砂漠の民の手記

現代人が、不条理な世を生き延びるための模索の記録です。

RPGやってる時、「世界平和」なんて誰も本気で目指してない件

f:id:a_piece_of_tissue:20180429063405j:plain

唐突ですが、皆さんドラクエやってるとき、ホントに「世界平和」という目標のために頑張ってプレイしてましたか?

RPGの主人公は、世界平和のために生きている

f:id:a_piece_of_tissue:20180429063416j:plain

世の中には色々なRPGがある。典型的には、魔王を倒して世界平和を目指すという崇高な目的が設定されている。僕らはそのために、ひたすら敵と戦い、強い武器や防具を集め、仲間を集め育てていき、強くなって、中ボスや魔王を倒していく。これが大まかなRPGの流れと言えるだろう。

 

そこでは主人公はゲーム世界自体から「世界平和の実現」を要請されており、すべての行動はそこにつながるようにゲーム世界自体が設計されている。闘いも、仲間も、武具やアイテムも魔王を倒すためなのだ......。

 

RPGのように人生に目的を与えたがる人たち

f:id:a_piece_of_tissue:20180429060641j:plain

ところで、数年前には「人生ドラクエ化マニュアル」なる書籍がブームになった。それによれば、人生にもドラクエで言うところの世界平和のような「目的」を設定することが刺激的な毎日のために必要だということになっている。

 

それもあってか、人生にもドラクエのような「最終目的」が必要だと考えてしまう人が少なくない。

 

しかし、ちょっと待って欲しい。あなたがドラクエに熱中できたのは、本当に「世界平和」を目指していたからなのだろうか?冷静に考えてみよう。

ドラクエをプレイしてる時に考えていること

f:id:a_piece_of_tissue:20180429063818j:plain

「魔王を倒したい、世界を平和にしたい!!」では絶対になかったはずだ。「この敵ちょっと手ごわいな、回復したほうがいいかな?ドキドキ」とか、「けっこう強くなってきたな、倒すのが爽快だなぁ」とかのほうが実態に近いはず。

 

そう、倒されるスリルや倒していく爽快感、強くなっていく成長感や、任務をこなす達成感に主導されてあなたはドラクエをプレイしているのである。「世界平和なんてくそくらえ!w」と思っている人でも、ドラクエは楽しく熱中できるのだ。つまり目的意識は関係ない。

「生命に目的は本来ないし、あなたの代わりはいくらでもいる」、けど

f:id:a_piece_of_tissue:20180429043810j:plain

そもそも、現実の人生に目的を求めようとしても、生命も宇宙も結果の産物でしかないので究極的には目的なんてそもそもありえない。社会的な目的を設定しようとしても、あなたの代わりはいくらでもいる場合がほとんどだ。

 

人生に目的が必要だと考える人々は、こういうことに気づいてしまうと生きていく意欲を保てなくなってしまうだろう。

 

結局、人生に目的を設定しようという試み自体が、(宗教的な理由を除けば)考え詰めれば無駄なのだ。だってあなたの人生は無意味な多くの人生の一つなのだから。

 

だけど、そしてだからこそ無意味な人生をゲームのように、意味がなくても楽しめるものに変えようという努力が求められるのだ

 

「世界平和」が目的として設定されている本当の理由

f:id:a_piece_of_tissue:20180429044245p:plain

世界平和は、「目的」ではなく、達成感を得るための「目標」として必要なのである。世界平和という大目標があって、何体かのボスを倒す小目標があって、とゲーム内のいろいろな行動に達成感を与えるために配置されている「タテマエ」なのだ。

 

そして、目標に意味や必然性なんて本来必要ない。別に世界平和に興味がなくても、世界平和できたら達成感があるのと同じことだ。ゴルフが嫌いでも、ホールインワンできたら気分がいい。

 

人生に哲学的に悩んで「本当の意味」を探す暇があったら、とりあえず何か目標を設定して、本質的な無意味の中に楽しさを探していこう

a-piece-of-tissue.hatenablog.jp

a-piece-of-tissue.hatenablog.jp