@ikennium
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『君の名前で僕を呼んで』のオリヴァーについて感じたこと。彼ってクローゼットのゲイですよねって話。
(※原作・脚本など詳しく掘り下げずに映画を観た印象だけで書いてますのであしからず)
というわけで、エリオもオリヴァーもセクシャリティは明示されていませんでしたが、オリヴァーは多分ゲイなんだろうなって感じがしました。
出会った当初からエリオに惹かれていたと話したところとか、積極的なスキンシップで好意を図ろうとしていたところとか。
まあ、「じゃなきゃあんないきなりスムースにフェラチオできねーだろ」ってのが一番の根拠なんですが。
何かと積極的なエリオを「冷静に」「外じゃダメだ」などと逐一止めていたオリヴァーの態度は、大人の対応といえば確かにそうですが、「同性愛が世間でどう見られるか」を肌で知っている人間のそれのようにも感じました。
自分たちの関係を受け入れてくれたエリオの両親と比較して「自分の父親に知れたら即矯正施設行きになる。」と口にしたオリヴァー。その恐怖と諦観は見に覚えがありすぎて息苦しくなってきます。
2年間”なんとなく続いていた”彼女と決まった結婚も、あの時代に”普通に”生きていくための、致し方ない選択だったような気がしてなりません。
そんなオリヴァーにとって、エリオがどれほど眩しい存在だったか。
現代にあってさえ、恋の相手が同性だと知っても眉ひとつ顰めず、「その気持ちがどれほど尊いか」と優しく語りかけてくれるような親は類まれです。
そんな知性と教養と好奇心にあふれた父母と、寛容で優しい周囲のもとですくすく育った彼の、伸びやかでしなやかで光輝くような魅力。年上相手に果敢に駆け引きを持ち出す大胆さや、果物相手に欲情した自分を恥じて泣いてしまうような純朴さ。
どれもこれも、オリヴァーにとって新鮮で、強い憧れを抱くものだったんじゃないかと思います。
エリオが今後どんな人間になっていくかは本当にわからないですが、それはあの美しく知的な環境が育む可能性ゆえに「どんな人間にもなり得る」からだと思っています。
オリヴァーにはそれがもうありません。自分の気持ちを真正面から受け止めてくれる稀有な存在に出会いながらも、オリヴァーはそこから遠く離れてしまいました。今後、あの夏の庭と同じくらい、彼が彼らしく生きることを肯定してくれる人や場所を、彼は見つけられるでしょうか。わたしは少し悲観してしまいます。
「何ひとつ忘れない。」
エリオとのひと夏を胸に秘めて、彼がこれから過ごす長い人生を思うと本当に胸が痛みます。
いつかもう一度自分の気持ちに正直になれるチャンスが来た時、どうかオリヴァーがそれをためらわず掴み取れますように。
その日まで、エリオとの思い出が彼の心を支えてくれますように。