本稿には僅かなネタバレとなりうる記述があります。
また大変ショッキングな記述もあるので、子供や精神疾患の弱い方は読まないでください。
人は城、人は石垣、人は堀?
『Age of Empire』、『SimCity』、『Civilization』、『Tropico』、『Citites:Skyline』に至るまで、基本的にストラテジーゲームは大なり小なり「人=資源」である。木材、財貨、石油と並んで重要な資源であり、基本的にあればあるほど有利になるゲームだ。
そして同じくして、大半のストラテジーゲームでは拡張が最終目的となる。領土を拡張し、数々の資源と共に「人」を増やすことで、倍々ゲームで経済を潤していき、メガロポリスを築く。
かつて武田信玄は「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と説いた。確かに人口を増やし国を拡張させるゲームデザインは、プレイヤーにとっても「遊んでいて楽しい」と思えるし、現に無思慮な拡張が破滅を招く『Civilization V』は、拡張しながらも節度を弁えろという大変面倒なゲームプレイで、世間的にも微妙な評価に落ち着いた。
『Frostpunk』はこうした今までのストラテジーゲームの「当たり前」を疑う所からスタートしている。人間を機械に見立てて拡張一辺倒で遊ぶのは、果たしてゲーム的にもリアリティ的にも正しいと言えるのだろうか?と。
人は多ければ多い程良い
前置きが長くなったが、今回紹介したいゲームはポーランドの11 bit studiosが開発した『Frostpunk』というストラテジーゲームだ。
舞台は19世紀末期のイギリス。ここは不思議な世界線で、蒸気機関が我々のそれより遥かに発達している一方、全土に謎の寒波が到来しており、主な文明はほぼ消滅。街から発電機を持ち出してそれで暖を取りながら、辛うじて遭難者たちは生きながらえている。
ここでプレイヤーは彼らの指導者(Captain)として、襲い来る寒波に耐えられるだけの街を築かねばならない。まずマップ中の資材を集め、その資材で農場を作り、余った食料を研究者に投資して、より良い施設やユニットを開発する。こうした流れは『Banished』とか他のストラテジーゲームと同じだ。
ただしここで厄介になるのが、先程述べた寒波である。本作の画面中央には巨大な温度計があり、最初はマイナス20度程度で済んでいるが、日が立つに連れマイナス40度が当たり前になり、50度、60度と下がっていく。
そして気温が下がれば労働者は凍傷し生産施設が止まる。そこで気温が下がる前に発電機を研究で改善し、出力を上げてやる必要があるが、いざ発電機を改善するとそれだけ燃料をバカ食いするようになるので、今度は燃料になる石炭を大量に確保する、という自転車操業に陥っていく。
さて、この「気温システム」は一見して、いたずらにこのゲームの難易度を上げているだけに思えるかもしれない。
だが信じられない程、このシステムがFrostpunkというゲームの核と結びついており、かつてないゲームプレイを実現しているのだ。
最初は人間こそ最高の資源なのだが
最初のマップ、A New Homeでは僅かな資源と80人の労働者でゲームが始まる。
殆どのストラテジー経験者プレイヤーは、まずフィールドに落ちている資源を回収する所から始めるだろう。そしてその判断は正しい。このゲームの序盤はいかに少ない労働力で、素早くかつ効率よく拡張するかというゲームだからだ。
というのも、このゲームには所謂「家」がない。普通ストラテジーゲームは居住空間を作ると自動でどこからともなく人間が湧く、文字通りソ連ジョークの「人は畑で取れる」前提のゲームだが、リアリティ重視の本作では家から人間が生えることはなく、労働力を自力で増やすことが出来ない。
本作にも「家」は一応存在するが、あくまで今いる住民を寒さから守るシェルター以上の価値がなく、労働力を自力で増やせない以上、後は資源を上手くやり繰りするしかない。ゲーム開始時点の「人」は石垣どころか黄金に匹敵する程に貴重な資源なのである。
とは言え、ある程度技術が進むと斥候を作ることが出来る。そして斥候は周囲の地点から様々な資源を回収することが可能だ。その中には無論、プレイヤー垂涎の品「人間」も含まれている。
既にイギリスが寒波に襲われて数年経っているようで、人々は凍えながら助けを求めている。そんな彼らにとって、我々の救援は天の助けにも等しく、仮にどれだけ過酷な労働が待っていようと、喜び勇んで仲間になってくれる。
さてこの「中盤」に差し掛かると、政治の幅もグッと広がる。次々に人が増えるので、その分施設が可動するようになり、研究も捗る。今まで欲しかったが我慢してきたオモチャの数々を作れる時代だ。
斥候を探索させるとたまに遭難者を見つけてくる
ところが、この辺からある問題が顕在化するようになる。それは「病気」だ。このゲームでは人が老いて死ぬことはないが、凍傷で倒れることはある。この時、プレイヤーは法律で「切断してでも治療する」か「ベッドで寝かせる」かの2つの選択を迫られる。
ドン引きしないで欲しいのだが、結論から言って、真面目にゲームを攻略するなら前者しか価値はない。何故なら寝たきりの重病患者は、労働者として使えないが「ベッド」や「食料」はしっかり消費するからだ。
すると、ある恐ろしい事実にプレイヤーは気付くことになる。「”人は城”かもしれないが、”障碍者は果たして城なのか?”」と。
これは残酷な考えであることに違いない。だがゲームのシステム上、どうあがいても障碍者は純粋に「邪魔」な存在として作られている。後々、義手を開発して働かせることも出来るが、義手には大量の資材が必要になり、あくまで補填手段でしかない……。
重度の凍傷は切断するしかない
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やがてプレイヤーは「聖抜」を始める
ゲームが中盤から後半に差し掛かると、増えた人口だけ開発が急ピッチで進み、施設改善が進む。改善された施設は、より少ない労働者でより大きい効率を上げる事が出来るので、プレイヤーは来る寒波に備えて資源を貯蔵するようになる。
そしてこの辺りで解禁されるのが、Automatonというロボットだ。これは労働者の代わりに施設で働いてくれるユニットで、僅かに人間より効率が落ちるが「決して病気にならずメシも食わない」という、破格のメリットを持っている。*1
もう勘のいい方ならお分かり頂けるだろうが、そう、この辺りから徐々に労働者が必要でなくなっていく。施設を改善すれば少ない労働者で回るようになり、Automatonは人と比べて維持コストがかからない。
同時進行で寒波は激しさを増し、とにかく1gの石炭でも欲しくなる頃合いだ。労働力は全て石炭に回し、燃料や食料といった資源の消費は極力節約したい。だからこそ、既存の労働力を上位施設やロボットで置き換え、「より少ない消費で、同じ効率を」求める時代になる。
そして鍵となるのが、「Steam Core(蒸気核)」という資源だ。この資源は決して自力で生産できず、斥候が外部から持ち帰るしかない貴重な資源だが、これを使った施設やAutomatonは旧ユニットと比較にならない効率で動く。
故に、ただ生き残ることを考えるなら、蒸気核を使った資源で賄えるだけの限られた人口を維持するべきで、逆に所有している蒸気核以上の人口になると、自分の燃料や食料さえ満足に稼げなくなる。身の丈に合わない拡張は街を滅ぼすのだ。
かつて、街のため働いて負傷した障碍者を「無駄飯食い」として切り捨てたように、次は蒸気核施設で働けないというだけで、まともな労働者を切り捨て、代わりに研究所で働ける技術者のみ維持するようになる。
なので、この頃からは仮に難民が助けを求めてやって来ても、「一人残らず追い返す」というのが最高の選択肢になってくるようになる。何なら、蒸気核やロボットで代替できない技術者だけは「助けてやっても良いかな」と思うかもしれない。
……そろそろ、自分のドス黒い感情に気付く頃合いである。
この頃からプレイヤーによる「聖抜」が本格化する。「正しき者のみに生きる権利があり、そうでない者は消えるべきだ」と。
最優先はロボット生産と研究が出来る技術者だが、労働者は果たして”何人必要”か?、病人は”正しき者”か?、子供が極寒の地でさまよっているようだが”それは我々に関係ある”のか?
・・・ずっとベッドに転がって働くことも出来ない邪魔な人間を”処理”できないのか?
だが、仮にゲームを攻略し、かつ市民のことを思うなら、あなたの功利主義的な判断は決して間違っていない。
この頃から寒さが街中を襲い、暖房をつけても住民は凍えだし、凍傷者で病院のベッドは膨れ上がる。食料生産の施設は普通の倍ほど蒸気核を使用するので、食料も燃料もそれ以上生産するのに限界が生まれるだろう。
それは実際に遊んで見ればわかる。寒波は日増しに悪化し、住民の間では不安とパニックが増大し、やがて嵐を過ぎるのを待つだけになる。だからこそ、最初にほんの僅かでも食料や燃料を稼ぎ、同時に節約しなければ、「審判の日」がやって来た時に街は壊滅するかもしれない。
そして「審判の時」。気温はマイナス100度から、マイナス150度まで低下。街そのものが凍結し、右下の人口数は減り続け、人々の希望は尽き果てる。その様子をプレイヤーはただずっと見つめ続けなければならない。たった一人でいい、たった一人だけでも生き残ってくれと祈りながら。
今までの内容を読んだ方は、このJ1N1という人間は血も涙もない卑劣漢だと思ったかも知れない。
だが、正直に告白すれば私は逆だった。私は初見プレイの時、無思慮に難民を受け入れ、障碍者や子供を手厚く保護した、それに当然「ゲームが報酬を与える」と思ったからだ。
だがそんな救いなどなく、残ったのはただ食料が尽き働き手が消え、450人いた人口はちょうど150人まで減っていたという事実だけだ。だが次プレイした時に最初から300人に人口を抑えれば、220人は生き残ったのである……。
街は存続した、だがその価値はあるのか?
常にプレイヤーを揺さぶり続ける
『Frostpunk』に限らず、ストラテジーゲームならではの「プレイヤーがリーダー」という立場を活かして、時に残酷な指導も出来るよというゲームはいくつかある。
例えば『Tropico』。南国の独裁者として時に過酷な政策も取れるゲームだが、結局は民主主義的にプレイする方がよっぽど効率的であり、独裁は余裕のあるプレイヤーのお遊びに過ぎなかった。
一方、『Company of Heroes 2』はソ連軍の指揮官として、兵士をゴミのように扱って進軍する場面が多々あるが、これはプロットで強制されるもので、兵士を犬死させないと先に進めないので罪悪感は一切沸かない。
他にも、『Fallout』のようなRPGや、『The Walking Dead』のようなADVでも、このようなモラルを問うゲームの大半が、「悪役にならない方が得」か「ストーリーで強制的に悪役をさせられる」のどちらかになっている。
核実験できるのはちょっと面白い via『Tropico3』
『Frostpunk』はこのようなモラルを問うゲームの中で、現状最も完成されたゲームだと私は考える。
まず寒波という特徴的なシステムの上に、人間を「増やす」のでなく「生かす」ためのゲームとして作られており、人間に注目させてストラテジーの定石を壊しつつ、同時に人間の中には客観的に「役に立たない人間」がいることに気付かせることで、「ゲーム攻略」を考えると必然的に人間を順位付けする必然性を発生させている。
そして問われるのは、プレイヤーが「善い人か悪い人か」ではなく、「当然悪い人だが、どこまで悪い人か」という点だ。何人見捨てて、何人救うことが出来るか。時に予想外のアクシデントや事件が発生した時、プレイヤーは本来救う予定だった人間を、更にどれだけ見捨てるのか。
同時に、最初は喉から手が出る程欲しかった労働力が、やがて時代を経るに連れて不要になっていき、弱者切り捨ての時代に入る一連の「変化」が恐ろしくリアリティがある。この己の心境の「変化」に気付いた時、自分でも何て都合がいい男なのだと絶望した程だ。
だがそもそも、AIが進歩し、単純な作業がロボットでも可能になり、資源が逼迫した我々21世紀の現代において、「こうならない」と断言できる根拠はどこにもないのだ。
何より偉いのは、このゲームでは一般的に享楽的でデメリットしかない「悪い選択肢」が攻略の上で極めて有効な点だ。
未曾有の大寒波が襲い、人は飢えて凍えている。だからこそ住民も指導者の残酷な指導も「仕方ない」と受け入れている。何なら、食料配給を減らす政策をした直後に、凍えた住民から「あなたのおかげで今も私達は生きています。ありがとうございます。」と感謝の手紙が来る時がある。これで涙せずにいられるだろうか。
やめろ…やめてくれ……。
そして、斥候が外部を偵察する時、無数の崩壊した集落を目にすることがある。そう、このゲームにおいて何より悪いことは、街そのものが崩壊するなのである。だからこそ、決してゲームは「カルマが下がりました!」と言って、直接的にプレイヤーの行動を責めないのである。
逆に、先述した『Tropico』にせよ、大半のモラルを問うゲームは、「悪い選択肢」を用意しておきながら良い選択肢にゲーム的なメリットを与え、あくまで「開発者は心優しい方の味方ですよ」という体を装うことさえある。それこそ、とんだ偽善者だ。
長くなったが結論を言おう。本作『Frostpunk』は紛れもなく今年のGOTY候補と言える程の傑作である。
ストラテジーゲームとしての新規性、資源管理のシビアさ、スチームパンクの世界観など純粋にゲーム部分だけでもクオリティが高いが、それらと完全に結合した形で、プレイヤーのモラルを問い、人の正しさとは何か考えさせている。
日本語は現状実装されてないが、幸いポーランド原産のためか英語は平易で読みやすい。是非とも今遊んで欲しい、正真正銘の傑作である。
*1:ロボットでも故障するし燃料が必要だろ?と思うかも知れないが、Automatonは完全なオーパーツで核燃料のようなものを使っているので補給が必要ないのだろう。