気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

現状の組織の思想的分裂。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さてTwitterやらブログやらいろいろみていますと、現状の信濃町が、創価学会の内部に面従腹背の多くの会員を生み出していることがわかります。


思想的に次のようなグループに分かれるかと思います。


信濃町絶対派。
信濃町創価学会の打ち出しを全面的に信じて、組織についていく人たち。この人たちは基本的に教学的な問題にあまり関心がなく、池田名誉会長の作られた像を信じている。


②池田先生絶対派
現状の創価学会がおかしいのは、信濃町の幹部と公明党が変節したことに原因があると考えるグループ。池田名誉会長の心に帰れば全ては解決されていると考えている。例の元職員3人組も思想的にはここに位置する。


大石寺教学派
2014年の会則改正にあたり、戒壇本尊を否定できない。戒壇本尊絶対説と日蓮本仏説を絶対視しており、この点において信濃町を批判している。なお②と重なる人たちもいるようだが、大石寺に行く人も少なからずいる。


④脱会者予備軍
創価学会の教義を全て詐欺であるとして、退会を呼びかけるグループ。③と重なる人たちもいて、事実、大石寺の信徒はそのようなロジックで学会を批判する。基本的に教学的な検証はあまりない。信仰としての意味は特になく、とにかく創価学会を非難して詐欺であるとする。


⑤教学独自の探求グループ。
組織も寺も三代会長も信用せず、独自に教学的な検証を行うグループ。個々の考え方は違うが、最近少しずつ増えてきている。



…………まあ類型化が果たして正しい分析になるとは思いませんけど、そんなようなグループ分けが存在すると思います。

例の元職員3人組の方たちはどちらかというと②のグループで、この方たちが中心的なグループにもしもなりますと、創価学会日蓮系教団としての特色を次第になくしていくでしょう。なにせ3人組さんは日蓮をまずほとんど読んでいません(ブログ中には御書の引用が1箇所もありません)。日蓮仏教も知らないので師弟一本槍で行くしかないのでしょう。



私は自身の信仰についてここで語ることをほとんどしていません。ブログだけを見ればほとんど全てを否定しているだけです。しかし私は龍樹と智顗の説に依拠して独自の曼荼羅の世界観を考えています。
それが正しいなんて思っていませんし、考え方を少しずつ変えてもよいと思っています。他の方が別の考えをとることも別に否定したりしません。
大切なことは一人一人の信仰者が他を拠り所とせず、自分を拠り所として、自らを灯明として信仰を保つことだと思っています。だからこそ私は自身の信仰の形をここで書かないことにしています。