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2018年04月28日08:00
ありがとう、お疲れ様、ハリルホジッチ前監督!
思いのほかスッキリした気持ちです。もっとグダグダと過去にとらわれるような気持ちになるかと思いましたが、前だけを向いて進んでいくのだというポジティブトランジションがハッキリと意識できています。27日に行なわれたサッカー日本代表前監督・ハリルホジッチ氏の会見は、僕にとっていい節目となりました。
「選手とのコミュニケーション、関係性が多少薄れてきた」と解任理由について語った日本サッカー協会の田嶋会長。この奥歯にモノが挟まったような言いかたはいかにも日本的であり、おそらくはハリルホジッチ氏にはまったく理解できないものだったことでしょう。
有り体に言えば「総スカン」「空中分解」「求心力ゼロ」ということなのでしょうが、田嶋氏の優柔不断な振る舞いがハッキリとそれを言わせなかった。ハリルホジッチ氏のキャリアを気遣ったか、中途半端な態度をしてしまった。その結果、ハリルホジッチ氏は真実を探しに来日した。哀しいことに、両者はまったく通じ合っていませんでした。
その現象を、ハリルホジッチ監督を支持するという立場から見れば「日本サッカー協会は無能無策の悪の集団である」ということにもなるのでしょう。ただ、僕は思うのです。このようにまったくコミュニケーションができていないような状態であるのなら、選手を替えられない以上、監督を替えるしかないではないかと。
監督にとって一番大事な能力はなんでしょうか。
戦術?情熱?いいえ違います。コミュニケーション能力こそ監督にとってもっとも重要な能力です。何故なら、プレーをするのは選手だからです。そして、その選手を動かす方法は「コミュニケーション」しかないからです。選手にはコントローラーはついていません。プログラムを入力することはできません。銃で脅すこともできません。言葉で伝え、納得させて、選手自身の意志でやらせるしかないのです。正しいことを言えばいいのではなく、「選手を動かして」初めてその指揮は意味を成すのです。
楽器を思い浮かべてください。どれだけ立派な楽譜を持っていても、違う鍵盤を叩けば名曲は奏でられないでしょう。日本代表という楽器を美しく鳴らす方法は、コミュニケーションしかないのです。ハリルホジッチ監督には選手の想い、協会の想いはきっと何も伝わっていなかったのでしょう。それは本心からの言葉なのだろうと思います。しかし、日本サッカー協会が契約解除を選ぶまでに至った状況を、「問題があるとは一度として言われたことはない」と無頓着でいられるのならば、それこそがコミュニケーション不全を示す最たるものだと僕は思います。
これはハリルホジッチ氏を非難するという話ではありません。
要は相性、日本サッカーとハリルホジッチ氏は「合わなかった」のです。
先ほどの楽器で言うならば日本はピアノです。指で軽く叩けばちゃんと音が鳴り、チカラを込める必要もない。「厳しく言わなくても、バトルをしなくても、ちゃんと従う」弾き易さがある。しかし、ハリルホジッチ監督は太鼓のバチを持ってきて力強く叩く奏者であり、太鼓レベルの音が鳴ってようやく反応するタイプだった。それは太鼓にはピッタリの奏者ですが、ピアノには「合わない」のです。どちらがいいという話ではありません。「合わない」のです。そのあたりは、ラグビー日本代表を率いたエディー・ジョーンズ氏とは違うのだなと思います。言っていることに共通項はありましたが、響かなかった。
日本で「大丈夫か?」と聞けばそれは「心配である」という不安や疑念の表明です。しかし、受け止め方によっては「Are You OK?」「OK!」で終わってしまう挨拶レベルの話でもあります。件の会見中に「西野さんの方が私に何か言おうとしていたことはあった」と語ったあたりにも、まさにそうしたコミュニケーション不全を感じずにはいられません。あぁ、日本流では微塵も伝わっていなかったんだなと。貴乃花親方のようにファックスで文書でも送りつけないとダメだったんだなと。
ハリルホジッチ氏の熱烈で雄弁な姿勢と、日本のささやくような婉曲な会話術は対極を成すものだったことでしょう。ハリルホジッチ氏はよく「何かあれば私が悪い、私に言え」と語りました。それは指揮官として立派な態度です。しかし、実際に何かを言おうものなら、やおら対決姿勢を強める戦闘民族でもありました。ハッキリ言わねば伝わらず、ハッキリ言えばバトルになる。「文句があるならかかってこい。相手になるぞ」という対話術でした。それは世界標準の「議論」だったのかもしれませんが、今の日本サッカーには合わなかった。
僕が強く違和感を覚えたのは、ワールドカップ出場を決めた2017年8月31日のアジア最終予選・オーストラリア戦後の会見です。試合内容もよく、スコアも2-0の完勝。それは素晴らしい結果だったと思います。しかし、この素晴らしい結果が出たあと、ハリルホジッチ氏が始めたのは「バトル」でした。
「私が早くここ(日本代表)から出ていかないか望んでいる方々もいらっしゃるかもしれない」と采配に批判的だった手合いに牽制を繰り出しつつ、プライベートの問題があるからと会見場をあとにしたハリルホジッチ氏。ご家族の病気という話もあり、出場権を確保した今、当然帰国の途につくものと思いました。ところがハリルホジッチ氏は翌日、改めて会見の場を設けると、「私の昨日の発言は、私を批判していた人、私にプレッシャーをかけていた人に向けたものだった」と、反撃であったことを雄弁に語り始めました。
「私に敬意を払っていなかった方々、私の仕事を評価してこなかった方々、私を批判するためにいる方々、もちろん、そういう方もいるだろう。それもノーマルだと思う」
「でもチームが首位の時に批判をされていた。勝ち点も1位、得失点差も最もいい数値を残している中で、私が去らなければいけない、私がオーストラリア戦の結果次第で去らなければいけないと書いていた方々に対して、私は攻撃と受け止めた」
「ほかのところからオファーがあったり、たとえば金銭的にも競技面でもよりいい条件を提案されたこともあった」
といった言葉の数々は、出場権確保という結果を出したところで繰り出した非難への猛反撃であり、牽制の域を超えた「バトル」でした。それはメンツを重んじるという氏の国の気質なのかもしれないし、欧州一流の処世術なのかもしれませんが、日本的な感覚で言えば強すぎるものだったと思います。こう言うと「軟弱者」「これだからサッカー後進国は」「ガラパゴス鎖国野郎」と言い出す手合いがいるのでしょうが、僕は率直に言って「合わない」なら別れるしかないと思います。
ましてや相手は黄金世代が年齢を重ね、今予選ではプレーオフでようやく本大会に滑り込んだオーストラリア。率いていたのは「今現在はまだ横浜F・マリノスを15位に沈めている」ポステコグルー監督です。この試合に勝ち誇るほどの高度な戦術の差し合いなどあったのでしょうか。柄にもなくパスサッカーなど目指した始めたオーストラリアの「成長途上の不慣れ」を突いてヒネっただけではないのでしょうか。マリノスが15位に沈んでいるような段階のときに。よもやここで内向きのバトルを仕掛けてくるとは思っても見ず、とても驚いたものです。
選手との間に何の問題もなかったと「認識」しているハリルホジッチ氏が挙げた事例にも、その「合わない」感じを強く持ちました。選手からたくさんのメッセージをもらったという一例として出てきたのは、槙野智章さんからのメッセージでした。15人ほどから解任を残念がるメッセージが届いているとハリルホジッチ氏は語りますが、そのなかで選ばれた最優秀の一通が槙野さんであることが、やはり「合わない」のだなという実感を強めるのです。
槙野さんは日本全体のなかでもかなり上位に入るコミュニケーション能力の持ち主であり、まさに「太鼓」です。叩かれることに強い耐性があり、叩かれることで大きなイイ音を鳴らす。身の回りにはめったにいないタイプの人物です。その槙野さんでようやく、ハリルホジッチ氏としっかりコミュニケーションができたというあたりは、「なるほど厳しいな」と思います。
見る人によってはハリルホジッチ氏を擁護するだけの内容に見える川島永嗣さんのブログ記事も、「今回の出来事を受けて、自分にもっとできることがあったのではないかと、後悔の念で頭が一杯だ。フランス語で彼が放つ言葉とその裏にどんな意図があるのか、それが分かっていたからなおさらだ」という記述に、決して上手くいっていたわけではないことが強くにじみます。「自分はフランス語に明るいからわかるが」という話は、裏を返せばフランス語に明るくないメンバーには必ずしも想いが伝わってはいないだろうことを感じていたという表明です。それを自分が「通訳」できなかったこと、空中分解を防げなかったこと、そこに後悔がある。
フランス語ができる川島さん。ミスター太鼓・槙野さん。そして殴ったり蹴ったり激しいコミュニケーションを辞さない原口元気さん。そういった残念さをにじませる面々がいる一方で、キャプテン長谷部さんはただ責任を感じるのみであり、速やかに謝辞を述べて前を向く切り替えの早い選手もいる。そのあたりにこそ、「太鼓」と「ピアノ」の合わなさというものが示されているように思うのです。
ハリルホジッチ氏のコミュニケーション術は、基本的に粗忽でした。強く叩きさえすれば音が鳴るとでも言うかのような。そして、氏の特性として就任直後の会見から掲げていた「自分へのリスペクト」を求め、隙あらばそれを獲得しようとする姿勢があり、いつも外敵と戦い、自身を守るように振る舞っていました。その姿勢は「可能な限り話を盛る」という傾向として、氏のコミュニケーションに常につきまとっていました。
27日の会見で挙げた「私をリスペクトすべき理由」の数々。それらは決して額面通りに受け取れるものではありません。たとえば「コートジボワール代表監督時代に24回負けナシでその後負けて解雇された」と語った点については、就任2戦目の日本代表戦(!)で0-1の負けを喫しており、事実とは異なります。言いたいことは理解できますし、大筋で問題ないのですが「盛ってくる」のが氏の特性です。
やはり27日の会見で「もうひとつ、歴史的な勝利が(16年6月の)対ブルガリア戦で、7-2で勝利した。ヨーロッパのチームにそれほど大差で勝つことは今までなかった」としていますが、確かに欧州代表から7点取ったことはありませんが、点差という意味では1996年2月19日のカールスバーグカップでポーランド代表を5-0で破っています。2009年2月4日にはフィンランド代表を5-1で撃破、2009年5月31日にはベルギー代表を4-0で撃破など「欧州に大差勝ち」の事例はあります。
ブルガリア戦のスコアだけをもって勝ち誇るのは「盛り過ぎ」ですし、ブルガリア戦を歴史的な勝利と持ち上げる一方でマリ戦・ウクライナ戦は「調整である」と軽視する。自分へのリスペクトを取れそうなときは可能な限り取りにいき、そうでないときはシレッと無視する。巧みな処世術でもあり、ダブルスタンダードでもある、そういうコミュニケーションをハリルホジッチ氏はよくする。
これも27日の会見での話ですが、「(2017年11月7日の)ブラジル戦にしても、後半に2回ゴールのシーンがあった」と、オフサイドになったものを勝手に含めて「さも2点取ったかのような」言いぶりで話を進めています。あの完全にオフサイドであった場面を含めて「ここ数年間のいろいろな試合を見てほしい。ブラジルに対して2ゴールを決めたチームがどれだけあるか」と話を持っていくのは、盛りすぎ会話術です。実際には1点しか取っていないのですから。
そのくせ、丹羽大輝さんについては「Bチームで1回しか起用してないのにわざわざ訪ねてきてくれた」と、本当は2試合出場させていることを忘れてしまっています。これも「1回しか使ってないのに恩義を感じている」のほうが「2回使った選手が会いにきた」よりも、いい感じに聞こえるという高度な「盛る」技術なのかもしれません。とにかく、ハリルホジッチ氏の話で何か事実と相違がある場合、それは氏に得なほうに相違するというのが傾向です。
また、これもコミュニケーションの問題のひとつでもありますが、ハリルホジッチ氏が重視した体脂肪率に関しても、僕は強い違和感を覚えています。そもそも重視すべきは体脂肪率ではなく筋量だろうというツッコミは一旦置くとしても、2015年4月にハリルホジッチ氏が「手元の資料をメディアに示した」ことで招集選手の計測数値が漏れた一件は、極めて問題のある行為でした。
その資料からは体脂肪率16.4%とされた選手が露見したのを含め、12%台以上の選手に赤マークがつけられており、8名ほどの「警告」選手が明るみに出ました。数値の高い選手のクラブに非難が寄せられ、「クラブでの計測ではそんな数値は出ていない」と火消しをすることになりました。これはハリルホジッチ氏の単純なミスかもしれませんが、「選手に直接言う」という哲学とは裏腹の「外部流出」でした。「誰と誰が裏切り者なのか」がわかるようにうっかりヒントを出してしまったりするくらいの人なので、単純なミスをしてしまいがちな人なのかもしれません。
2回目以降の体脂肪率計測でどういう数字が出ていたか詳しくは明かされていないものの、初回の改善要求の時点でも16%は突出して高い数値であり、大半の選手は10~12%までにはおさまっています。にもかかわらず2016年8月にハリルホジッチ氏が出演したWOWOWの特番では、「国内選手の体脂肪率は16%、17%が当たり前な状態だった」という発言をするのです。
本当に当たり前だったのでしょうか。ちょっと勢いあまって「盛って」いるのではないでしょうか。ハリルホジッチ氏がチェックするほどの選手たちにとって、その状態が本当に「当たり前」だったのでしょうか。それともこれこそ「誤訳」だったでしょうか。誤訳を生むようなら、やはりコミュニケーション不全という問題があると言わざるを得ません。
このような数々の「合わなさ」があったとしても、結果が出ていればよかった。バチで叩いてもちゃんとピアノが鳴るならそれでよかった。しかし、歴史的と勝ち誇るオーストラリア戦でのワールドカップ出場決定以降、10試合で3勝5敗2分とパッとしない戦績と、ウクライナ戦でのめっためたの惨敗。合間の韓国戦でも1-4大敗を喫しました。ブルガリア戦の勝利を勝ち誇るのと正反対の論法で言えば「1979年以来、約40年ぶりとなる歴史的大敗」です。
そうした悪い結果の積み重ねが、「合わなさ」を強く浮き立たせ、修復できない状態へと向かわせていった…僕はそのように受け止めています。もともと合わなかったものが、結果が出ないことでおさえつけることが難しくなったのです。結果は出ないのに宇賀神は出る。ハリルホジッチ氏はそれをまったく気にしなかったのでしょうが、コミュニケーションの質が「合わない」両者の擦れ違いは大きくなっていったのです。本大会2ヶ月前という時期にもかかわらず、解任を決断させるほどに。
ここにいたって僕はスッキリしています。本番では会心の秘策があったかもしれないといった夢を捨てて、両者は「合わない」のだから、会心の秘策があったとしてもその通りには実行されなかっただろうと得心しました。繰り返しますが、選手が動かなければどんな秘策も無意味です。残念ながらハリルホジッチ氏の奏法は、日本代表という楽器には合っていなかった。どんな楽譜を持ってこようが、名曲は鳴らなかったでしょう。
ただ、それは「合わない」というだけの話であり、ハリルホジッチ氏の技量や、氏の人となりまで決めてしまうものではありません。遠い日本にきて、猛烈な情熱で仕事にあたり、熊本の震災にも心を痛めた氏の振る舞いは立派なものでした。少しズルいところも含めて、一流だなと感じるものでした。通じ合うことはできませんでしたが、3年をともに過ごした間柄として、今後のご活躍を祈りたいと心から思います。
日本サッカーも今回の一件を教訓とします。日本流のコミュニケーションは必ずしも万国共通のものではなく、ときには明確な姿勢も必要なのだと。ネクタイをつかんで「次の試合で俺を満足させられなければお前はクビだ!」と大声で怒鳴りつけるくらい、明確な態度を示すことが本当の「誠意」なのだと。ひとつの学びとして、今後に活かしたいと思います。
「私は日本の永遠のサポーターだ」というハリルホジッチ氏の言葉、それを胸に刻んで本大会へと向かいたいと思います。
再び味方になることはお互いの幸福ではないかもしれませんが、好敵手として会うのはやぶさかではありません。
いつか、どこかで、戦いましょう。
そこであなたの手腕に敗れたとしても、僕はもう悔いはありません。
それと同じことを日本はできなかっただろうと、得心できましたから。
3年間、お疲れ様でした!ハリルホジッチ氏の旅に幸あれ!
20年後くらいに出会っていたら、違う結末もあったかもしれませんね!
思いのほかスッキリした気持ちです。もっとグダグダと過去にとらわれるような気持ちになるかと思いましたが、前だけを向いて進んでいくのだというポジティブトランジションがハッキリと意識できています。27日に行なわれたサッカー日本代表前監督・ハリルホジッチ氏の会見は、僕にとっていい節目となりました。
【会見全文】「問題があるとなぜ言ってくれなかった」 ハリルホジッチ前監督 解任後の会見(写真:スポーツナビ)https://t.co/582Rm6dS9s#daihyo #サッカー日本代表 #ハリル会見
— スポーツナビ サッカー編集部 (@sn_soccer) 2018年4月27日
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「選手とのコミュニケーション、関係性が多少薄れてきた」と解任理由について語った日本サッカー協会の田嶋会長。この奥歯にモノが挟まったような言いかたはいかにも日本的であり、おそらくはハリルホジッチ氏にはまったく理解できないものだったことでしょう。
有り体に言えば「総スカン」「空中分解」「求心力ゼロ」ということなのでしょうが、田嶋氏の優柔不断な振る舞いがハッキリとそれを言わせなかった。ハリルホジッチ氏のキャリアを気遣ったか、中途半端な態度をしてしまった。その結果、ハリルホジッチ氏は真実を探しに来日した。哀しいことに、両者はまったく通じ合っていませんでした。
その現象を、ハリルホジッチ監督を支持するという立場から見れば「日本サッカー協会は無能無策の悪の集団である」ということにもなるのでしょう。ただ、僕は思うのです。このようにまったくコミュニケーションができていないような状態であるのなら、選手を替えられない以上、監督を替えるしかないではないかと。
監督にとって一番大事な能力はなんでしょうか。
戦術?情熱?いいえ違います。コミュニケーション能力こそ監督にとってもっとも重要な能力です。何故なら、プレーをするのは選手だからです。そして、その選手を動かす方法は「コミュニケーション」しかないからです。選手にはコントローラーはついていません。プログラムを入力することはできません。銃で脅すこともできません。言葉で伝え、納得させて、選手自身の意志でやらせるしかないのです。正しいことを言えばいいのではなく、「選手を動かして」初めてその指揮は意味を成すのです。
楽器を思い浮かべてください。どれだけ立派な楽譜を持っていても、違う鍵盤を叩けば名曲は奏でられないでしょう。日本代表という楽器を美しく鳴らす方法は、コミュニケーションしかないのです。ハリルホジッチ監督には選手の想い、協会の想いはきっと何も伝わっていなかったのでしょう。それは本心からの言葉なのだろうと思います。しかし、日本サッカー協会が契約解除を選ぶまでに至った状況を、「問題があるとは一度として言われたことはない」と無頓着でいられるのならば、それこそがコミュニケーション不全を示す最たるものだと僕は思います。
これはハリルホジッチ氏を非難するという話ではありません。
要は相性、日本サッカーとハリルホジッチ氏は「合わなかった」のです。
先ほどの楽器で言うならば日本はピアノです。指で軽く叩けばちゃんと音が鳴り、チカラを込める必要もない。「厳しく言わなくても、バトルをしなくても、ちゃんと従う」弾き易さがある。しかし、ハリルホジッチ監督は太鼓のバチを持ってきて力強く叩く奏者であり、太鼓レベルの音が鳴ってようやく反応するタイプだった。それは太鼓にはピッタリの奏者ですが、ピアノには「合わない」のです。どちらがいいという話ではありません。「合わない」のです。そのあたりは、ラグビー日本代表を率いたエディー・ジョーンズ氏とは違うのだなと思います。言っていることに共通項はありましたが、響かなかった。
日本で「大丈夫か?」と聞けばそれは「心配である」という不安や疑念の表明です。しかし、受け止め方によっては「Are You OK?」「OK!」で終わってしまう挨拶レベルの話でもあります。件の会見中に「西野さんの方が私に何か言おうとしていたことはあった」と語ったあたりにも、まさにそうしたコミュニケーション不全を感じずにはいられません。あぁ、日本流では微塵も伝わっていなかったんだなと。貴乃花親方のようにファックスで文書でも送りつけないとダメだったんだなと。
ハリルホジッチ氏の熱烈で雄弁な姿勢と、日本のささやくような婉曲な会話術は対極を成すものだったことでしょう。ハリルホジッチ氏はよく「何かあれば私が悪い、私に言え」と語りました。それは指揮官として立派な態度です。しかし、実際に何かを言おうものなら、やおら対決姿勢を強める戦闘民族でもありました。ハッキリ言わねば伝わらず、ハッキリ言えばバトルになる。「文句があるならかかってこい。相手になるぞ」という対話術でした。それは世界標準の「議論」だったのかもしれませんが、今の日本サッカーには合わなかった。
僕が強く違和感を覚えたのは、ワールドカップ出場を決めた2017年8月31日のアジア最終予選・オーストラリア戦後の会見です。試合内容もよく、スコアも2-0の完勝。それは素晴らしい結果だったと思います。しかし、この素晴らしい結果が出たあと、ハリルホジッチ氏が始めたのは「バトル」でした。
「私が早くここ(日本代表)から出ていかないか望んでいる方々もいらっしゃるかもしれない」と采配に批判的だった手合いに牽制を繰り出しつつ、プライベートの問題があるからと会見場をあとにしたハリルホジッチ氏。ご家族の病気という話もあり、出場権を確保した今、当然帰国の途につくものと思いました。ところがハリルホジッチ氏は翌日、改めて会見の場を設けると、「私の昨日の発言は、私を批判していた人、私にプレッシャーをかけていた人に向けたものだった」と、反撃であったことを雄弁に語り始めました。
「私に敬意を払っていなかった方々、私の仕事を評価してこなかった方々、私を批判するためにいる方々、もちろん、そういう方もいるだろう。それもノーマルだと思う」
「でもチームが首位の時に批判をされていた。勝ち点も1位、得失点差も最もいい数値を残している中で、私が去らなければいけない、私がオーストラリア戦の結果次第で去らなければいけないと書いていた方々に対して、私は攻撃と受け止めた」
「ほかのところからオファーがあったり、たとえば金銭的にも競技面でもよりいい条件を提案されたこともあった」
といった言葉の数々は、出場権確保という結果を出したところで繰り出した非難への猛反撃であり、牽制の域を超えた「バトル」でした。それはメンツを重んじるという氏の国の気質なのかもしれないし、欧州一流の処世術なのかもしれませんが、日本的な感覚で言えば強すぎるものだったと思います。こう言うと「軟弱者」「これだからサッカー後進国は」「ガラパゴス鎖国野郎」と言い出す手合いがいるのでしょうが、僕は率直に言って「合わない」なら別れるしかないと思います。
ましてや相手は黄金世代が年齢を重ね、今予選ではプレーオフでようやく本大会に滑り込んだオーストラリア。率いていたのは「今現在はまだ横浜F・マリノスを15位に沈めている」ポステコグルー監督です。この試合に勝ち誇るほどの高度な戦術の差し合いなどあったのでしょうか。柄にもなくパスサッカーなど目指した始めたオーストラリアの「成長途上の不慣れ」を突いてヒネっただけではないのでしょうか。マリノスが15位に沈んでいるような段階のときに。よもやここで内向きのバトルを仕掛けてくるとは思っても見ず、とても驚いたものです。
【全文】ハリル「私はここで仕事を続ける」日本代表、W杯ロシア大会出場決定会見(写真:スポーツナビ)https://t.co/Qzc1DMLgkh #daihyo #サッカー日本代表
— スポーツナビ サッカー編集部 (@sn_soccer) 2017年9月1日
選手との間に何の問題もなかったと「認識」しているハリルホジッチ氏が挙げた事例にも、その「合わない」感じを強く持ちました。選手からたくさんのメッセージをもらったという一例として出てきたのは、槙野智章さんからのメッセージでした。15人ほどから解任を残念がるメッセージが届いているとハリルホジッチ氏は語りますが、そのなかで選ばれた最優秀の一通が槙野さんであることが、やはり「合わない」のだなという実感を強めるのです。
槙野さんは日本全体のなかでもかなり上位に入るコミュニケーション能力の持ち主であり、まさに「太鼓」です。叩かれることに強い耐性があり、叩かれることで大きなイイ音を鳴らす。身の回りにはめったにいないタイプの人物です。その槙野さんでようやく、ハリルホジッチ氏としっかりコミュニケーションができたというあたりは、「なるほど厳しいな」と思います。
見る人によってはハリルホジッチ氏を擁護するだけの内容に見える川島永嗣さんのブログ記事も、「今回の出来事を受けて、自分にもっとできることがあったのではないかと、後悔の念で頭が一杯だ。フランス語で彼が放つ言葉とその裏にどんな意図があるのか、それが分かっていたからなおさらだ」という記述に、決して上手くいっていたわけではないことが強くにじみます。「自分はフランス語に明るいからわかるが」という話は、裏を返せばフランス語に明るくないメンバーには必ずしも想いが伝わってはいないだろうことを感じていたという表明です。それを自分が「通訳」できなかったこと、空中分解を防げなかったこと、そこに後悔がある。
フランス語ができる川島さん。ミスター太鼓・槙野さん。そして殴ったり蹴ったり激しいコミュニケーションを辞さない原口元気さん。そういった残念さをにじませる面々がいる一方で、キャプテン長谷部さんはただ責任を感じるのみであり、速やかに謝辞を述べて前を向く切り替えの早い選手もいる。そのあたりにこそ、「太鼓」と「ピアノ」の合わなさというものが示されているように思うのです。
川島永嗣、ハリルホジッチ電撃解任にショックと後悔…厳しい言葉の奥にあった「選手への愛」https://t.co/X3SxzTYalN#ヴァイッドハリルホジッチ #ハリルホジッチ電撃解任
— CYCLE-やわらかスポーツ (@cyclestyle_net) 2018年4月13日
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ハリルホジッチ氏のコミュニケーション術は、基本的に粗忽でした。強く叩きさえすれば音が鳴るとでも言うかのような。そして、氏の特性として就任直後の会見から掲げていた「自分へのリスペクト」を求め、隙あらばそれを獲得しようとする姿勢があり、いつも外敵と戦い、自身を守るように振る舞っていました。その姿勢は「可能な限り話を盛る」という傾向として、氏のコミュニケーションに常につきまとっていました。
27日の会見で挙げた「私をリスペクトすべき理由」の数々。それらは決して額面通りに受け取れるものではありません。たとえば「コートジボワール代表監督時代に24回負けナシでその後負けて解雇された」と語った点については、就任2戦目の日本代表戦(!)で0-1の負けを喫しており、事実とは異なります。言いたいことは理解できますし、大筋で問題ないのですが「盛ってくる」のが氏の特性です。
やはり27日の会見で「もうひとつ、歴史的な勝利が(16年6月の)対ブルガリア戦で、7-2で勝利した。ヨーロッパのチームにそれほど大差で勝つことは今までなかった」としていますが、確かに欧州代表から7点取ったことはありませんが、点差という意味では1996年2月19日のカールスバーグカップでポーランド代表を5-0で破っています。2009年2月4日にはフィンランド代表を5-1で撃破、2009年5月31日にはベルギー代表を4-0で撃破など「欧州に大差勝ち」の事例はあります。
ブルガリア戦のスコアだけをもって勝ち誇るのは「盛り過ぎ」ですし、ブルガリア戦を歴史的な勝利と持ち上げる一方でマリ戦・ウクライナ戦は「調整である」と軽視する。自分へのリスペクトを取れそうなときは可能な限り取りにいき、そうでないときはシレッと無視する。巧みな処世術でもあり、ダブルスタンダードでもある、そういうコミュニケーションをハリルホジッチ氏はよくする。
これも27日の会見での話ですが、「(2017年11月7日の)ブラジル戦にしても、後半に2回ゴールのシーンがあった」と、オフサイドになったものを勝手に含めて「さも2点取ったかのような」言いぶりで話を進めています。あの完全にオフサイドであった場面を含めて「ここ数年間のいろいろな試合を見てほしい。ブラジルに対して2ゴールを決めたチームがどれだけあるか」と話を持っていくのは、盛りすぎ会話術です。実際には1点しか取っていないのですから。
そのくせ、丹羽大輝さんについては「Bチームで1回しか起用してないのにわざわざ訪ねてきてくれた」と、本当は2試合出場させていることを忘れてしまっています。これも「1回しか使ってないのに恩義を感じている」のほうが「2回使った選手が会いにきた」よりも、いい感じに聞こえるという高度な「盛る」技術なのかもしれません。とにかく、ハリルホジッチ氏の話で何か事実と相違がある場合、それは氏に得なほうに相違するというのが傾向です。
また、これもコミュニケーションの問題のひとつでもありますが、ハリルホジッチ氏が重視した体脂肪率に関しても、僕は強い違和感を覚えています。そもそも重視すべきは体脂肪率ではなく筋量だろうというツッコミは一旦置くとしても、2015年4月にハリルホジッチ氏が「手元の資料をメディアに示した」ことで招集選手の計測数値が漏れた一件は、極めて問題のある行為でした。
その資料からは体脂肪率16.4%とされた選手が露見したのを含め、12%台以上の選手に赤マークがつけられており、8名ほどの「警告」選手が明るみに出ました。数値の高い選手のクラブに非難が寄せられ、「クラブでの計測ではそんな数値は出ていない」と火消しをすることになりました。これはハリルホジッチ氏の単純なミスかもしれませんが、「選手に直接言う」という哲学とは裏腹の「外部流出」でした。「誰と誰が裏切り者なのか」がわかるようにうっかりヒントを出してしまったりするくらいの人なので、単純なミスをしてしまいがちな人なのかもしれません。
2回目以降の体脂肪率計測でどういう数字が出ていたか詳しくは明かされていないものの、初回の改善要求の時点でも16%は突出して高い数値であり、大半の選手は10~12%までにはおさまっています。にもかかわらず2016年8月にハリルホジッチ氏が出演したWOWOWの特番では、「国内選手の体脂肪率は16%、17%が当たり前な状態だった」という発言をするのです。
本当に当たり前だったのでしょうか。ちょっと勢いあまって「盛って」いるのではないでしょうか。ハリルホジッチ氏がチェックするほどの選手たちにとって、その状態が本当に「当たり前」だったのでしょうか。それともこれこそ「誤訳」だったでしょうか。誤訳を生むようなら、やはりコミュニケーション不全という問題があると言わざるを得ません。
【画像】ベンゲル「普通は10%以下だ」日本代表の体脂肪率にハリルホジッチが相談「17%くらいが当たり前の状態だった」 https://t.co/A5HVRshu2g
— Pan Davis(victor) (@Gare_du_Nord_) 2018年4月21日
このような数々の「合わなさ」があったとしても、結果が出ていればよかった。バチで叩いてもちゃんとピアノが鳴るならそれでよかった。しかし、歴史的と勝ち誇るオーストラリア戦でのワールドカップ出場決定以降、10試合で3勝5敗2分とパッとしない戦績と、ウクライナ戦でのめっためたの惨敗。合間の韓国戦でも1-4大敗を喫しました。ブルガリア戦の勝利を勝ち誇るのと正反対の論法で言えば「1979年以来、約40年ぶりとなる歴史的大敗」です。
そうした悪い結果の積み重ねが、「合わなさ」を強く浮き立たせ、修復できない状態へと向かわせていった…僕はそのように受け止めています。もともと合わなかったものが、結果が出ないことでおさえつけることが難しくなったのです。結果は出ないのに宇賀神は出る。ハリルホジッチ氏はそれをまったく気にしなかったのでしょうが、コミュニケーションの質が「合わない」両者の擦れ違いは大きくなっていったのです。本大会2ヶ月前という時期にもかかわらず、解任を決断させるほどに。
ここにいたって僕はスッキリしています。本番では会心の秘策があったかもしれないといった夢を捨てて、両者は「合わない」のだから、会心の秘策があったとしてもその通りには実行されなかっただろうと得心しました。繰り返しますが、選手が動かなければどんな秘策も無意味です。残念ながらハリルホジッチ氏の奏法は、日本代表という楽器には合っていなかった。どんな楽譜を持ってこようが、名曲は鳴らなかったでしょう。
ただ、それは「合わない」というだけの話であり、ハリルホジッチ氏の技量や、氏の人となりまで決めてしまうものではありません。遠い日本にきて、猛烈な情熱で仕事にあたり、熊本の震災にも心を痛めた氏の振る舞いは立派なものでした。少しズルいところも含めて、一流だなと感じるものでした。通じ合うことはできませんでしたが、3年をともに過ごした間柄として、今後のご活躍を祈りたいと心から思います。
日本サッカーも今回の一件を教訓とします。日本流のコミュニケーションは必ずしも万国共通のものではなく、ときには明確な姿勢も必要なのだと。ネクタイをつかんで「次の試合で俺を満足させられなければお前はクビだ!」と大声で怒鳴りつけるくらい、明確な態度を示すことが本当の「誠意」なのだと。ひとつの学びとして、今後に活かしたいと思います。
「私は日本の永遠のサポーターだ」というハリルホジッチ氏の言葉、それを胸に刻んで本大会へと向かいたいと思います。
再び味方になることはお互いの幸福ではないかもしれませんが、好敵手として会うのはやぶさかではありません。
いつか、どこかで、戦いましょう。
そこであなたの手腕に敗れたとしても、僕はもう悔いはありません。
それと同じことを日本はできなかっただろうと、得心できましたから。
3年間、お疲れ様でした!ハリルホジッチ氏の旅に幸あれ!
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20年後くらいに出会っていたら、違う結末もあったかもしれませんね!
田嶋の会見もハリルの会見も全く空虚な意味無し会見でございました。
話題的にも山口メンバーの芸能ゴシップ以下の扱いでしかないし、もうサッカー自体がそういう芸能ゴシップ的存在になってしまってますね。