「持つ」知識から「使ってもらう」知識・「共有する」知識へ           −インターネットによる情報発信のために−                               数学教室                               飯島康之 0.はじめに インターネット花盛りである。立花隆氏が雑誌の中で,「あれは一度体験すると,アッ という間に,『伝道師』になってしまう」1)と語っているが,私も同様で,インターネッ トを覗いき始めたのが95年の10月だが,11月には研究室で,そして, 1996年初めには,数 学教室のWWWサーバーも立ち上げた。 さて,何とか双方向への突破口ができた。さあ,いろいろと発信しようと,自分でも試 み,またいろいろな人に声もかけるのだが,「ぜひ情報の発信を」となると,ガードを固 める方が多い(当教室の問題を指摘しているわけではなく,もっと多くの方々に対する印 象である。念のため)。「忙しいからそこまでできないよ」と言う人も多い。ある人は, メーリングリストの話に触れ,「おせっかいな奴も世の中にはいるもんだ。他人の質問に わざわざ丁寧な答えを書いている。オレには関係ないメールもいっぱい入っているから, 消すのが面倒臭いんだ。まったく,自分の仕事をきちんとすればいいのに余計なことにエ ネルギーを使って」とまで言っていた。メーリングリストにはときどきお世話になる身と しては,そんな考え方をする人もいるのかと驚くと同時に,どうしてこういう違いが出て しまうのかと考えることが多い。どうも知識あるいは情報に対しても他のモノと同様に「 持つ/与える」という見方をされているような気がする。対峙するのは,「共有する」見 方であり,インターラクションを重視する見方であろう。少なくとも後者の見方を持たな い限り,「情報発信」は育たないと思う。  後述するように,必ずしもすべての人が情報発信をする必要はないと思う。しかし,可 能性もあることを,私自身の場合を例に取りながら述べてみることにしたい。 1.「持つ」知識観から見たインターネット  金子郁容氏は『ボランティア−もう一つの情報社会−』2)の中で「情報の提示する新し い価値観」について述べている。たとえば,その中で,「所有権」と「稀少性」が揺らぐ ことについても述べている。  「持つ」見方をするということは,知識に関しても所有権を考えることだ。そこから導 かれるのは,「たくさん持っている方がいい」「それを教える(与える)のだから対価を 得るのが当然」「その人でしか知りえない情報を持っているのだから,・・」などであろ う。もちろん,この見方が該当する場合も少なくない。「情報を漏らすことは,自らの利 益を失うことを意味する」ようなケースも多い。営利に関するものはそういうことの方が 多いかもしれない。 こういう観点から見ると,インターネットのWWWなどは,「無料の情報源」である。 「どんどん貰ってこよう」ということになる。実際,「こういう感じで覗けます」という 話はすぐに分かってもらえるし,結構楽しんでいる人も多い。「タダほど安いものはない 」のである。しかも,目的を持って調べてみると,(後述するよう) 意外な情報が飛び込ん でくることもしばしばある。しかし逆に,この見方から考えると,「タダで提供するよう なことをどうしてする気になれるのか」ということになる。 (実際,「朝日新聞」をはじ め,かなりのホームページは,「広告の掲載料」で運営されているらしい。一つの商用メ ディアとしても確立されつつあるようだ。) 確かに,そういう面もある。そうでなくてもみんな忙しい。自分が分かっていることを 公開したからと言って,自分の知識が増えるわけではない。しかも,いろいろな作業が伴 う。時間的にも労力的にもマイナスだ。そんな「ボランティア」は,気のいいやつに任せ ておこう,そう考えるのも一理あるのかもしれない。 2.情報発信の独立採算性  「人のために何かをするということは,..」と,別の価値観を持ち出すことも可能か もしれないが,むしろ,情報発信に関しては,「自分にとっても採算が取れる」と思える 人だけが参加するので十分だと思う。実際,インターネットの運用自体も独立採算性であ る。また,いろいろな大学のページを覗いてみても,多くの場合,豊富なのは一部のペー ジだけであることが多い。換言すれば,「一律な情報が揃うことが必要」と考えている大 学では,大学の看板としてのホームページさえ公開できない状況で止まっているのではな かろうか。そういう意味でも,「一律な情報が揃うことが必要と考える」ことは,発信し たくない人にとって苦痛であるだけでなく,より積極的に発信しようと思う人にとっても 足かせになってしまうと思う。  さて,果たして「採算は取れる」のだろうか。私自身の場合を例に述べてみたい。 3.「使ってもらうことによって生まれる価値」と「知識の共有の意義」 3−1 使ってもらうことによって生まれるソフトの価値  私はGeometric Constructor 3)という図形用のソフトを開発し,多くの学校で使ってい ただいている。最初の版が出来上がったのは,1989年だった。いろいろと考えあぐねた結 果,希望される方には配付することにした。その最大の理由は,「使ってもらえないよう なソフトは,何の価値もない」からである。当時は, フリーソフトの数も少なかったし, 市販ソフトも少なく, そして高価だった。研究用に開発されたソフトに関する研究発表も 時々されてはいたが,いわば「門外不出」であり,どういうソフトなのか全く実感が湧か なかった。「研究室の中だけでしか使えないようなソフトでは,結局作られなかったとし ても全く同じではないか」と思った。まして,教育用ソフトである。不特定多数の生徒や 教師が使っても堪えうるものでなければ,実用的でない。そしてまた,そのようなソフト を開発する意図は,探究的な図形の学習の成立の支援にあったが,そのためには,実際に ある程度の数の実践が蓄積され,「実施可能」という実績を作ることが不可欠である。             Geometric Constructor について  1.標準メニューの構成         2.軌跡を取る様子 +−−−−−−−−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+ |                  |                   | |                  |                   | |                  |                   | |                  |                   | |                  |                   | |                  |                   | +−−−−−−−−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+ このように,ソフトは開発が一段落した後は,「使ってもらうことによって価値が生ま れてくる」ものである。そして,「使ってもらうことによって価値が生まれる」ものは, ソフトに限らない。教育学のように実践科学的な側面を持つ場合,多かれ少なかれ共通す る側面のはずである。このような「使ってもらうことによって価値が生まれる」ようなプ ロジェクトを持っている人にとっては,情報発信は積極的な意味を持つはずだ。  また,一方では,そのような実践とは関係が薄いと思われる数学の世界でも,かなりの 情報が公開されている。論文のプレプリントもかなりのものがインターネットで入手可能 と耳にする。 (私自身も一部しているが,) 大学の授業の講義ノートを公開しているケー スもしばしば目にした。そういう意味では,必ずしも「実践」に限らず,「科学的」とい う意味で,知識の共有を目指す場合には,「使ってもらう」ことによって価値が生じる場 合が多いのではないだろうか。 3−2 インターネットを覗いたときのカルチャーショック  私自身は,研究室のパソコンで初めてインターネットを覗いたのは,1995年10月頃であ る。私のソフトと同じような商用ソフトがアメリカ(Geometer's Sketch Pad) やフランス (Cabri Geomtre) にあるのだが,それらに関するURLを知ったので,どんな情報がある のかを知りたいと思っていた。それを初めて発見したときのショックは大きかった。想像 していたこととはいえ,いろいろな情報があった。ソフトのデモ版もあれば,いろいろな 人の論文のアブストラクトもあった。未知の情報を発見して驚いたというよりも,一方で は,そのような様々な情報を共有できるようなインフラがすでに出来上がっている環境に いる人々と,それぞれが孤立して何かをしている我々との間には,とても大きな差ができ てしまっているような気がした。確かに海外の情報も雑誌で知ることはできる。しかし, かなりのタイムラグがある。そして,雑誌には載らないような情報も多い。それをリアル タイムで共有できるような社会には太刀打ちできないように思えたのである。 3−3 点在する研究者・実践者の交流の可能性 一方,国内での状況を考えてみると,開発や研究がないわけではない。それぞれが孤立 し,点在して行っているのである。私のソフトを使って授業研究をしている人は様々な都 道府県に点在している。それぞれの地域ごとの情報交換はなされているようだが,相互交 流は難しい。何とかしたいと思った。とにかくインフラを作らなければ,と思った。国内 でのインターネットの利用環境は限られているとはいえ, 「まず初めてみることだ」と思 った。実際,これまでも,パソコン通信の世界で,何人もの実践者の方々が,開発者であ る私の知らないところで,様々な意見交換をしているということも耳にしていた。パソコ ン通信のフォーラムでの議論というものは,いわば「世間話」に近いものがあるが,様々 な情報を蓄積し,公開し,そして共有できれば,地域に限定されてきた情報の交流を,よ り広域的に,そしてダイナミックに行えるのではないかと考えた。 同様のことは,別に私のソフトに関することには限らない。例えば,数学教育の研究者 全体を考えても,やはり点在していることには変わりない。どこにどういうことを専門と している研究者がいるのかさえ,それほど明確ではない。院生や学生にとっては尚更であ る。それぞれの研究室での研究成果を少し公開する程度のことであっても,数学教育研究 自体がかなり開かれたものになるはずだ。 現在は暫定的に,「こういう情報を公開してみてもいいかもしれない」と思える項目を いろいろと数学教室のホームページに掲げてみている。そして,他大学の教室のページの 変化や,当教室の他の先生方の意見を参考にしつつ,内容を豊富にしようと思っている。 私自身が書くだけでなく,院生や学部生にも積極的に情報加工に参加してもらい,知識を 共有する現場を実感してもらおうと思っている。 3−4 膨大な技術情報の共有の可能性  さて,アメリカやフランスの図形ソフトのサイトを覗いて多いに感化された私は,上記 のような気持ちを持って,早速「サーバーの立ち上げ」4)を試みた。(1996 年になって, この種の情報は多くの雑誌に掲載されるようになったが,)95年11月頃までは,サーバーの 運営に関する情報はUNIXに関するものがほとんどだった。「知っている人しか知らない」 状況である。メーリングリストで「誰かWindows ベースのサーバーソフトを知らない? 」 と流してみて,「ここのftp のこのファイル」と教えてもらったのだが,(クライアントの 側の環境やブラウザとの相性によって「読めない」場合があるという) 思いもしないトラ ブルがあり,紆余曲折を経た。最終的には,Windows95 ベースでAlibaba を使って立ち上 げることで折り合いをつけたのだが,このことも,一つの気持ちを生んだ。「みんな,同 じ苦労をしているんだろうか」。 実際,数学教育という狭い世界でさえ,いくつかのサーバーが稼働しているが,「こう すればこうできる」というノウハウに関する情報はほとんどない。もっとも,多くの場合 はサーバーの運営自体は大学のセンター等で行っていて, そのハードディスクに間借りし ている場合がほとんどかもしれないが,本学では,それがまだできない状況だった。また ,研究室内のパソコンをサーバー化できれば,ハードディスクの容量をはじめ,自分で工 夫できることが増えるので,プラスの面も多い。しかし,「同じような苦労をしなければ できないこと」なのだろうか。 ここで重要なのは「我々は素人なのに,そういう様々な技術情報を必要とするような状 況に追い込まれている」という現実だ。専門家であれば,いろいろな方法を駆使して,様 々な情報を集めるのは当たり前のことである。そしてまた,重要な技術情報のソースは「 内緒」にしておくのもプロとしては当然のことかもしれない。しかし,我々は素人だ。そ れが本業ではない。本当に必要不可欠なことだけと取り組めば済むような付き合い方を可 能にしなければ,長続きはしない。もちろん,そのためには,メーカーの側による「技術 の教育化」も必要であろう。しかしまた,こういう時代では,膨大な技術情報と付き合わ ざるを得ないのも不可欠なことである。そこでの一つの突破口は,互いに情報を「公開し ,共有する」ことではないだろうか。 いや,丁度Windows95/NTマシンでのサーバーの運用に関するノウハウが,私の悪戦苦闘 と前後して雑誌に掲載されるようになったように,「ちょっと待てば, そんな情報はいく らでも手に入る」と考える方もいるかもしれない。確かに,多くの人が求めるような情報 に関してはそうである。しかし,パソコン雑誌等で掲載されている情報は,実際にはかな り限定されている。一言で言えば,「現在, 商売として成立する」ものしか流れていない 。たとえば,ホームページの作り方に関しても,どこかのプロバイダでこうすればいいと いう情報はあまりに多い。プロバイダ選びに関する記事も多い。しかし,研究室での環境 のように,イーサネットケーブルが来ている環境下で,何をしたらいいかなんていう情報 はない。また,Windows95 に関する情報は多いが,DOS の情報はすでにほとんどない。し かし,DOS での作業が不可欠なことだって少なくない。 話が少し横道に入るかもしれないが,私が担当している応用数学IIという授業では,Qu ickBASICによるプログラミングを扱っている (実際にはQBASIC) 。かつては非常に多かっ たQuickBASIC関係の図書もその多くはすでに姿を消し,Visual BASICばかりになってしま った。 コンピュータ利用に関しては,その環境, 利用目的, ユーザー自身等のよって,必要な 情報は多岐にわたる。それらの中で,書籍や雑誌という商業ベースで扱えるものは現実に は限られたものでしかない。 また,それをどこかで一括して管理することも可能性としては考えられなくもないが, 実際には現実的ではない。一体, それほど膨大なものを,誰がどうやって管理するのかと いう問題があるからだ。 結局は,ユーザー自身が,自分で情報を作るしかないのである。そして,自主的に管理 するしかないのである。どういう情報が一番必要かということについて,一番切実に分か っているのは,メーカーではなく,ユーザー自身だからだ。  そういう観点から考えてみると,自分が持っている情報を自分のところで公開・管理す ると同時に,様々なサーバーに点在する情報を自分自身の観点なりに組織化し,それらを 「リンクを張る」だけの作業でハイパーテキスト化し,それも共有するというインターネ ットの方法は,一つの現実的な可能性を与えているように思った。  そこで,そういう気持ちを込めて,数学教室のサイトの中に,「WWWサーバーの構築 への道」というページを作ってみた。また,数学教室の方々が気軽にHTML文書を書い てホームページを持つためのノウハウも簡単にまとめてみた。書いてある内容自体には, それほど大きな意味はないかもしれない。しかしこういう姿勢が,ノウハウの取得という (コンピュータ利用における)敷居の高さを少しでも軽減するための素人の知恵の一つに なるのではないかと思っている。 4.おわりに  「インターネットはまだ生まれたばかりの赤ん坊だ」ということがよく言われる。確か にそうだと思う。情報発信に関しては,やりたい人がやるという独立採算性でいいと思う と述べた。ここで興味深いのは,すでにインフラ資産がある環境,例えば学内のような環 境では,「採算」を考える上で,経済的な要因はあまり考える必要がないという点だ。「 採算」のほとんどは,「労力」であり「時間」である。それと同時に,「試験運用」であ っても,本格的なことがすぐできる点である。今までならば,多くの場合,予算の規模に よって,プロジェクトの規模が決まっていた。しかし,インターネットでは最初からグロ ーバルである。(もちろん,URLを公開する度合いには段階があるが。)  これらのことは,いい面と危険な面の両方を持ち合わせてはいる。流してしまってはい けないはずの情報を遮断する安全弁はない上,情報発信の権利はすべての人が持っている わけだから,一部の人々だけが留意すればいいわけではない。しかし,「漏れては困る」 ような機密情報を扱うプロジェクトは別として,教育関係の多くのプロジェクトにとって は,(著作権やプライバシーの問題等に関する配慮は別として)セキュリティの問題に汲 々とする必要性はあまりなく,むしろ公開によるメリットの方が大きいと思う。地域の壁 を越えて,他大学・研究機関や現場との共同研究を活発にできる可能性があるし,また知 的資産を生産し,発信する場所としての大学の役割を広げていく可能性も持っている。ま た,学部生や院生にとっても,在籍するときから,情報発信を自ら体験することによって ,その可能性と要求されるマナーを獲得していくことになるのではないだろうか。  そしてまた,その中で,知識観の変更も余儀なくされるのではないかと思う。たとえば ,「発信する価値のある情報」は「稀少価値のある情報」ではない。発信と同時に,稀少 性はなくなってしまう。価値の有無は,「反応」が示してくれる。反応がいつまで経って もないような発信はするに値しない。「発信に値する情報とは何か」を必然的に考えるよ うになると思う。また,個人的な感覚としては,「情報の客観性」よりも,「情報の状況 性」つまり,「誰がどういう状況の中でどう発見/解釈/選択した情報か」ということが ,より重要になってくると思う。  上記のようなことが,実際には果たしてどうなのか,院生や学部生も交えながら,気長 に実験してみたいと思っている。                    注 1.立花 隆, 村井純(1996)「インターネットが地球と人をここまで変える」, 週刊現代, 1/13号, p.28 2.金子郁容(1992)『ボランティア−もう一つの情報社会−』, 岩波新書,赤235 3.飯島他(1995)『コンピュータで数学授業を変えよう−GCによる図形の授業−』,明治  図書 4.数学教室のURL は,http://133.96.48.34/。 また,私のホームページのURL は, http://133.96.48.29/。こちらは現在,Windows3.1 ベースでの運用のせいか,クライアントの機器の構成によっては,「読めないこともし ばしばある」。そのため,ミラーサイトとして,http://133.96.48.34/teacher/iijima も運用している。