砂漠の民の手記

現代人が、不条理な世を生き延びるための模索の記録です。

人生は無意味だ。それでも人生に夢中になることはできる

人生は無意味か?

だれしも、時々人生の意味は何か、実は無意味なのではないかということを考えることがあるだろう。中学時代に気づいてしまう人もいれば、大学時代に鬱々と考え込んでしまう人もいるのではないか。

(↑この問いに悩む人へのアドバイスとしてはこちらの記事があります。参考までに)

この記事を書いている僕自身も、人生の中で何回もこの問題にぶち当たって悩み迷ってきた。このような「人生無意味症候群」は、アンサイクロペディアでも面白い記事になっている。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/人生無意味症候群

 人生無意味」ということは誰でも分かることである上、無駄なことが大好きなガキども哲学者、もしくはよほどのバカでなければ誰もがうすうす気づいていることだが、この事実が拡散すれば税金を納める犬猫馬牛猿同然の社会的家畜奴隷が減少し税収が目減りしてしまい社会が成り立たなくなることも誰もが分かるので、無意識のうちに黙殺または規制されている。しかし、人間が極限状態に追い込まれるとこの事実を再認識し、開き直って暴走してしまうことが知られている。そのために続く自殺原因の第2位とされており社会問題となっている。

ありがちな答え

この悩みの答えとして、非常によく出てくる幾つかの回答がある。

1 無意味だよ派

1-a 無意味なら無駄だから死んでしまおう派

生きても無意味だから死のうというシンプルな立場である。「無意味ならやめちゃえ」という、生死にすらコスパ意識の高い、さとり世代の鑑のようなタイプとも言える。

1-b どうせ無意味なら好き勝手に生きよう派

無意味なら何をしても同じなんだから、せっかくなら好き勝手に生きようという立場。上手く行けば最強の考え方である。しかし、本当に文字通りやりたい放題やるタイプもいれば、好き勝手やる勇気もなく、結局流されるように生きつづけるようなタイプまで幅広い。

1-c 無意味だけど死ぬのはヤダよ派

無意味なのは分かっているけど、死ぬのが痛いとか、怖いとか、家族が悲しむとかの理由で死ねないだけなんだよ、とりあえず生きてるんだよという立場。本当に辛くなった時に糸が切れるように自殺してしまう可能性が高い。「寝ている間にいつの間にか死んでないかな」だの、「事故にあって痛みなく死にたい」だの言うタイプ。

 

2 意味あるよ派

2-a 子孫繁栄のためだよ派

人類は生物であり、その一員である自分も子供を作って命をつなぐために生きているんだよ、という立場。本人はそれでいいのかもしれないが、子供を作れない人は生きる意味がないと言っているのに等しいので、危険な思想かもしれない。

2-b 宗教的理由があるよ派

宗教的な諸々の理由から今生きているという立場。来世で幸せになるためかもしれないし、天国に行くためかもしれないし、自殺が罪になってしまうとか、色々バリエーションがある。自殺リスクは低い。が、人を選ぶ。

2-c 生きること自体に意味があるよ派

命は尊く、生きていることは素晴らしく、生きていけるだけでありがたいという立場。ただ、コレも一種の信仰なので、人を選ぶ

2-d 幸せになるために生まれてきたんだよ派

幸せになれないとわかった瞬間に死を選ばざるをえないタイプ。根性がないと厳しい考え方かもしれない。

2-e 世界に爪痕を残すためだよ派

後世に名を残すとか、社会に影響を残せればいいなぁという立場。大半の人にとっては難しいことであるため、簡単には爪痕を残せない、という現実に気づいた時に絶望してしまうリスクが高い。

 

3 意味は無いから自分で見つけようよ派

3-a 意味がないなら自分で作っていこうよ派

積極的ニヒリズムに近く、意味がまったくないところから自分で意味を創造していく営みを目指す立場。画期的そうに見えて、自分で作った意味を信じなければならないので、よほど素直でないと長続きしないだろう。ここから意味づくりに失敗して行き詰まると、自殺リスクは跳ね上がる。

3-b 意味を探すことが生きる意味なんだよ派

この手の議論で必ず現れる、悟っているようなタイプ。本人はこの答えが問題を先送りにしているだけだと言うことに気づいていない。思考放棄タイプとも言える。

 

4 無駄な問いだよ派

4-a 生きる意味を考えるなんて中学生かよ派

早期にこの問題に気づき、思考放棄したタイプ。人生の意味を考える事自体が恥ずべきことだと考え、この問題に若いうちに気づけた自分は早熟で賢いと思っている。

4-b 一時の気の迷いだよ派

疲れていたり、行き詰まったりしている時にこの問いにぶつかる者が多いことから、一晩寝てしっかり休むことで乗り越えようという立場。これで救われるものは多いが、一晩寝ても人生の意味が気になってしまう重症患者には通用しない。

 

どの立場も一長一短があるが、宗教的な盲信が必要だったり、本当に辛い時に役に立たなかったり、そもそも詭弁である立場が多い

 

そもそもどうして人生の「意味」を求めるのか

ここで視点を変えて、「意味」を求めている人が本当は何を求めているのか考えてみると、問題の核心が見えてくる。

例えば子供が「何のために勉強しなくちゃいけないんだ!」と叫ぶのは、勉強の目的がわかれば、辛くても頑張れるかもしれないからだ。この例から考えると、人生の意味を求める人達の本当の気持ちはこういうことだと推測できる。

生きるための努力はもうたくさんだ。しかし生きなくてはならない。頑張って意欲的に生き続けるために、(モチベとして)人生の意味を教えて欲しい。」これが彼らの本音である。

しかし現実は非情である。

人生は無意味だ。人生の意味なんて、宗教的な信仰を抜きにすれば、どこを探してもない。これが現実だ。生物も宇宙の偶然の産物にすぎない 

どう転んでも人生は無意味なのに、頑張る動機を「意味」に求めてしまう。これでは悩みが解決しないのも当然だ。それならもっと頭を使おう。

 

無意味なのに夢中でやり続けられるものって、沢山ある

世の中には沢山娯楽があって、中にはゲーム、ギャンブル、薬物など、依存症になってしまう人すらいるものも多い。RPGゲームやシミュレーションゲームなんて、どう考えても無意味極まりないし、冷静に考えれば大変な作業をこなさなくてはならないのに、夢中になって何時間もプレイできる。そう考えれば人生だって、無意味だとしても夢中になって頑張ることはできるはずだ。

そのためには、ゲームやギャンブルのどういう要素が人々を魅了し、夢中にさせるのかを考えていく必要があるだろう。

 数年前に、人生をドラクエ化して楽しもうという本が流行ったが、この本では「目的・ルール・敵」が人生を面白くするという主張がなされていたらしい。だが、それ以外にも色々な「依存」からヒントを見つけることができる

  • ギャンブルのように、時々大きな喜びが得られるようにすることで、それよりも多くの辛いことが何度あっても喜びに期待して生きつづけることができるのではないか?
  • RPGはレベル上げのためにコツコツと敵を倒し続けているだけでも妙な楽しさがある。少しずつでも確実に経験を積んでスキルが向上し、色々なタスクをより簡単にクリアできるようになるだけでも楽しめるのかも
  • 世界平和を目指す主人公たちの目的に共感できなかったとしても、プレイヤーは主人公たちと一緒に世界平和を目指して楽しむことができる。それはどうしてなのか?

(↑そうやって考えていくと、このようにやる気の出し方を整理できたりする。)

 

要するに、人生が無意味であったとしても、辛くても、つまらなくても、人生に依存して夢中になっちゃえば頑張れるし、それで良いんじゃない?そうすれば人生の意味なんて考えなくなるよ。

 

人生の意味がわからなくなってしまった時には

結局、人生の意味が欲しくてたまらないときというのは、このしんどくつまらない人生に、せめて頑張る意味でもあったらいいなと言う悲哀に満ちた願望にすぎない。人生なんて無意味なんだから、そんなときは意味を必死に探すのはやめて、人生を「無意味で辛いけどなぜか楽しめる中毒性のある娯楽」に変えていこう

そのためには世の中にあるゲームやギャンブルなど、無意味なのにどういうわけかハマってしまう娯楽に一つ一つ焦点を当てて、どうして人々はそれに夢中になるのか、いかにして人々を依存させるのかを考えて、人生に応用していくのが最も手っ取り早い。

 

いや、もちろん趣味を見つけて何かに本当に依存するのも選択肢としてはある。だが、生きる意味がわからない人にとって、趣味はなおさらやる意味がわからないものだから、たいてい続かなかったりする。だったら生きること自体を趣味にしちゃえ、それに依存しちゃえというのがこの記事の趣旨だ。

人生依存症を目指そう。人生に意味なんてなくても夢中で生きていた、懐かしいあの頃に戻ろう

このブログでも、世の中にある娯楽をひとつひとつ観察してその「人々を夢中にする理由」を考えて、人生に応用するためのヒントを探す記事を書いていく。乞うご期待。

 

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