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2018年4月25日(水)
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~

“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~

今、ある法律により被害を受けたと言う人たちが国を提訴する動きが相次いでいる。人口抑制のため「不良な子孫の出生防止」を掲げて成立した旧優生保護法(昭和23年〜平成8年)。1万6千人を超える“障害者”が不妊手術を強制されたが、全貌は明らかになっていない。番組では関係者を独自に取材。そこからは「社会のためになる」という国のかけ声のもと、社会に潜む“優生思想”を背景に強制手術が広がった実態が明らかになってきた。埋もれた“いのちの選別”の深層に迫る。

出演者

  • 森岡正博さん (早稲田大学教授)
  • NHK記者
  • 武田真一・田中泉 (キャスター)

“不妊手術を強いられた” 追跡・旧優生保護法

突然、子どもができない体にされたら、あなたはどうしますか?
70代の女性です。16歳の時、障害があるとされ、不妊手術を強いられたと明かしました。

被害を訴える女性
「それから苦しみが始まって、本当に不幸ですよ。幸せがあったのに。」

不良な子孫の出生防止を掲げ、平成8年まで続いた旧優生保護法。知的障害や精神障害などを理由に不妊手術が強制されました。その数は分かっているだけでも全国で1万6,000人を超えると見られています。

今、こうした人たちが国を相手に謝罪や補償を求め、裁判を起こし始めています。
なぜ、人権を踏みにじる事態が起きたのか。私たちは100人を超える関係者を取材しました。見えてきたのは、社会全体が不妊手術を後押ししていた実態。しかも、このままでは当事者の多くが救済されない現状も見えてきました。

被害を訴える男性
「60年ぶりに会いに来ました。」

多くの人の人生を奪った国による命の選別。その実相に迫ります。

強制不妊手術 “奪われた”人生

不妊手術の強制を告白した、仙台市の飯塚淳子さんです。

飯塚淳子さん(仮名)
「書かれているものがあるんですよ、優生手術必要って。」

家庭が貧しく満足に学校に通えなかった飯塚さん。知能テストの点数が低かったため、中学生の時、軽度の知的障害とされました。16歳のある日、飯塚さんは宮城県内の診療所に連れていかれました。何も告げられないまま麻酔をかけられ、卵管を縛る不妊手術が行われました。その後、両親の会話から子どもを産めなくなった事実を知りました。

飯塚淳子さん
「いつも落ち込んでいました、うちに閉じこもって。手術が本当に憎い。」

飯塚さんは20代で結婚しましたが、子どもができないことで次第に夫婦関係が悪化、離婚しました。その後、30代で再婚しましたが、夫に手術の事実を告げると、家を出ていったといいます。
不妊手術がなければ、明るい家庭が築けたのではないか。50年余り、苦しみを抱え続けてきました。

飯塚淳子さん
「やっぱり、うらやましいなって。子どもがいたら、こういう家庭だろうなとか、いろんな思いはあります。本当に戻れるなら、16歳にかえしてもらいたい。」

強制不妊手術はこうして広がった

優生保護法が作られたのは、昭和23年。終戦直後の貧しい時代、大量の引き揚げ者や出産ブームによる人口急増が大きな社会問題になっていました。その対策として、中絶の容認とともに重視されたのが、障害者の不妊手術でした。当時、法案を提出する中心となった国会議員の発言です。

谷口弥三郎参議院議員(当時)
“本人の同意がなくても優生手術を行おうとするものであります。これは悪質の強度な遺伝因子を国民素質の上に残さないようにするためにはぜひ必要であると考えます。(当時の議事録より)”

不良な子孫を排除し、優良な遺伝子だけを残そうという優生思想。人権をないがしろにした誤った思想をもとに、強制手術が始まったのです。

東京大学大学院 市野川容孝教授
「過剰人口問題、それに由来する貧困をどう防ぐかという所に力点があったことは事実。“量を減らす”と同時に“人間の質を高める”、“質を上げる”目的が、この法律にセットで入っていた。」

今から見れば、人権侵害といえる事態は、なぜ広がっていったのか。
当時の状況をよく知る宮城県の元職員に話を聞くことができました。男性によると、障害者が入所する施設や病院だけでなく、地域ぐるみで障害が疑われる子どもがいないか積極的に探していたといいます。

宮城県元職員
「学校はあるし、民生委員はあるし、親が通告する場合もあります。あるいは警察。『どうやら頭が悪いんじゃないか』とか、『こんな癖があって困っている』とか。」

こうして集められた子どもたちは医師が診断を行った後、県の審査会を経て、本人の同意なく手術が行われていったのです。
取材を進めると、こうした流れが加速した背景に宮城県では、ある運動があったことが分かってきました。昭和32年に始まった「愛の十万人県民運動」です。寄付を募り、障害者施設を作ることを目標に進められたこの運動。不妊手術の徹底も掲げられていました。そこでは、障害者が子どもを産まないようにすることが本人と家族の幸せのためだと呼びかけられていました。善意という名の下に、強制不妊手術は広がっていったのです。

宮城県元職員
「(障害者は)本人も気の毒だし、家庭も気の毒だし、それから扱う方だって大変になる。だから(当時)“そういう子どもが産まれないように”ということ。」

さらに、手術を強いられた子どもたちの姿を目の当たりにした人も見つかりました。男性が働いていた障害者施設では、親の承諾があれば、本人の同意がなくても手術を受けさせられていたといいます。

障害者施設の元職員 三宅光一さん
「『自分の好きな人と一緒になって家族を持つんだ』という話をよくしていました。(手術のあと)部屋の隅で泣いていました。『もうお嫁さんに行けないんだ』と。何と言ってなぐさめていいか分かりませんでした。」

強制不妊手術 “奪われた”人生

16歳の時、不妊手術を受けさせられた飯塚淳子さんです。なぜ自分が手術を受けなければならなかったのか、飯塚さんは当時の担任の教師に問い続けてきました。教師から届いた手紙です。

“周囲の人たちはみな、あなたの幸せを望んでいたはずです。それが結果としてあなたに大きな不幸をもたらしたことは本当に残念でなりません。善意が裏目にでたことに大きな衝撃を受け…”

飯塚淳子さん
「善意じゃないですよ、こんなの。自分たちは良いつもりでやったかもしれないけど、手術された側にとっては不幸です。不幸ですよ、本当に。」

強制不妊手術 “善意”の下で何が

ゲスト 森岡正博さん(早稲田大学教授)

生命倫理の立場から、優生思想について長年研究をしている森岡さん。
人権をないがしろにした法律だったと、強い憤りを感じるが?

森岡さん:そのとおりですね。当時としては合法だったと言われるかもしれませんけれども、これがもう悪法であったということは間違いがないことだと思います。どこが悪かといいますと、やはり本人の同意なしに、本人の意思なしに、強制的に手術をされてしまう。そして子どもを産めない体にされてしまう。まさに、ここに悪が凝縮されていると思います。

さらに考えなくてはならないのが、それが善意の名の下に、地域ぐるみで、障害のある方にとっては逃げ場がない中で行われたということだが?

森岡さん:2つあると思うんですね。つまり上からと下からなんですけれども、まず優生医学、優生思想というのは、国家が国民の質をよくしようとかいう形で、上からやられていくということがあるんですけれど、もう1つ、それを下から支える、われわれ一般民衆の側の問題があるんですね。そして、そのわれわれ、下から支える時に善意というのが出てくるわけですね。つまり本人のためを思って、こうしてあげるのが本人のためなんだ、幸せのためなんだと、つまり優生思想は、いつも善意の形を取って表れると。そういうことをきちっと見ていかないといけないと思います。

そして取材に当たった福田記者。
なぜ、この問題がここまで埋もれてきたんでしょうか。

福田記者:理由は2つあると思います。1つは、当事者がこれまで声を上げられなかったということです。取材した人の中には障害の程度が重く、自ら声を上げられなかったり、手術のことを家族や周りの人に言えなかったという人もいました。さらに、自分が不妊手術を受けたということさえ分からない人もいたんです。もう1つ大きいのが、社会が目を向けてこなかったということです。国は国際的な批判を受けて、平成8年に法律をなくしました。しかしこの時に、謝罪や救済ということは進まず、われわれ報道機関も含めて、社会がほとんどこの問題に注目せずに事実が埋まっていってしまったんです。

この実態は、今、どこまで分かっている?

福田記者:優生保護法による強制不妊手術というのは、47都道府県全てで行われていました。ピークは昭和20年代から30年代でした。人数は、分かっているだけで1万6,000人以上と見られ、中には9歳の少女がいたことも分かっています。

しかし、実は国が把握しているのは、この1万6,000人という数字だけであって、誰が手術を受けて、今、どのように過ごしているのかというのは分かっていない状況です。

なぜ、そこまで拡大していった?

福田記者:それは障害があったか疑わしい人まで手術が拡大していったということがあると思います。例えば、貧しくて学校に通えず知能テストの結果が悪かったり、非行を繰り返していたということだけで障害者とされていたということもありました。実はVTRの飯塚さんも、最近になって医師から「知的障害はなかった」というふうに告げられています。さらに、国が自治体に対して不妊手術を強制していたと、徹底するように進めていたということがあります。違う手術だとだましたり、拘束したりしてもよいという通知まで出していました。

田中:そもそもこの問題が注目されるようになったのは、今年(2018年)1月、1人の女性が裁判を起こしたことがきっかけでした。女性には重い障害があり、親族が、このままでは事実が埋もれてしまうと声を上げたのです。今、こうした当事者5人が、謝罪や補償を求めて裁判を起こし始めています。しかし、これから多くの人が救済されるためには、大きな壁が立ちはだかっています。先月(3月)NHKが自治体などに調査した結果、およそ1万6,000人のうち8割の人の手術の記録が残っていないことが分かったのです。

強制不妊手術 救済のための記録が…

裁判に向けて準備を進める、北三郎さんです。

北三郎さん(仮名)
「これが『修養学園』。」

非行を理由に宮城県の施設に入所していた14歳の時、不妊手術を強いられたといいます。報道で初めて提訴の動きを知り、自らも国を訴えることを決断しました。

北三郎さん
「うわーっと思った、びっくりした。あれ、俺もそうだと。」

北さんを支えているのは、5年前に亡くなった妻への思いです。子どもがほしいと望む妻に、長年、手術のことを打ち明けられませんでした。妻のある姿が頭から離れないといいます。

北三郎さん
「知っている人の子どもとか、(妻が)あやしているんですよね。その姿を見ると本当につらい。(手術のことを)はっきり言うべきだったのか、でも言えない。」

裁判に向けて、北さんは手術の記録の開示を県に求めました。ところが回答は「一切残っていない」というものでした。

北三郎さん
「がっくりですよね、なぜ資料がないのか。どうにも(手術の)証明ができない状態。」

今、全国の自治体で同じような事態が起きています。
国の統計で最も多くの手術が行われた北海道では、全ての保健所を対象に不妊手術の調査を行ってきました。

「この中に入っていました、半世紀以上。」

しかし、30の保健所のうち記録が残されていたのは、わずか4か所でした。

北海道 こども未来推進局 花岡祐志局長
「やはり時間の経過というのは、書類の保存にとって大きな影響を与えている。書類によっての実態把握は難しい面もあると考えています。」

記録がなかった北三郎さんです。手術を受けたことを自ら証明しなければならず、この日、医師のもとを訪ねました。体に残された手術の痕が証拠になると、弁護士から助言を受けたのです。

医師
「(不妊)手術した痕が医者が診てわかるかどうか?」

北三郎さん
「傷は残っているんじゃないか。」

診断の結果、太ももの付け根に、不妊手術のものと見られる、およそ2センチの手術痕が見つかりました。しかしこれだけでは、当時、手術を強制されたかは分かりません。人づてに探し当てたのは、当時いた施設の元職員です。

北三郎さん
「『修養学園』でお世話になった■です。60年ぶりに会いに来ました。」

しかし、応答がなく、会うことはできませんでした。後日、元職員の家族から連絡があり、「当時のことは覚えていない」と伝えられました。

北三郎さん
「あとは何を証拠に出せばいいのか、自分でも分かりません。どんなふうな形にしてやっていけばいいのか。」

40年以上連れ添った妻に手術のことを言えず、悔やみ続けていた北さん。初めて、その事実を打ち明けたのは、妻が亡くなる直前のことでした。

北三郎さん
「隠していることがあるんだ。『何?』と言うから、実は俺、小さい時に子ども産めないような手術をしていて悪かったと。『うーん』と、うなずいただけで、『私のことよりも、ちゃんと食事をとってね。必ずご飯だけはしっかり食べてよね』と、そう言いながら、息をひきとりました。女房に対して、あぁ、すまなかったな。(国に)私らの気持ちをくんでもらいたいという気持ちでいっぱいです。」

強制不妊手術 急がれる救済

ここまで苦しい思いをされてきた北さんが、記録がないということで救済の道が閉ざされてしまいかねない現状、どう見る?

森岡さん:まず、今の方の声をお聞きして、本当胸が詰まる思いですね。この問題が表面化してから約20年ですか、非常に遅きに失したと思うんですけれども、ようやくここまで来たかというような感じを私は今、抱いています。ですから、この機を逃さずに、ぜひともよい方向に持っていっていただきたいと思いますね。

国はどう対応しようとしている?

福田記者:国はこの旧優生保護法について、これまで一貫して、当時は合法だったとしてきましたが、裁判のほか、与党や超党派の議連が救済に向けた議論を始めたことを受けて、実態調査を進めることにしています。救済の対象は、記録が残っていない人や声を上げられない人も調査した上で、幅広く含めていく必要があると思います。さらに、この1万6000人のほかに、強制ではなく同意して受けたとされる人が9,000人近くいます。同意させられたという可能性もあり、幅広く救済することを検討すべきだと思います。

田中:不妊手術を強いられた人たちの救済。海外では、人権上の問題を認めた上で、具体的な仕組みを作り、謝罪や補償を進めています。スウェーデンでは、本人が資料をそろえるケースだけでなく、国の補償委員会が必要な資料を本人に代わって入手し、被害を認定する仕組みを設けました。さらにドイツでは、手術の実施を決定した通知書がない場合でも、専門医の鑑定で、手術痕やカルテから被害を認定して、救済を進めました。

この問題について、取材を通じてどんなことを感じた?

福田記者:障害者に対する差別意識というのは、今もわれわれの心の中に残っているんではないかなと感じました。実際、取材をしていると、法律がなくなった後でも、親や医師に結婚や出産を諦めるよう説得されたり、実際に不妊手術を受けたという人さえいました。やはり何よりも強制不妊手術が行われてきた、この事実を、再び埋もれさせてはいけないというふうに強く感じています。

森岡さんは、この問題が今の私たちに突きつけることをどう考える?

森岡さん:今も話が出ましたけれども、こういう問題を支えている根本として、優生思想というのがあると思うんですね。ですが優生思想は、誰かが持ってるだけではなくて、全員が持っていると思うんですよ。全員が持っている。濃淡はあるとしても、みんなが持っている。それはもうなくならないかもしれません。だけれども大事なのは、われわれ皆が持っている優生思想が現実社会にあふれ出てきて、誰か弱い人の人権や尊厳を傷つけていくというところをストップをかける。この仕組みを考えないといけないと思います。やはり、どのような人であれ、基本的人権は持っているわけですよ。ですから、基本的人権がなくてもいいという人はどこにもいないわけですよね。ですから、子どもを持てないような体にしてはならないというのは基本的人権ですから、そういう人が出てこないようにするように頑張らないといけない。もちろん、子どもを産んだり育てたりすることがうまくいかない方もいるかもしれませんが、その場合は、その状況や環境をわれわれがみんなで頑張って考えていく、そして変えていく。それをしないといけないと思います。

私たちの心の中に、かつての誤った思想が本当に残っていないのか、今も自らの胸に問い続ける必要があると感じます。そして、人生を踏みにじられた人たちの重い言葉に、真摯に向き合っていかなければならないと思います。