たとえば上司が部下へ、理不尽に怒り続けている。部下がいきなりブチ切れて上司に反撃を始める。怒りと怒りがぶつかり合い、最終的には落ち着くべきところへ落ち着く。怒りには現状を打開する大きな力がある。理不尽なことに対してはその都度ブチ切れたほうが良いんじゃないだろうか。
怒りを表してはならないという風潮はとても危険なものに思える。上司だけでなく部下の口まで塞いでしまうからだ。会社内に限った話ではなく、学校でいえば教師と生徒、先輩と後輩。あるいは家庭でいえば親と子、兄姉と弟妹。もしくは政治の話でいえば……上手い例えが思いつかないけれど、政治の話をしたいのです。前置きが長くなった。
新橋駅前で、枝野の演説を聞いた。バカにされているのは国民だ、もっと国民が怒りの声をあげるべきだ、怒りの輪を広げようと言っていた。
これを聞いた大多数の人々はきっと「なぜ怒るのか」「怒ってはいけない」と考えているのだろうな、と心配になった。何しろアンガーマネジメントな世の中だから、日頃、怒りを抑えてばかりだ。理不尽な目にあっても声をあげずに、じっと耐え忍ぶことが美徳だと考えている節がある。昔から存在してきた考え方が、アンガーなんちゃらのおかげで強化されている。
怒りを制御することを学ぶべき人間も、きっと一部にはいるのだろう、それは分かる。ただし大多数の人々にとっては、むしろ怒りを露わにする努力が必要だと僕は考えている。怒るべきときに怒ることで環境を変えられるのだと実体験できれば、怒ることへの敷居が低くなる。そうやって改善を繰り返していけば、いつしか怒るべき対象が消えていき、怒らなくて済むようになる。
だから、アンガーをマネジメントしてはいけない。怒りは怒りのまま叩きつけて構わない。これは単なる感情のぶつかり合いではなく、理不尽なものと理屈の通るものとのぶつかり合いだ。理不尽なことに耐えてしまったり、周りにも耐えることを要求するのは、ひどく格好悪いことだ。そんなものにアンガーマネジメントなんて格好いい名前をつけてはいけない。
繰り返すけれど、怒りを制御すべき人間、制御すべき場面は多々ある。ただしほとんどの人々は、むしろ、もっと怒りを露わにすべきだ。なぜお前らが怒らないのか俺には分からないし本当に怒っている。怒りを文章で表すのはなかなか難しくて、たとえばウワアアァァとかオラアアァァみたいに書いても、まあ、ただのアホにしか見えないからなかなか難しいところだけど、ともかく……もっと怒りを!!!!!ぶつけろ!!!!!!!!!!
必要だろ いちいちキレる奴と仕事すんのは面倒なんだよ 最近はてなでみたいちいち泣く奴も同じく面倒 感情コントロールくらい小学校くらいで覚えといてくれ 自分の範囲がでかすぎる...
その怒りの正当性というか妥当性というか由来ぐらいは振り返らないと 行き着く先はコンビニで店員に食って掛かるジジイだよ