昨日の続きです。
 
 自分が学力不振で三流高校から三流大学にしか行けなかった。家族から、特に元校長の祖父からお前などはいじめ事件の加害者に勉強を教えてもらえば良いと言われた、その一方で人間には個々に才能や素質があるのだから、お前も頑張れば大丈夫だよといった気休めも言われ続けた、近所の人たちからは元校長の孫なのにと後ろ指をさされている、それがこの人の今の行動の根本にあると思います。

 この人の言動の原因は、その家庭の中にあって、家庭それをネットの中に逆噴射していると考えるべきなのです。

 家庭内のことから、この人が導き出した結論は、自分のような学力不振の人間は、どんな場合でもそれだけを理由に人から踏みつけにされて、酷い目に遭わされ続けて、泣きながら生きていくしかないのに対して、良い高校に行っていれば、いじめ事件の加害者になるという悪事を行なっても、出身校だけで世間からは高くて良い評価を得られて、有利な人生が用意されている、現在の日本はそのような学歴絶対の社会なのだといったものであったと思われます。
 
 現実主義者氏は、いじめの被害者に対して、「被害者の方がクズで生きている価値がないのだ」「被害者は一生泣いて生きて行けば良い」などと言います。これらの言葉を洞察力に乏しい人が読めば、いじめの被害者を誹謗中傷している、いじめの被害者や家族に二次被害をもたらすような言動であるとなってしまうかも知れませんが、その言葉だけを単独で取り上げず、現実主義者氏の主張全体を通して考えれば、いじめ被害者への誹謗中傷でないことは分かります。

 自分もいじめの被害者も、低学力の者やいじめ被害を受けた者がその権利を認められない日本社会においては、クズで生きている価値がないと言われて、一生泣いて暮らさなければならないのだ。その一方で悪いいじめの加害者でも、出身校が良ければ日本社会では高く評価されるのだ、人はその現実を分かるべきである、といったことであり、自分もそのような日本の現実の被害者だが、いじめの被害者も同じなのだ、いじめ被害者は救済されるべきだなどといった気休めのきれいごとを言うべきではなく、社会から叩かれている現実を述べるべきだ、そのような主張であると理解するべきです。

 この人物が現実主義者と自称しているのは、その現実を自分が見つけたという意味でしょう。

 ただ、今のような他人のブログのコメント欄への書き込みを繰り返している状態では駄目であり、自分のブログをもって整理された形で自身の見つけた、日本社会の現実を訴える必要があります。それをやらない限り、アメブロの中のならず者で終ってしまいます。

 追加で。

 思いついたことがあるので追加で書いておきます、何度も現実主義者氏の偽物からの書き込みが私のブログにありました。現実主義者氏が現れたブログは本人ではない偽物が書いている可能性もあり、現実主義者と名乗ったコメントが全て同一人とは言えないところもあるので、すべてのコメントを本人のものとして批判するのは公平を欠くように思います。
 
 記事に賛同の方は下のバナーをクリックして下さい。
 賛同できなかった人も読んだのですからクリックして行って下さい。


人気ブログランキング

 

コメント(10)