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和歌山市と業者の和解を伝える市報 |
当時、下水道普及率が12%と全国の県庁所在地でワースト1位だった和歌山市。37%に改善した現在も徳島市と最下位を争っており、市民にとって生活環境を支えるくみ取りは大切だ。業者の担当区割りの廃止を望んだ市とし尿処理業者との間で「し尿くみ取り戦争」が1993年に勃発し、市民を巻き込んでの紛争に発展した事件は、全国から注目を集めた。
職員がくみ取り
発端は4月。市が「浄化槽清掃の地区割りを撤廃」との方針を打ち出したことに始まる。従来、各業者は許可を得た区域で業務にあたり、市民は業者を選べなかった。普通便槽のくみ取り料金は市の条例で定めていたが、浄化槽の清掃とくみ取りは業者が決めることになっていたため、地区ごとに価格差があり、他の市町村より高いとの声が市民から上がっていた。市の担当課だった業務第二課の元課長、林治さん(71)は「業者の気まぐれで料金が変わり、市民とのトラブルは絶えなかった。機嫌を損ね、くみ取ったものを戻された人もいました」。市民が業者を選べるようにすることで自由競争にし、料金の改善やサービス向上を狙い、地区割りの撤廃を考えた。
市の発表に対し、25業者でつくる和歌山市清掃連合会は反発。4月15日から全てのくみ取り業務を停止し、市との全面対決に移った。当時の市長、旅田卓宗さん(69)は直ちに対策本部を設置し、職員750人にし尿処理業務の兼任を命じた。「長年のし尿問題に対する市民の苦情を解消し、業界の体質改善を図るにはこれしかなかった」と旅田さん。早速、全国の自治体にバキュームカーの協力を依頼し、近畿各府県や関東、九州から約90台を集めた。
辞令を受けた750人のうち、交代で毎日約150人が出動した。毎朝、青岸のし尿処理施設でホースの使い方などを学び、夕方までくみ取りに走る。携わった50代男性職員は「コツが分からないのでよくホースを詰まらせてしまい、逆噴射させると跳ね返り、浴びてしまうこともありました」。元業務二課の中西勝平さん(72)は「くみ取り車を提供してくれた他市の役所前に業者が集まって抗議することがあり、手配が思うように進みませんでした。毎日電話が鳴り続け、『何とか今日中にくみ取って』という家には深夜に行く こともあった」と振り返る。
苦情から礼状へ
業者によるストライキが2週間を過ぎ、市役所に届いた依頼電話は1万2000件を超えた。多い日で1日1500件以上処理したが、それでも3000件以上未処理が残り、追いつかない状態だった。市民からは「いつまで巻き込めば気が済むのだ」との批判の声が上がり、庁内からも休日を返上し2度、3度とくみ取りに行く職員に疲労の色が見え始めた。
市は全国から新規業者を募り、既存業者には「市が設定する指導料金に従う」のほか、「業界の自主的な区域割りは容認するが、不当な料金請求や不誠実な行為があった場合は市民が業者を変えられる」と自由競争の原則を維持しつつ、区割りについて一定の理解を示し、5月5日に両者は和解した。
連合会は市の条件を受け入れ、くみ取り料金はおよそ半額に下がった。旅田さんは「市民に愛され親しまれる業界に生まれ変わってほしいとの一心で取り組みました」。対策本部で陣頭指揮をとった林元課長は「便槽にゴミを捨て、業者の苦労を顧みないような態度が一部の市民にありましたが、し尿処理戦争を通じてくみ取り業務のありがたさが浸透した。かつて苦情ばかり寄せられていた業務二課には、市民から『キレイにしてくれた』と業者への礼状が届くようになりました」。
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