雇用の改善や株価の上昇をもたらしながら、物価目標が未達成となっているアベノミクス。安倍政権をめぐる党派的な対立が激しいこともあって、その評価は大きく割れているのが現状です。
著者はいわゆる「リフレ派」の一人とされる人物で、アベノミクスを評価する立場の人ですが、「日本経済が縮小均衡に陥った責任の大部分は、明らかに民主党よりも自民党にあるといえる」(22p)と述べるなど、全体的に党派性をあまり感じさせない理論的な筆致で書かれています。
目次は以下の通り。
バブル崩壊以後、日本は「失われた20年」ともいわれる経済の低迷に苦しみ、「縮小均衡」の状態に陥るわけですが、著者はその分水嶺を1997年の消費税増税と金融機関の不良債権に表面化に見ています(24p)。
これ以降、企業が新規採用を大幅に抑制したことで就職氷河期が訪れ、デフレの定着とともに名目GDPが伸び悩むことになります。しかし、日銀がデフレ許容的な政策を取り続けたために、日本経済は縮小均衡状態へと陥ったのです。
この状態を本格的に打ち破ろうとしたのがアベノミクスです。
アベノミクスは、「大胆な金融政策」、「機動的な財政政策」、「民間投資を喚起する成長戦略」という三本の矢からなっています。著者は第一の矢の効果を指摘しますが、同時に問題視するのが第二の矢の位置づけです。
特に2014年に行われた消費税増税は短期的にはデフレを促進させる政策であり、アベノミクスに対する大きなブレーキとなりました。
安倍首相自身は消費税増税に懐疑的な姿勢も見せていましたが、アベノミクスの成功によって2013年の経済指標が大幅に改善したことが、「景気弾力条項」の発動を妨げました。「アベノミクスの開始時点での大いなる成功は、その最大の目標であるデフレ脱却を頓挫させるリスクをはらむ増税を後押しするという、きわめて皮肉な結果をもたらした」(49p)のです。
しかし、雇用に関しては着実な改善が見られます。失業率の低下に関しては、アベノミクスの成果ではなく、日本の生産年齢人口が減少しているからだという指摘もありますが、近年は生産年齢人口が減少しているにもかかわらず、労働する意思と能力をもっている労働力人口は増える傾向にあり、労働力人口が増えている中で失業率が低下しています(54p図表1-8参照)。
これは労働力人口の減少によって失業率が下がった民主党政権期とは対照的です。「民主党政権期の失業率低下は「労働供給が労働需要以上に縮小した」ことによっていたのに対して、アベノミクス期のそれは「労働需要が労働供給以上に拡大した」ことによる」(55ー56p)ものなのです。
これは不景気によって仕事につくことをあきらめていた人びとが、労働市場の改善によって再び仕事を探し出したと考えられます(もちろん、生活が苦しい高齢者や主婦が「自分も働けるなら」ということで仕事につく例も多いのでしょうが)。
さらに第1章の最後ではアベノミクスの背景にあるリフレ派の考えと導入の経緯に簡単に触れています。ここでは「端的にいえば、安倍は山本(幸三)に折伏されたのである」(63p)との記述が印象的ですね。
第2章ではリーマン・ショック以降の各国のマクロ経済政策と日本のそれを比べながら分析を行っています。
著者の民主党政権に対する批判のポイントは、金融緩和に消極的だった白川日銀を誕生させたこと、円高に対する無策(藤井裕久は「円高の良さは非常にある」と発言し円高を加速させた(75p))、消費税増税の決定です。
民主党政権はリーマン・ショックの影響を受けた不況時に成立しており、厳しい環境の船出であったことは確かなのですが、金融危機の起きなかった日本経済の落ち込みが他国と比べて大きかったのは、危機後のマクロ経済運営のまずさにあるといえます。
リーマン・ショック移行、アメリカのFRBもイングランド銀行(EOB)も欧州中央銀行(ECB)も政策金利を引き下げるだけでなく、ベースマネー供給を急激に拡大させました。
これは「現金の奪い合いこそが、金融恐慌の本質である」(97p)という洞察のもと、中央銀行として「最後の貸し手」としての機能を果たすためです。
ところが、日銀は日本が金融危機に陥らなかったということもあってベース・マネーをほとんど拡大させませんでした。量的緩和などを行った経験のある日本は非伝統的金融政策の先駆者でしたが、白川総裁はこうした政策には否定的だったのです。
こうした金融政策の違いが円高を生み、その円高が輸出のマイナス要因として働くことで、日本経済は大きく落ち込むこととなりました。この円高トレンドは、自民党総裁選で安倍晋三が勝利するまで続きました。
第3章では、インフレ目標の必要性を主に雇用の面から説明しています。
フィリップス曲線に見られるように、一般的にインフレ率と失業率はトレード・オフの関係にあると言われています。インフレ率が上がると失業率は下がり、インフレ率が下がると失業率が上がるという関係です。
日本のフィリップス曲線を分析すると、インフレ率が1%を割り込むと、失業率が急激に悪化するという関係が見られます(119p図表3-1参照)。一方で、インフレ率が2%半ばを超えても失業率はほとんど低下しなくなります。つまり、2%程度のインフレ率がちょうどよいバランスだと言えるのです。
黒田日銀が2%のインフレ目標を掲げて大規模な金融緩和をスタートさせて以降、失業率は低下し続けています。失業率が低下していけば、企業は労働者を雇いにくくなり、賃金を上げざるを得ません。そして、賃金が上がれば物価上昇が起こると予想できます。
ところが、失業率は低下するものの賃金は思ったほど伸びていないのが現状です。これには、日銀や経済学者の日本の完全雇用失業率の読み違えがあったといいます。
好景気になったとして、転職者など一定の失業者は残ります。そうした失業者を考慮に入れた失業率を日銀は3%半ばと見ていましたが、2%台になっても賃金の大きな上昇は起きていません。日本の完全雇用失業率は2%代半ばにあるというのがこの本の見立てです(131p)。
黒田日銀は人びとのデフレ予想を打ち砕くために2%の物価目標の達成に2年という期限を付けましたが、この完全雇用失業率の読み違えと、消費税増税によって2年で2%という目標は達成できませんでした。
そこで日銀は2016年になると10年もの国債の金利をゼロに誘導する長期金利操作政策を導入します。この政策に関してさまざまな意見がありますが、2016年のアメリカ大統領選挙でのトランプの勝利は日銀にとって思わぬ追い風となりました。
「減税と公共投資」を掲げるトランプ政権のもとではアメリカの長期金利の上昇が予想されますが、一方で日本の長期金利が低く押さえられるのであれば、その金利差から為替相場が円安ドル高に動くことが予想され、実際にそのように動いたからです。著者はトランプの勝利を日銀と日本経済にとって「干天の慈雨」(141p)と表現しています。
第4章でも引き続き、アベノミクスと雇用の関係が中心的にとり上げられています。
「失われた20年」は、若年層の非正規雇用を増大させました。日本の終身雇用制度のもとでは、正社員の削減はまず新規採用の抑制を通じて行われたからです。
もともと終身雇用制度は人手不足が深刻だった高度成長期に定着したものです。完全失業率が1%代前半だったなか、企業は人材確保のために終身雇用制度を導入していきました。つまり、現在の人手不足状態が続けば、より条件の良い正規雇用が増えてくると予想されます。
また、人手不足が続けば名目賃金も上昇し、それが実質賃金の上昇も引き起こすはずです。著者は、失業率が低下したからといってすぐに出口戦略などを考えるのではなく、賃金や物価の明確な上昇を確認してから出口を考えるべきだとしています(189-190p)。
第5章では、「経済政策における緊縮と反緊縮」と題して、日銀の剰余金の減少や債務超過を心配する必要がないこと、政務債務の捉え方などを論じています。
確かに日銀の剰余金が減少することは著者も認めるところですが、それは過渡的な問題であり、特に憂慮すべきものではないことを指摘しています。
また、日銀の保有する国債価格の下落を心配する声もありますが、国債の場合、日銀の損失は政府の利得でもあり(国債発行後に金利の上昇が起きた場合、国債所有者はキャピタル・ロスを被るが、政府は利払が少なくてすむ分利得を得る)、広義の政府として考えれば見せかけの問題にすぎないといいます。
日本の「財政危機」に関しては、「財政危機」という認識が無理な増税をもたらし、それが景気を悪化させさらに財政状況を悪くするという「観念の悪循環」(221p)に陥っていると指摘しています。
さらに、ラーナーの政府債務将来世代負担への否定論を紹介し、国債が国内で消化されている限り、政府債務の増大が必ずしも将来世代の負担にはならないとしています。
「日本で行われた不況下の増税は、若い世代が将来的に負う負担を減らすのではなく、むしろそれを増やしてきた」(237p)のです。
このように、この本はアベノミクスをマクロ経済の視点から幅広く分析しています。「ニューズウィーク」のコラムを再構成している部分もあるため、ややまとまりが悪かったり重複があったりする部分もあるのですが、記述は理論的で、なおかつわかりやすいと思います。
「物価目標2%達成のためには雇用のさらなる改善を待つしかないのか?」という疑問も湧きましたが、現在の経済政策の大まかな方向性(もちろん大まかです)の正しさを示した本と言えるでしょう。
アベノミクスが変えた日本経済 (ちくま新書)
野口 旭

著者はいわゆる「リフレ派」の一人とされる人物で、アベノミクスを評価する立場の人ですが、「日本経済が縮小均衡に陥った責任の大部分は、明らかに民主党よりも自民党にあるといえる」(22p)と述べるなど、全体的に党派性をあまり感じさせない理論的な筆致で書かれています。
目次は以下の通り。
第1章 アベノミクスとは何だったのか
第2章 世界大不況とアベノミクス
第3章 異次元金融緩和政策の真実
第4章 雇用政策としてのアベノミクス
第5章 経済政策における緊縮と反繁縮
バブル崩壊以後、日本は「失われた20年」ともいわれる経済の低迷に苦しみ、「縮小均衡」の状態に陥るわけですが、著者はその分水嶺を1997年の消費税増税と金融機関の不良債権に表面化に見ています(24p)。
これ以降、企業が新規採用を大幅に抑制したことで就職氷河期が訪れ、デフレの定着とともに名目GDPが伸び悩むことになります。しかし、日銀がデフレ許容的な政策を取り続けたために、日本経済は縮小均衡状態へと陥ったのです。
この状態を本格的に打ち破ろうとしたのがアベノミクスです。
アベノミクスは、「大胆な金融政策」、「機動的な財政政策」、「民間投資を喚起する成長戦略」という三本の矢からなっています。著者は第一の矢の効果を指摘しますが、同時に問題視するのが第二の矢の位置づけです。
特に2014年に行われた消費税増税は短期的にはデフレを促進させる政策であり、アベノミクスに対する大きなブレーキとなりました。
安倍首相自身は消費税増税に懐疑的な姿勢も見せていましたが、アベノミクスの成功によって2013年の経済指標が大幅に改善したことが、「景気弾力条項」の発動を妨げました。「アベノミクスの開始時点での大いなる成功は、その最大の目標であるデフレ脱却を頓挫させるリスクをはらむ増税を後押しするという、きわめて皮肉な結果をもたらした」(49p)のです。
しかし、雇用に関しては着実な改善が見られます。失業率の低下に関しては、アベノミクスの成果ではなく、日本の生産年齢人口が減少しているからだという指摘もありますが、近年は生産年齢人口が減少しているにもかかわらず、労働する意思と能力をもっている労働力人口は増える傾向にあり、労働力人口が増えている中で失業率が低下しています(54p図表1-8参照)。
これは労働力人口の減少によって失業率が下がった民主党政権期とは対照的です。「民主党政権期の失業率低下は「労働供給が労働需要以上に縮小した」ことによっていたのに対して、アベノミクス期のそれは「労働需要が労働供給以上に拡大した」ことによる」(55ー56p)ものなのです。
これは不景気によって仕事につくことをあきらめていた人びとが、労働市場の改善によって再び仕事を探し出したと考えられます(もちろん、生活が苦しい高齢者や主婦が「自分も働けるなら」ということで仕事につく例も多いのでしょうが)。
さらに第1章の最後ではアベノミクスの背景にあるリフレ派の考えと導入の経緯に簡単に触れています。ここでは「端的にいえば、安倍は山本(幸三)に折伏されたのである」(63p)との記述が印象的ですね。
第2章ではリーマン・ショック以降の各国のマクロ経済政策と日本のそれを比べながら分析を行っています。
著者の民主党政権に対する批判のポイントは、金融緩和に消極的だった白川日銀を誕生させたこと、円高に対する無策(藤井裕久は「円高の良さは非常にある」と発言し円高を加速させた(75p))、消費税増税の決定です。
民主党政権はリーマン・ショックの影響を受けた不況時に成立しており、厳しい環境の船出であったことは確かなのですが、金融危機の起きなかった日本経済の落ち込みが他国と比べて大きかったのは、危機後のマクロ経済運営のまずさにあるといえます。
リーマン・ショック移行、アメリカのFRBもイングランド銀行(EOB)も欧州中央銀行(ECB)も政策金利を引き下げるだけでなく、ベースマネー供給を急激に拡大させました。
これは「現金の奪い合いこそが、金融恐慌の本質である」(97p)という洞察のもと、中央銀行として「最後の貸し手」としての機能を果たすためです。
ところが、日銀は日本が金融危機に陥らなかったということもあってベース・マネーをほとんど拡大させませんでした。量的緩和などを行った経験のある日本は非伝統的金融政策の先駆者でしたが、白川総裁はこうした政策には否定的だったのです。
こうした金融政策の違いが円高を生み、その円高が輸出のマイナス要因として働くことで、日本経済は大きく落ち込むこととなりました。この円高トレンドは、自民党総裁選で安倍晋三が勝利するまで続きました。
第3章では、インフレ目標の必要性を主に雇用の面から説明しています。
フィリップス曲線に見られるように、一般的にインフレ率と失業率はトレード・オフの関係にあると言われています。インフレ率が上がると失業率は下がり、インフレ率が下がると失業率が上がるという関係です。
日本のフィリップス曲線を分析すると、インフレ率が1%を割り込むと、失業率が急激に悪化するという関係が見られます(119p図表3-1参照)。一方で、インフレ率が2%半ばを超えても失業率はほとんど低下しなくなります。つまり、2%程度のインフレ率がちょうどよいバランスだと言えるのです。
黒田日銀が2%のインフレ目標を掲げて大規模な金融緩和をスタートさせて以降、失業率は低下し続けています。失業率が低下していけば、企業は労働者を雇いにくくなり、賃金を上げざるを得ません。そして、賃金が上がれば物価上昇が起こると予想できます。
ところが、失業率は低下するものの賃金は思ったほど伸びていないのが現状です。これには、日銀や経済学者の日本の完全雇用失業率の読み違えがあったといいます。
好景気になったとして、転職者など一定の失業者は残ります。そうした失業者を考慮に入れた失業率を日銀は3%半ばと見ていましたが、2%台になっても賃金の大きな上昇は起きていません。日本の完全雇用失業率は2%代半ばにあるというのがこの本の見立てです(131p)。
黒田日銀は人びとのデフレ予想を打ち砕くために2%の物価目標の達成に2年という期限を付けましたが、この完全雇用失業率の読み違えと、消費税増税によって2年で2%という目標は達成できませんでした。
そこで日銀は2016年になると10年もの国債の金利をゼロに誘導する長期金利操作政策を導入します。この政策に関してさまざまな意見がありますが、2016年のアメリカ大統領選挙でのトランプの勝利は日銀にとって思わぬ追い風となりました。
「減税と公共投資」を掲げるトランプ政権のもとではアメリカの長期金利の上昇が予想されますが、一方で日本の長期金利が低く押さえられるのであれば、その金利差から為替相場が円安ドル高に動くことが予想され、実際にそのように動いたからです。著者はトランプの勝利を日銀と日本経済にとって「干天の慈雨」(141p)と表現しています。
第4章でも引き続き、アベノミクスと雇用の関係が中心的にとり上げられています。
「失われた20年」は、若年層の非正規雇用を増大させました。日本の終身雇用制度のもとでは、正社員の削減はまず新規採用の抑制を通じて行われたからです。
もともと終身雇用制度は人手不足が深刻だった高度成長期に定着したものです。完全失業率が1%代前半だったなか、企業は人材確保のために終身雇用制度を導入していきました。つまり、現在の人手不足状態が続けば、より条件の良い正規雇用が増えてくると予想されます。
また、人手不足が続けば名目賃金も上昇し、それが実質賃金の上昇も引き起こすはずです。著者は、失業率が低下したからといってすぐに出口戦略などを考えるのではなく、賃金や物価の明確な上昇を確認してから出口を考えるべきだとしています(189-190p)。
第5章では、「経済政策における緊縮と反緊縮」と題して、日銀の剰余金の減少や債務超過を心配する必要がないこと、政務債務の捉え方などを論じています。
確かに日銀の剰余金が減少することは著者も認めるところですが、それは過渡的な問題であり、特に憂慮すべきものではないことを指摘しています。
また、日銀の保有する国債価格の下落を心配する声もありますが、国債の場合、日銀の損失は政府の利得でもあり(国債発行後に金利の上昇が起きた場合、国債所有者はキャピタル・ロスを被るが、政府は利払が少なくてすむ分利得を得る)、広義の政府として考えれば見せかけの問題にすぎないといいます。
日本の「財政危機」に関しては、「財政危機」という認識が無理な増税をもたらし、それが景気を悪化させさらに財政状況を悪くするという「観念の悪循環」(221p)に陥っていると指摘しています。
さらに、ラーナーの政府債務将来世代負担への否定論を紹介し、国債が国内で消化されている限り、政府債務の増大が必ずしも将来世代の負担にはならないとしています。
「日本で行われた不況下の増税は、若い世代が将来的に負う負担を減らすのではなく、むしろそれを増やしてきた」(237p)のです。
このように、この本はアベノミクスをマクロ経済の視点から幅広く分析しています。「ニューズウィーク」のコラムを再構成している部分もあるため、ややまとまりが悪かったり重複があったりする部分もあるのですが、記述は理論的で、なおかつわかりやすいと思います。
「物価目標2%達成のためには雇用のさらなる改善を待つしかないのか?」という疑問も湧きましたが、現在の経済政策の大まかな方向性(もちろん大まかです)の正しさを示した本と言えるでしょう。
アベノミクスが変えた日本経済 (ちくま新書)
野口 旭