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いつか、街を歩いていたら:最果タヒ interview

ByIppei Suzukiphotos byHanayo

第一詩集『グッドモーニング』による鮮烈なデビュー以来、現代を生きる私たちの言葉に寄り添ってきた詩人・最果タヒ。創造性に溢れた詩や小説の制作にとどまらず、近作『千年後の百人一首』では美術家・清川あさみと共に千年前の感情の翻訳を試みるなど、ますますその活動の幅を広げている。言葉を巡る思考の軌跡や彼女が夢見る詩の未来について、話を訊いた。

平易な語り口を用いながらも安易な共感に頼ることなく、他人と分かち合うことのできない私たちの生の感情を鮮烈な言語感覚によって表現する最果タヒは、2006年に第44回現代詩手帖賞を、その翌年に刊行された詩集『グッドモーニング』で第13回中原中也賞を受賞し、詩人としてのキャリアをスタートさせる。第4詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は、数百部前後と言われる詩集の平均発行部数を大きく上回る3万部強を記録し、詩の世界になじみのない多くの読者の反響を呼んだ。また、小説やエッセイをさまざまな媒体で発表するほか、作詞や自身の詩作品を用いたシューティングゲーム、アパレルデザインといったコラボレーションを試みるなど、詩の領域を越えた横断的な活躍を見せている。そんな最果にとって詩の言葉とはどんなものなのだろうか。情報が溢れる現代において、詩はどこにあるのか。言語表現を更新し続ける彼女の発言から、「いまの言葉」の有りようを考える。

——最新詩集の『愛の縫い目はここ』をはじめて書店で見かけたとき、帯に「三部作、完結」と書かれていて驚きました。現代詩花椿賞を受賞された『死んでしまう系のぼくらに』に始まり、石井裕也監督によって映画化された『夜空はいつでも最高密度の青色だ』、そして本作と、これらを三部作にするという構想はもともとあったんですか?

構想というか、ひとつの区切りをつけようと思って。『愛の縫い目はここ』を出すときに、これからは自分の詩集の作り方が変わってくるだろうな、って思ったんです。これまでは作家さんがやる個展のような感じで、ある期間に書いたものを厳選して、集大成となるように詩集を出してきました。でも、いろいろな媒体で詩の連載を行わせていただくなかで、ひとつの軸を決めて詩を書くことが多くなってきたんです。そうして書いていった詩を集めて詩集を作るというときに、これからは詩集も、ある期間に書いたものの集大成という感じから、あるひとつの軸をもった1冊を作っていくようになるなと思ったんですね。

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——三部作とそれ以前の詩集、『グッドモーニング』や『空が分裂する』のあいだには、そうした区切りのようなものはありましたか?

『死んでしまう系のぼくらに』のあたりから、自分の書いた詩は人に読まれるんだなあ、って気づきがあったんです。十代の終わりに『現代詩手帖』でデビューした頃は、すごく混乱していたんです。自分が何を書こうとしているのかわからないまま、ただ書くのが楽しいから書いて、何もわからずに、読む人を混乱に巻き込んでいくみたいな。『別冊少年マガジン』などで詩の連載を始めたり、『花椿』に載ったりするうちに、いろんな人に読んでもらったりリアクションが返ってくるようになりました。そこから、だんだんと自分の書いているものの輪郭がどういうもので、それがどう人に読まれていくのかが、すこしずつわかってきたというか。今でも全部わかっているわけではないんですけど、自分のなかで何もわからないまま書いているという状況から抜け出て、外側に出られた感じ。それがこの三部作だったと思います。

——過去に出された詩集でも見受けられる点であると思うのですが、三部作ではとくに「愛」や「死」といった、私たちが日常的に使用する言葉が多く用いられている一方で、そうした言葉はそれぞれ作品ごとにちがった意味で書かれているように感じます。

一貫性がないんですよね、自覚あるんですけど。でも、詩を書くときは使おうとしている言葉の意味はこれひとつしかない、と思って書いています。確信というか、ひとつだけだと思えるときに書いている言葉が詩になると思っているので、別の時期に書いたものと内容にズレがあってもあんまり気にしてないんです。

——全体の一貫性よりも、そのときどきの確信に基づいて書く方を重要視されているということですね。

確信については、私が言葉に興味を持つようになったきっかけでもあるんです。アーティストの浅井健一さんが書かれた曲で、「はくせいのミンク」っていうのがあるんですけど、この曲は比喩が突飛で、「きみどり色した この街の夜は」って歌詞から始まるんです。「きみどり色って何?」ってふつうは思うのに、街が「きみどり色」だって、心の底から信じているように書かれていて、歌詞を読んでいる人にもそれを疑わせない。この歌詞の強いところは、確信を聴き手に伝えてくる力にあると思うんです。それにすごく影響を受けているので、詩を書くときは今書いているものに対して、どれだけその言葉を信じられるかを大事にしています。

——実作のことでもうすこし詳しくお伺いしたいのですが、最果さんの詩は散文的な作品が多い一方で、1篇ごとに文字数の長さがバラバラですよね。文字数を決めるときの基準はありますか?

ありますけど、言葉になんない(笑)。最初にWordで全部わーっと書いて、ここ!っていうところで改行しています。うまく同じ文字数で収まりきらないところも出てくるので、そこから漢字を開いたり、言葉を変えたり。改行で置かれる間みたいなものが好きで、詩を読む上ですごく大事なものだと思っているので、細かく気にしています。読まれるときの調子をできるだけコントロールしたいんです。

——散文詩に改行のリズムをそっと組み合わせるところが、最果さんの詩の魅力だと感じます。『グッドモーニング』の頃はもっと大胆に改行されてましたよね。

あの頃も読まれるときのリズムをコントロールするために、書き終えてから改行しています。改行の仕方で読むスピードが変わるんですよね。読むスピードも含めて言葉なので、そこもちゃんと書こうとしてやっていたと思います。あれをやろうとはもう思いませんが、そのときにできた感覚は今の詩にも通じているのかもしれません。

——最新作『千年後の百人一首』では、美術家の清川あさみさんとのコラボレーションで、百人一首から詩と絵を制作する試みをされていますよね。また、2016年にはシンガーソングライターの大森靖子さんとの共著で『かけがえのないマグマ』を出されていました。ふだんの実作においても言えることかもしれませんが、最果さんは自分自身に固有のものというより、他人の言葉や感情を受け取って書くという試みをされているように思います。

自分のなかでは、あんまり伝えたいものがないんです。おもしろいものができそうだって気持ちの方が先で、自分のものではない感情を書くことに抵抗はあまりないですね。『千年後の百人一首』は作品としての軸やメッセージがあるので、「ふつうの詩集はよくわからないけどこっちの方は好きです」、みたいな感想を言われることもありました(笑)。

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——歌は詠んだ人の感情が具体的な相手に向けられていますからね。

書きながら、自分はすごく怖いことをやってるな、と思いました。百人一首は作品として完成していますから。でも、歌の言葉は私たちにとって、文法を習ったり勉強して覚える、昔の言葉じゃないですか。理解することはできるけれど、自分の中にある生っぽい感覚に直接触れてくるかと言うと、どこか遠い感じがして。でもそれは今の私たちが見たらそうなるというだけで、昔の人にとっては今のSNSと同じ、その時代の人にとっての今の言葉として書かれたんですよね。それをもう一回、私たちにとっての今の言葉としてやってみよう、という感じでした。

——制作の過程で、歌だけではなく清川さんの絵を参照するようなことはありましたか?

そうですね。ぜんぜん書けんわってなったけど、清川さんの絵を見て書けるようになったのは何篇かあります。たとえば持統天皇の「はるすぎて」の歌は、詠まれている場所にまつわる伝説が多すぎて、どれに軸を置いて書いたらいいのか悩みました。いろいろ調べてみても、神様が人の嘘を見破るために衣を干していたとか、衣替えのことを詠んでいるとか、明確にこれが正しいというものってなくて、じゃあどう訳せば……?って(笑)。そしたら清川さんから絵が届いて、その絵に時の流れのイメージをすごく感じて、歌の中にある季節感とつながっていくのがわかったんです。だから時の流れの詩にしようと決めて書きました。逆に清川さんが悩んでいたもので私の詩を読んで描けるようになったりもしたそうなので、なんというか、お互いがお互いをサポートし合うことができました。

——先ほど言われた「今の言葉」と、はじめの方でお聞きした「言葉の意味」、このふたつはどこかつながりがあるような気がします。ふだん私たちが使っている言葉は、いわゆる情報の伝達が目的とされている言葉ですが、一方で詩は、その意味を崩したり、ちがう意味とつなげたりして書かれるものだとされることが多いかと思います。最果さんにとって、詩の言葉はどのようなものとしてあるのでしょうか?

話すのが下手で、何を言っているのかわからないってずっと言われてきたんです。一般的に使われる言葉の枠みたいなものをあまり把握してなくて。詩は、人に「わからない」と言われることをいっさい意識せずに書いていて、いちばん自分にとってプレーンな状態です。世の中の言葉ってすごく硬いじゃないですか。決まりきっていて、目上の人には「ごくろうさま」って言っちゃだめ、とか(笑)。そういうのすごく苦手で。一生懸命話せば話すほど、「何言ってんのかわからない」と言われるのもしんどかった。だから、詩ではふわふわしたものをそのままにして書いています。意味にこだわると、読んでる人は頭で理解するようになって、詩の届く場所が変わってしまうと思っています。

——最後に、今後してみたい活動ですとか、そういったことについてお聞かせください。

歌詞の提供はずっとしたいと思っています。いくつかさせていただいたりはしてますが、街を歩いていたら、ふと自分の歌が聞こえてきたり、誰かが口ずさんでいたりしたらいいなって。

——そういえば『愛の縫い目はここ』を出された頃のインタビューで、「街に詩がある状況」を夢見ていると答えられていましたが、それから半年もしないうちにルミネの広告に最果さんの詩が載りましたよね。

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あれはすごくびっくりしました(笑)。歌詞がやりたいのも、みんながそれを詩だと思わずに、詩に触れる機会が増えるといいなあって思うからなんです。もっと消耗品に、消費されるものになることがあってもいいんじゃないかって。やっぱり詩人なので、詩のために何かやりましょうって企画はたくさん来ます。でもそうじゃない、詩が世の中に出るって、そういうことじゃないと思うんです。「街に詩がある状況」は、詩のために何かやるんじゃなくて、ファッションアイテムだったら、デザイナーが自分のクリエイティブの手段として誰かの詩を取り入れる、みたいな。そういう日が来たらいいのになあ……って、夢見てる感じですね。

Credit


Text Ippei Suzuki
Photography Hanayo