Duvet という楽曲

 シリーズ各話の回顧は、#クラブサイベリアが企画しているTwitter同時上映会(5月18日より毎週金曜22時開始)に合わせて記していくつもりだ。

 

 

 

 前のエントリで記した様に、シリーズ版の「serial experiments lain」のラストは漠然と決まっていたのだが、中村隆太郎監督と話していく内に違うものへと移行していった事は幾度も述べている。
 それに偽りはないのだが、後年「ああ、こっちの影響も大きいなぁ」と思っているのは、オープニング曲「Duvet」からのフィードバックだ。

「Duvet」(デューヴェイ/フランス語/中綿クッションの意)bôaの楽曲。
 ロートルのロックファンには馴染み深い(近年はQueenともツァーを行った)イギリスのロック・シンガーであるポール・ロジャースは日本人と結婚しており、その息子スティーヴと娘ジャスミンが結成したのがbôaだった。

lain」は、エンディング曲と劇伴を仲井戸‘CHABO’麗市さんに依頼する事を上田Pが独断で決めていた。内容やテイストがかなり尖ったものになる事は見えていたので、アーシーなブルーズで締めたいという意図だったと思う。
 しかし劇伴としてはチャボさんのマテリアルだけでは到底追いつかず、"2nd Unit"と後に呼ばれる竹本晃さんと近田和生さん(JJ役)が膨大なアディショナル・ミュージックを毎週作成する事になるが、これについては改めて記す。

 オープニングは上田Pから「このアルバムから選べって言われた」と渡されたのが、bôaのファースト・アルバム「The Race of a Thousand Camels」だった。
 いつも通りなのだが、一聴した私の感想は「うーん」という感じだった。
 よく聴き込めば実にユニークなサウンドなのだが、ジャスミンのヴォーカルを前面に出したサウンドは悪い意味で「聴き易い」というのが第一印象だったのだ。
 もっとドギつい、視聴者を仰け反らせる様なサウンドを希望していたのだからそういう印象になる。
 
 このアルバムには「Rain」というタイトルの曲があって、一番リフが明確でロック的な印象だったのだが、「lain」の主題歌が「Rain」てのは幾らなんでも恥ずかしいよね、と言った覚えがある。

 中村隆太郎監督と上田Pが「Duvet」を選んだ。
 決して悪い曲じゃないが、地味じゃないのかと思っていた。
 こうした私の印象が、如何に恥ずかしくも間違っていたかは、オープニングのコンテが描かれた時、そして映像として完成した時に思い知らされる。

 この「Duvet」という曲は、愛していた男性に裏切られた女性の気持ちを歌っている。
コーラス部で繰り返されるのが
 I am falling, I am fading, I have lost it all
(私は落ちていく 私は消えていく 私は全てを失った)
 というフレーズ。
 ただ、ジャスミンの歌い方はベタに悲嘆にくれる様なものではなかった。
 だから、日本人がぱっと聴いた感じでは、そう明るい内容ではないものの、そこまで暗い歌詞だとは思わなかったと思う。

 シリーズ物を書くという事は、その主題歌を数え切れないくらい聞き返しながらストーリーを思考するのが実際だ。
 アニメシリーズ「lain」の最後に行き着くところ――、それはこのオープニングの歌と、そしてその映像で既に提示されてしまっていたのではないか。

 こういう考え方を、隆太郎さんが生きている間には全く抱かなかったのが不思議だ。
 隆太郎さんは決して「こうしてくれ」という具体的な要望を私には言わなかった。
 しかし、あのオープニングを作った事で、私の向かう先を先回りして決めていた、という見方も出来るのかもしれない。

 

f:id:yamaki_nyx:20180428232010j:plain

serial experiments の意味


 やはりそもそもの話から始めるべきだろう。
 これを読んでいる人には今更な事だが、元々「serial experiments lain」というタイトルは初代Playstation用のソフトとして企画された。
 これを果たしてゲームと呼べるのかは今尚疑問が持たれている。
 スタンドアロンのゲーム機Playstationが、あたかもネットに繋がっているかの様に振る舞い、玲音という少女のインターフェイスを通して様々な情報をユーザがたぐり寄せていくという構造で、膨大なテキストが含まれていた。
 だがこのテキストは、主にはPioneer LDC(当時)のプロデューサー上田耕行が書いており、私は30分程のアニメーション・パートのシナリオを担当したに過ぎない。
 アニメにまでするのだから、これが言わば「本線」ではあるのだが、ベーシックなプロットは上田によるもの。私はえんどうてつや監督が映像化するまでの仲介をした様な仕事をしたに過ぎない。
 尚、このゲームに於いてネットワークはあくまで情報を得るルートとしての存在で、ゲームの主眼はサイコ・スリラーに分類される内容だった。

serial experiments lain」(本稿ではPlaystation版ソフトの事を指す)は、しかし傍で見ていて「大変な事やってるなぁ」とは思いながらも、面白そうな試みをしていると思っていた。
 キャラクター・デザインの安倍吉俊氏は、ネットで上田P(プロデューサー)が見つけたアーティストで、当時はまだ芸大の学生だった筈(院生だったか?)。
 安倍君を知る人には言うまでもない事だが、彼は単に絵を描くばかりではなく文章も書けるばかりか独創的なアイディアを惜しみなく提示するので、私は驚嘆していた。
 玲音の「お父さん」は、全くそんな発注もないのに書いてきたラフを見て私が「これは何?」と訊ねた時、彼が答えたものがそのまま設定になった。
 片手に余る人数で延々と作られたのがこのソフトだった。
 ゲームのシステム自体はしかしこのチーム(SR-12Wという、飛行機好きなら『はぁ?』と思う名称だった)の前作「NoeL」から発展したものだった。

 私を除くスタッフが圧倒的な苦労をして何とかソフトを完成させた訳だが、このゲームの販促という錦旗の許、深夜帯1クールのアニメの製作を実現させるまでに至った。
「serial experiments」という語の意味合いは、ゲーム→テレビアニメという媒体を渡る事だろうと、当時から今まで漠然と思っていたが、実際にはどうだったのか判らない。まだ続く実験だったのかもしれない。

 さて、ここで再び私に話が来るのだが、テレビ版はゲームとは全く違う設定でやっていい(やれと言われたのか、思い出せない)という事でフリーハンドで取り組む事になる。
 清水香里さんが演じる玲音というキャラクターだけが共通であり、従ってシリーズのラストは、Playstation版と同じく拳銃で自分を撃ち抜いて終わる――というものになるのだろうと漠然と思っていた。
 その終着点さえ揃えたら、そこに至るまでは完全に自由に物語を創れるという事になる。

 ただ、商業作品の脚本家としていつもは様々な制約で不自由さを感じていたくせに、完全な自由を得ると途方にくれる。
 もの凄く大雑把な12話分の構成をざっくりと書いただけで、後はシナリオを書きながら考えようと思った。
 結果的には、この方法が理想的に巧くいくばかりか、それ以外では作り得なかったのだが、それはずっと後になって判る事であり、アニメ版はおっかなびっくりの模索の中で書き始めた。

 

Present day, present time...

serial experiments lain」が放送されて20年が経つ。
 とは言うものの、特に何かが予定されていた訳では無いのだが、安倍吉俊君のファンの人達が中心になって「クラブサイベリア」というファン・イヴェントをクラブを借り切って開催される。
 このイヴェントについてはTwitterで「#クラブサイベリア」で検索して情報を得て欲しい。

 昨年から今年にかけては××周年に当たる作品が多く、昨年には中村隆太郎監督の遺作となってしまった「神霊狩 -GHOST HOUND-」10周年で、プレイバック中村隆太郎プロジェクトの方々により上映+トークのイヴェントがあった。
 今年は「デビルマンレディー」「ウルトラマンガイア」と共に「serial experiments lain」が20年という区切りを迎える。

 今年4月に、放送から16年を経て「デジモンテイマーズ」のBlu-ray Boxが発売となり、新規にCDドラマを昨年録音した。そういう特典があるにしても、高価な商品であり、またCDドラマには殆どのコア・キャストが集められたのだが、一人だけ事情で出演をお願い出来なかった。そこで、私的にTwitterアカウントをとって、公式サイドが書けない様な事も含めて宣伝を目的で書いていた。

 私はエゴサーチの類は忌避したい性質なのと、長文体質である事もありTwitterは縁遠い存在だと思っていたのだが、2017,8年現在のネットでの発信はTwitterが最も有効だというのは事実で、今や企業もサイトを立ち上げず公式アカウントで発信している。

 ちょうどTwitterの仕様が変わって、140文字内に1コンテクストをまとめれば、スレッドとして長文を連続投稿が可能になったのもあり、私は数ヶ月内の間に「テイマーズ」の各話回顧などを投下し、Google siteにまとめIndexを作成した。

 BD Boxは、今のアニメ・ソフト売り上げが落ち込んだ状況の中では、価格からしても驚かれる程には売れたのだが、当然ながら前2作には及ばなかった。

 Twitterアカウントをとって良かったのは、子ども時分に視聴して今尚好きでいてくれるクラスタの人達の存在を知る事が出来て、話が出来たことだった。

 私のTwitterアカウントのフォロワーの、もう大多数と言える数の人々はしかし、海外の人達である。北米やヨーロッパでも放送された事は把握していたが、当然ながらスペイン語版は南米にも輸出され、今尚多くのファンがいる(ポケモンなどには及ばないにせよ)。
 中国の人達らとも私の拙い英語でやりとりが出来たり、愉しい体験は多くあったが一方で疲れてしまった。やはり私にはTwitterは向かない。

 私は二つのブログを放置しているので、もうブログは書くまいと思っていたのだけれど、「lain」の事を振り返ると、シナリオ本の注釈以外に私がきちんと「lain」について書いた事がない事に気づいた。

 五月雨(さみだれ)式に思い出されるlainのあれこれを、クラブサイベリアが開催されるまでの間に書けるだけ書いておこうと考えたのが本ブログである。

 ブログのアカウント名「yamaki_nyx」は、頭に@をつければそのまま私のTwitterアカウントだ。「テイマーズ」の登場人物の名前由来で、小中だと判り易いアカウントを取り直すべきだとは思うのだが、もう面倒なのでこれ1本でいく事にした。