「人生の意味がわからない」と嘆く人は多い。試しに「人生 無意味」とgoogle検索してみたら、170万件ものサイトがヒットした。世の中には想像以上に、人生の意味を求めて右往左往する人が多い。自殺者が毎年2〜3万人にも上るのもうなずける。
どうしてこの問は人々を惹きつけ、納得できる回答がほとんど見つからないのか。それは、これを問う人たちは、ある重大な思い違いをしているからである。
そもそもどうして人生の意味が知りたいのか?
多くの人は、人生の意味が無いなら、生きていても虚しいだけだと考えがちである。しかしこうした人達がなかなか気づかない論点が3つある。
1 生きる意味が欲しく感じるのは、人生がつまらないか、しんどいから
人生が楽しかったり充実しているなら、人生の意味なんて気にもならないだろう。生きつづけたいと心から思えなくなったからこそ、せめてこの苦しみやつまらなさが何かのためであって欲しいと思って、生きる意味を求めるようになる。知的探究心から気になっているつもりでも、実際は、強く生きる原動力が欲しいだけだったりする。
2 人は、意味や究極の目的などなくても、楽しんで行動することはできる
意味がないと頑張れない、という誤った前提もこの問いを難しくする。そもそも人間みんながみんな理性に基づいて目的意識から行動するわけではない。
なんとなくとか、気持ちいいからとか、なぜかハマってしまうとかで楽しく行動することのほうがむしろ多いくらいだ。人生の意味なんてなくても、強く生きることは可能だ。
3 人生の意味が見つからなくても、怖いことも不都合もない
「人生の意味が無いと、生き続けようと踏ん張りきれないのでは」、この強迫観念がなにより人々を苦しめている。
上に書いたように、全く意味がなくても何らかの爽快感や達成感を設定することで楽しめるように工夫することで、生きる原動力はいくらでも手に入る。強く生きるためのエンジンは、意味や目的に限らない。
人生が頑張れない時の思考回路をちょっと変えてみる
人生の意味が気になる人は、
人生が頑張れない→頑張るためには意味が必要だ→人生の意味とは?
という思考回路で人生の意味を考えはじめ、そこで人生の意味を上手く見つけられれば良いものの、
人生に意味はない→この人生を頑張っても何の意味もない→人生やめてやる
となってしまうリスクが高い。
そうではなくて、
人生が頑張れない→頑張るためには爽快感や達成感があればいい→人生に爽快感や達成感をつけるにはどうしたらいいのか?
とポジティブに考えていくことができるだろう。
まとめ
人生に意味なんてなかったとしても、爽快感や達成感があれば、人生を頑張って楽しむことができる。この事に気づき、人生に依存症とばかりに熱中して生きていけるように工夫をこらしていけるようになれば、いつの間にか「生きる意味」を問いたくなる気持ちも消えているだろう。
急がば回れ。人生の意味が気になっているあなたは、仮に人生に意味がないとして、どのようにしたら自分が生きることに夢中になれるのか、考えてみるところから始めてみよう。