当たり前ですが、世の中は「真面目に頑張った人が勝つ」ようにはできていません。
容姿に恵まれただけのあの人は、あなたより努力せずとも幸せをつかむことでしょう。信じた人に理不尽に裏切られたり、昔自分をいじめたあの娘が幸せになっていることなど日常茶飯事です。容姿が劣るという理由だけで不幸な人生を送る人もいるでしょう。そこに分かりやすい正義なんてありません。
こういうことばかりだと虚しくなるし、やる気もなくなりますよね。
そんな時に考えると楽になれる、考え方のヒントをまとめてみました。
1 自分だけが持てる、無上の価値に目を向ける
必死に真面目に生きている自分より、適当に不真面目に生きている人が幸福だったら...やっぱり誰でもいい気持ちはしません。そう考えるのは当然で、決して悪いことではありません。
そんな時には自分だけが持てている、そして自分にとって無上の価値があるものに目をむけましょう。それはペットの犬ころかもしれませんし、恋人や子供かもしれません。
運命とは数奇なものですから、この理不尽な世の中で、今まで経験した全ての辛さを生き抜いてこなければ同じ存在には決して出会えていなかったはずです。
尊い存在がいれば、今までの全てを受け入れることができるでしょう。
2 善人が勝つわけではないからこそ、自分を責めなくていい
もちろんペットもパートナーも子供も持たない、持てない方でも使える考え方のヒントはいくらでもあります。
例えば、真面目に生きてきたのにいま不遇で不幸な生活を強いられている時には、例えば、善人や真面目に頑張った人が報われるわけではないという事実から考えてみましょう。
そう考えれば、貴方は確かに真面目に生きていて、それとは全く無関係に、ただ不運にも不幸な境遇で生きているだけなんです。
世の中運とか偶然とかの働くところはいくらでもあります。どうか自分の不幸を自分のせいにして責めすぎないようにしましょう。
あの人がうまく行ってるのも自分がうまくいかないのも単なる偶然ですし、上手く行っているとしてもあの人の悪事は非難されるべきだし、上手く行ってないとしても自分の善行は誇るべきことです。うまくいかないことが悪いことだなんて、誰が決めたんでしょう?貴方は間違っていません。
3 本来理不尽は当たり前、だからこそ皆で助けあう
そもそも我々の生きる自然というのは本来自然法則にのみ従います。裏切ろうが殺そうが陥れようが、自然は何もしてくれません。
ですが、その中で人類はルールを作り出し、お互いがお互いの行動を予測し、お互いが得することができるように、世の中に秩序を少しずつ設けてきました。理不尽なルールがあれば、人々は団結して反発し、より良いルールを作り出してきたのです。
現代の日本でも、裏切ろうが殺そうが陥れようが、自然は何もしてくれません。ただ、人々が力を合わせ、警察や裁判所を用いたり、社会的な制裁をすることを通して、「悪人」を抑制し、制裁し、更生させるようになりました。
我々の歴史とは、理不尽の横行する世の中に人々が少しずつ規範の網の目を張っていき、出来る限りの理不尽を削り取ってきた歴史です。そしてこれからも、募金やボランティアやら、wikileaksやら、デモやら、市民運動やら、ジャーナリズムやらの動きを通して...世の中に残存する理不尽が人々に注目され、団結を通して少しずつでも削減されていくはずです。
少なくとも、理不尽に対抗するという意味では誰も一人ではありません。世の中に不満を抱える全ての人が、潜在的には貴方の味方です。そのために声を上げたり、思いを共有したり、未来を信じてみたりするのも、悪くないのではないでしょうか。
とりあえずは、わかってくれそうな人に相談してみたり、同じ悩みを抱える人と気持ちを寄せ合うところから始めてみましょう。意外と仲間はいますから。以上ぽわるんでした。