日本人の愛国心は危険か
先に取り上げたNEW23の筑紫哲也氏のコメントやら朝日新聞、日経なんぞの論調をみていると、我が国に危険な愛国心が蔓延している。負け組やニートの若者が、攻撃の対象を欲している、それがアジア(実は特定アジアだったりする)そうです。
ホントかいな。
あたしゃ、あちこち外国を回っていますし、外国人の友人も多いのですが。日本人の危険な愛国心に傾いているというならば、世界中極右だらけですぜ。
フランス人にしてもイタリア人にしても国民の大多数は盲目的な愛国者です。韓国人なんていわずもがな、です。
それに比べれば日本人の愛国心なんぞ、ずいぶんとおだやかなもんです。
おもしろいのはフランスでは左翼、社会主義者も愛国者なんですね。例外はごく一部のテロリストやアナーキーストぐらいなもんです。
ところが我が国では左翼、進歩的文化人と自称する連中やメディアに巣くっている自称リベラル、労組といった輩は、反日主義者なんですね。
アメリカでもオーストラリアでも労組はバリバリの国粋主義者です。間違っても「インターナショナル」なんか謳いません。左翼=自国が嫌い、というのが実は珍しい。
左傾化しているメディアが「危険な愛国心」などといっているものは実は存在しない。
「ネット右翼」(恐らくここを読んでいる読者の方の多くはそう呼ばれているかもしれません)や右傾化した若者と呼ばれる層は実は「異様な愛国心」に目覚めたわけでない。
無論ごく一部には、どうしょうもない、自分に腹を立て、その怒りを国粋的な言動と他者への攻撃に向けるものもいるでしょうが、どこの国でもこの手合いは一定数います。しかも、我が国にこの手合いは少ないと思います。
実は極めて偏った情報で世論操作をしていたマスメディアのマインド・コントロールが解けただけです。あるいは昔からマスメディアを信用してこなかった人の発言がネットを通して流通し、メディアに対する批判が広くおこなれ、その意見が共通認識になってきただけです。
メディアは受け手の読者や視聴者が自分たち論に異議を唱えることに腹を立てている、あるいはマインドコントロールが効かなくなったことに苛立っているのでしょう。
まあ、できの悪いガキがダダこねているようなものです。
つまりはかつての我が国よりもまっとうな意見が世間様に通用するようになったわけです。まことに慶賀すべきことなのですが、不利益を被る人たちが騒いでいる、それだけのことです。
ホントかいな。
あたしゃ、あちこち外国を回っていますし、外国人の友人も多いのですが。日本人の危険な愛国心に傾いているというならば、世界中極右だらけですぜ。
フランス人にしてもイタリア人にしても国民の大多数は盲目的な愛国者です。韓国人なんていわずもがな、です。
それに比べれば日本人の愛国心なんぞ、ずいぶんとおだやかなもんです。
おもしろいのはフランスでは左翼、社会主義者も愛国者なんですね。例外はごく一部のテロリストやアナーキーストぐらいなもんです。
ところが我が国では左翼、進歩的文化人と自称する連中やメディアに巣くっている自称リベラル、労組といった輩は、反日主義者なんですね。
アメリカでもオーストラリアでも労組はバリバリの国粋主義者です。間違っても「インターナショナル」なんか謳いません。左翼=自国が嫌い、というのが実は珍しい。
左傾化しているメディアが「危険な愛国心」などといっているものは実は存在しない。
「ネット右翼」(恐らくここを読んでいる読者の方の多くはそう呼ばれているかもしれません)や右傾化した若者と呼ばれる層は実は「異様な愛国心」に目覚めたわけでない。
無論ごく一部には、どうしょうもない、自分に腹を立て、その怒りを国粋的な言動と他者への攻撃に向けるものもいるでしょうが、どこの国でもこの手合いは一定数います。しかも、我が国にこの手合いは少ないと思います。
実は極めて偏った情報で世論操作をしていたマスメディアのマインド・コントロールが解けただけです。あるいは昔からマスメディアを信用してこなかった人の発言がネットを通して流通し、メディアに対する批判が広くおこなれ、その意見が共通認識になってきただけです。
メディアは受け手の読者や視聴者が自分たち論に異議を唱えることに腹を立てている、あるいはマインドコントロールが効かなくなったことに苛立っているのでしょう。
まあ、できの悪いガキがダダこねているようなものです。
つまりはかつての我が国よりもまっとうな意見が世間様に通用するようになったわけです。まことに慶賀すべきことなのですが、不利益を被る人たちが騒いでいる、それだけのことです。