真面目に生きてきた人。人との約束を守り、するべき仕事を率先してこなし、サボらず、いじめず、コツコツと努力を重ねてきた。だけど、報われない。不幸を感じてしまう。こうした悩みを感じる人は現代日本に多いのではないかと思います。
金持ちのあいつは、苦労もせずに幸せを掴んだ。調子のいいあの人は、いつも悪いことは人に押し付けて、自分は美味しいところだけ持っていく。
それなのに、自分はどうして...。
そんなふうに思ってしまうとき、こういう考え方をしてみるといいかもしれない、そういうヒントを幾つか考えてみました。
報われなくても、真面目に生きてきたことは誇るべきこと
今時、不真面目に生きて、人の頑張りを横取りすることはそんなに難しいことではありません。
例えば飲みの席で、支払いの段でトイレに逃げるとか、妻に家事を押し付けて自分は亭主関白を気取って威張るとか、友達からの借金を踏み倒すとか、人を裏切ることで利益を得るのは簡単だし、それで損をすることは必ずしもありません。
ですが、裏切りやルール違反の裏には、大抵被害者がいます。上の例で言えば、会計が足りない幹事さんや、家事をやらされる奥さんや、借金を返してもらえないお友達がそれにあたるでしょう。
本当に得がしたかったら、ズルをしても別にいいんです。でも貴方は自ら真面目に生きる道を選んでいる。それって、人の幸せを支え、人の笑顔や信頼を守るという、とてつもなく立派な行為なんです。どうか自分の素晴らしさに胸を張って下さい。
本来世の中は理不尽なのに、貴方のような人が社会に信用と信頼を作り出してくれるおかげで、世の中にいっそうの幸福がもたらされているのです。誇りに思っていいんですよ。
でも、やっていい不真面目=やらなくていい真面目もある
ここで注意してほしいのは、傷つく人がいないときや、真面目さが不幸を生むときなど、必ずしも真面目である必要はないこともあるということです。
例えば、部活動では今でも水分補給を禁止しているところがあるそうです。明らかに時代遅れのルールですよね。真面目に守っても誰も得をしませんし、むしろ自分の体を傷つけてしまうことになります。
あるいは、真面目にしたがった結果、裏切り者たちが得をするだけのルールも守らなくていいでしょう。
例えば掃除当番を誰もやろうとせず、自分だけがやって皆がズルく得をしているなんて、貴方が苦労する理由なんてありません。貴方がサボっても罪のない人が傷つくことがないのであれば、ボイコットしちゃえば良いんです。
このように、ルールやマナーは時として現状に合っていないこと、時代遅れになることが少なくありません。そういうときにまで真面目さにこだわるのは、無意味などころか、自分が取り返しのつかない被害を受けることになりますよ。
罪のない人が傷つかない限り、真面目さにこだわりすぎないしたほうが合理的なときもある、ということです。
貴方自身がどう生きたいかが一番大事なこと
まとめると、貴方は真面目であるということだけでも、素晴らしい人生を送ってきたといえるのです。人をけして傷つけないどころか、社会の信頼と幸福を作り出すお手伝いまでされているわけですから、人として立派に違いありません。
そして、真面目に生きてきたわけですから、そういう生き方を貴方はきっと望んでいるのでしょう。不真面目に生きて人を傷つけて幸せになる生き方に本当に憧れますか?少なくとも僕は、そんな生き方で幸せになるくらいだったら不幸を選びます。そう思うと、自分の生き方に納得がつくのではないでしょうか。
ただ、もし真面目さにこだわりすぎて自分がしんどくなってきたなら、あるいは無意味なルールにまで真面目でありつづけて自分を傷つけてしまっているなら、そんな「真面目さ」にはこだわらなくていいんです。
そもそも真面目か不真面目のどちらかでしかいられない、みたいな苦しい二者択一に自分を追い込む必要はありません。物事はもっと曖昧で、柔軟なものです。
つまり結局は、自分が生きたいように生きればそれが一番です。だって実際、全然悪いことではありませんから。天国や地獄なんてないんですから、貴方自身が貴方を裁くほかありませんからね。
それに、そもそも不真面目な人には絶対にわからない、真面目に生きて人々の幸福を支える生き方の喜びを噛みしめるだけでも幸せなことですよね。心がしんどければしばらくサボってもいいので、できる範囲で自分の生き方を探していきましょう。
以上、砂漠のぽわるんでした。