僕の母親は僕が2歳の頃から15年くらい、とある宗教にハマっていました。崇教真光というやつ。すうきょうまひかりと読みます。いわゆる新興宗教です。
幼いころから宗教にハマる母親に育てられ、おそらく普通ではない家庭で普通に育ってきた僕の体験談です。
今回は母親が宗教をやめたときの話。
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母ちゃん真光やめるってよ
まずはじめに言っておきたいんですが、これはあくまで僕の体験談であり完全に僕の主観の話です。だから色んな検索ワードでここに辿りついたあなたの助けになれるかどうかはわかりません。
突然のやめる宣言
設割と使える宗教施
本州最北端のローカル鉄道線の駅がある町の実家から、僕が通う県立高校まではそのローカル線に乗ると片道840円でした。往復1680円。とてもじゃないが母子家庭で捻出できるものではなかったので、僕は毎日仕事に向かう母親の車に乗って学校に通っていました。帰りももちろん車です。(どうでもいいけど青森ではこういう通学スタイルの高校生はかなり多い。そのくせ、学校は免許の取得を禁止したりするので頭おかしい)
送迎といえば聞こえはいいですが要するに金がないんです。
僕は当時、吹奏楽部に所属していて練習が夕方6時くらいに終わるんですが、その時間でも母親の仕事が終わらない日が結構ありました。夏場なら適当にフラフラ歩き回ってもいいんですが(といっても田舎なので何もない)、冬はそうもいきません。青森の冬はどうしたって寒い。駅の待合室だって隙間風が吹いてかなり寒いのです。
そんなときに宗教施設というのは便利なもので常に人がいるので必然的に暖房もついていて、これがなかなかありがたいのでした。
とはいえ宗教なんてものは僕は大嫌いだったので、どうしてもっていう状況のときにだけ使って、大体は古本屋で立ち読みするために20分くらいかけて雪道を歩いていました。
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やめた
ところがそんなある日、母親に部活が終わったと連絡すると、宗教施設ではなく、どこか違うところで待っていろと言うのです。僕は別にそんなところに行きたいとも思っていなかったのでどうでもよかったんですが、帰り道の車内で話を聞くと宗教をやめてきたとのこと。
正直僕はかなり驚きました。
あんなに熱心に15年くらいずーっと続けてきたのにやめるなんて。その宗教につきあわされた僕の少年期の時間は無駄だったってことじゃないか。いや、やめようがやめまいがどっちにしても無駄なのはわかってるんだけど。でも、総本山に参拝するとかって言って岐阜県までわざわざ夜行バスに乗って何回も行ってたりしてたのに。それがまさかねぇ。そうくるとは。
理由
ということになると、そこにはきっと深い深いわけがあるのでしょう。いや、というか何か理由がないと僕だって納得できないじゃないか。あやうく信者にされかけたんだぜ。10歳そこらの少年を信者にしようとしてたんだぜ、昔。
と思いわけを聞いてみると、うーんなんだか説明しづらいなぁ。
当時母は真光意外にも、宗教とか哲学とかその他スピリチュアル的なことの諸々を独自に学んでいて、当時っていうか多分今もだけど。で、その自己研究した考えを教団の偉い人に提案したところ却下されたらしいのです。更に、そういう思想を教団に持ち込んだりとか他の信者に吹聴したりするなという風に言われたのだとか。
文章にするとただのやべぇババアじゃないか。
その母の研究というか新理念というか考えを却下されて、教団の外にも素晴らしいものがあって、それを取り入れて人間的な成長をしようとしているのにそれを否定して、他の人に勧めるのもいけないなんて何かおかしいんじゃないか、という考えに至りやめることを決意したのだとか。
まぁつまり母は教団に同情したくなるレベルの反乱分子へと成長したというわけです。そりゃ教団の対応が正しいよ。自分の思想を守らなきゃいけないわけだし。良い悪いは別として。
かくして僕の母親は宗教にドハマりしている人から、ちょっと変わってる人になったのでした。
友達だと思っていた宗教仲間の人がまったく連絡をくれなくなって空虚な感じがする、みたいなことを言っていたのがなんだか印象的でした。
宗教をやめさせるには
宗教をやめさせるというのはなかなか難しいんじゃないかと思います。宗教にハマるくらいだから頑固な人が多いだろうし。気長に待つしかないんじゃないかなと思います。ただ、いろんな人の考えに触れるようにするのはかなり有効的かもしれません。
宗教をやってる人は基本的に宗教団体内にしか友達がいないので違う考え方に触れる機会が少ないんじゃないかなと思います。
まとめ
そんなこんなで母は宗教をやめることになりました。もう10年以上も前の話。
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ではまた。