。
私は泣きながら、友達との約束を破りたくない、と訴えた。けどレスリーは聞いてくれなかった。
彼女は警察に電話をした。
私はレスリーが運転する車に乗り、パトカーの後ろについて友人が『Child molester』の男性とステイする家に向かった。何ができるわけでもないけど家に残っているなんてできなかった。助手席の窓に反射するライト。その場所へ無情にもわたしを運んでいくことを伝えるかのようにビュンビュン進む外の景色。家の前で無機質に、心を逆なでするようにピカピカと主張するパトカーのサイレンライト。それまで映画の中でしか見たことがなかったアメリカの警察官が無線で話す姿。うなだれたまま引きずられるように連行されパトカーに押し込まれる『Child molester』の男。女性警察官に抱きしめられるように抱えられて出てきた友人。彼女がわたしを見つけた時の目。約束を破ったわたしは責められると思ったけど彼女の目はわたしを睨みつけるでもなく脱力感で満たされていた。
自分の一言がきっかけとなって起こっている目の前の事態に、なぜか私はアメリカの力を感じた。
その後、友人は別のホストファミリーに移され、私たちは最後まで楽しくホームステイ期間を過ごした。正直、その後彼女になんて言われたのかだけ記憶がすっぽり抜けている。感謝されたのか、怒られたのか、その両方なのか。覚えてないけど楽しく過ごしたことは覚えているから私がしたことは間違えてなかったのだろう、と思う。
今回の山口達也氏の事件で、いろんな意見を目にする。
山口氏も悪いが、女子高生も悪い、という意見も目にする。
でも、16歳はまだ子供だと私は思う。
危険な目に合わないようにするためには、山口氏の家に行かなければよかった、とは、私も思う。でもその判断を16歳ができたかは私にはわからない。
なぜなら16歳だった私は「絶対に他の人には言わないで」という友人の告白を真に受けたから。
でも、私は間違っていたから。
あの時もし私がレスリーに言わなかったら、私の友人はどうなっていたのだろうか。
考えたくもない。
すべての人にとって「正しい世界」なんてないと思う。
誰かにとっていい世界は他の誰かにとっての悪い世界かもしれないから。
だけど、今回の事件で、改めて、この世界が、力の弱い人が理不尽な目に合わないですむ世界になればいいな、と思った。
では。