砂漠の民の手記

現代人が、不条理な世を生き延びるための模索の記録です。

ステータス信仰など捨ててしまおう=今を生きるための幸福論

はじめに

受験、就職、結婚。「これらをうまくやらないと」「不安だ」「安心がほしい」、そのようなステータス信仰が未だに蔓延っているようだ。

 

そして、「受験で上手く行けば一生勝ち組だ」と無駄な期待をする人がいたり、「就職で失敗したから僕は不幸なんだ」という卑屈な自己正当化をする人がいたりする。

 

ところが、大抵の場合それらは幻想でしかない。その理由を、幸福のあり方を分類しながら考えてみる。

 

目次

幸福の四類型

幸福には「〇〇することによる幸福」「〇〇であることによる幸福」「自分の価値基準に基づく幸福」「社会や他人の価値基準に基づく幸福」という分け方ができ、それらを重ね合わせると以下のような4つの類型が見えてくる。図にするとこうなる。

 

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1 実質的幸福行為

これは自分の価値基準に基づいて幸せだと思う行為のことだ。例えば、哲学が大好きな人がずっと哲学を考えて楽しんでいるときはこれに当たるだろう。

 

2 外見的幸福行為

これは社会の価値基準に基づいて幸福とされる行為のことだ。例えば、有名な企業につとめてバリバリ働く、という行為とかは、社会的には憧れの対象になる行為だろう。

 

しかし本人がそうしたいからではなく、そうすることで社会的評価を高め、承認欲求を満たして自己肯定したいという理由であればそれは外見的幸福行為でしかない。

 

3 実質的幸福状態

これは自分の価値基準に基づいて幸福とされる状態のことだ。例えば、ずっとサッカー選手になりたいと思いながら生きてきた人が、サッカー選手になれた後に振り返ってみて、サッカー選手でいられて嬉しいなあといった気分がこれである。

 

4 外見的幸福状態

これは社会の価値基準に基づいて幸福とされる状態のことだ。例えば、開業医で年収何千万で4人の子どもに恵まれて全員ハーバード、といった羨望の的のような状態でも、本人が満足できていないでいるのならばこれですら外見的幸福状態である。

 

しかし、これではまだ、このような類型化に何の意味があるのかという読者の方も多いだろう。ここからはどの幸福がいちばん重要なのかを考えていく。

 

実質的幸福行為を求めよ

考えるまでもなく、外見的幸福よりは実質的幸福のほうが望ましい。自分自身が納得できる幸せでなければ意味が無いのは当たり前だろう。(このことは過去記事にも書いている)。

だが、実質的幸福行為と実質的幸福状態の差異についてはまだ明白でない。それならばそれぞれ深堀りしてみよう。 

 

実質的幸福状態の特質その1:比較可能性

実質的幸福状態とは、状態やステータスを保持していることで感じられる幸せである。そのため、幸福の基準は「状態やステータス」に求めることになる。

しかし、状態やステータスは比較が容易だ。一流企業の重役であろうが、世界的大企業の重役よりは見劣りがするし、医師の妻であろうが、石油王の妻のほうがステータスとしてはどうしても良く見える。

 

実質的幸福状態の特質その2:喪失リスク

実質的幸福状態は「ずっとこのままでいたい」という感情であり、裏を返せば「これを失いたくない、失うのが怖い」という感情だ。

このプラスとマイナスに引き裂かれて、「怖いからはやく失ってしまいたい」となるメンヘラ的倒錯もよくあるし、本当に幸福状態を失って自分の基盤がなくなった気分になって無気力化してしまう人もいる。

 

実質的幸福行為のほうが本質的

実質的幸福行為は、行為自体に幸福を感じているため、比較することは相対的に難しい(将棋をやっている、よりもマネーゲームをやっている方が上、かなんて分からないですよね)。そのため、比較によって苦しむことは少ない。

また、喪失リスクも比較的少ない。もちろん将棋ができなくなる、というリスクはあるが、実質的幸福状態と違って継続することに主眼が置かれているわけではない。

 

ただここで補足しなくてはならないのは、特定の実質的幸福状態にないとできない実質的幸福行為があることだ。たとえば家族を持たないと家族旅行はできないし、トップアスリートにならないとオリンピックには出られない

しかしその場合でも、状態は行為の実現のための必要条件にすぎないということを忘れてはならない。どんなにひどい状況・状態で生きていても実質的幸福行為が行えれば幸福は得られるし、素晴らしい状態であっても実質的幸福行為が行えないことはある。

ホームレスでも将棋さえできれば幸せな人、超大国の大統領でも呑気にダラダラ遊べなくて不幸な人、人生いろいろである。

まとめ

いかがだっただろうか。

幸福を4つに分類して検討した結果、幾つかの教訓が得られた。

恵まれた状態だろうがどうしようもない状態だろうが、それを幸不幸の理由にしない。まずは今の状態でできる範囲の実質的幸福行為=自分がやりたいことを見つけよう、ということだ。そして、やりたいことがないのなら、実質的幸福状態に拘る必要はないということでもある。

 

一人が好きな人が家庭をもてずに気に病んだり、のんびり働きたい人が激務で高給取りの職業に就けなくてステータス信仰のせいで不幸になるのはもったいない

やりたいことをやるために、あるべき状態を探すのが賢明だ。(おわり)

 

 

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今日も頑張って生きていきましょう。