Norihiko Ishikawa
石川 憲彦
児童精神科・小児科医、林試の森クリニック院長。東京大学病院で小児科・精神神経科(病棟)の臨床に従事。2年間マルタ大学医学部において研究に専念し、1996年より静岡大学で、保健管理センター教授・所長などを歴任。2004年、林試の森クリニックを開業。
石川 憲彦さん(児童精神科・小児科医)
メディアでは学校で職場で発達障害が増えていると報じている。しかし、病や障害は社会の変動に従い、発見されてきた歴史を振り返ると、「増加した」という報告自体を疑ってみてもいいだろう。今回、お話をうかがったのは林試の森クリニックの石川憲彦さんだ。子供の医療と教育に関わってきた石川さんは発達障害をどう捉えているのだろうか。
発達障害はつい最近の1980年代に出てきた概念です。しかも2004年に発達障害者支援法ができ、この法律の規定したものが発達障害になるわけですから、医学概念ではありません。そのうえ発達障害の中身も変わってきています。
私が医者になった40年前は身体に麻痺があるだとか言葉がしゃべれないといったように、「ある年齢に達したらこういうふうに成長していく」という平均的なモデルに乗らないことを発達障害と言いました。主に運動の麻痺のような状態を指していました。
ところが1980年代から広汎性発達障害という概念が出てきました。これが巷でいま言われているような発達障害の原型です。マイペース。細部にこだわる。行間が読めない。視野が狭い。仲間から浮くといったこと。あるいは教室で立ち歩くといったADHD(多動症候群)や文字の読み書きができなかったり、算数だけができないといった学習障害などを含めています。しかしながら、それぞれの定義もいろいろで、しかも定義そのものが数年ごとに変化していますから、増えたのか減ったのかを言いようがありません。
そこは難しいところで、実は要請を行ったのが誰か不明です。「育てにくい子が増えた」「昔と違って学習の理解に困難を来す子が増えた」といった教育現場からの声があったのは確かでしょう。医者の立場からすれば、親からの「うちの子はもうちょっと勉強ができてもいいはずなのにできない。なぜだろう」といった相談を受けることが増えたという実感があります。
社会は流動していますし、環境の変化にともなって生き方は変わります。変化に乗れない人をフォローできる人間集団の構築がなかったら、社会の隙間から漏れる人が出てきます。どうやら、いまこの漏れが大きいことが「発達障害が増えた」という声と関係していそうです。
歴史を見てみましょう。1800年以降に急速な変化が世界的に起きました。たとえば平均寿命だと1900年くらいまで40代が普通です。日本の場合、江戸時代ではもっと低い。ところが自然に依拠した農業社会から工業社会になったら80歳まで伸びた。たしかにアフリカではいまだに平均寿命が20代だったりする国がありますから、これはあくまで先進国にあてはまることです。
ともあれ農業社会では飢饉が起きたら平均寿命はすぐに短くなりますから、自然に左右されていました。工業社会になると安定した食料供給が可能になり、世界中から食料を得ることができます。そのことで人口も増え、日本の場合、明治時代の3000万人から4倍に跳ね上がりました。自国の食料自給だけでは、とうてい無理な増加の仕方です。
そうですね。たとえば工業化するまでは、薪で火を得ることはあったにせよ電気もないので、人間は体を使うしかなかったわけです。それを1馬力ならぬ1人力とするなら、いまは200人力くらいのエネルギーをひとりで使って生きています。工業的な富によって支えられたエネルギーを使う暮らしに慣れていて、これを私たちは疑いもしません。しかし、自然に依拠していたときの人間の生き方の法則から大きく外れた「普通さ」でもあるわけです。
象徴的なのは学校で、これは国家がより機械に馴染む国民を育成するための機関として誕生しました。学校と軍隊には、それまで言語も慣習もバラバラだった住人をまとめる働きがありました。近代国家に適応する市民を支えるのが学校で教えこまれた近代合理主義です。突き詰めて言うと、機械を用いて製品をつくるなど、機械的な作業の上で役立つ考えです。
ところが自然に依拠した暮らしで人が生きていくには、そういう合理主義的に基づいた理性だけではダメで、勘が必要です。「そろそろ暖かくなってきたから種を蒔こう」といった知性は、科学的合理主義という機械的な物の見方には馴染まないないのです。
1900年くらいに開発されたのがIQテストですが、このテストの初期の質問には「氷が溶けると◯になります」があります。自然的な農業人だと「春になる」と答える。これは正しいですね。
でも、学校の求める知性からしたらバツで、「水」と答えないといけない。機械論的で合理的である答えが正しい。これが最大の変化で、自然の中で育んできた、環境に依拠した知恵は、暮らして行く上でかえって足を引っ張るのです。
工業化社会では、職人的な感性も否定されるべき対象です。それまでは、たとえば鍛冶なら親方が鉄の色を見て「いまだ!」と命じて徒弟が打っていた。しかし、それは科学的ではないから、温度を計測して何度になったらどれだけの時間打つか決めた上で作業しなくてはいけない。頭で考えた合理主義が実行できるように人間を切り替える必要があったのです。
ところが現代から見ると、そういう工業社会もまだ農業的な要素が存在しえる余地がありました。日本だと工業化の始まった明治時代、農業に携わる人口は80%を超えていましたし、第2次世界大戦までは農業人口は全体の50%でした。いまは7%です。
特に戦後はアメリカ型の工業の影響で、品質管理の考えが人々に要求されるようになりました。トータルクオリティーコントロールと言いますが、自動車産業はこの考えで成り立っています。日本はこうした概念に基づいた産業の発展により経済的発展をしました。効率的で合目的で合理的を良しとする精神が企業や働く人のベースになったわけで、つまりは「はやく、ちゃんと、きちんと」です。
1950年から1970年までの親や教員の口にするしつけの言葉の8割は「はやく、ちゃんと、きちんと」でした。これは品質の高い製品をつくるために必要な考えで、これらを身につけることが能力と見なされたわけです。社会がそういう資質を評価する変化を遂げるにつれ、問題とされるようになったのが、知的障害や脳性麻痺です。つまりモノを生産する社会では能力がないとされた人たちです。
社会と障害や病との関係は深く、たとえばヨーロッパで工業化が始まった頃、統合失調症が問題にされるようになりました。合理的生産性にまったくそぐわないことが精神病とされたのです。それまでの自然的な社会では、神の声を聴くといった夢うつつの状態は自然現象で、だから巫女などもいたわけです。それが合理主義の到来とともに病とされるようになりました。
また生産能力の低い人が施設に入れられるようになるなど社会から隔離され、やがて20世紀に入る頃には、高品質なものをつくる上での規律を守れない人たちが、多動症や人格障害といった名前をつけられていきます。かつてイギリスがスコットランドやアイルランドの移民を「落ち着きがない」と揶揄していたことが典型的ですが、最初は倫理問題として、やがて病気として扱われるようになりました。
農業から工業社会への移行には断絶はありました。しかし、共通していたのは「実物をつくる」という体験があったことです。
ところが、いまの情報産業社会ではモノにはあまり意味がありません。かつて10万円くらいした携帯電話が無料で配られた時期がありましたが、それが意味しているのは「実体には価値がない」ことです。モノではなくモノのつくりだしてくれるムードに商品価値がある。経済も実体を離れるなど、同じ現象がいろんな分野で起きました。
この動きと発達障害の増加が軌を一にしています。実体の価値よりも、フィーリングを読み解くことを求められる社会になった。そこでは空気や行間を読めない人は困るわけです。
だからADHDのような衝動的に行動したり、集中できない落ち着きがない。勉強できないのは困るわけですが、けれども本当にこれは病気なのでしょうか。
考えてみれば人間も哺乳類です。哺乳類は生まれ落ちた後、生きる術をマスターするまでは音や新しいサインに対しては即座に反応します。何かひとつのことを継続しないで、さっと場を離れて逃げることがいちばんの生き延びる術だからです。生命防衛のために必要なのは集中しないこと。ジャングルの真ん中で本を読んでいたら食べられてしまうでしょう?
自然の中では必要な能力は、なんとなく「なんかヤバいぞ」と感じ、行動することで、こうした無意識に判断できる脳の構造を哺乳類は2億年かけてつくってきた。自然界に生きていたらこういう能力の学習は難しくなかった。火は熱くて危険だというのは、身を持って学習できたわけです。
しかし、いまはコンセントを見ても危険には見えない。こうした錯覚ともいうべき感覚が合理主義によって正当化されるようになったわけです。ところがこの合理性は、本来の人間のもっている「非合理性を無視した合理性」だから、人の生きる環境としては非合理なのです。
ADHDの子供は自然界においては、生き物として物事を学ぶことは優秀であっても、社会は自然的ではなく、合理主義に基いているため、自然界におけるような合理的に判断していく学習を阻害されます。自分を取り巻く環境を脳がどう処理していいかわからない。
誤解を恐れずに言えば、自然界のルールに沿った情報に対する正しい判断能力をもっていなくても、適当にごまかすことがうまい人が学習能力は高いと見なされるのが現代社会です。動物としての人間の能力が社会において排除されたことで、病や障害としてくくられたと言えそうです。
身体に麻痺があるだとか知的に極度に問題があるといった場合は、病理学的に見て脳に損傷があるといえるでしょう。もちろん損傷というのは、ある意味で誰にでもあると言えるのですが、傷の付き方や付く場所が特異的だという意味です。そういった障害の発症の比率は100人にひとりいるかいないかです。
ところが、発達障害については脳の傷は見つからない。そこで、いまのところ脳の機能の不全という曖昧な言い方で説明されます。
脳の大部分は、人も哺乳類と同じです。たとえばサルとイヌを部屋に入れて間に壁をもうけます。そこに爆弾をしかけて爆発させて壁に穴を開けると、サルもイヌもともかく逃げます。やがて落ち着くと、哺乳類ならではの好奇心で近寄って来ます。イヌは鼻を、猿は目で空いた穴を観察する。哺乳類として脳の構造を共通してもちながら、全体機能を制御する場所が違う。
人間はいろいろな感覚があるけれど、特徴的なのは言語的に機能を制御する傾向です。言語を操る脳の部分が発達しているのですが、人類が誕生してからの200万年の歴史の中で見ると非常に短い。しかも文字言語にいたっては4000年くらいしかない。哺乳類の2億年の時間の尺度からすれば、つい最近の話です。
それだけ学ぶ機構が完成していない。だから、脳のいろんな使い方ができる自由度が高く、そのことが個性や創造力の多様性につながると共に、人類の進化の可能性を高めるのです。ところが人間のつくった社会は、ある特殊な資質を人間に求め始め、「こういう脳でないのは異常」といったように、脳の多様性を否定しその一部を病気として扱い始めた。正常の定義次第によって病気にすることがいくらでも可能です。
以前、ADHDに対し、リタリンという薬が処方されていました。これは覚醒剤の一種です。いまは問題にされて処方されなくなりましたが、18歳未満の子供にはコンサータという薬が処方されるようになっています。この中身はリタリンと同じ成分ですが、ゆっくり吸収されるため、覚せい剤効果が弱まるようになっています。
覚醒剤が危険なのは脳の活動を混乱させるからです。精神に有効とされる薬も同じです。感情や行動を期待される方向に変化させるということは、脳機能に焦点を絞って考えるなら、脳で正常に存在している機能を化学物質で妨害することを意味するのです。化学変化によって脳内情報を混乱させることで、社会で生きるために便利な精神状態を模造すると考えていいでしょう。しかし、大人では薬を使用している間の一過性の情報の混乱に終わらせることが可能だとしても、子供の脳は成長中なので、服用を続けて大人になる間に何が起きるのかは、全く分かっていません。
人間のつくった環境に馴染まないと困るから医療に預ける。いま起きているのは、自然淘汰ではなく社会淘汰です。独善的な人間の行為によってもたらされたことを人類の進化と呼べるのでしょうか。
親の焦りについては、ひとつ違うレベルで考えないといけません。人間は非合理な存在だから、未来を見るときに「自分が歩んだ来た道」から見てしまいます。ところが、そうすると「変動していく未来」に対する予測は決まって外れます。そこをどれだけ自覚するか。
「こうしておけばいい」と大人が言えたやり方で成功できたのは、社会と自然が近い時代ならありえました。自然はそう簡単に法則を変えないからです。しかし、いまの社会はそうではありません。
新しい知識で人道的に助けるという考えには魅力があります。自分にとっても社会にとっても都合のいい言葉であれば、それ以外は排除できますから、そこに疑問を感じるのは簡単ではありません。
あらゆる医学的見解や文献はバイアスがかかっています。期待されるような方向に結果が出たら発表するけれど、そうでなければ報じません。ということは、仮説を立てた段階で「これは受けないな」と判断する方向に結論が向かいそうなら、研究を中止するというようなバイアスが常にかかっているということです。
科学は客観的に見えるけれど、その根底を支えているのは、いまこうして話している言語によってです。これはあやふやな脳の生成したものです。それは大事にしていい。けれど、大事さの自覚は「あやふやである」という限定性に拠っていることを知らないと、操作された一見科学的な考えを正しいと思うようになります。
いまや老化も病気だと考えられ始めています。あらゆるものが本来は不合理だけれど、「この不合理性が人間だ」と愛しむのではなく、排除するのを合理的かのように扱っている。危ないですね。
もうしばらくは産業を盛り立てて利益を稼ぎたい。だから当面はごまかしたいんだと思います。でも教育は目先の利益で行えない。利益と教育の一致する時代は終わったことを知る必要があります。子供と接するとは、利益ではないものを見られるチャンスでもあるわけで、それなら子供と一緒に新しい世界を切り開くことを考えたほうがおもしろいですよ。
無意識のうちから周りの人間が与えてくれたのだと思います。子供にとっての自然環境は、まずは身近な人間関係で、そこで動いているさまざまな感覚だとも言えます。それは生まれ育った場で得られるものですが、同時に、それを相対化していく場があって始めて、与えられたものの意味がわかる、変わるものでもあります。
私の場合はキリスト教の影響があり、それが家や近所のもっていた「日本的なるもの」への疑いの眼差しになりました。いろんなものを相対化しないと考えることはできない。そう思っていたので、物事を横から見るようになったんだと思います。
私が若い人たちに言えるとしたら、「これは楽しいな」と素直に喜べる経験をたくさんして欲しいということですね。楽しいにもいろいろあるけれど、ちょっと山に登るでもいいし、ともかく無条件で心身が喜びであふれるような体験をして欲しい。
楽しいことなんかないという人もいるでしょう。しんどいなと思うことばかりかもしれない。でも、知って欲しいのは、その最中は苦しいけれど、最悪から出発したとき、楽しかろうが苦しかろうが「生きていること」がやがて必ず喜びと感じられるようになるんだということ。そのとき青空が見えるといった何気ないことでも「こんなにありがたいことはないな」と感じられるような喜ばしい体験が訪れるんだということ。知的に判断できない、楽しいこと苦しいこと、つまりは生きていることそのものを身体で感じて欲しいですね。
[文責・尹雄大 撮影・渡邉孝徳]
Norihiko Ishikawa
石川 憲彦
児童精神科・小児科医、林試の森クリニック院長。東京大学病院で小児科・精神神経科(病棟)の臨床に従事。2年間マルタ大学医学部において研究に専念し、1996年より静岡大学で、保健管理センター教授・所長などを歴任。2004年、林試の森クリニックを開業。主な著書に「子どもたちが語る登校拒否」(世織書房)、「治療という幻想」(現代書館)、「子育ての精神医学」「子どもと出会い別れるまで-希望の家族学」(ジャパンマシニスト)など。
【石川 憲彦さんの本】
『子どもたちが語る登校拒否:402人のメッセージ』
(世織書房)
『治療という幻想:障害の医療からみえること』
(現代書館)
『子育ての精神医学:思いこみから自由になるために』
(ジャパンマシニスト)