ドラえもんがいないのび太くんは、一体どんな人生を送ったのだろう?
ADHDと診断されて半年が経ちまして、今社会人2年目を迎えたばかりなのですが最近限界を感じ始めている
メモをしたから平気と思っていても、どこに書いたのか分からなくなってしまったり
口頭で説明されると、つい上の空になってしまって気付けばはなしについていけなくなってしまったり
机の上や引き出しが汚くて業務に必要な書類がすぐに見つけられなかったり
会議に毎回ギリギリに行ってしまい5分前に来なさいと怒られたり
自分が今何をしたらいいかわからなくて、仕事が溜まって他の方に迷惑をかけたり
身だしなみもいつもストッキングが伝線していたり、服が逆だったりどこか抜けてしまう事が多い
1年目の頃は研修が主だったのでミスはするものの、そもそも業務量が少なかった
2年目になって、色んな方と連携して仕事しなきゃいけない機会も増えた。
でも雰囲気や周囲を見るのも少し苦手で、目の前の仕事につい夢中になってしまう。
ストラテラという薬を飲んでしばらく経つ。私はこういうものは薬を飲めばまともになれると思っていた。
だから自分がADHDであると言われた時は正直ほっとした。ずっと自分が人とどこか違うと思っていたから、その原因がやっと分かった気がして。
だが、薬は元々ー5だった所がー2になった程度で、どうしても普通の人と後少し差が埋まらない。私は長年の夢だった、普通の人間になりたいというものが未来永劫叶わないことをここで初めて思い知った。
優しい先輩は「最初は誰でもミスをする」と言ってくださるのだが、先輩と私にはADHDという違いがあり、それを思い知る度に酷く憂鬱になる。
仕事を辞めたい、最近ずっとそう思っている、けれど、辞めて違うところへ行ってもまた同じ事が起きる気がしてならない。
私のADHDの型は、ネットで見かけたのび太くん型というものに酷く似ている。
注意散漫で細かいミスが多く、片付けられなくて興味のないことや長い話には上の空になってしまう。そしていつも眠そうにしている。思いつきで行動するもすぐに飽きてしまう。そしてミスが多発して慌ててしまう……
ドラえもんのいないのび太くんは、大学受験など人生において多くの失敗をして、挙げ句の果てに自分で立ち上げた会社を火事で無くしてしまう。うろ覚えだけど、確かそうだったはずだ。
そんな悲惨な未来は、ドラえもんが来ることで改変される。ドラえもんが彼のミスをカバーすることで、のび太の未来は最終的にしずかちゃんと結婚し平穏なものへと変わる。閑話休題だがのび太の結婚前夜って優しい映画が私はとても好きだ。
だが、現実にドラえもんはいない。大学までは、特に支障無くぼんやりと曖昧な楽しみを享受して生きて来た。
けれど、社会人になってから余りにも辛い事が多く、家に帰っては眠るばかりの生活をしていると、いよいよ最近自分が生きてる意味もよく分からなくなってきた。
ADHDの特性の中には疲れ易いというものもあるみたいで、仕事の後や休日に疲れて何も出来なかったりすると、いつも自分の体質が憎くなる。
もう随分と長く生き、体も不自由になった祖母が、前に「早く死にたい」と呟いたのを聞いて以来、私は未来にも希望が持てなくなった。長く生きても幸せになれないのなら、今こんな辛いまま生きて何の意味があるのだろうかと。
ADHDであることを今まで関わった方全員に暴露したい気持ちにもなるけれど、きっと理解してもらえない、気のせいだ、誰にでもよくある事だ、そんな言葉に甘えるな……そんな風に言われそうで、私は誰にも言うことができない。そもそも仕事先に言うべきことでもない気もする。
それに、耳が聞こえないことと違って紙に言葉を書くなどの明確な対処法だってないのだから、解決法のない悩みを言ったって困るだけなのだ。
人に迷惑をかける人間なんて生きてる意味がないと自殺を考えたこともあるが、やっぱり自分だと怖くて首に縄を通せないのだ。
私は心が弱いので、いつか安楽死の制度とかが整うことを夢想するばかりだ。そしたら、長く生きなくたって済む。
1人で部屋にこもって好きな音楽を聴いたらゲームをしたり、ぼーっとするのが1番落ち着く。人と会話するといつも途中で集中が切れて、疲れて、早く帰りたくなる。
でも、そんな1人で生きる方法なんてありはしないのだ。
一体いつまで、ADHDを抱えて私は生きればいいんだろう。
ドラえもんがいてくれたらなあ。