抗命権

ドイツの連邦軍では、戦後基本的人権の1つとして、抗命権が認められている。フランスでも、同様に抗命権は認められている。この重要な基本的人権の1つが、日本の自衛隊では、比較は出来ないかもしれないが、認められていなく、裁判もされる事はない。

仮令、国の命令と言えども、または連防軍の仕官、上官の命令と言えども、人道に反する事、あるいは、これは限度を超えて間違っていると言う事、自分の信念や宗教観・価値観・歴史観で考え判断してどうしても異なる考えや立場を持つ場合、その意思表示をする事が出来、裁判の判断を仰ぐ事が出来る。

日本の自衛隊内での不祥事や、自殺が多いと言うのも、又事実を追求した言論の自由さえ認めようとしなく、いまだ驚くほど旧い体質の現在の日本社会を、遠くから離れて見ると、根本的にそこに欠けている要素が見えてくる。

ドイツの法律を日本は学んで取り入れたと各分野でよく聞くが、日本の弁護士会はこの重要な基本的人権の1つを、どのように考えているのだろうか?

ドイツは過去の歴史的事実の深い反省から、絶体命令と言う事で、自分の考えや理解なしで盲目的に命令に服従する事、また同意できない事柄に従うのは、人間の行動原理から見て極めて無責任な事であるとされた。

例えば既に1949年、兵役を強制されない権利として、良心的兵役拒否権が、基本法で認められている。
1982年までは、拒否するものは少数であり、その理由を書かせられ、良心の審査を国家が厳しく1人1人審査した。後の就職にも不利であったそうだ。

1983年、「良心的兵役拒否新秩序法-良心的兵役拒否法 及び非軍事役務法の新秩序の為の法律」 改正法が成立した。
同法では「非軍事的役務である民間役務は基礎兵役より3分の1長期に渡る」ともされた。
この制定以来、良心の審査は中止され、A4用紙数枚に理由を書き、提出する手続きを取るだけで、兵役を拒否する事が出来る様になるが、承認率は85%以上であった。
2002 年 1月から、義務兵役の期間が13ヶ月間から9ヶ月間(1ヶ月間は休暇)
に短縮され、代替の民間役務(Zivildienst)も同じ期間に短縮された。
時代の必要性に合わせて、法律も憲法も何回もドイツでは改正している。
当然の事であるが、ドイツ人が、ドイツ人の為に自分達で変えて行くのである。

義務兵役の中でも、以前裁判となったケースを2つ紹介しよう。
西南ドイツのある陸軍部隊の訓練中に、上官が「今戦争中だ。食糧が不足して本日は食糧がない、虫を食べろ!」との指令で虫が差し出された。
何人かは、無理をして命令に従い虫を食べたそうだ。しかし、断固として虫を食べるのを拒否した若者がいた。裁判となり、その判決は「今は、練習中なので虫を食べる必要はない」となり、隊長が負けて裁判費用と罰金を支払った。

もう1つは、ある中部ドイツの陸軍で、戦争中に敵に捕まり捕虜となったと言う想定で訓練があった。その時、木にぶら下げられたり、蹴られたりと暴力を受けた若い兵士達が、弁護士を使い隊長を裁判に訴えた。
判決は「限度を超えた訓練で、そこまでやる必要はない」行過ぎた暴行に対し
て、罰金25,000ユーロ(レート1,3≒325万円)の支払いを若い兵士にする事が隊長に課せられた。
私達も権利保護保険(Rechtschutzversicherung)に加入しているから、何時でも弁護士は気楽に使える。息子の兵役時にもこの判例は伝えておいた。

近代立憲主義の立場から、一般兵役義務制度―徴兵制度は、民主主義の正統な子で、親和的に解釈されている。民主化された軍隊、国民による管理と言う観点から、理解納得され評価され、つまり兵士は、制服を着た市民(Buerger in Uniform)であるから、原理上、他の国民と同じ権利と義務を持つ国民の学校でもある。軍隊は、国民全ての様々な階層、様々な個性から構成されるべきと考えられた。職業軍人のみによる軍隊では、軍が暴走したとき、社会はそれを阻止する事は困難であるから、孤立して閉鎖的な性質とは反対に、連邦軍は社会との繋がりが保障された。
敗戦後のドイツ社会では、国も、親(多くの父親は戦死)も教師も、教会も、若者に対しての教育の権威や自信を失い、どのような教育をしていけばいいのか困惑と苦悩の時期でもあった。新しい軍隊は、健全な父親代わりの教育を与える国民の為の学校とも考えられた。
このような、民主化された国民の人材教育学校を必要としている日本の若者は今実に多いと思う。   18. 11.2008